タージ・マハールは予想していた以上に素晴らしい世界遺産だった。16世紀半ばに22年の歳月を費やして建設されたイスラム建築の極地である。年間400万人もの観光客が訪れる。生きている限り出来るだけ機会を捉えて訪れてみたいところだ。
スペイン・グラナダにあるアルハンブラ(アランブラ)宮殿は、このタージ・マハールをモデルにしたと言われているが、比較にならないくらいこのタージ・マハールの方が立派であり、上品でもあり、訪れた人の心を打つ。ここを訪れて説明を聞き、庭園内を散策するだけで、その素晴らしい価値が伝わってくる。建物の中には、ムムターズ・マハール妃の棺が祀られていて、隣には22年の歳月を費やしてこれを建設したムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの棺が安置されている。暗い内部は写真撮影が禁止されているにも関わらず、フラッシュを焚く馬鹿な外人観光客がいる。撮影禁止だと言ってやると、「そうですか」と言ってまた撮っている。モラルの欠如は東西を問わない世の中になった。
建物の背後を流れるヤムナー川の左後方には、ジャハーン帝が息子アウラングゼーブ6代皇帝によって幽閉され晩年を寂しく暮らしたアグラ城が見えるはずだが、靄か、スモッグがかかってまったく見えない。
この後訪れたアグラ城の建物も素晴らしかった。ジャハーン帝が幽閉された部屋の斜め前方にはタージ・マハールが見えるはずだが、今日は霞んで見えなかった。
ところで、日本でほとんど知られていないが、タージ・マハール東門への道は、「Dr.MATSUKI MIYAZAKI ROAD」と呼ばれている。インドのらい病患者のための施設を造り、終生インドの貧しい人びとのために尽くして、土地の住民から感謝されていた日本人である。なぜこういう気高い人が日本では紹介されないのだろうか。
その後もう1ヶ所、世界遺産のファテプール・シクリを見学したが、前二者に比べてそれほど感激しなかった。
アグラからニューデリーへは、230㎞ほどで、再び怖いドライブが始まった。バス、トラック、オートバイ、自転車、馬車、人力車など多種な種類の乗り物が、レーンに関係なく走りまわり、車線変更は当たり前で、時々大きなトラックまで逆走してくる交通法規無視が、渋滞と危険に追い込んで無法地帯と化してしまう。すぐ解決法といっても考えつかないが、せめて走行車線と追い越し車線の区分をしっかり守れば、もう少し安心してドライブを楽しめるのではないか。
夜9時になって最初に宿泊したパークホテルへ戻って来たが、途中農家に立ち寄らせてもらい、家の中を見せてもらった。こういう時のためにいつもチョコレートを準備しているが、これが沢山の子どもにえらく喜ばれた。
やや疲れてひと風呂浴び、眠い中でこのブログを書くのも少々きつい。まもなくクマールさんが迎えにやって来る。インド最後の晩は疲れのうちに時が経つ。それにしてもタージ・マハールは感動的だった。訪れることが出来て本当に良かった。