1185.2010年8月11日(水) アメリカで日本人観光客のバスが死傷事故

 昨日アメリカ・ユタ州シーダーシティの近郊で日本人観光客14人が乗った小型バスが道路からはみ出し横転し、3人が即死した。ほかにもけが人が続出している。ラスベガスからブライス・キャニオンに向かっている途中だった。この近くを何度か通ったことがあるが、道路はアメリカの人口希薄の都市間を結ぶ直線の高速道路だけに、テレビで画像を観ても事故を起こしそうもない場所である。実際地元の警官は、こんな大事故はほとんど聞いたことがないと話しているほどである。

 午後朝日新聞社の村山さんという記者から電話があり、この事故の原因をどう思うかとのお尋ねだった。一応思っているままに、ツアーの安売り競争が日本の旅行会社から、現地の手配業者にプレッシャーをかけ、コストダウンを要請する。強行日程に加えて、現地ランドオペレーター内で経費の節約を図る。添乗員、ガイド、ドライバーが協力して行う仕事をドライバー1人で行い、長距離を走行する。当然ドライバーに疲労が重なる。この結果、ドライバーがつい居眠りをしてしまうのではないかと話した。つまり根源はツアーの安売りだと思うと持論を述べた。村山さんがどう感じたのかは分らないが、専門家の意見として、明日の朝刊に載せるかどうかは検討すると言っていた。安売りの話より、もっと事故そのものについて直截に話した方が良かったかも知れないなという気もした。

 JN協会で編著として準備している「そこが知りたい 観光・都市・環境」の担当箇所「観光編」の最終原稿を昨日交通新聞社へ送信した。今日はプロフィールと参考文献リストを送信した。イタリアの観光を担当した大島悦子さんからも今日最終原稿を送ってこられたので、交通新聞へ転送した。これで、原稿はすべて揃った。後は校正に気を配り、何とか立派な書物として観光業界でも話題と関心を呼ぶようになれば有難い。

 かつて、政界の暴れん坊として国会内でも大声で怒鳴ったり、現役の法相を殴ったり、暴力を振るうなど、とかくの噂があった元代議士の浜田幸一が、今度は背任容疑で逮捕された。国会議員の質を低下させた張本人で、これだけタチの悪い人物が、よくも選良として国会へ出てこられるものだと、彼を選んだ選挙民のレベルの低さにも呆れる。かつては、ラスベガスで賭博による4億円何がしかの大損を、ロッキード社からの賄賂で支払って議員を辞職した。こんな不浄な感覚で国の政治に関わっていられたのでは国民は堪ったものではない。浜田に似た程度の国会議員がまだほかにもいるのではないかと考えると実際腹が立つ。

2010年8月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1184.2010年8月10日(火) 朝鮮併合100周年に際して

 政府は韓国併合条約発効100周年を迎えるのを機に、過去の植民地支配への反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする首相談話を決定した。「韓国の人々は、植民地支配によって国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」などの談話骨子は、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に沿ったもので格別目新しい点はない。

 しかし、これに合わせて宮内庁に保管されている、「朝鮮王室儀軌」と云われる朝鮮王朝時代の公式記録文書を韓国へ返還することになった。韓国の所有権を認める「返還」ではなく「引渡し」という表現を使った。重箱の隅をつつくような表現に気を遣っているようだが、日本の朝鮮併合は、明らかに先鋭的な帝国主義の成せる結果であり、明らかにこれは韓国に所有権がある。これを返すのは当然である。これによって今後とも日韓関係がスムーズに行けばこれ以上のことはない。

 今日の発表では、終戦記念日に菅内閣閣僚は靖国神社へ参拝しないことになった。これも毎年物議を醸し、中国や韓国からも厳しい論評が寄せられる。どうも日本国内で誤解されているのは、「靖国神社不参拝」が「戦没者慰霊拒否」と受け取られていることである。戦没者を慰霊しないのではなく、戦犯の霊に参拝しないということである。嫌々戦場へ狩り出され、無念の戦死を遂げた元日本兵の遺族の気持ちとして、靖国神社参拝を避ける政府高官の気持ちはやりきれなく、許し難いものだということはよく分る。靖国神社に一般の戦没者と戦犯の御霊をともに祀ったことにそもそも原因がある。毎年同じ問題が繰り返されるのかと思うと、どうも気持ちが晴れない。

 先日来高齢者の所在不明が大きな話題となっているが、日本中で一体どれだけの高齢不明者がいるのか見当もつかない有様である。100歳以上の不明者が50人から70人と言われ、各メディアが発表する数字もマチマチで今ひとつ信憑性に欠ける。ところが、今日神戸市の発表には度肝を抜かれた。あまりにも杜撰である。神戸市内だけで先月末時点に居住する100歳以上の高齢者847人の内、105人が確認出来ないという。好い加減にしろと言いたい。しかも、その中に国内最高齢者にあたる125歳の女性が含まれているという。会見した担当課長の言葉から察すると、まったく責任を感じていないように見える。つまり、やるべきことをまったくやらないで他人事のような発言を繰り返している。

 公務員というのは、どうしてこうも責任感がないのだろうか。こんなことでは神戸市の担当者には、高い給料を支払う必要がないのではないか。ところが、今日人事院は国家公務員の給与、ボーナスをちょっとばかり減額するよう勧告した。これでも支払い過ぎだと思う。とりあえず、公務員のボーナスに関して、一刻も早く国民的議論を闘わせてもらいたい。今日の発表によると国家の借金はついに900兆円を超えた。給与はともかく、これではボーナスを支払う原資も正当性もない。

2010年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1183.2010年8月9日(月) アメリカが長崎「原爆の日」式典に出席しない理由

 今日は長崎の「原爆の日」である。アメリカ政府代表者は予想されていた通り「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」には出席しなかった。今年初めて広島の式典に出席したイギリスとフランスは、代表者が出席した。

 アメリカが代表者を出席させない理由として、ルース大使のスケジュールが合わなかったと言っているが、広島と長崎の式典の日時は早くから分っていたことであり、スケジュール云々はこじつけに過ぎない。

 アメリカはオバマ大統領がいかに核廃絶へ向けて熱意を示そうとしても、アメリカ国民の気持ちの中には、「原爆投下は終戦を早めた」との思い上がった気持ちがあり、大量虐殺と言って間違いない原爆投下を素直に自分たちの罪、過ちと認めようとしない。終戦を早め、その結果として戦争による犠牲者の数を減らしたとの思い込みは、あくまで彼らの論理であって、犠牲者サイドから言えば、あまりにも身勝手で暴論である。犠牲者に対する贖罪の気持ちがまったく感じられない。いくら戦争とは言え、他国の一般人を大量に殺戮しておいて、自分たちを擁護する自己主張には、人間としての思いやりとか憐れみの気持ちがまったく感じられない。

 これでは、この先オバマ大統領が仮に広島や長崎で原爆犠牲者に哀悼の意を表したところで、単なるみせかけでしかない。

 終戦直前は日本にはもはや余力が残されておらず、降伏直前だった。それを広島はおろか、長崎にまで原爆実験で徹底的に痛めつけておいて、何が終戦を早めたであろうか。アメリカ国民がまだこんな残虐な考えに凝り固まっているとしたら、アメリカ人の本性は獣である。日本を訪れるアメリカ人はすべからく広島と長崎を訪れ、犠牲者と遺族に贖罪の気持ちを表して然るべきである。

 さて、JN協会の企画会議の前に急遽「そこが知りたい 観光・都市・環境」編集会議を開いた。名古屋から須田寛氏も出席されたが、イタリアから一時帰国中の大島悦子さんは出席出来なかった。出版社編集者を交え7名で打ち合わせをした。全員すでにノルマである原稿を書き上げたので、一応形を作り上げてから推敲をしようということになった。須田さんからは個人的に貴重なアドバイスをいただいた。これから何度か打ち合わせを重ねて、今の予定では出版にこぎつけるのは11月中旬とのことである。段々楽しみが増してきた。

2010年8月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1182.2010年8月8日(日) 中国経済成長の陰に不安

 中国の経済発展は目覚しく、今年中に国民総生産では日本のそれを追い抜くことはほぼ確実視されている。日米欧が不況の真っ只中にいるにも拘わらず、ひとり勝ちの様相である。一昨年の北京オリンピックに続く今年の上海万博開催に至って、益々勢いがついている。「向かうところ敵なし」の感がある。

 近年になって中国自体がその経済力をバックに大国として、国際社会で発言力を強めている。すべてが中国にとって万々歳のように見える。実際には、言論弾圧と情報管理により、貧富の極端な格差や農村の貧困などの恥部が外部へ流れることを封殺している。国民の自由が抑圧されているのは明らかで、いつ国民の不満が爆発するか予断を許さないのが実情である。

 その「行け行けドンドン」の中国で、商業銀行が地方政府系企業に対して実施した融資のうち、借り手の返済能力や担保などに問題がある債権が、約19兆5千億円にのぼることが明らかになった。もし、景気減速などで不良債権化すれば銀行システムへの打撃が極めて大きい。いよいよ氷山の一角が崩れることになるのか。そうなれば中国経済全体にとって大きな影響が出る。これまでのように、そういつまでも好景気を謳歌しているわけには行かなくなりそうだ。

 さて、記録的な猛暑に襲われているロシアでは、森林や泥炭の火災がロシア西部で拡大を続け、首都モスクワは最悪のスモッグに覆われている。モスクワ周辺の各空港では視界が悪く航空機の発着にもかなりの影響が出ている。アメリカや欧米各国では、旅行者にモスクワ周辺への渡航を差し控えるよう警告を出した。

 懸念されているのは、旧ソ連時代にウクライナで起きた原発事故で汚染された森林を抱える地方では、仮に汚染地域に延焼すれば、放射性物質が大気中に拡散する恐れがあると伝えられていることである。想像も出来ないことがあるものである。それにしてもロシア西部だけで、577箇所の火災が発生しているというから驚く。日本でこのような山林火災が起きたら、大参事となるだろう。その点で言えば、国会で政治ゴッコをやって遊んでいられるだけでも日本の政治家は気楽な稼業と言えるのではないか。

2010年8月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1181.2010年8月7日(土) 夏の高校野球開幕に想う。

 暦の上では今日が立秋である。残暑どころか、まだまだ暑い日が続く。夏の風物詩と言えば、甲子園の高校野球が今日始まった。炎天下を歩む選手の入場行進をテレビで観るとはなしに観ていると、懐かしい数々のシーンが瞼に浮かんでくる。

 初めて甲子園で高校野球を観たのは、昭和28年、中学3年生の時に芦屋市内の牛乳販売店を手広く経営していた田鎖さんのお宅へ泊らせてもらいながら、開会式から3日目の最終試合で地元の県立芦屋高校が敗れるまで、ひとりで全試合を観戦した時である。

 戦時中は現在の芦屋高校の前に住んでいたこともあり、また父の仕事の関係上親しくしていた田鎖さんが、前年度優勝校・芦屋高校野球部後援会長をされていた関係もあり、そんなに野球が好きなら見せてあげるから、いつでもお出でという言葉に甘えて3日3晩お邪魔して、田鎖さんのお宅から甲子園へ阪神電車で通ったものである。

 開会式直前に芦屋高校野球部員が宿泊している旅館に連れて行ってくれ、優勝旗を触らせてもらい、この後開会式で優勝旗を返還する選手だと言って本屋敷錦吾主将を紹介してくれた。この優勝旗はその4年前母校・湘南高校も手にしたものである。本屋敷選手はその後、立教大学黄金時代の主将として長嶋、杉浦選手らと神宮球場を沸かせ、プロでも阪急、阪神で活躍した。

 あれ以来甲子園へ行く機会はなくなったが、子どもたちが高校野球に興味を持ち出したのがきっかけとなり、再び甲子園へ通い出した。毎年春と夏の大会になると、2人の息子や、時には甥を連れて、わざわざ甲子園まで観戦に行ったものである。

 かつては名門校とか古豪という、誰でもすっと思い出すような高校が桧舞台に登場することは少なくなった。昭和28年の大会では、名門の浪華商高、中京商高、松山商高のビッグ3が優勝候補だったが、松山商が優勝した。今では他の2校は私立大学の付属校として、大体大浪商高、中京大中京高と呼ばれている。そう言えば、中学時代に一時在籍した名門・平安も、中高ともに昨年龍谷大付属平安中高となった。昭和31年に全国優勝した平安高校のメンバーは平安中の同級生で、誇らしく思ったものだが、校名の前に奇妙な冠が付くと、伝統校として歴史は受け継がれているのだろうが、どこか違うなぁという寂しい印象は拭えない。

 今年も熱戦を繰り返して不景気を吹っ飛ばして欲しいものである。

 それにしても今年の夏は格別に暑い。ロシアでは過去130年の観測史上最も暑い夏となったようで、シベリア森林の自然火災により煙がモスクワ市内まで流れ込み、市民は外出時にマスクをしている有様である。遂に昨日プーチン首相は、炎天による旱魃のために国内産小麦の輸出を禁止する非常事態に乗り出した。

 異常気象は今年だけに限らない。何年か前から頻りに言われている地球温暖化の影響であることは間違いあるまい。国際的に二酸化炭素の削減の数値とか排出ガスの販売権などと、各国間で本質とずれた話題で丁々発止の駆け引きを演じているが、所詮焼け石に水のようだ。地球温暖化にブレーキをかける、もっと抜本的な国際合意を形成されなければ、今後毎年のように地球は確実に暑くなっていくのではないだろうか。

2010年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1180.2010年8月6日(金) 広島原爆投下から65年

 今年も巡ってきた広島「原爆の日」である。原爆投下、そして終戦に至った灼熱の夏からすでに65年が経つ。

 昨年アメリカのオバマ大統領がチェコのプラハで核兵器の廃絶を訴えて、世界中で平和を希求する人々から万雷の拍手で迎えられ、核廃絶に対する世界の目が少し変わった。オバマ大統領には、昨年その感動的な宣言による「核廃絶」への期待を込めて、ノーベル平和賞が授与された。

 しかし、核保有大国・米ロ間の核兵器削減交渉は少し前進したが、相変わらず核保有国の利己的な主張の前に大きな前進は見られない。

 「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に国連事務総長として今日初めて出席した潘基文氏は、就任当初から核廃絶の強い願いを抱いていた。核保有国の代表に対しても個別に、核保有削減へ向けて粘り強い説得を続けている。昨日も長崎の浦上天主堂を訪れ被爆者にも会い、昨日1日は事務総長にとっても「最も深く心を揺さぶられた日で、人生でこの種の感動的な日を経験したことはなかった」と述べた。今日のスピーチでも「核の危険を排除するには、核兵器を廃絶するしかない」とその信念には揺るぎがない。

 今日の式典には、アメリカの高官としても初めてルース駐日大使が参列した。イギリスからも、フランスからも初めて代表が出席した。そのせいで、今日海外でも広島のニュースがこれまでになく強いメッセージで伝えられたようだ。広島から世界へ向けて核廃絶の動きを示すひとつのパフォーマンスは具現出来たと思うが、秋葉忠利・広島市長が最初の挨拶で日本政府に対して「非核3原則の法制化と核の傘からの離脱」を訴えたのに対して、菅首相が式後の記者会見で世界の現状からみれば、核抑止力は効果的であると応えていた様子からは、日本から強い発信力は期待出来そうもない。

 今年11月にオバマ大統領が来日される際、果たして大統領自身が核廃絶を願う気持ちを広島、長崎へ立ち寄ることで実際にひとつの形として表すことが出来るか。アメリカ国内に根強く残る「原爆投下は戦争早期終結に効果があった」とする原爆投下を是認する世論を押し切って、強い核廃絶の意志を行動に移すことを期待したい。

 それにしても広島や長崎から核廃絶の声を発信するのに、日本のトップよりも世界のトップに期待するのは忸怩たるものがあり、何とも情けないことでもある。

 夜になってNHKで75分のドキュメンタリー番組「吉永小百合被爆65年の広島・長崎」が放映された。女優吉永小百合さんが、長い間続けている原爆の悲惨さを書いた詩の朗読のドキュメントだった。広島と長崎を訪れ被爆者とその関係者らにインタビューして、深く重く考えさせる中々良いストーリーを創り上げていた。

 3日後には長崎の「原爆の日」がやって来る。

2010年8月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1179.2010年8月5日(木) 1年半前のブログ投稿書き込み

 以前にインターネットのウェブサイト上に「古井戸さん」と名乗る方の硬派のブログが掲載されていて、そこに私が意見を書き込んだ。偶々今日そのブログを見つけたので、その時のことを漠然と思い出した。私の後に続く投稿者は元赤軍派幹部の「植垣康博」である。あさま山荘事件で全国に指名手配され、最近静岡方面でバーを経営していると仄聞した。

 ブログのテーマは一昨年12月に亡くなった加藤周一先生についてである。先生が亡くなって1ヶ月後の昨年1月30日付で、私は次のように書き込んでいる。

 「60年安保闘争に参加して、ベトナム反戦に関わりました。ベトナムにも中東にも行き、遂にヨルダン軍に身柄を拘束されました。前途に光が見出せず、チェコのカルレ大学留学を志しました。これが何と『プラハの春』で挫折となりました。挫折だらけの半生でしたが、漸く古希を卒業して、学生時代に月刊『世界』で夢中になって読んだ加藤周一先生の卓見にうなずいております。惜しい方が亡くなられたと残念でなりません。随分動いたが、私も結局権力に飲まれてしまったのではないかと反省しきりです。安保闘争ではわれわれ学生に理があった。しかし、結果は権力につけ入れられ、安保反対の正論は蓋をされ無視されています。若者に言いたい。権力にひるまず前進せよ!」とある。

 古希を過ぎて随分尖ったことを言っているが、それはその直後にNHK・ETV特集「加藤周一 1968年を語る‘言葉と戦車’ふたたび」を観て、ちょうど1968年‘プラハの春’事件直後に自ら車を運転してチェコに入り、取材した加藤先生の並外れた行動力に感心し、喝采を送ったからである。

 私が‘プラハの春’で留学を断念したのは、その時すでに会社へ辞表を出し、9月に日本を発つ予定で準備を進めていたところ、8月20日未明に突然ソ連軍戦車がチェコの首都・プラハへ侵入して市内を蹂躙し、プラハが一夜にしてソ連の植民地となってしまい、留学どころではなくなり、泣く泣く諦めたからである。 あの後加藤先生の足跡を辿る映画も観た。今年は60年安保50周年記念の年でもあり、何かにつけ思い出すことが多い。

 昨日も「知的生産の技術研究会」八木哲郎会長から書中見舞いのメールをいただいたが、最近酒を飲み交わしながら60年安保時代の問題を話し合える人が少なくなったとあった。特にそういう65歳以上の人と会う機会が減ったと嘆いておられた。よく分るなぁ。

2010年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1178.2010年8月4日(火) ロシアの「第2次世界大戦終結の日」とは何だ?

 先月ロシアは日本が降伏文書に署名した9月2日を一方的に「第2次世界大戦終結の日」という記念日に決めた。ロシア国内の国事行為とは言え、ロシアが北方領土の実効支配を正当化することを恐れた日本政府は、ロシア政府に見合わせるよう伝えていたが、結局覇権国家・ロシアが独断的な考えを引っ込めるはずもなく、ロシアにとって特別の記念日となった。

 夜にNHK「クローズアップ現代」では北方問題を取り上げ、「北方問題の真相」と題してロシアの終戦直後の北方4島への侵略・占領を伝えていた。ロシアの図々しさには、今更ながら驚き呆れるばかりである。

 現在沖縄の米軍基地ばかりが騒がれているが、戦後旧ソ連とロシアが行った山賊行為、日本兵のシベリア抑留と北方4島の実効支配は、考え方によってはもっと強引であくどい。冒頭の記念日は、その日にちを9月2日に決めることによって、ロシアの4島支配を戦利品として認めさせようとの意図がありありである。日本がポツダム宣言を受け入れ降伏宣言をしたのは、8月15日であることは国際的にも承認されている。そもそもそのポツダム会談にはソ連から軍服を着たスターリンが偉そうに出席して、その一部始終を承知していたのではなかったか。ポツダム会談の目的は第2次大戦の戦後処理と日本を早く降伏させることであり、ソ連の強引な漁夫の利を容認するものではなかった筈である。しかもポツダム会談が終ったのは8月2日だった。スターリンが8月15日の日本の降伏宣言を知らないわけがない。手続き上書名は9月2日になったが、それを日本の降伏日とこじつけるにはいかにも無理がある。

 ロシアには、シベリア抑留について抑留中に生命を落とした日本兵と日本国民に謝罪する責任だってあるのではないだろうか。戦後60万人近い日本兵を厳しい条件下に抑留し、ほぼ1割の兵士を死に至らしめた。そのうえに北方領土の永久占領とは、盗人猛々しいにもほどがある。この件については、旧ソ連と現ロシア政府ともにまったく知らん顔である。

 日本政府もロシア政府に対して筋道を立てて論理的に日本の立場を強く主張するべきではないだろうか。勝者と敗者であってもこんな理不尽なパフォーマンスをされては、堪ったものではない。うかうかしているとロシアには、北方4島の次に、利尻・礼文島まで奪われるような悪夢を見させられそうだ。

2010年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1177.2010年8月3日(月) 先の戦争の正式名は何と呼ぶのか。

 朝日夕刊の「終わりと始まり」という連載エッセイ欄に作家・池澤夏樹氏が、「(土地の名・戦争の名)呼称の困難について」と題する文を寄稿している。いろいろなものの名前に関心があり、こだわりもあるようだ。わが自宅近くの自由が丘の名のいわれについても、語源は学校名から来ているという。自由が丘は丘ではないともいう。確かにそれほど大きな丘ではないが、東横線自由が丘駅前ロータリーから自由通りを通らず目黒通り方面へ向かえば、石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」と呼ばれているなだらかな上り坂がある。自由通りに出れば、そこには「自由が丘学園」がある。この学園も歌手・舟木一夫が卒業し、歌った「高校三年生」のモデル校である。池澤氏が言うように、この学園の名前を拝借したのかどうかは分らない。

 それより池澤氏が触れた戦争の名の方が気になる。65年前に終戦となった先の戦争である。開戦直後に当時の東條英機内閣が閣議で「大東亜戦争」と正式に名づけた筈であり、その事実を知ってから私自身それまで太平洋戦争と呼んでいたのを「大東亜戦争」と言い、講演などでもそう話している。

 池澤氏によると大東亜戦争という言い方は敗戦後使えなくなったらしい。それで何と呼ぶべきか困っている。日中戦争と呼んではアメリカが見えなくなり、太平洋戦争と呼んでは日中がすっぽり抜けると悩んでいる。そこで第2次大戦でドイツに東部戦線と西部戦線があったように、日本にも大陸戦線と太平洋戦線があったということにしようということで、エッセイはチョンとなっている。だが、こうも付け加えている。アジア・太平洋戦争と呼ぶのが一般的らしいが、アジアという名はトルコ方面まで含めるので広すぎるのではないかと。

 戦後65年にもなってまだ正式に戦争の名をつけないのはどうしてだろうか。前九年の役、後三年の役、壬申の乱、壇ノ浦の合戦、応仁の乱、関が原の戦い、川中島の戦い、戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争、等々のようにすべて大戦争には正式な名前がついているから後世の人間が記憶に留めるのに役立つのだ。これではあと65年も経ったら、「戦前は大東亜戦争と呼ばれたが、戦後は名前がない」戦争とでも呼ばれるようになるのだろうか。

 これを連鎖反応と呼ぶのだろうか。1966年冬航空機墜落事故が3件も連続して起きたが、今度は山の遭難事故と高齢者の行方不明の連鎖である。特に後者の高齢者について、各自治体が百歳以上の高齢者を自発的に調査したら出るわ出るわ後から後から、行方不明者が明らかになった。都内でも港区、荒川区、八王子市などから、また名古屋市でも、静岡県、長野県からも不明の高齢者が明らかになった。流石に長妻昭・厚生労働相も、110歳以上の高齢者で年金受給者については各自治体が訪問して本人に会って確認するよう指示したと記者会見で応えた。

2010年8月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1176.2010 年8月2日(月) 2人のジャーナリストはなぜガイドの忠告を無視したか。

 小型航空機やヘリの墜落事故が頻発している。それも登山事故とリンクしているから不思議である。その中でもオヤッと思ったのは、秩父山中で遭難者を救出中にヘリが墜落して5名が亡くなり、遭難者も結局死亡した事故である。救われるべき者も救うべき者も死んでしまっては、何のための救出活動だったのか、脱力感が拭えない。

 ところが、昨日この遭難事故を取材しようと山中に入った日本テレビの記者とカメラマンが沢で亡くなった。この2人は、当初ガイドに案内されて事故現場へ向かったが、沢登りをするには軽装すぎるし、天候が悪化しそうだと考えたガイドの決断で引き返した。その後2人はガイドを連れずに山へ入り、結局遭難死した。

 日本テレビ側とガイドの言い分が食い違っていて、真実ははっきりしない。しかし、状況証拠からするとガイドの言うことが正しいようだ。大体ガイドが止めようと言ったことを軽視して、敢えて強行した強引な行動が事故につながったと思う。

 やはり2人は山を舐めていたとしか言いようがない。特に、カメラマンは大学山岳部に属し、仕事でもヒマラヤを始め海外の山を度々歩き登山経験は充分だったようだ。だが、私の浅い登山経験から言っても、尾根歩きと沢登りは大分違う。今度の秩父山中の事故現場は、どちらかと言えば沢登りである。これに対して服装は沢登りのものではなかった。日本テレビは、問題なかったと思っていると好い加減な説明をしていたが、やはり会社側に責任ありだと思う。

 一昨日ブログで111歳の男性がミイラ化していたことについて書き込んだ。ところが、今日杉並区では113歳の都内最高齢者の女性が住民登録をしているアパートに住んでいないというミステリーもどきが明らかになった。これだって111歳の男性の事件を受けて、杉並区がその女性を調べた結果判明したらしい。常識的には長寿の方なので近隣の人びとがお祝いするのが普通だが、今度の2件はいずれも近所付き合いがまったくなく、そういう人がいるとも知らなかったというのが近所の話だ。近所の人々と関わりを持たなくなったというのが、昨今の風情である。もう昔あった向う三軒両隣のような隣組の人情は消えてしまったようだ。寂しい時代になったものである。

2010年8月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com