旅行から帰った15日に妻が孫のひとりのために七五三のお祝いをする予定だったが、上の孫と揃ってインフルエンザに罹ってしまいお宮参りもお流れになった。今度の連休に改めてお祝いをと考えて、妻が長男に聞いたところ、今度は嫁がインフルエンザに罹って寝ているという。結局再び延期ということになった。
新型インフルエンザや風邪が流行っているが、国の対策が後手に回って医師も、学校も困っているようだ。元がしっかりしていないと何も頼ることができない。
さて、14日の本稿に書いた駐車場からタージ・マハール東門への道路、「Dr.MATSUKI MIYAZAKI ROAD」と博士の名をインターネットでいくら調べても見つからない。あれほど歩道の目だったところに建てられ、その標識も赤砂岩に枠組みされた石板に彫られた立派なもので、1.5 X 1mぐらいの大きさである。そばを通れば誰でも分かるほど大きい。しかも、博士は生前土地の人びとから尊敬され、慕われていた。それが、このように外国人が大勢通る観光のメイン・ストリートに博士の名を冠せられることになった謂われなのだ。当然こういう名誉は日本で大きく取り上げられていると思い、インターネットで探したがついに発見出来なかった。今でいうハンセン病という一時代前までは、世間から抹殺されたように隔離生活を強いられ、人間としての権利はおろか、人間としての最低限の生活さえ営むことを許されなかった人びとを献身的に救い、地道にインドの人びとのために尽くした医師がいた。インドの人は博士を敬愛し尊敬し高く評価したが、日本ではあまり評価されないという事実があるということである。
MATSUKI MIYAZAKI博士というのは、一体どんなお医者さんだったのだろうか。興味を持った。それにしても日本では資料がないのかも知れない。インドの厚生省辺りの方がきちんとした資料も情報も得られるかも知れない。だが、どうもこれはおかしいのではないか。
昨日朝日新聞全国版に友人・山崎洋さんの日本翻訳家協会特別賞受賞が紹介されていたが、今日は、東京南部版に山崎さんが父ブランコ・ド・ブーケリッチ氏の遺品レコードを国分寺の音楽家に寄贈したと紹介されている。以前に父親はレコードを聴くのが好きだったと聞いたことがある。いずれにしろ、かつて一世を風靡したとされるドイツのバリトン歌手ヨーゼフ・シュヴァルツのような希少価値のあるレコードが、確実に保存されることになる。