今日は5.15事件記念日である。例年通りどこにも関連情報はなく、テレビでも一言も触れない。なぜだろう?事件には日本が軍国主義へ向かい戦争へ突き進んで行った萌芽が隠れているのだ。一番無責任なのは、マス・メディアではないだろうか。負の遺産と呼んでよい「大事件」を忘れ去ろうともがいているのはメディアではないだろうか。メディアも堕落したものである。
さて、今朝の朝日新聞広告を見て久しぶりに安保時代の興奮が甦ってきた。全面広告で「普天間基地は撤去、米海兵隊は撤退を」とある。沖縄・意見広告運動(第2期)の大広告である。かつてベ平連がニューヨーク・タイムス紙1面を買い切りアメリカ市民にベトナム反戦を訴えたことが世界中の話題になった。これと同根のアピール広告だと思う。懐かしく内容を読む。
訴えている論点は3つある。第1に米海兵隊の普天間基地の即時・返還、第2に辺野古新基地建設案の断念、第3に日米安保条約をやめ、軍事力によらない平和の構想、である。第1、第2は近年言い尽くされているが、第3の安保条約の廃止は、理想ではあるが、我々が60年代に安保闘争を行ったころに比べて余計難しくなっている。あの時代は大げさに言えば、政府対学生、労働者を中心とする国民の対決となり、もう一歩のところまで政府を追い詰めた。それでもなお結局は政府に負けたのだ。安保反対闘争では、学生も労働者もみんな真剣に国の将来を心配し、それこそ身体を賭して闘っていた。今の社会に国民の間にそのような情熱や連帯感があるだろうか。今や学生だけでもまとまるという期待すら持てなくなっている。社会全体が豊かになり、個人の幸せを追求し、他人のことなぞ構うことがバカバカしいと思うような自己中心的な社会になっている。
ただ、なぜ今日の段階でこういう意見広告を行ったのか。今日は沖縄が本土へ復帰して39年目のエポックメーキングな日だからである。それにもうひとつ理由があるように思う。今や国を挙げて東日本大震災に目が向いている。普段は対立する問題でも、こと大震災が絡むと一時タイムか、すべてが氷解する。国民が社会問題として大震災以外に関心が向かなくなっている。これは危険な兆候である。大震災前にはあれだけ騒がれた辺野古移設問題、アメリカの元沖縄総領事による差別発言等で燃え上がった「沖縄」が忘れ去られている。そんなアンニュイな空気を警戒して沖縄へ関心を呼び覚ますための起爆剤として一発かましたという気がした。
それにしても沖縄の基地問題以外に国民の間に社会問題が爆発するようなムードがなくなった。社会問題に関心を持たず、行動せず、自分の城に篭る利己的な傾向が強くなったようだ。活気がなく張り合いもない、つまらない世の中になったものだ。