今朝思いがけずゼミの先輩である島田さんから訃報の連絡をいただいた。大学の恩師・飯田鼎先生がお亡くなりになったという悲しい知らせだった。昨晩ご自宅でお亡くなりになられたという。早速ご自宅へ電話して奥様から伺ったところによると、一昨日は近くの内科医へ薬をもらいに行かれたそうで、昨日はおやすみになってそのまま心臓が停止して亡くなられたということだから、苦しんだご様子はないと知り、ホッとした。享年88歳だった。
そろそろご機嫌をお伺いにお邪魔しようかなと思っていた矢先だけに、残念でならない。昨年10月に飯田会でお会いしたのが最後になってしまった。その時の会場が九段会館でこの会館も閉館する。今後どこの会場にするかと相談しなければならなかったが、昨年の会合が飯田先生のご他界と会館の閉館を持って幕引きとなることになりそうだ。
在学中から何度となく先生のお宅へお邪魔しては、議論を吹っかけて最初は随分生意気な学生と思われただろうが、ゼミ委員として活動していたので、元気の良さだけは買っていただいた気がする。ゼミ入会の面接で読書傾向について尋ねられ、河上肇の「自叙伝」「山川均自伝」「片山潜自伝」等々を読んだところだと申し上げたところ、即座に「ゼミに入って河上肇を研究してみなさい」と仰って、未熟ながらも「河上肇」を卒論のテーマとして、社会主義思想をかじるようになった。振り返ってみると社会主義思想への開眼というか、関心はこの時以来で、それが安保を引き摺ってベトナム反戦運動へ踏み出した。私の後半生は、ゼミにその根源があったと言える。
60年安保の翌年ゼミに入った私たちは、2年間ご指導いただいた中でかけがえのない仲間との友情も育むことが出来た。4年間の大学生活で忘れられないことは、1にゼミ、2に登山であり、飯田先生の下で学んだゼミこそは、大学生活を豊かにしてくれた。飯田先生は高潔なご人格で、かつ高邁な理想を抱いておられた。我々の在学時に慶応義塾労働組合委員長として、組合活動にも熱心に取り組まれ、その真摯な姿勢は若い組合員や学生に慕われていた。
人生の岐路にあった時にもいろいろ的確なサジェスチョンをいただき、良き方向へ導いていただいた。こういう立派な先生のご薫陶を受けることが出来たことは、人生における至福である。もうお会いしてご指導をいただくことが出来ないのかと考えると、言い知れず寂しい気持ちになる。
ご相談に上がると、よく話を聞いて下さって、それだけで気持ちがすっきりしたものだ。処女出版の「現代海外武者修行のすすめ」の原稿をお送りした時、句読点の置き方に丁寧なアドバイスをいただいたことが思い出されるほど、几帳面で心配りのあるお人柄だった。ゼミの会員には付き合いのある範囲内で電話とメールで葬儀式次第を連絡した。同期で巨人軍のオーナーの座に納まっている滝鼻卓雄くんには、読売新聞を通して訃報を知らせた。しばらくして電話がかかってきて御通夜に参列すると言ってくれた。久しぶりにうるさ型の「読売巨人軍オーナー」に会える。