919.2009年11月18日(水) Mr.MATSUKI MIYAZAKI医師とはどんな人だろう?

 旅行から帰った15日に妻が孫のひとりのために七五三のお祝いをする予定だったが、上の孫と揃ってインフルエンザに罹ってしまいお宮参りもお流れになった。今度の連休に改めてお祝いをと考えて、妻が長男に聞いたところ、今度は嫁がインフルエンザに罹って寝ているという。結局再び延期ということになった。

 新型インフルエンザや風邪が流行っているが、国の対策が後手に回って医師も、学校も困っているようだ。元がしっかりしていないと何も頼ることができない。

 さて、14日の本稿に書いた駐車場からタージ・マハール東門への道路、「Dr.MATSUKI  MIYAZAKI ROAD」と博士の名をインターネットでいくら調べても見つからない。あれほど歩道の目だったところに建てられ、その標識も赤砂岩に枠組みされた石板に彫られた立派なもので、1.5 X 1mぐらいの大きさである。そばを通れば誰でも分かるほど大きい。しかも、博士は生前土地の人びとから尊敬され、慕われていた。それが、このように外国人が大勢通る観光のメイン・ストリートに博士の名を冠せられることになった謂われなのだ。当然こういう名誉は日本で大きく取り上げられていると思い、インターネットで探したがついに発見出来なかった。今でいうハンセン病という一時代前までは、世間から抹殺されたように隔離生活を強いられ、人間としての権利はおろか、人間としての最低限の生活さえ営むことを許されなかった人びとを献身的に救い、地道にインドの人びとのために尽くした医師がいた。インドの人は博士を敬愛し尊敬し高く評価したが、日本ではあまり評価されないという事実があるということである。

 MATSUKI MIYAZAKI博士というのは、一体どんなお医者さんだったのだろうか。興味を持った。それにしても日本では資料がないのかも知れない。インドの厚生省辺りの方がきちんとした資料も情報も得られるかも知れない。だが、どうもこれはおかしいのではないか。

 昨日朝日新聞全国版に友人・山崎洋さんの日本翻訳家協会特別賞受賞が紹介されていたが、今日は、東京南部版に山崎さんが父ブランコ・ド・ブーケリッチ氏の遺品レコードを国分寺の音楽家に寄贈したと紹介されている。以前に父親はレコードを聴くのが好きだったと聞いたことがある。いずれにしろ、かつて一世を風靡したとされるドイツのバリトン歌手ヨーゼフ・シュヴァルツのような希少価値のあるレコードが、確実に保存されることになる。

2009年11月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

918.2009年11月17日(火) 山崎洋さんの翻訳賞受賞が朝日に

 今朝の朝日新聞第2面の「ひと」欄を見てびっくりした。誰あろう、そこに友人・山崎洋が載っているではないか。内容は「古事記」セルビア語訳本の功績により日本翻訳家協会特別賞を受賞したことと、彼の数奇な生涯、家庭事情が書かれている。

 彼はすでに10日にセルビアへ帰っているが、いずれ送られてくるであろうこの新聞記事を見てどう感じるだろうか。この記事を書いた石川幸夫記者は知ってか知らずか、彼の父親について、ゾルゲ事件の首謀者のひとりと書いているが、はたしてそうだろうか。終戦半年前に網走刑務所で獄死された父・ブランコ・ド・ブーケリッチ氏は、首謀者だっただろうか。「ゾルゲ事件」の定説は、一応リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実が首謀者とされている。ブーケリッチ氏は首謀者ではなかったとの説が根強い。だからこそ、死刑の宣告を逃れ、網走送りとなり終戦直前に獄中で亡くなった。生前彼の母上と電話でお話した時、もう少し頑張って生きてくれれば、家族揃って生活することが出来たのにと、ブーケリッチ氏の早い死を嘆いておられた。

 いずれにせよ、彼の「古事記」が、高く評価されたことはこの上なく嬉しいことである。早速メル友に情報を流した。ゼミの須藤晃くんからすぐ返事が来た。昨年1月に3人で夕食を一緒にした時の印象を書き添えてくれた。

 彼のセルビアにおける生活も半世紀近くになる。観光地としては派手に宣伝されるクロアチアに比べて、セルビアは地味な感じがする。実際世界遺産もクロアチアに比べれば、目立つものが少ない。隣国同士でお互いに仲も良くないようだ。いつか彼が言っていた。セルビア№の車でクロアチアへ入ると、嫌がらせを受けることがあると言っていた。まだまだ日本では考えられない人生がこのまま続くだろうが、頑張って欲しい。

 さて、今日の多摩美術大の講座は、メキシコの美術と建築だった。先週はインド旅行中だったので欠席したが、ヨーロッパの芸術ばかりでなく、発展途上国の芸術も学んでいる。メキシコの芸術はシケイロスの絵画が有名だが、加藤嘉・神奈川大学教授がパワーポイントを自在に操りながら数多くの珍しい建造物や絵画について説明してくれた。絵画や建築物の他に、南部コヨアガ地区にあるメキシコ国立自治大学(UNAM)の一風変ったキャンパス全体の建物群は、確かに芸術的である。驚いたのは、この大学キャンパスが世界遺産に認定されているのだ。医学部、図書館、本部建物、陸上競技場などの施設にはすべて特異な絵画や、デコレーションが施されている。それらが一体的に捉えられて世界の大学で唯一の世界遺産として認定されている。今日の講義はユニークで面白かった。

2009年11月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

917.2009年11月16日(月) 鳩山外交がぶれている。

 「知の現場」の再校ゲラが回ってきた。昨日の読み合わせに参加出来なかったので、メールで送信されてきた拙稿4名分をチェックした。いくつか気づいた点について秋田プロジェクト・リーダーに送る。とにかく出版までは気を抜けない。

 一昨日韓国・釜山で射撃場の火災があり、多くの日本人観光客が亡くなった。随分雑な店のようだが、韓国ではスプリンクラー設置は法律で決められていなかったようだ。昨年1月に近代的な冷凍倉庫が爆発火災を起こし、40名が即死したが、かつてソウル市内のデパート火災でも多くの買い物客が亡くなったことがある。これから寒くなるので、火災の危険性も高くなる。

 さて、私がインドを旅している間にアメリカのオバマ大統領が日本を訪れていた。僅か22時間の滞在の後、シンガポールで開催中のASEAN10 ヶ国首脳会議出席のため飛び立った。オバマ大統領にはノーベル平和賞受賞が強くアピールしていたので、広島か長崎のどちらでもいいから訪れて欲しかった。もし訪れてくれれば、国際社会に対して強烈な訴求力があったと思う。

 昨日機内で「中国日報」英字判を読んだ時、1面にオバマと温家宝首相が握手している写真を見てうっかり中国を訪問中だと勘違いしたが、あの写真は9月の国連の場で会った時のものだろう。オバマはシンガポールでもあっという間に機上の人となり、今日中国を訪れ若者と対話集会をこなしていた。メディア報道によると若者が自由に発言しているように見えるが、どうもかなり規制が働いたようだ。その対話集会の前にオバマは中国首脳に対して自由な発言を求めたようだから、相当中国の言論統制を気にされ、注文をつけているようだ。

 それにしても日本の外交はどうなったのか。前の自民党政権より腰がふらついている。今日も岡田外相が沖縄を訪れ、普天間基地と嘉手納基地を見学して何とか普天間を嘉手納へ統合させる私案を実現させようとしているが、地元はもちろん閣僚の間でも反対があり、中々ことが進まない。どうも岡田外相は手順が悪いような感じがしている。選挙のマニフェストに、基地を海外か県外へ移転させると実現性の薄い約束をしたことが足かせになり、今やニッチもサッチも行かなくなってしまった。

 鳩山首相も煮え切らない。オバマとの会談で日米合意に沿って話を進めて欲しいと釘を刺されてしまった。結論も年内とか、早い時期とか、来年早めにとか、どうも結論が出るのかどうかも心配である。大体考えが甘い。例えば、県外移設なんてどの県も引き受けるはずがないではないか。海外移転についてはグアムが候補地のようだが、これだって相当の補償金をグアム政府に支払わなければ引き受けることは考えられない。

 案の定今朝の朝日世論調査によれば、内閣支持率は微減程度で納まっているが、外交の評価は低い。評価36%に対して、反対が同じ36%と出た。いくつかの政策の中で一番評価が低い。鳩山外交もいよいよ正念場を迎えたようである。

2009年11月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

916.2009年11月15日(日) 近いうちにもう一度インドへ

 眠る間もなく前夜11時にクマールさんが迎えに来られた。フライトは北京経由の中国国際航空で出発時間は3:05である。空港まで約30分なので、やや早い気がするが、インドではチェック・インが3時間前と聞いた。深夜にインディラ・ガンジー空港まで飛ばして、着いてみるとターミナル・ビルの前は車の洪水で車をつけるのも一苦労だった。世話になったガイドのクマールさんとドライバーのシンさんにここで別れて、人ごみを掻き分け、ボディチェックを受けて空港建物内へ入る。

 フライトのチェックインはトランクを預けて簡単に終ったが、待ち時間が3時間もある。いざ搭乗となったら、いつの間にか搭乗ゲートが変更になっていて大いに戸惑う。案内が徹底されていないからだ。4番ゲートのはずが、5番に変っているが、その表示がはっきりしない。しかもここでインドと中国の険悪な関係を知らされることになった。空港内では中国国際航空の表示が一切出ない。4日前に到着した時も、税関で荷物を引き取るターンテーブル番号の表示がなく、空港係員に尋ねて彼がトランシーバーで問い合わせてやっと分かったという按配である。今日も5番ゲートには、普通表示される航空会社略号とフライト№が電光表示板に表示されない。そのうえ、ショルダーバッグに航空会社のタッグが付いていないからと言って、再び荷物検査を強制される有様だった。

 そう言えば、宇都宮から参加した女性のひとりは、日本人に帰化して「伊藤きよみ」さんと仰っていたが、中国人だった。そうとは知らないクマールさんが最初から中国の悪口を言い出したので、止めてほしいと「伊藤」さんが抗議してクマールさんが謝った経緯がある。

 インドと中国は同じBRIC’sではあるが、どうも昔から対立関係は根深く、国民同士もお互いに津の突き合わせていて、ことはそう簡単には解決しそうもないようだ。

 薄い雪景色が見られる北京空港で乗り換え、成田空港へ帰ってきたが、今回の旅は内容的にはあまり期待していなかった割には、どうしてどうして中々良かった。他に成田からHISで同行した人が15人もいたが、ほとんど3人ずつに分かれて同じ観光地を見学していた。彼らの言い分を聞いてもこういうように小さなグループに分かれて見学出来たのは、期待もしていなかったが、良かったとかなり高く評価していた。私も格安旅行だから、大きな期待もしていなかったが、ホテルのグレードアップもあって、更に何よりもインド自体の魅力があって、旅行としてはほぼ満足出来るものを見せてもらったと思う。

 堀田善衛は生前もう2度とインドには行かないと書いている。それは、嫌いと言うのではなく、あまりにも深く考えさせられる国だからこそだそうだ。私は確かに深く考えさせられたが、だからこそ逆にもう1度近いうちに訪れてもっとインドという国を知ってみたい。それも必ずベナレス(バラナシ)を訪れてみたいと強く感じた。得た物は実に大きいインドの旅だった。

2009年11月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

915.2009年11月14日(土) 素晴らしい! 感動的なタージ・マハール

 タージ・マハールは予想していた以上に素晴らしい世界遺産だった。16世紀半ばに22年の歳月を費やして建設されたイスラム建築の極地である。年間400万人もの観光客が訪れる。生きている限り出来るだけ機会を捉えて訪れてみたいところだ。

 スペイン・グラナダにあるアルハンブラ(アランブラ)宮殿は、このタージ・マハールをモデルにしたと言われているが、比較にならないくらいこのタージ・マハールの方が立派であり、上品でもあり、訪れた人の心を打つ。ここを訪れて説明を聞き、庭園内を散策するだけで、その素晴らしい価値が伝わってくる。建物の中には、ムムターズ・マハール妃の棺が祀られていて、隣には22年の歳月を費やしてこれを建設したムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの棺が安置されている。暗い内部は写真撮影が禁止されているにも関わらず、フラッシュを焚く馬鹿な外人観光客がいる。撮影禁止だと言ってやると、「そうですか」と言ってまた撮っている。モラルの欠如は東西を問わない世の中になった。

 建物の背後を流れるヤムナー川の左後方には、ジャハーン帝が息子アウラングゼーブ6代皇帝によって幽閉され晩年を寂しく暮らしたアグラ城が見えるはずだが、靄か、スモッグがかかってまったく見えない。

 この後訪れたアグラ城の建物も素晴らしかった。ジャハーン帝が幽閉された部屋の斜め前方にはタージ・マハールが見えるはずだが、今日は霞んで見えなかった。

 ところで、日本でほとんど知られていないが、タージ・マハール東門への道は、「Dr.MATSUKI MIYAZAKI ROAD」と呼ばれている。インドのらい病患者のための施設を造り、終生インドの貧しい人びとのために尽くして、土地の住民から感謝されていた日本人である。なぜこういう気高い人が日本では紹介されないのだろうか。

 その後もう1ヶ所、世界遺産のファテプール・シクリを見学したが、前二者に比べてそれほど感激しなかった。

 アグラからニューデリーへは、230㎞ほどで、再び怖いドライブが始まった。バス、トラック、オートバイ、自転車、馬車、人力車など多種な種類の乗り物が、レーンに関係なく走りまわり、車線変更は当たり前で、時々大きなトラックまで逆走してくる交通法規無視が、渋滞と危険に追い込んで無法地帯と化してしまう。すぐ解決法といっても考えつかないが、せめて走行車線と追い越し車線の区分をしっかり守れば、もう少し安心してドライブを楽しめるのではないか。

 夜9時になって最初に宿泊したパークホテルへ戻って来たが、途中農家に立ち寄らせてもらい、家の中を見せてもらった。こういう時のためにいつもチョコレートを準備しているが、これが沢山の子どもにえらく喜ばれた。

 やや疲れてひと風呂浴び、眠い中でこのブログを書くのも少々きつい。まもなくクマールさんが迎えにやって来る。インド最後の晩は疲れのうちに時が経つ。それにしてもタージ・マハールは感動的だった。訪れることが出来て本当に良かった。

2009年11月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

914.2009年11月13日(金) ジャイプールの観光は盛り沢山

 夜は寒いので冷房を切って、ベッドに入ったが夜中にあまりの寒さに目が覚め、ジャンパーとズボンを着て再び眠りに就いた。今日は朝から霧雨状態で外は寒そうで少々気が重い。8時30分の出発に合わせてクマールさんがピックアップに来られた。宿泊したラマダ・ホテル玄関で立派なあごひげをくわえたドアーマンの顔にはびっくり。聞いてみるとギネスブックで、世界一長いあごひげの人物と紹介されたと言い、あごひげの新聞も見せてくれた。ホテルも中々感じが良くて、流石高級ホテルらしい雰囲気である。

 このジャイプールには世界遺産はないものと理解していたが、最初に訪れたアンベール城が世界遺産だとクマールさんは言う。確かに後背の山の稜線上に「万里の長城」を配して、丘の上に赤い色彩の塀は、光景としても充分価値があるし、内部のいくつかの建物と歴史は世界遺産に登録されてしかるべきである。城へのアプローチが、象に乗るというもので、これは人気があって乗り場へ行ったら小雨の中を延々長蛇の列だった。象にはバンコックでも乗ったことはあるが、狭いグランドを一周するような子供騙しではなく時間的にも15分ぐらい掛けて、坂道をゆっくり揺られながらアンベール城内までサルタンの王侯気分を味わう。聞けば、この象に乗ることが観光客の人気を集め、象の酷使につながるとして、今では朝8時から11時までしか利用できず、1頭の象は1日5往復しか出来ないように取り決められ、象のストレス解消に努めているという。まあ、いろいろあるなと思う。

 その後、「街の宮殿」を見学して、写真では何度も見たことのあるピンク色の「風の宮殿」前で写真を撮って、アグラまで210㎞を飛ばしに飛ばす。とにかくドライバーは運転技術が上手いが、載っている者としてはちょっと怖い。夕方近くなってアグラ市内へ入ってきたが、入口で車とオートバイと自転車、それに歩行者が信号のない交差点で動きがとれない状態になった。われわれの車は10㎝ごとに動くような有様で、地元民のラッシュ時間にも重なったのかも知れないが、市内中心部に入るまで続き、その混雑ぶりは、よほどの対策を打たないと最早手に負えないのではないかと感じたくらいである。

 明日は今回の旅行で最も楽しみにしているタージ・マハールを見学することになっているが、クマールさんからの提案により、新しくできた劇場でタージ・マハール完成の史実を芝居で上演しているという耳寄りな話に乗ることにした。オプショナル・ツアーである。

 6時半開演の3分前に何とか劇場に到着して、ヘッドフォーンで日本語による台詞と説明を聞きながら、オペラ的ミュージカルを観劇することになった。完成して間もない立派な劇場で、仕掛けも良くストーリーも明日のタージ・マハール見学の露払い的役割でグッドタイミングだった。1時間半のミュージカルだったが、充分楽しむことができた。

 今夜宿泊予定は‘JAYPEE PALACE HOTEL’という5つ星ホテルで、確かに素晴らしいファシリティのホテルだ。2人の女性客の滞在ホテルへ先に寄ったが、数段格が違うという感じだった。彼女らのホテルはダウンタウンの喧騒な場所にあり、小さなホテルだった。やはり落ち着いて滞在するには、グレードアップして良かったと感じた。今日もかなり見所の多い行程だった。明日は最終日になるが、タージ・マハールはもちろんであるが、アグラ城も楽しみにしている。

2009年11月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

913.2009年11月12日(木) 世界遺産を2箇所見学

 7時半にウェイクアップ・コールで起こされた。やはり短い時間だったが、一気に眠ってしまった。まだ若干疲労感はあるが、朝食を摂って9時の出発を待つ。ほどなくクマールさんが出迎えに来られた。昨日別のホテルに泊まった2名の女性もすでに同乗していた。彼女らは宇都宮から参加したと言っていた。ひとりは日本へ帰化したが、中国人だった。道理で機内でスチュワーデスと流暢な中国語を話していると感じていた。

 40歳で独身のクマールさんには拙著を2冊差し上げ喜んでもらったが、果たして読めるかなぁと笑っていた。名門デリー大学で日本語を専攻したと言っていたので、相当達者な日本語を話す。酒もタバコもやらないと言っていたが、宇都宮からの元中国人が日本名だったので、分からず当初は中国人批判を繰り返していた。嫌いなのは中国人と政治家だと言い、政治家に対しても税金泥棒と厳しい。話しすぎるくらい熱心にガイドを務めてくれる。

 インドは今世界が注目するBRICsの一国であるが、人口が多いだけに国力をひとつの方向に向かわせれば大きな力を発揮するだろうが、貧富の差が激しく、民族・宗教等の対立、などが相変わらず解決されていない。

 さて、最初に世界遺産クトウブ・ミナールはデリー郊外にある。高さが72mもあり、奴隷王朝のスルタンがヒンドゥ教徒に対する勝利を記念した建てたものだそうだ。外に出た時、可愛らしい小学生のグループと一緒に写真を撮って愉快なひとときもあった。

 2つ目の世界遺産はフマユーン廟でムガール帝国2代目の皇帝のために妃が立てたものと言われている。1階の内部にお棺が安置されている。これらの観光地を取り巻く環境は、緑が多く、いたる所地下鉄工事などで道路を掘り起こしているが、その自然がせめてもの慰めである。インド門は遠くから眺めて昼食後、ジャイプールへ向かった。

 ジャイプールまで約250㎞で、一般道から高速道路へ入ったが、所々混んでいて結局7時間ほどかかってしまった。車のスピードも速く、少々怖いくらいである。道路走行のルールが大分乱れていて、接触寸前ということもあったし、途中で事故も見た。運転手もマナーがあまり良くなく、側線とは言え、逆走してくる車もかなりあった。外灯がないので、日が暮れてからカーブの走行などは減速しないので危険だと感じた。珍しく道路際を2人ずれの男が歩いていたが、ひとりは素っ裸、つまりストリーキングだった。こんなところでストリーキングを見るなんて思いも寄らなかった。

 特に、気づいたのは市内で若いカップルが手に手を取って、歩いている光景をまったく見なかったことである。宗教のせいだろうか、クマールさんも自信も持ってあまりいませんと言っていた。もうひとつは、州境で通行税を払うということだった。

 まだ表面的な印象だが今日の様子では、36年前にボンベイで受けた印象とは大分異なる。

2009年11月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

912.2009年11月11日(水) 36年ぶりにインドの旅へ

 インドへ向かった。成田エキスプレスでJR品川駅から成田空港駅までほぼ1時間だったが、1時間集合時間を間違えて早く着いてしまった。今回は格安航空券で発展著しいHIS社の団体募集にひとりで参加した。ニューデリー、ジャイプール、アグラを巡る5日間の旅である。格安航空券会社が実施するツアーとはいかなるものかを実体験をしてみようと思ったこともこのパック旅行に参加して理由でもある。参加費は確かに安い。ところが、これに2流以下のホテルをファーストクラスにグレードアップして、4泊の内最初と最後が真夜中に到着・出発である。さらに、シングルユース料金を別途4泊分支払うと格安なんてものではなく、まずまずのツアー料金になる。やはりそうかという印象を持った。集合時間の12時15分になったので、HIS社のチェックインカウンターで受付を済ませ、参加者を聞いてみると16名とのことだった。

 さて、満席状態の中国国際航空(CA)の北京経由ニューデリー行であるが、添乗員はいないので、ニューデリー空港で待機しているHIS社のガイドと会うまでは、参加者がそれぞれ自分で出入国手続き関係を行う。今更と言う感じだが、初めて参加する人は多少戸惑うのではないか。実際北京空港では、検疫検査と手回り品のチェックを行ったが、当然書類の記入がある。参加者らしい旅行者がやはり迷っている様子が見えた。北京空港も一昨年チベットへ行った時以来だが、更に新しくなったような感じだった。1℃ということで寒い。空港敷地の隅っこには積雪があった。ここで約2時間の待ち合わせの後同じ中国航空でニューデリーへ発った。

 ヒマラヤ上空をフライングしたせいか、大揺れに揺れたが、ニューデリーのインディラ・ガンジー国際空港には予定時間にほぼ近いローカルタイム1時30分に到着した。イミグレーションの前に機内では手渡されなかった検疫検査用紙の書き込みをさせられた。ターンテーブル前はごった返している。ちょうど直前に到着したKL便の荷物が到着していた。CAの荷物がどこのターンテーブルに現れるのか、表示がない。空港係員に聞いて彼からCAに問い合わせて場所が分かったが、荷物が中々出てこない。私のトランクが16名の中では割合早く表れたので、お先に税関をパスしてロビーへ出てHISのガイドと会い、しばらく他の同行者を待つことになった。全員16名が揃った時点で空港を離れるのかと思っていたところ、ガイドのクマールさんが2名の女性客を連れて出発しますということになった。ホテルがバラバラのようで、帰国の日まで2名の女性とクマールさん、ドライバーのシンさんが一緒となった。

 宿泊のThe Park Hotelは官庁街の近くにある。チェックインしたのが3時近くになっていて、睡眠不足になりそうだ。不思議なのは、2名の女性客がこのホテルへ宿泊せず、この後別のホテルへ向かったことである。16名はどういう構成になっているんだろうか。疲れたせいか血圧がかなり高い。

2009年11月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

911.2009年11月10日(火) ロシア人の思考回路が分からない。

 スターリンの孫が祖父は国家のために奉仕したのに、大量虐殺者とか、国家の信頼を傷つけたと喧伝され、祖父の名誉が汚されたとして新聞社を相手に訴訟を起こしたそうだ。直ちに却下されたが、祖父が祖父なら、別の点で孫も孫である。ポーランド人将校がソ連軍に大量虐殺された「カティンの森」事件は、スターリンが殺害を命じたとされ、スターリンの残虐性を象徴する典型的な事件である。スターリンは今でもロシアでは偶像視されている傾向がある。ロシアでは過去の大粛清とか、独裁者というイメージよりも世界大戦に勝ち共産圏帝国を築き、ソ連を世界の大国へリードした力を評価している。ソ連がロシアとなり、民主主義国家として再建途上にあったが一旦躓くや、旧ソ連時代への郷愁から、ソ連とスターリンは復古調の波に乗り、現代ロシア人にじわじわとノスタルジアを掻き立てさせている。

 だが、ソ連政府は「カティンの森」はナチスの犯行だったとデマを続けていたが、東西の壁崩壊後、誤りを認めてドイツに公式に謝罪した。それにも拘らず、本心では自分たちに責任はない。時代と環境のせいだとでも思っている節がある。

 現在のロシアとロシア人には、自分たちは自分たちの利益のためにやっているのではないと言わんばかりの開き直りのパフォーマンスが見える。確かにロシア人には、そういう特異な一面がある。

 映画「カティンの森」を撮ったポーランドのアンジェイ・ワイダ監督は、「ソ連は犯罪的な体制だった」と直截な表現をしている。映画は相当ソ連を批判的に描いているのだろう。日本では12月に上映されるが、ロシアではその予定はない。公開されたらぜひとも観てみたい。

 さて、最近猟奇的な殺人事件が目立っている。結婚詐欺まがいの34歳の女性の周辺では、4人の男が不審な死に方をしている。同じように鳥取県では35歳の女につながる男が5人死んでいる。また、島根の女子大生のバラバラ死体が山中で発見された。極め付きは、2年前にイギリス人女性を殺害したまま逃走し、その間整形手術を受けて生き延びていた容疑者・市橋達也が、ついに今日逮捕された。タレント・酒井法子の麻薬事件以来の大騒ぎである。いずれも昔は考えられなかったような残酷な事件で、これもやはり時代性と言ったら良いのか。

 とにかく怖い世の中になったものである。

2009年11月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

910.2009年11月9日(月) お懐かしい! マーシャ・クラッカワさん

 ベルリンの壁が崩壊して今日でちょうど20年になる。新聞、テレビのニュースでも断片的に伝えてはいるが、やはりヨーロッパと日本では受け止め方が大分違うようだ。社会主義と角突き合わせた切実な緊張感は、やはり当事者でなければわからないだろう。

 今日は妻のコーラス・グループ「コーロ・ブリランテ」の6回目のコンサートが「横浜みなとみらい小ホール」で開かれた。この辺り一帯が横浜みなとみらい開発計画により、大きく周囲の環境が変った。実はそれ以来初めてこの界隈を歩いたが、まったく別世界へ来たようだった。会場も新しく豪華なコンサートホールで、中々良い感じだった。練習の成果を出せたのかどうか、聴いた限りではまあ良かったのではないかと思う。シートも400余席がほぼ埋まっていたようだったから良いところだろう。4年ぶりのコンサートということで、このところ週に何度も練習に出かけていたが、これでしばらく頻繁に出かけることもないと思う。

 さて、珍しい人の消息が朝日夕刊に紹介されていた。何と30年以上も前にNHK英語会話の講師を務めておられたマーシャ・クラッカワさんである。現在聖心女子大教授だそうだ。愛想の好い笑顔にメリハリのある話し方で人気があった。私自身もその頃英会話をMr.Carl Kniffinから習っていたが、クラッカワさんが偶々原宿のKniffin先生の隣宅に住んでおられて時折顔を合わせることもあった。

 しばらくテレビで見ないと思っていたら、1999年に母校の聖心女子大に戻り、2007年英語英文学科の教授になられたという。ああいう個性的で、楽しい教え方をする人はそう多くはいない。美しく優しい顔に似合わず、「英語を学ぶのに何より重要なのは、積極性、やる気」だという。そのうえで、こうも言っている。「言葉を使う機会があっても使わない人が多い。中学や高校で習った知識で多くの表現が可能なのだから、積極的に取り組むべきである」。お説ご尤もである。

 このことは現代の学生全般に言えることである。クラッカワさんには、日本人の英語力が中々上達しない理由が分かっていて何とももどかしいのだ。

 さて、政府は来年度概算予算と事業仕分けで、てんてこ舞いの様子だが、その一方外交問題で躓いている。日米同盟、とりわけ安保条約と沖縄米軍基地問題が、日米両国の間にきしみをもたらしているのだ。政府内でも岡田外相と北沢防衛相ら閣僚の意見が合わず、基地問題をどうするのか、思うように意思統一ができない。最大の問題は普天間基地をどうするかということである。アメリカは日米同盟で取り決めた通り、辺野古沖への移設を主張している。民主党はマニフェストで普天間基地を国外または県外へ移設と謳ったが、そもそも引き受け先が決まっているならともかく、まったく思いつきで選挙対策に利用していたとしか思えない。果たしてどう基地問題を解決するのか。鳩山首相の手腕が問われている。

2009年11月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com