1812.2012年4月29日(日) JN協会の須田寛さんに旭日大綬章

 今日は祭日「緑の日」であるが、かつての昭和天皇誕生日である。恒例により今日の朝刊に春の受勲者の名簿が発表されていたが、その最高の栄誉である旭日大綬章を受賞された4人の中に、わがNPO法人「JAPAN NOW観光情報協会」の副理事長であり、初代JR東海社長で現顧問の須田寛さんが名を連ねておられた。JN協会としても大変名誉なことであり、須田さんを知るひとりとして大変嬉しく思っている。

 須田さんは私自身も理事を務めている「JAPAN NOW観光情報協会」の活動に献身的に貢献され、セミナーともなれば一年中東奔西走して講師を務められ、協会のためにご自分のお年を厭わず精力的に活動され、著名人であるにも拘わらず偉ぶらずソフトに対応される温厚な紳士である。81歳のご高齢にも拘らず、お声がかかればどこへでも出かけられるエネルギッシュな行動力には常日頃から敬服している。その須田さんが天皇陛下から直々に勲章を授かるとはご本人はもちろん、須田さんを知る人すべてにとってもこれほど誇らしいことはない。これも偏に常日頃から私心なく、観光業発展のために献身的に貢献されておられるご活躍ぶりを国から高く評価されたということだと思う。心より須田さんの受賞をお喜びしたい。

 一昨年JN協会が会員の共同執筆で観光書「そこが知りたい 観光・都市・環境」を発行することになり、私は執筆者のひとりとして観光編を須田さんと共同執筆して、本書全体の1/3ほど書いたが、出版社を紹介してくれたのも須田さんであり、何くれとなくアドバイスをいただいたことも忘れられない。須田さんの益々のご活躍を祈ってやまない。

 なお、旭日小綬章の受章者の中に女優の岩下志麻さんがおられた。彼女の父上で、劇団俳優だった野々村一雄氏と亡父が高等学校の同級生だったというのも何かのご縁か。なおさらに言えば、岩下さんの夫、映画監督・篠田正浩氏の最後の作品「スパイ・ゾルゲ」に出てくるゾルゲの仲間、ブランコ・ド・ブーケリッチの遺児で、現在ベオグラードより一時帰国中の山崎洋さんに来週会うのもご縁だろうか。

 篠田氏には、小田実没後1周年に明治大学で開かれた小田実追悼講演会でお会いした際、同映画で山崎さんの母・山崎淑子さん(つまりブーケリッチ氏未亡人)が初めてブーケリッチに会った時着ていた服装について、映画では和装になっていたが、実際は洋装だったと山崎さんから直接聞いた事実を伝えた。すでに、それ以前に小中陽太郎さんを通して篠田氏に尋ねたところ、篠田氏は事実はそうであろうと思ったが、そこは衣装担当のデザイナー森英恵さんの強い意向を汲んで洋装に決めたと篠田氏の考えは伺っていた。

 その辺りの事情については拙稿「ある女性の波乱の生涯」を参考にされたとWikipediaの「スパイ・ゾルゲ」項目に紹介されている。

 いずれにせよ、どんな事象、ハプニングでも案外連鎖的につながっていくから面白い。

 来月JN協会の定期総会で須田さんにお会いした時、お祝いの気持ちをお伝えしようと思っている。

2012年4月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1811.2012年4月28日(土) セザンヌ展を鑑賞する。

 開館5周年記念の催しに六本木の国立新美術館で、フロアは違うが「セザンヌ展」と「エルミタージュ展」の二つの美術展が開かれている。今日妻と前者の「セザンヌ展」を鑑賞に出かけた。

 ポール・セザンヌと言えば、学校では「静物画の巨匠」と習ったが、モネ、ルノワールら印象派後の画家として風景画や人物画を見ることも多い。風景画の中では、「サント・ヴィクトワール山」の連作がつとに知られている。

 1982年10月文部省派遣茨城県教員海外視察団の添乗員として同行し、セザンヌの故郷・エックス・アン・プロヴァンスに4日間滞在して教育施設、学校を訪問した折に、エックスが生んだ巨人であるセザンヌや、彼が描いたサント・ヴィクトワール山について散々自慢話を話し聞かされ、マロニエ並木の美しいエックスからキャンバスに描かれた独特の山容である名山を遠望して、しばしセザンヌを偲んだものだ。

 今日久しぶりに名画の幾点かを楽しんだが、現在この種の企画は斬新な仕掛けやアイディアが施され、割合気軽に楽しむことができる。ただ、70点ばかりあった作品は効率的に配置されてはいたが、作品に対する照明の当てかたがやや強すぎるのか画が一部に光って見え、鑑賞する立場からはちょっとまぶしいような気がした。その点では幾分見にくい点もあった。このセザンヌ展は3月から6月まで開催されているが、同時開催のエルミタージュ展は4月から7月まで観られるようなので、いずれまた訪れてエルミタージュ展も観てみたいと思っている。

 さて、今朝ベオグラードの山崎さんから電話があった。25日に一時帰国して滞在先からの電話だった。来月2日に一緒に出版ニュース社の清田義昭社長を訪れることを確認した。セルビアの抒情詩人ニゴシェについて彼が共訳書として現地で出版した立派な書物の文庫本版の出版打ち合わせだが、果たして引き受けてくれる出版社が見つかるかどうか現時点ではまだ分かっていない。少しでも力になれて日本でも彼が望む文庫本で出版されたら、これに勝る喜びはない。今度の訪日では東北地方を訪問してからご両親の墓参をすると話していた。出版の話が順調にいってご両親の供養になれば申し分ないのだが・・・。

2012年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1810.2012年4月27日(金) 現代若者に一言言いたい。

 去る23日京都府亀岡市内で登校途中の児童の列に、無免許運転の18歳の少年の車が突っ込み保護者と児童を死亡させる悲惨な事故が起きた。その後の警察の対応を巡って遺族が抗議する事態になった。教育委員会、学校、そして地元警察が集団登校の是非、安全通行路の確保について漸く検討を始めた。

 そんな最中に今朝千葉県館山市内で、またまた登校中の小学生がバス停へ突っ込んで来た車にはねられ亡くなった。そして死亡事故にはならなかったが、愛知県豊橋市でも今日二人の小学生が車によって押しつぶされた。いずれも運転していたのは20歳と24歳の加害者意識の薄い若者である。

 流石に川端文科相も全国の教育委員会へ児童の安全な登下校を確保するよう通達を出した。

 それにしても降ってわいたように小学生の集団通学の列へ無謀に突っ込む事故を連鎖的に引き起こす愁嘆場は些か異常であり、これは偶然とばかりも言っていられない。

 ここには現代の病弊が見られる。あの通学路を見れば危険だと分かりそうなものなのに、学校も教育委員会もまったく児童の安全に気を配らなかった。警察にしても然りである。まったく他人事と見ているようだ。加害者である運転手にしてみると、安全運転の感覚がまったくなく、無免許、居眠り、ぼんやり運転、近道通行、そしてスピード違反もあったのではないか。それよりも何と言っても運転手個人の人間性とか、交通道徳意識欠如が大きいと思う。そして、他人のことをかまわない現代若者気質が事故の遠因ではないかと推察している。他人を配慮する気持ちがなくなっていることは、歩行者のことも考えなくなっていることにつながると思う。

 例えば、電車内のシルバーシートの若者の占拠状態を見れば、大体分かる。座席が空いていれば、われ先勝ちにシルバーシートに突進し、座席を確保するや漫画を読むか、携帯をいじくっている。そして居眠りである。自分よりシニアの乗客に座席を譲ろうとの気持ちはさらさらない。根底に世間が相対的に若者に甘いということが云える。もっと若者に厳しい注文をつけ、教育的な態度でしつけ、社会奉仕を求めることを小学生の頃から教え込まなければこの風潮は直らないと思う。

 私なりに若者に対してひとつだけ注文をつけておこう。電車内のシルバーシート周辺の目立つ場所に、「65歳以下のお客様はこの座席に座らないでください」のステッカーを貼ってはっきりダメということを言ってやることである。そうでもしなければ、現代若者は社会の常識も掟も何も分からないのだ。

2012年4月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1809.2012年4月26日(木) 要注意!小沢一郎元代表の行動と橋下徹大阪市長の本心

 今日は有力政治家を被告人とする裁判として、ロッキード事件の田中角栄被告に次ぐほど世間の関心を集め、強制起訴されていた民主党小沢一郎元代表に対する政治資金規正法違反の判決公判が行われた。検察審査会という民意が政権与党の実力者を起訴に持ち込んだ極めて異例の裁判で、無罪判決が下された。この無罪判決によって小沢派の国会議員たちは涙を流し握手して小沢氏の復権であると無邪気にはしゃいでいる。早くも党員資格停止処分を解除すると息巻いているが、国会議員としての立場をよく考え短絡的な行動は慎んでもらいたい。第一にこの無罪判決だって疑問だらけである。小沢氏が秘書らと共謀しなかったという点が証明されなかっただけであり、土地購入代金4億円の出所の不透明さや、虚偽を記載していたことは事実であり、そのプロセスは限りなく黒に近い灰色である。しかも現在政治状況が停滞している渦中で、小沢氏の復権を目論み小沢派内の結束を固めるための相談ごとなんかやっている場合だろうか、よくよく考えて行動してもらわなければ困る。

 この裁判では3つの争点があった。①報告書の虚偽記載、②共謀、③起訴の有効性、である。裁判所は虚偽記載を認め、共謀があったことは認めなかった。起訴は有効とも判断した。検察官役を務めた指定弁護人は、裁判長の判決文の朗読の中で、九分九厘有罪だと信じて疑っていなかったらしい。それが思いもよらず無罪となった。この裁判はなにやら分かりにくいが、小沢氏に無罪判決が下されたにしても、依然として小沢氏の行った行為は完全にシロとは信じがたい。説明責任も果たしているとは言えないと思う。これまでの小沢氏の行動で疑惑を自ら晴らすような行動がまったくなかったからである。これまでもだんまり作戦を続けて、自らの身の潔白について公に説明したことがない。それより何より国会議員としての倫理感はどうなのか極めて疑わしい。国民として小沢氏の言動は信用できない。当分この判決は話題になるだろう。

 野党の攻勢も激しくなるのは当然としても、民主党内でも野田首相の消費税値上げ法案提出に反対する勢力が勢いを増し、下手をすると国会審議がストップしかねない。また、今後検察側がこの問題にどう向き合い解決策を探っていくのかも注目していきたい。

 さて、先日来福井県大飯原発の再稼動が大きな関心事となっているが、「ブレる」政治家として枝野幸男経産相が再稼動を前提に精力的に動き回っていることが話題を呼んでいる。これに対して地元民の声として、安全性の確認を訴え、再稼動は拙速に過ぎると異を唱えていた山田京都府知事、嘉田滋賀県知事らと歩調を合わせていた、橋下大阪市長が今日の読売新聞でおかしなことを言い出した。原発を再稼動しなくても今夏の電力需要を乗り切れるかどうかは関西府県民の努力次第で、仮に厳しいライフスタイルの変更が受け入れられないなら再稼動は仕方がないというような、判断を住民に下駄を預けるような言い回しに切り替えた。確かに橋下市長は完全な脱原発論者ではなかったと思う。しかし、再稼動に反対する姿勢を示しながら世論を取り込み、国や電力会社に原発再稼動について慎重に検討するよう求めてきた。それが、自分の意思に関係なく住民が決めるべきことであるとその発言はトーンダウンし、君子豹変と受け取られてもやむを得ない中途半端なものだ。

 橋下市長の行動原理にはどうも市民の腹の内を測りながら、自分に都合の良い方向へ話を持っていこうとする狡さがある。一種のアジテーターの手法である。まだ、本心は測りかねるが、見出しに騙されてはいけない。市長の考えの中身をよく調べて彼の考えに賛同するのかそうでないのか、熟慮して決めないとどんでん返しを食う恐れがあると感じた。またひとり「ブレる」政治家首長の誕生か?

2012年4月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1808.2012年4月25日(水) 近くに活断層、身の回りは危険だらけ

 今日北朝鮮の朝鮮人民軍が創建80年の記念日を迎えた。例によって自分たちの権利の主張、そして北朝鮮に対する(彼らの一方的な言い分だが)誹謗、中傷に対して戦慄的反撃を国際社会に向かって声高らかに宣言し、虚勢的な軍事パレードを行った。その一方で国民は益々貧困に追い込まれ将来の希望が持てなくなっている。いつまでこんな虚勢を張り続けたまま国家としてやって行く積もりなのだろうか。手前勝手な国家戦略で指導部に振り回される北朝鮮国民が気の毒でならない。

 一方、国内ではJR西日本の福知山線列車脱線事故からちょうど7年を迎えた。100名以上の死者を出した大事故を起こし、会社として安全対策は万全になったかと思いきや、今でも時々速度超過違反を冒す列車があるらしい。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のか、無神経な運転士がいるのか。車による事故も増えている。ここ数日で京都市内と京都府亀岡市内で無茶な運転による悲惨な死亡事故が連続して起きている。自然災害による事故ならともかく、人為的で無軌道な行為にはやりきれない思いがする。 

 さて、朝日朝刊の第一面を見て驚いた。「敦賀原発直下 活断層か」とある。地震に襲われる可能性が原発のすぐ近くにあるという可能性が指摘されたのである。もしその可能性が高まれば恐らく廃炉だろう。これまでにも原発立地近くに断層の可能性と危険性が言われ、調査もされていたようである。だが、これまでその種の調査はおざなりだったのだろう。今度の調査で敦賀原発1号機と2号機の近くに断層が通っていることが明らかになりそうだ。福島原発の事故の影響で慎重に調査された結果、このような可能性が明らかになった。万が一福島原発事故なかりせば、原発周辺は調査もなされず危険がいっぱいだった恐れがある。何が救いとなるか分からないが、まったく安心して眠れない危険な世の中になったものだ。その中であと何年生きられるか分からないが、生命の危険なぞ感じないで生きていきたいものだ。ちょっと憂鬱である。

 今日北朝鮮の朝鮮人民軍が創建80年の記念日を迎えた。例によって自分たちの権利の主張、そして北朝鮮に対する(彼らの一方的な言い分だが)誹謗、中傷に対して戦慄的反撃を国際社会に向かって声高らかに宣言し、虚勢的な軍事パレードを行った。その一方で国民は益々貧困に追い込まれ将来の希望が持てなくなっている。いつまでこんな虚勢を張り続けたまま国家としてやって行く積もりなのだろうか。手前勝手な国家戦略で指導部に振り回される北朝鮮国民が気の毒でならない。

 一方、国内ではJR西日本の福知山線列車脱線事故からちょうど7年を迎えた。100名以上の死者を出した大事故を起こし、会社として安全対策は万全になったかと思いきや、今でも時々速度超過違反を冒す列車があるらしい。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のか、無神経な運転士がいるのか。車による事故も増えている。ここ数日で京都市内と京都府亀岡市内で無茶な運転による悲惨な死亡事故が連続して起きている。自然災害による事故ならともかく、人為的で無軌道な行為にはやりきれない思いがする。 

 さて、朝日朝刊の第一面を見て驚いた。「敦賀原発直下 活断層か」とある。地震に襲われる可能性が原発のすぐ近くにあるという可能性が指摘されたのである。もしその可能性が高まれば恐らく廃炉だろう。これまでにも原発立地近くに断層の可能性と危険性が言われ、調査もされていたようである。だが、これまでその種の調査はおざなりだったのだろう。今度の調査で敦賀原発1号機と2号機の近くに断層が通っていることが明らかになりそうだ。福島原発の事故の影響で慎重に調査された結果、このような可能性が明らかになった。万が一福島原発事故なかりせば、原発周辺は調査もなされず危険がいっぱいだった恐れがある。何が救いとなるか分からないが、まったく安心して眠れない危険な世の中になったものだ。その中であと何年生きられるか分からないが、生命の危険なぞ感じないで生きていきたいものだ。ちょっと憂鬱である。

2012年4月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1807.2012年4月24日(日) 鼻持ちならないほど不遜で品格のない官僚

 先日ワシントンで開催されたIMF会議後のセミナーで、日本テレビ‘ZERO’のキャスター村尾信尚氏が司会を務めた。そのさわりの場面が昨夜同テレビで放映された。壇上中央席に位置した村尾氏が並み居るIMF幹部を左右に侍らせ、大勢のメディアが注視する中でそつのない司会ぶりをしていたのが外国メディアにかなり好評だった。

 ところが、見ていて村尾氏の右隣に座った人物のあまりにも傲慢な態度に呆れ愕然とした。ダイジェスト化されて放映されたセミナーでは、その人物が発言するシーンは残念ながら見られなかった。世界中から注目を集める中で中央席に足を組みふんぞり返って、ニコリともせず憮然としてただ座っているだけの人物を見ている内に段々不愉快になってきた。あまりにも常識を欠いた偉そうな態度の田舎者は何と日本人だったのである。こういう場所を弁えない、周囲を不愉快にさせる田舎者がどうして世界でもトップレベルの国際会議でふんぞり返っていられるのだろうか。世界中に流されたであろう、あの傲岸不遜な日本人の姿はまさに国辱ものである。

 それが何とその鼻持ちならない人物が、今朝の朝日にも6段抜きの記事で紹介されているのだ。やはり大物なのであろうが、予想通り掲載写真でもニコリともしていない。たいした大物である。その国辱的人物とはIMF副専務理事・篠原尚之氏である。IMFのトップ、ラガルド専務理事に次ぐ№2の立場にいる大物のようだ。或いは、日本がIMFへ600億ドルの資本増強支援を行ったのもこの元財務官の隠れた力が与っているのかもしれない。前職は財務省財務官だというから、エリート街道まっしぐらの世間知らずの御仁だろう。

 山梨県立甲府一高から現役で東大へ進み1975年に財務省に入省した。プリンストン大学へ留学して国際金融畑を歩き、3年前の財務官時代にはローマで開かれた財務相会議で酩酊して失言し、大臣を辞任して間もなく亡くなった中川昭一財務相の傍にいながら、あの醜態を見て見ぬフリをして反中川派の評価を高め、出世街道を駆け上がっていったと陰ではとかくの噂のある人物だという。

 そんなプライバシーはともかく、わが財務省はなぜこういう国際金融畑を歩きながら国際感覚に疎い人物を大事なポストにつけ、重要会議にでかい態度でのさばらせ、挙句に日本人としての品格を貶めるような行動を取っているのを黙って見ているのだろうか。本人の人品骨柄や人間性もさることながら、こういう周囲に配慮できないような不遜な人間に国家の重要な役割を委ねることも問題だと思う。こんな世界の桧舞台にもまったく嫌な日本人がいるものだ。

2012年4月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1806.2012年4月23日(土) フランス大統領選挙を思う。

 昨日フランス大統領選挙が行われ、現職大統領で保守系国民運動連合(UMP)のサルコジ氏は社会党のオランド氏に遅れを取り第2位に甘んじた。しかし、両氏とも総投票数の過半数を抑えることができず、来月6日二人による決戦投票に持ち込まれることになった。

 1958年に第5共和制が発足してから再選を目指す現職大統領が第1回の投票で1位になれなかったのは初めてだという。強気のサルコジ氏の心情はいかばかりかと思いやられる。

 サルコジ大統領は、昨年のギリシャ、イタリアの債務危機以来ドイツのメルケル首相とともにその解消に向け強いリーダーシップを発揮して圧倒的な存在感を示していた。それでもなお国民の信頼を掴み取るまでには至らなかったようだ。

 5年ごとに行われる今年の大統領選で大きな争点になっているのは、悪化する景気とその引き金になったと論われている失業者の増加である。つまりフランスにとって外国の財政問題よりも身内の失業問題の方が大事なのだ。オランド氏28.63%、サルコジ氏27.08%に次いで第3位だったのは、18.01%を獲得した移民反対の極右・国民戦線女性党首ルペン氏だった。ルペン氏は経済不安の最大の要因は失業者の増加をもたらした移民の流入であると選挙前から指摘していた。ルペン氏は近年フランスへの移民の増加がフランス人の職場を奪ったとサルコジ大統領を厳しく非難しているが、これがかなりの支持を集めている。結果的に過去の大統領選挙において国民戦線として最大数の支持者を獲得し、極右票が決戦投票のキャスティングボードを握る可能性がある。因みに現職サルコジ氏もハンガリー系移民であるだけに、移民政策に対してあからさまに厳しい対応は取れず、社会党のオランド氏自身も社会主義を信奉する建前上移民政策に抑圧的なポーズも取れず、移民政策に関する両人の心中は複雑であり、対応は難しいだろう。

 6日の第2回決戦投票で雌雄を決することになるが、昨日の投票後に行われた世論調査ではオランド氏がサルコジ氏を9ポイント引き離しているそうである。国際社会でそれ相当の存在感とリーダーシップを示していたサルコジ氏もついに正念場を迎えたことを意識したのか、最後のキャンペーンではいつも通り強気のスピーチの中にも「私を助けてください」などと気弱なセリフも吐いていたようだ。

 それでも日本の指導者を決める総選挙の投票方式や、政党内の話し合いで決める内輪の論理に比べて、彼らのシステムがいかに民主的で透明性があるかを考えると羨ましいかぎりである。

2012年4月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1805.2012年4月22日(日) 校歌再往とコンサート鑑賞

 今月15日付本ブログで校歌について考えの一端を述べたが、その校歌について昨日の朝日新聞土曜版「be・うたの旅人」欄に岩手県立盛岡一高校歌の歴史的背景が紹介されている。あまりにも意外なメロディと校歌決定の経緯について、こう言っては失礼かもしれないが、野次馬的な興味を持った。どこがどう意外なのか。

 盛岡一高は創立以来130年以上に亘って質実剛健の気風と伝統を継承し、石川啄木や宮沢賢治ら不世出の歌人を数多く輩出した県下きっての名門校だが、文武両道の誉れが高く、1968年には硬式野球部が夏の甲子園大会に出場した。その時1回戦で徳島代表校・鴨島商高に勝って校歌がグランドに鳴り響いた。その途端スタンドがどよめき、爆笑が広がったという。私自身その時の盛岡一高の甲子園出場は知っていた。試合をテレビで観ることはなかったが、何でも校歌演奏の時奇妙な光景が展開されたらしい。その原因は校歌のメロディにあった。何とそれは軍国主義華やかなりし時代に国民が散々聞かされた勇ましい「軍艦マーチ」だったのである。

 前記ブログでは母校の校歌、北原白秋作詞の歌詞について些か違和感を覚えたことについて触れた。盛岡一高の歌詞はもちろん「守るも攻めるもくろがねの~」の「軍艦マーチ」とは異なるが、旋律は完全に軍艦マーチである。宮古港に大きな船が出入りする度にこの「軍艦マーチ」が流れ、日清戦争直後だったのでそのまま勇ましいマーチが伝統校の校歌のメロディに拝借されたようだ。いかにも田舎ののんびりした当時の様子が目に浮かぶが、今ならさしづめ中国常習の知的財産権侵害で学校も作曲者・瀬戸口藤吉サイドから訴えられるところだろう。

 奇縁と呼ぶべきだろうか、同高校には伝統的に軍国主義ムードが醸成されていたのだろうか、総理大臣になった米内光政・海軍大将、更に戦没者遺骨収集事業でお世話になった参議院議員・板垣正氏の父親で戦犯となった板垣征四郎・陸軍大将ら名だたる大物軍人を輩出している。それにしても「軍艦マーチ」が名門校の校歌とは、恐れ入った。

 さて、校歌とは別に、今日は新橋のドイツ・レストラン「アルテリーベ東京」で開かれた音楽会を妻ともども楽しんだ。大学ゼミの先輩利光さんご夫妻からお誘いをいただき、同じゼミの島田さんご夫妻、そして音楽に造詣の深い島田さんの高校後輩野上さんご夫妻らとともに、ソプラノ歌手・山口道子さんのランチ・コンサートで素晴らしいアリアと食事をたっぷり味わった。私自身音楽を聴くのは、音量が高いだけで煩いだけの現代音楽を除けば何でも好きだが、格別詳しいわけではない。偶々妻がコーラスを習っているので、付いていっただけだが、他の人たちはクラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴ、ポピュラーなど幅広いジャンルに精通していて感心するほどである。心配ごともなく、気楽に聴いているだけなら、心を落ち着かせリラックスできる音楽は、老年期に入った人間には欠かせないものだと最近になって特に思う。

2012年4月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1804.2012年4月21日(土) IMF資本増強に割り切れなさ

 借金だらけのわが国が苦しい財政事情の中で、思い切って国際通貨基金(IMF)資本増強のため、加盟国の中でユーロ圏諸国合計拠出額に次ぐ大判振る舞いの600億ドルを拠出することになった。ギリシャ、イタリアに続いてスペインの財政状況も怪しくなってきた。経済危機がヨーロッパ中に拡大することを恐れたIMFが基金強化を打ち出していたが、それに即座に呼応したものである。

 これにより一時的にせよ、ヨーロッパの経済危機が遠ざかるならそれで善しとすべきだろう。今回のIMFの拠出要請に対しては、最大の拠出国であるアメリカが国の逼迫した財政事情から議会の了承を得られず、当初から資金を出さないと発表していた。これに対して日本は比較的早い段階で相当な拠出をすると匂わせ、日本が主導権を取ったせいで全体の目標である、5千億ドルに近い4千3百億ドルを集めることができたとラガルド専務理事はすっかりご機嫌である。

 日本の多額の拠出は大きな国際貢献には違いないが、どうもすんなり納得することはできない。それは、世界最大の経済大国であるアメリカがこの追加資金を出さなかったことと、同じく第2位の経済大国である中国が渋々拠出にOKサインを出したが、その金額は未定であり、国際社会で毎度強い発言権を発揮する両国が、新興国がなけなしの財布をはたいてまでも拠出する中で他国の経済危機に際して後ろ向きの姿勢を取っているのはいかがなものか。

 この中で日本の安住財務相はかなり早くから拠出を明言していた。どこまで話を詰めて結論を出したのか分からない。いい顔を見せるために率先して苦しい財布からひねり出したと思えてしようがない。もちろん狙い通りとなったラガルド専務理事は日本を褒めちぎっているが、それを受けて安住氏は20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見で「日本が先駆けて資金拠出を表明した成果があった。大きな貢献を果たせた」と述べた。この言葉にもやや引っかかる。その通りではあるが、大臣は日本の財政も逼迫して、借金では先進国中最悪であることを忘れている。

 日本は資金拠出は拠出として、それよりアメリカを説得して拠出させるなり、金満国家のくせにいつも資金を提供しようとしない中国を、もっと思い切った資金提供をしてくれるよう説得することに一層力をつぎ込むべきではなかっただろうか。それがベビー・ギャング、安住財務相のなすべきことではないのか。そうした外交努力は残念ながら、まったく見られなかった。

 

2012年4月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1803.2012年4月20日(金) 大学生はもっと社会と関わりを

 最近の学生があまり新聞を読まず、勉強もしないということは耳にする。論争でも外国人学生に中々勝てないともいう。ディベートなどを通して起承転結の論理構成力を早くから鍛えられる外国人学生に比べて、日本人学生はロジカルにじっくり物事を考える習慣が身についていないせいだろう。

 そこへ外国人留学生が日本の大学に入りにくいとか、また日本人の外国の大学への留学が減少傾向にあるというハードルを越えるために、大学の秋季入学が今東大を始め各大学で真剣に検討されている。こればかりではない。実は、もうひとつのささやかな大学改革が実行されようとしている。

 寡聞にして知らなかったが、東大ではこれまで9つの学部の授業開始時間がそれぞれバラバラだったという。どうしてこんな非効率で不都合なことがあったのだろうか。それが今春漸く改革された。どうも歴史的な背景があるようだ。外から見ると簡単そうな改革に見えるが、元々東京法学校、農学校、工部学校などの組織が集まって発足した東大には、各学部の独立性が強かった。他の国立大学でも同じような傾向があるらしい。それでも昭和にまで遡るこの改革の機運が具体化したのは、官僚的な国立大学としては一歩前進だろう。今後は各学部の人的な交流、流動化を進めて横断的な連携を取る必要があるのではないかと思う。

 取り敢えず、こうして外国の大学と同じようにシステムとしてすっきりしたなら、これからは教育の中身と学生の意識の改革が勝負である。とりわけもう少しどうにかならないかと思うのは、大学生たちの社会への関わり方である。一部にはボランティア活動を通して社会との接触を深めようとする学生たちがいる一方で、周囲の社会にまったく接触しようとしない学生も数多い。社会に存在する無法、理不尽、不公平などを打ち破る力として時代の若者、特に大学生たちのエネルギーは大きな力となる。彼等には社会の制度やしきたりを変えるだけのパワーがある。我々が経験した60年安保闘争は、最終的には国家権力の前に挫折させられたが、社会へ大きな「改革」の風を吹き込んだと自負している。

 然るに今日社会で大学生が社会人として社会の不合理や不平等に対して、異を唱えることはほとんど目につくことがない。学生は表面に出ることなく、自分たちだけの仲間内の社会に入り込み、自分たちだけの生活を送っているだけである。専門性が強すぎて「たこつぼ」化した大学で、たこつぼに潜んだ学生がマイペースで生活を営んでいる構図が見えてくる。はっきり言って、社会から恩恵を受けながら唯々諾々として甘んじて自由を享受しているのだ。もう少し学生は目を見開き、社会の一員として現実の社会と関わったらどうかと言いたい。そうでなければ、思考停止しながら「金正恩第一書記、万歳!」と繰り返すだけで、存在感のまったくない北朝鮮の大学生と何ら変わらない。

2012年4月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com