暦の上では今日が立秋である。残暑どころか、まだまだ暑い日が続く。夏の風物詩と言えば、甲子園の高校野球が今日始まった。炎天下を歩む選手の入場行進をテレビで観るとはなしに観ていると、懐かしい数々のシーンが瞼に浮かんでくる。
初めて甲子園で高校野球を観たのは、昭和28年、中学3年生の時に芦屋市内の牛乳販売店を手広く経営していた田鎖さんのお宅へ泊らせてもらいながら、開会式から3日目の最終試合で地元の県立芦屋高校が敗れるまで、ひとりで全試合を観戦した時である。
戦時中は現在の芦屋高校の前に住んでいたこともあり、また父の仕事の関係上親しくしていた田鎖さんが、前年度優勝校・芦屋高校野球部後援会長をされていた関係もあり、そんなに野球が好きなら見せてあげるから、いつでもお出でという言葉に甘えて3日3晩お邪魔して、田鎖さんのお宅から甲子園へ阪神電車で通ったものである。
開会式直前に芦屋高校野球部員が宿泊している旅館に連れて行ってくれ、優勝旗を触らせてもらい、この後開会式で優勝旗を返還する選手だと言って本屋敷錦吾主将を紹介してくれた。この優勝旗はその4年前母校・湘南高校も手にしたものである。本屋敷選手はその後、立教大学黄金時代の主将として長嶋、杉浦選手らと神宮球場を沸かせ、プロでも阪急、阪神で活躍した。
あれ以来甲子園へ行く機会はなくなったが、子どもたちが高校野球に興味を持ち出したのがきっかけとなり、再び甲子園へ通い出した。毎年春と夏の大会になると、2人の息子や、時には甥を連れて、わざわざ甲子園まで観戦に行ったものである。
かつては名門校とか古豪という、誰でもすっと思い出すような高校が桧舞台に登場することは少なくなった。昭和28年の大会では、名門の浪華商高、中京商高、松山商高のビッグ3が優勝候補だったが、松山商が優勝した。今では他の2校は私立大学の付属校として、大体大浪商高、中京大中京高と呼ばれている。そう言えば、中学時代に一時在籍した名門・平安も、中高ともに昨年龍谷大付属平安中高となった。昭和31年に全国優勝した平安高校のメンバーは平安中の同級生で、誇らしく思ったものだが、校名の前に奇妙な冠が付くと、伝統校として歴史は受け継がれているのだろうが、どこか違うなぁという寂しい印象は拭えない。
今年も熱戦を繰り返して不景気を吹っ飛ばして欲しいものである。
それにしても今年の夏は格別に暑い。ロシアでは過去130年の観測史上最も暑い夏となったようで、シベリア森林の自然火災により煙がモスクワ市内まで流れ込み、市民は外出時にマスクをしている有様である。遂に昨日プーチン首相は、炎天による旱魃のために国内産小麦の輸出を禁止する非常事態に乗り出した。
異常気象は今年だけに限らない。何年か前から頻りに言われている地球温暖化の影響であることは間違いあるまい。国際的に二酸化炭素の削減の数値とか排出ガスの販売権などと、各国間で本質とずれた話題で丁々発止の駆け引きを演じているが、所詮焼け石に水のようだ。地球温暖化にブレーキをかける、もっと抜本的な国際合意を形成されなければ、今後毎年のように地球は確実に暑くなっていくのではないだろうか。