今月15日付本ブログで校歌について考えの一端を述べたが、その校歌について昨日の朝日新聞土曜版「be・うたの旅人」欄に岩手県立盛岡一高校歌の歴史的背景が紹介されている。あまりにも意外なメロディと校歌決定の経緯について、こう言っては失礼かもしれないが、野次馬的な興味を持った。どこがどう意外なのか。
盛岡一高は創立以来130年以上に亘って質実剛健の気風と伝統を継承し、石川啄木や宮沢賢治ら不世出の歌人を数多く輩出した県下きっての名門校だが、文武両道の誉れが高く、1968年には硬式野球部が夏の甲子園大会に出場した。その時1回戦で徳島代表校・鴨島商高に勝って校歌がグランドに鳴り響いた。その途端スタンドがどよめき、爆笑が広がったという。私自身その時の盛岡一高の甲子園出場は知っていた。試合をテレビで観ることはなかったが、何でも校歌演奏の時奇妙な光景が展開されたらしい。その原因は校歌のメロディにあった。何とそれは軍国主義華やかなりし時代に国民が散々聞かされた勇ましい「軍艦マーチ」だったのである。
前記ブログでは母校の校歌、北原白秋作詞の歌詞について些か違和感を覚えたことについて触れた。盛岡一高の歌詞はもちろん「守るも攻めるもくろがねの~」の「軍艦マーチ」とは異なるが、旋律は完全に軍艦マーチである。宮古港に大きな船が出入りする度にこの「軍艦マーチ」が流れ、日清戦争直後だったのでそのまま勇ましいマーチが伝統校の校歌のメロディに拝借されたようだ。いかにも田舎ののんびりした当時の様子が目に浮かぶが、今ならさしづめ中国常習の知的財産権侵害で学校も作曲者・瀬戸口藤吉サイドから訴えられるところだろう。
奇縁と呼ぶべきだろうか、同高校には伝統的に軍国主義ムードが醸成されていたのだろうか、総理大臣になった米内光政・海軍大将、更に戦没者遺骨収集事業でお世話になった参議院議員・板垣正氏の父親で戦犯となった板垣征四郎・陸軍大将ら名だたる大物軍人を輩出している。それにしても「軍艦マーチ」が名門校の校歌とは、恐れ入った。
さて、校歌とは別に、今日は新橋のドイツ・レストラン「アルテリーベ東京」で開かれた音楽会を妻ともども楽しんだ。大学ゼミの先輩利光さんご夫妻からお誘いをいただき、同じゼミの島田さんご夫妻、そして音楽に造詣の深い島田さんの高校後輩野上さんご夫妻らとともに、ソプラノ歌手・山口道子さんのランチ・コンサートで素晴らしいアリアと食事をたっぷり味わった。私自身音楽を聴くのは、音量が高いだけで煩いだけの現代音楽を除けば何でも好きだが、格別詳しいわけではない。偶々妻がコーラスを習っているので、付いていっただけだが、他の人たちはクラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴ、ポピュラーなど幅広いジャンルに精通していて感心するほどである。心配ごともなく、気楽に聴いているだけなら、心を落ち着かせリラックスできる音楽は、老年期に入った人間には欠かせないものだと最近になって特に思う。