1463.2011年5月16日(月) 誠意が見られないメーカーの不遜な対応

 明日東京武蔵野ロータリークラブで「卓話」を頼まれており、「武者修行を通して見た世界」というタイトルでお話することになっている。すでにパワーポイントのスライドも作成した。持参するプロジェクターのテストを兼ねてスクリーンに映して確認しようと今日自宅で試してみたが、画像がPCからプロジェクターにどうしても送られない。いくつかのボタンをいくら押しても一向に起動しない。あの手この手でトライしてみたがダメだったので、ついに音を上げてメーカーの「日本ヒューレット・パッカード」の「消費者サービスセンター」?とやらへ電話で問い合わせてみた。
 プロジェクターが壊れたわけでもなく、まして苦情を言うわけでもなく、ただ操作の方法、つまりボタンの押し方を聞こうとしているだけなのに、やっと通じた電話は、最初からこの製品はすでに製造、販売とも中止したので、製品の説明は出来ませんのでご諒解くださいときた。しかも、4月一杯でこの型式に関する問い合わせは止めたと会社の一方的な回答なのである。私がこれを購入したのは、4年前である。しかもかなり価格の高いものだった。そんなに旧式の製品とも思えない。実際講義をする場合とても役立っている。
 まず、理解に苦しむのは、第1に販売したがもう製造を中止したので、問い合わせは受け付けないという高飛車な説明が世間で通ると思っているのだろうかということである。第2に、苦情ではなく自社製品のボタンの押し方を尋ねているだけの消費者に対して、応じられないというのは会社の営業姿勢として、あまりにも顧客を舐めているのではないか。そんな簡単なことは1社員の心がけ次第でいくらでも応えられるではないか。まったく腹が立つ。
 呆れかえって開いた口が塞がらない。大体最近の会社の営業姿勢には、顧客とはイチャモンをつける煩い奴と思っているのか、正面から誠実に対応しようとの姿勢が見られない。最初から「逃げ」の姿勢が見え隠れしている。電話は中々つながらず、最初から質問はホームページを通してお願いしますと、まるで顧客はポジティブに自分で壁を越えなさいと言われているようなものだ。それでいて顧客を放っておいて、自分たちは問題から「逃げ」ようとしている。これが、アメリカ企業日本版の典型なのだろうか。まったく営業の真髄を知らない会社と社員が多くなった。
 僭越であるが、「日本ヒューレット・パッカード」経営者に営業とは最低限どういうことを心がけるものであるかを教えてやりたくなった。もうこんな不誠実な会社の製品なんか金輪際買うものか。知人にも絶対薦めない。
 結局パソコンに詳しい知人に何とか連絡が取れ、トラブルと悩みはいとも簡単に解決した。

2011年5月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1462.2011年5月15日(日) 沖縄問題は忘れられてしまったのか?

  今日は5.15事件記念日である。例年通りどこにも関連情報はなく、テレビでも一言も触れない。なぜだろう?事件には日本が軍国主義へ向かい戦争へ突き進んで行った萌芽が隠れているのだ。一番無責任なのは、マス・メディアではないだろうか。負の遺産と呼んでよい「大事件」を忘れ去ろうともがいているのはメディアではないだろうか。メディアも堕落したものである。
 さて、今朝の朝日新聞広告を見て久しぶりに安保時代の興奮が甦ってきた。全面広告で「普天間基地は撤去、米海兵隊は撤退を」とある。沖縄・意見広告運動(第2期)の大広告である。かつてベ平連がニューヨーク・タイムス紙1面を買い切りアメリカ市民にベトナム反戦を訴えたことが世界中の話題になった。これと同根のアピール広告だと思う。懐かしく内容を読む。

  訴えている論点は3つある。第1に米海兵隊の普天間基地の即時・返還、第2に辺野古新基地建設案の断念、第3に日米安保条約をやめ、軍事力によらない平和の構想、である。第1、第2は近年言い尽くされているが、第3の安保条約の廃止は、理想ではあるが、我々が60年代に安保闘争を行ったころに比べて余計難しくなっている。あの時代は大げさに言えば、政府対学生、労働者を中心とする国民の対決となり、もう一歩のところまで政府を追い詰めた。それでもなお結局は政府に負けたのだ。安保反対闘争では、学生も労働者もみんな真剣に国の将来を心配し、それこそ身体を賭して闘っていた。今の社会に国民の間にそのような情熱や連帯感があるだろうか。今や学生だけでもまとまるという期待すら持てなくなっている。社会全体が豊かになり、個人の幸せを追求し、他人のことなぞ構うことがバカバカしいと思うような自己中心的な社会になっている。
 ただ、なぜ今日の段階でこういう意見広告を行ったのか。今日は沖縄が本土へ復帰して39年目のエポックメーキングな日だからである。それにもうひとつ理由があるように思う。今や国を挙げて東日本大震災に目が向いている。普段は対立する問題でも、こと大震災が絡むと一時タイムか、すべてが氷解する。国民が社会問題として大震災以外に関心が向かなくなっている。これは危険な兆候である。大震災前にはあれだけ騒がれた辺野古移設問題、アメリカの元沖縄総領事による差別発言等で燃え上がった「沖縄」が忘れ去られている。そんなアンニュイな空気を警戒して沖縄へ関心を呼び覚ますための起爆剤として一発かましたという気がした。
 それにしても沖縄の基地問題以外に国民の間に社会問題が爆発するようなムードがなくなった。社会問題に関心を持たず、行動せず、自分の城に篭る利己的な傾向が強くなったようだ。活気がなく張り合いもない、つまらない世の中になったものだ。

2011年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1461.2011年5月14日(土) 役所も電力会社も税金の無駄遣い

  恩師の飯田鼎先生と最後のお別れをするために告別式に参列した。披露された弔電のひとつに大阪在住のゼミ1期生・佐竹正彬さんから寄せられた、心を打つ長文の弔電があった。佐竹さんの弔電にはありきたりの電文ではなく、我々すべてのゼミナリストが先生を尊敬し慕う気持ちをそっくり表現してくれていた。
 花入れで先生の胸元に1輪の薔薇を置いて、じっと安らかなお顔を見つめているうちに思わず涙が溢れてきた。永遠のお別れである。50年間の思い出が胸の中をさっとよぎって行った。火葬場へ向かう先生のご遺体をお見送りしながら、ただ心の中でひたすら感謝の気持ちを申し上げた。もうお会いすることは出来ない。永遠のお別れである。

  先生、長い間本当にお世話になり、ありがとうございます。どうぞ安らかにお眠りください。さようなら、飯田先生。


 小松先生、島田さん、池田くん、長谷川くん、須藤くん、鈴木くんらいつも一緒の仲間と東武野田線鎌ヶ谷駅前の喫茶店で昼食を取りながら、思い出を語り合った。毎年九段会館で行っていた「飯田会」の今後についてどうすべきか軽く話を交わした。主役の飯田先生が他界されてしまったので、どのように会の存在と運営をやっていくのか難しいところだ。とりあえず来月1日に銀座「ライオン」で話し合うことになった。
 さて、今日の朝日夕刊1面トップを見て呆れてしまった。「原発無人ロボ、東電『いらぬ』-JOC事故後30億円で開発→結局廃棄-」である。何だ?これは! 腹が立ってくる。よく読んでみると、原発事故での使用を想定し、国が30億円を投資して開発・製造された遠隔操作ロボットが、出来上がってみると東電など電力会社が必要ないと判断したため、実用化されなかったというお粗末な内容だった。だが、福島原発では作業員が立ち入れないほど放射線量が高く危険な場所で、実際にはわざわざアメリカからアメリカ製ロボットを借りて作業が続けられているのである。
 そのロボット開発に携わっていた技術者のひとりは、万一の事故に備えて必要だとのコンセンサスはあったが、肝心の電力会社に「原発で事故は起きないのだからロボットは不要」との考え方が根強かったと語っている。電力会社内には原発事故を話題にすることをタブー視する意識はかなり前からあったとも言われている。ある国立大教授はこうも証言している。元通産省電子技術総合研究所(電総研)に勤務していた時、ロボットの技術開発に関する提案書を書いたところ、上司から「原子力防災」という言葉は使えないと指摘されたという。電力会社のみならず、ロボット開発のための予算を申請した通産省自身が、開発した後でロボットは必要ないと言っているのだから馬鹿げている。こうして国民から税金として搾り取った資金が無駄に捨てられている。
 電力業界のこの血迷った体質のせいでロボットは実用化されず、外国から必要なロボットを借り、投資された30億円をドブに捨てたのである。そして、皮肉なことに、今日福島第1原発で作業員がひとり死亡した。まったく人災続きである。ロボット開発計画を放棄した電力会社幹部は、万死に値すると思う。
 加えて、東北大震災の死者は、昨日で1万5千人を超えた。この他に行方不明者が、まだ1万人近くいる。まだまだ大震災は終る気配を見せない。

2011年5月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1460.2011年5月13日(金) 寂しい恩師・飯田鼎先生の旅立ち

 学生時代の恩師・飯田鼎先生のお通夜に参列し、お世話になった先生に心から感謝を申し上げ、お別れをした。明日告別式にも参列するのでお見送りは明日になるが、お通夜を終えてから奥様とご子息にご挨拶をした折にお棺の中で静かに休まれている先生の安らかなお顔を見て、感謝の気持ちがこみ上げてきた。
 幸い連絡をとることが出来たゼミナリストは明日の告別式に参列する人を除いて、大体今日来てくれたと思う。連絡はしたが、プロ野球開幕のドタバタ騒ぎで多忙になり来てくれるか心配していた「読売巨人軍オーナー」の滝鼻卓雄くんも参列してくれた。飾られた先生の軽装の写真が、いつも生真面目な先生らしくないような気もしたが、それも先生の隠れた一面なのかも知れない。
 大学時代の思い出は、大半はゼミとともにある。今でも飯田先生のご薫陶を受けたことを本当にありがたいと思い、幸せだったと痛感している。その気持ちは私のみに留まらず、すべてのゼミナリストに共通の想いであろう。表現は的確ではないが先生は、教え子である我々にとってはいつも拠りどころだった。何かあれば相談して、ヒントをいただけるだけで救われたような気がしたものである。
 先生からご指導をいただいてから、今年で丁度50年になる。まさに半世紀に亘って教えを受けていたことになる。素晴らしい先生だっただけに、気持ちは離れ難い。寂しい気持ちで一杯である。心から先生のご冥福をお祈り申し上げる。明日の告別式で、最後のお別れをしたいと考えている。
 葬儀場に予めお願いした「飯田ゼミナール一同」からの供花は、大学からの供花の中できちんと飾られていた。ゼミナリストの気持ちが先生にも通じたのではないかと思っている。
 さて、目を東電原発問題に向けると一向に前へ進んでいるようには見えない。現場の福島第1原発の1号機はメルトダウンの可能性が指摘されているし、先日政府の要請を受けた中部電力・浜岡原発の稼動停止も今日4号機を停止させた。明日5号機を停止することにより、浜岡原発はすべて停止される。
 一方で、損害を受けた住民に対する損害賠償を支援する枠組みを漸く決定した。東電1社ではとても賠償しきれない巨額に堪えかね東電が倒産しては身も蓋もないので、東電自体の存続を前提条件として債務超過にさせないことを明示した。つまり、公的資金を投入して支援する一方で、政府は東電の経営合理化を監督し、東電は政府の管理下で経営され賠償は進められることになる。
 国民の気持がいらいらしないスピーディで的確な対策と対応を望みたい。

2011年5月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1459.2011年5月12日(木) 森喜朗・元首相にお会いして相澤酋長について伺う。

 佐々木信也先輩と衆議院第1会館で待ち合わせ、ともに森喜朗・元首相と面会して森さんサイドの「相澤進トラック島酋長情報」を伺った。元首相と佐々木さんは、子息がともに玉川学園に在学中PTA会長・副会長のコンビだったということから、以前から親しい間柄である。傍でみていてもお2人が親しいことが窺える。
 元首相が度々トラック島へ出かけ、相澤酋長に会っておられたということは先日佐々木さんから伺っていたが、元首相の父上がトラック諸島で終戦を迎えたとは知らなかった。父の森茂喜・元歩兵隊長は敗戦後捕虜となったが、元首相と同じくラグビー選手だった経験が活きたようで、島でもラグビーをプレイして、管理していたイギリス兵チームと親善マッチを戦った。また、収容された小さな島は、かつて日本人と島民との間に支配者と被支配者の垣根がなく仲良く生活を送っていたことから、慕われていた森隊長の名を取って「森島」と呼ばれていた。森隊長が島を去り日本へ引き揚げた後でも隊長への敬愛は途絶えることなく、ある時元首相が訪れた時には島民からバナナを「森島」へ捧げるささやかな儀式を強いられたと話された。
 その他にも、相澤酋長との初対面時、酋長を偲ぶ会の話等々、元首相からはトラック及び相澤酋長に関する話が後から後から飛び出した。
 幸い元首相は現在日本ラグビーフットボール協会会長を務めていて、今もラグビーとの縁が切れず、ラグビーを愛して止まず、その点でも私にとっては話しやすかった。佐々木さんにも何くれとなく気を遣っていただき、ラグビーに話を合わせていただいた。
 別れ際に拙著「停年オヤジの海外武者修行」をお贈りした時、つい「つまらない本ですが」と言ってしまい「つまらない本をくれるんですか」と切り替えされてしまった。そして「私は近藤さんに『つまる本』を差し上げたい」と仰って、ラグビーについて書かれた近著「ノーサイドの心」なる書をいただいた。参った!
 今日森元首相からお話を伺って、シナリオの構成を相澤酋長と森元首相、それに佐々木さんを加えた3人のお互いの関わり方をそれぞれの個性的な事象を加味して描くのも良いのではないかと思っている。お話を聞く人が増え、いろいろエピソードを伺っているうちに段々書き方も難しくなってくる。責任も重くなってきた。
 それにしても議員会館が生まれ変わって、設備的にも立派な建物になり警戒も厳重になった。空港のボディチェックと変わらなくなった。地下鉄「国会議事堂前」駅から直通の地下道も通じていて、通行パスを見せさえすれば国会議事堂、議員会館、両議院事務局との通行は雨にぬれずとも可能である。けちなことを言うようであるが、国会議員のために相当なコストをかけている。ここまでやる必要があるのか、考え込んでしまった。20年近く訪れない間に、国会議員のための待遇が格段に良くなっている。今の国会議員の活動ぶりを見ていると、どう考えても少々不条理ではないかと思っている。

2011年5月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1458.2011年5月11日(水) 悲しく寂しい。恩師・飯田鼎先生逝く。

 今朝思いがけずゼミの先輩である島田さんから訃報の連絡をいただいた。大学の恩師・飯田鼎先生がお亡くなりになったという悲しい知らせだった。昨晩ご自宅でお亡くなりになられたという。早速ご自宅へ電話して奥様から伺ったところによると、一昨日は近くの内科医へ薬をもらいに行かれたそうで、昨日はおやすみになってそのまま心臓が停止して亡くなられたということだから、苦しんだご様子はないと知り、ホッとした。享年88歳だった。
 そろそろご機嫌をお伺いにお邪魔しようかなと思っていた矢先だけに、残念でならない。昨年10月に飯田会でお会いしたのが最後になってしまった。その時の会場が九段会館でこの会館も閉館する。今後どこの会場にするかと相談しなければならなかったが、昨年の会合が飯田先生のご他界と会館の閉館を持って幕引きとなることになりそうだ。
 在学中から何度となく先生のお宅へお邪魔しては、議論を吹っかけて最初は随分生意気な学生と思われただろうが、ゼミ委員として活動していたので、元気の良さだけは買っていただいた気がする。ゼミ入会の面接で読書傾向について尋ねられ、河上肇の「自叙伝」「山川均自伝」「片山潜自伝」等々を読んだところだと申し上げたところ、即座に「ゼミに入って河上肇を研究してみなさい」と仰って、未熟ながらも「河上肇」を卒論のテーマとして、社会主義思想をかじるようになった。振り返ってみると社会主義思想への開眼というか、関心はこの時以来で、それが安保を引き摺ってベトナム反戦運動へ踏み出した。私の後半生は、ゼミにその根源があったと言える。
 60年安保の翌年ゼミに入った私たちは、2年間ご指導いただいた中でかけがえのない仲間との友情も育むことが出来た。4年間の大学生活で忘れられないことは、1にゼミ、2に登山であり、飯田先生の下で学んだゼミこそは、大学生活を豊かにしてくれた。飯田先生は高潔なご人格で、かつ高邁な理想を抱いておられた。我々の在学時に慶応義塾労働組合委員長として、組合活動にも熱心に取り組まれ、その真摯な姿勢は若い組合員や学生に慕われていた。
 人生の岐路にあった時にもいろいろ的確なサジェスチョンをいただき、良き方向へ導いていただいた。こういう立派な先生のご薫陶を受けることが出来たことは、人生における至福である。もうお会いしてご指導をいただくことが出来ないのかと考えると、言い知れず寂しい気持ちになる。
 ご相談に上がると、よく話を聞いて下さって、それだけで気持ちがすっきりしたものだ。処女出版の「現代海外武者修行のすすめ」の原稿をお送りした時、句読点の置き方に丁寧なアドバイスをいただいたことが思い出されるほど、几帳面で心配りのあるお人柄だった。ゼミの会員には付き合いのある範囲内で電話とメールで葬儀式次第を連絡した。同期で巨人軍のオーナーの座に納まっている滝鼻卓雄くんには、読売新聞を通して訃報を知らせた。しばらくして電話がかかってきて御通夜に参列すると言ってくれた。久しぶりにうるさ型の「読売巨人軍オーナー」に会える。

2011年5月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1457.2011年5月10日(水) え~っ? 北方領土はドイツの代償だと。

 昨日佐々木信也さんは、森喜朗・元首相がトラック島へ行かれて何度か相澤進酋長に会われたことがあるので、森元首相の秘書に会って話を聞けば、知られざるエピソードも聞き出せるかも知れないと仰っていた。フットワークの軽い佐々木さんが早速森元首相の秘書に電話連絡した結果、午後になって12日午後に衆議院第2会館の森元首相の部屋を訪ねるアポが取れたと佐々木さんから2度目の電話をいただいた。こう言っては先輩に失礼だが、佐々木さんのご配慮とスピーディな行動力には敬服するばかりである。
 そこで私自身どうも気になっていた相澤さんの母校・湘南高在籍生徒記録を確認しようとラグビー部の後輩である加藤副校長へ電話で連絡をとってみた。加藤副校長に、名簿に掲載されていない卒業生の在籍記録を調べられるかどうかを率直に尋ねたところ、難しいということが分った。特に、私が卒業した翌年に校舎が火災により全焼して生徒の記録がすべて焼失したから余計難しいとの話だった。実際私の浪人中に私の成績資料も焼失したので、翌年大学受験の際内申書の資料がなく3年次の担任新山泰先生から、3年間の通信簿を学校へ持参提出するよう求められたことがあった。
 こうなった以上勝手ながら相澤さんは中途退学したものと考え、佐々木さんや私にとっては先輩であると再確認したうえで、原稿に向かうことになる。この点について12日に佐々木さんにお会いした時にお話してみようと思う。
 さて、先日朝日新聞がウィキリークスの外国公電を分析したうえで、その内容を公表したが、今日はその後続編を掲載した。これを読むと残念ながらもう日本外交は外国からまったく信頼されていないことが分る。特に前編では沖縄米軍基地移設にからむ問題が、日本というよりアメリカペースで進められ、日本では当事者同士が騙しあい、肝心な機密事項はアメリカとアメリカに組する日本の政治家の間で処理されていたことが明らかになった。
 今日の外交公電はどうか。アメリカの公電は当時の自民党政権を酷評して「北方領土交渉『日本は計画も指導者も欠如』」だそうである。ボロクソである。その中で初めて知った事実は、アメリカがロシアからかなり情報を得ていたようである。「ロシア指導部は北方領土について、第2次大戦でヒトラーを支持した結果日本が払った代償で、対独戦でロシアが失った数百万の命の補償の一部だと考えている」とのメッセージにはショックを受けた。ロシアが自国民を失った大戦国への賠償をいかに同盟国とは申せ、ドイツの代わりに日本に代償をすりかえるというのは、論理的にも倫理的にもおかしいのではないか。終戦当時無力だった日本は、ならず者ソ連によって、完全に江戸の仇を長崎で討たれたわけである。それに対してわが日本外交は未だに何も言えず、黙ってただ北方領土を返せの精神論だけを繰り返し訴えても覇権国家ロシアには通用しまい。それよりアメリカにまで日ロ交渉の内容を握られ弱みまで掴まれている。これでは国家間の外交とは言えないのではないか。
 どうして日本はこんなだらしない国家に成り下がったのだろうか。

2011年5月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1456.2011年5月9日(火) 佐々木信也さんとトラック島酋長・相澤進さんの意外な交誼

  新宿の「ハイアット・リージェンシー東京」で野球解説者である佐々木信也さんと待ち合わせて昼食をともにした。トラック島の酋長だった故相澤進さんに関するエピソードを出来るだけ伺いたいと、相澤さんにとって高校の後輩?であり、プロ野球・高橋ユニオンズのチームメートだった関係から佐々木さんにお話いただく機会をお願いしたところ、快くお引き受けいただいたわけである。佐々木さんは私にとっても高校と大学の先輩であり、先輩・後輩の関係だと他人のような気がしないと仰っていただき、食事をしながら温かい雰囲気の中で2時間に亘って相澤さんに関するお話をお聞きした。
 予め若干資料も準備していたのだが、佐々木さんと私が直接、間接に得た相澤さんに関する情報は必ずしも一致しない。最大の疑問は、高橋ユニオンズ入団の経緯である。佐々木さんを相澤さんが自分の所属球団へ誘ったのは、高校の後輩だから口説いたと私は相澤さんの口から直接聞いたが、佐々木さんは相澤さんから誘われた覚えはないと言われる。第1に佐々木さんは相澤さんが高校の先輩であったことをまったく知らずに、お2人が現役を引退し島へ戻り相澤さんが亡くなるほんの数年前になって知ったと仰る。もしもっと早く先輩・後輩であることを知っていれば、付き合い方が変わっていた筈だと仰った。その他にも相澤さんは私に、佐々木さんがトラック島に何遍も来られたと仰ったが、佐々木さんの仰るにはトラックに来いと誘われはしたが、1度も訪れたことがないということだった。どうも話が大分食い違っている。今や相澤さんは黄泉の国へ旅立ち、その経緯を確認しようもないが、何となく釈然としない気持ちがした。 
 佐々木さんは、プロ野球界で活躍出来るような相澤さんのような人が、折角湘南高へ入学したのならどうして出来たばかりの野球部に入らなかったのだろうかと率直な疑問を述べられていた。出来立てほやほやの野球部は、世評を裏切りあれよあれよという間に昭和24年夏の全国高校野球大会で優勝してしまった。佐々木さんは1年生ながら大会で大活躍して母校優勝に大きく貢献した。
 だが、母校の卒業生名簿には、相澤さんの名前は記録されていない。終戦直後の混乱期で、しかも学制が変わり旧制中学から新制高校に変わった端境期ということを割り引いても、どうしてだろうかと不思議な思いで佐々木さんと首を傾げた。ことによると相澤さんは中途退学したのかも知れない。いずれにせよ言動にはこう言っては失礼かも知れないが、謎が多い。いま書きかけている相澤さんを主人公にしたドキュメントは、当初予想したのとは別の方向へ走り出しそうである。全体の構図と主人公の立場を変えなければいけないのではないかと考えている。相澤さんを主人公に考えていたが、場合によっては相澤さんと佐々木さんのお付き合いをメインテーマにすることも考えられる。どういう組み立てにするか、思案のしどころである。
 それにしてもお2人はチームメートとしては格別深い付き合いはなかったようである。しかし、野球を辞めてから相澤さんがトラックへ戻り、その後日本を訪れるたびに必ず佐々木さんへ第1報を入れ、いつも会っては食事をしていたというから、佐々木さんのお人柄と配慮にチームにあまり馴染まなかった島の酋長も少しずつ惹き入れられて行ったのではないかと考えられる。
 それは次の出来事からも推し量ることが出来る。相澤さんが亡くなられた2006年5月の僅か1ヶ月前に行われた千葉ロッテ・マリーンズ対福岡ソフトバンク・ホークス戦開始に先立つ始球式で、相澤元投手は1球を投じたが、このアレンジメントはすべて佐々木さんがロッテ球団に掛け合って実現させたものである。何かにつけ、相澤さんは佐々木さんを頼りにされ、佐々木さんは先輩のためにその気持ちに応えておられたのだ。まだまだ埋もれた話はいろいろあるようだが、今日の佐々木さんとの話からドキュメント全体の構成が中々難しくなったような気がしている。
 ともかく佐々木さんに直接お話を伺えて良かった。佐々木さんから相澤さんについて兵頭冽・ユニオンズ元一塁手ほかの選手にも聞いてみてあげると仰っていただいた。

2011年5月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1455.2011年5月8日(日) 専門家の見る悲観的な原発開発

  最近メールでやりとりの多い矢田健一・元中大教授が放射性物質漏れの危険に関して、いささか知識の乏しい私にいろいろ専門的情報を提供してくれる。今日も原子力の専門家である京都大学原子炉実験所・小出裕章氏に対する原発関連のインタビュー映像を紹介してくれ、小出氏がフリージャーナリストの岩上安身氏の質問に応える形の映像を‘You Tube’上で1時間20分に亘って観ることが出来た。
 内容的には相変わらず難しいものだが、それでも小出氏は分り易く丁寧に解説してくれていた。小出氏の主張しているのは、突き詰めると危険な原発はもう止めるべきだということに尽きる。いくら万全を期しても機械である以上事故は必ず起きるとして、その機械を取り扱っているのは人間であり、その人間には間違いは起き得ると力説していた。大きな原発事故による破局を避けるためにも原発は直ちに止めるべきだと言われていた。氏が東電は情報をきちんと開示すべきであると強調されていた。原発推進派が言うように、代替エネルギー問題で現状から原発を失くせば電力供給量が不足するという情報は、必ずしも正しくないことを別の資料で示しながら解説してくれた。わが国の電力供給量のうち、原子力発電に約3割も依存しているというのも、東電や原発推進派から出てくる彼らにとって都合の良い情報のようである。揚水発電というこれまで知らなかった発電の無駄、しかもこれは原発供給の隙間を埋めるための電力供給のようである。原発を失くせば当然揚水発電なんてものも要らなくなる。
 これまで日本のエネルギー政策、とりわけ電力問題は役人と電力会社の結託によって馴れ合いの中で行われてきたと批判的だった。従って原発開発も両者の思惑通り計画されてきた。その証拠に国策会社である電力会社は寡占状態であり、価格も需給のバランスによって決定されるものではない。それがわが国の電力料金が世界中で一番高い所以であり、裏づけとして外国との電力料金比較表を示しながら説明された。
 余談かも知れないが、電力を最も消費する産業はアルミ産業で、アルミ産業はその高い電気料金のために需要が増える一方であるにも拘わらず、経営的に立ち行かず、今や国内では日本軽金属㈱一社しか、それも日軽金蒲原工場の自家発電によってしかアルミ製造を行えない厳しい状態であるとも言われた。プライベートな話で恐縮であるが、偶々妻の父親は日軽金会長、相談役を最後に同社を退いたが、アルミを生産していた蒲原工場長を務めた時期もあり、生前アルミ生産とは電力を湯水の如く消費するものだと度々聞かされたことが今更のように思い出されてくる。
 今日矢田さんに紹介してもらった‘You Tube’は、的確に問題点を整理し説明した内容で、観ていて得るところが多い有意義なインタビュー映像だった。論より証拠に、アップしてから1ヶ月足らずの間に、すでに15万回超のアクセスがある。

2011年5月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1454.2011年5月7日(土) どこまで伸びる日本人の平均寿命

  世界の人口が今年10月末には70億人に達すると国連が公表した。2100年には100億人を超えると予想されている。先進諸国では人口減少が懸念される中で、アフリカ南部、アジア、南米等の途上国、そして意外にもアメリカが増加するという。アメリカが増加傾向にあるのは、移民の受け入れとヒスパニック系の出生率の高さがある。世界で最も人口が増えると予想されているのはインドで、60年ごろには17億人となり中国を追い抜くと見られている。
 それにしても経済活動を支える最大の推進力は労働力、つまりマンパワーであり、人口増加こそが成長の大きなカギである。その意味でもこの人口増加を上手に活かせれば、途上国が先進国になる得る大きなチャンスがある。その点で日本人の人口が毎年漸減傾向を辿り、全人口の中で65歳以上の老齢人口の割合が一層高まって労働人口の比率が、途上国に比べて更に大きく開くのは猶予ならぬことである。
 2100年には9133万人になるものの、平均寿命は男が89歳で、女が95.7歳だそうである。これはどういうことだろうか。こんな社会はちょっと想像しにくい。
 まだ決定したわけではないが、今年6月にパリで開かれるユネスコの世界遺産委員会で日本から世界遺産へ登録申請している文化遺産候補の「平泉」と、自然遺産候補の「小笠原諸島」が認められるようである。内定というところだろうか。平泉は3年前にも申請したが、登録はならなかった。今度こそは大丈夫だと何やら自信ありげで、世界遺産に登録されれば被災地の復興にも弾みがつくと、何でもかんでも良い方へ持っていこうとしている様子に思わず苦笑する。
 だが、世界遺産の評価や基準がどうも公平でないような気がする。例えば、韓国の世界遺産はこう言っては悪いが、諸外国の世界遺産に比べてそれほど価値の高い遺産には思えない。特に、評価が厳しくなった昨年認定された「安東河回村」は、訪ねてみて世界遺産に匹敵するほどの価値があるのか疑問に感じたくらいである。一方で、他の国にも登録された世界遺産を上回る価値のある未登録の世界遺産はいくらでもある。どうしても判定する人の主観が入るから公平にというわけには中々いかないものなのだろう。
 小笠原は訪れたことがないので、何とも言えないが、大陸と陸続きになったことがないので独自に進化した貝や植物が多い点が評価されているようだ。
 まあ政治的に決められることでないのはいい。それなりに訪れたり、見るだけで心が豊かになる文化財や自然は大いに敬って大切に保存し、後世に残していきたいものである。
 さて、今日の朝日夕刊の記事を見て少なからずショックを受けた。「被災の九段会館、閉館へ」とある。東日本大震災で九段会館は天井の崩落により東京都内で唯一の死者を出して、事故以来休業していた。今後永久に営業を止めることを決定した。
 九段会館と言えば、数え上げればきりがないほど思い出は尽きない。戦没者遺骨収集団の各種の式典や、戦友会の会合で何度もお世話になった。日本遺族会が会館建物を管理し、遺族会事務局も会館内にあり、スタッフ百数十人も遺族会から派遣されている。そんなご縁でゼミの同窓会は、私が幹事を務めて以来毎年決まって九段会館を利用するようになりそのまま現在まで続いている。昨年も10月に行ったばかりである。建物が老朽化してこれ以上使用に堪えられないと判断し、再建については国の資産とか、日本遺族会の営業活動という観点から苦渋の決断をされたようだ。先月理事会評議員会が閉館を決定し、建物は国へ返還する。
 また、思い出の詰まった記念的建物が姿を消す。寂しいことである。

2011年5月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com