1851.201年6月7日(木) エルサレムの観光を終える。

 今朝は少々早い時間に神殿の丘へ向かう。ガイドのシュタイン朋子さんの話によると相当混雑して時間前に並んで待っていないと入るのに2~3時間はかかるという。ここにはエルサレム中から見通せる黄金ドーム(別称「岩のドーム」)がある。今日一日暑い中を歩いて見学することになった。この神殿の丘はほぼ市内の中心にあって、周囲を谷間で取り囲まれているような立地のため、遠方からでも燦然と輝くドームが眩しく映る。その後ぜひ見学したいと考えていた「嘆きの壁」に行く。ここで面白いと思ったのは、ヨシズのようなもので仕切られ、男女別々に壁に向かってお祈りをすることである。

 日本の治安安全神話に比べて、自分たちの生活は何としても自分たちの力で守り抜くとの気概のあるイスラエル人は、面倒で厳しいセキュリティ・チェックを甘んじて受ける。それが、外国人にとっては嫌で堪らない。神殿の丘へ入るのに時間がかかったのは、このセキュリ・ティチェックのせいであるし、嘆きの壁の手前でも腕時計から、ベルトまで取り外すチェックには少々閉口である。まぁ、これもお国事情と言ってしまえば、そうなのかも知れない。

 さて、思い出すのは、1967年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダンからヨルダン川以西を占領し、真っ先に嘆きの壁へ駆けつけたイスラエル軍兵士が嘆きの壁へ向かって涙を流していた光景が忘れられない。

 その後、処刑されたイェス・キリストがゴルゴダの丘へ向かった道「ヴィア・ドロローサ」を歩きながら聖墳墓教会を見学した。明日が安息日ということもあって、信者が教会内部にいっぱいである。教会内ではカトリック正教の式典が行われていて厳かなオルガンの伴奏に合わせて♪ハレルヤ♪を歌いながら多くの神父さんが教会内で御練りをしていた。国立博物館では「死海文書」展示品の解説を聞く。

 午後パレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会の見学である。エルサレム市内でもベツレヘムは特殊な地域で、いわば外国のような立場にある。武装兵士が詰める検問所はあるし、エルサレムの車でベツレヘムでは営業できない。従ってバスとドライバーを交代させる。随分無駄なことをしていると思うが、イスラエルとエルサレムの歴史を考えれば現状では止むを得ない措置なのだろう。

 この聖誕教会は、イェス・キリストが生まれた場所として普く知られている。外壁からすれば、いかにも古い建物との印象があるが、内部の天井は木造で、聞けば何度か再建されたという。内部はギリシャ正教様式である。地下にはキリストが生まれた場所と産湯を浸かったスペースが煌びやかに飾られている。今日はキリスト教の誕生と歴史を現場で学んだ一日だった。これでツアーは明日ヨルダンへ入り、帰国の段取りだが、私はツアーを別れてあと2日日程を延長している。

 そこへ今日困ったことが起こった。昨日辺りから具合が良くなかった「いぼ痔」が早朝になってとうとう突出したのである。一昨年10月と同じ症状である。どうも具合が良くない。残りの旅行をこのままの状態で続けるのは良くないだろうし、旅行するのも辛い。そこで日ごろかかりつけで、前回処置してもらった内科の森先生に直接国際電話をして症状をお話して、ある程度悪化を食い止める治療法を教えてもらった。

 早く治療を受けるに越したことはない。この旅の最大の目的であるアンマン滞在をカットするわけにはいかないが、旅程を一日短縮することを考え、帰路アブダビで一泊する予定をキャンセルすることに決めた。フライト・チェンジについては添乗員の保坂さんに手配をお願いし、観光中にフライト変更ができたとの返事をもらった。これまで再三日程を変更したが、今またアブダビ滞在を取り消し、フライト・チェンジすることによって余計な出費が出た。アブダビでは払い戻しなしの条件でホテルも手配済みだし、変更による手配料を3度支払わされる羽目になった。でも、こればかりは健康問題でもあり、止むを得ないと思っている。

 願うことは、現状より症状が悪化しないことである。

2012年6月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1850.2012年6月6日(水) 「死海」で浮遊体験を楽しむ。

 2日間かなりハードな行動だったので、やや疲労気味だ。夜になってこのブログを書き終えるとぐったりとなってすぐ床に就いてしまう。

 今朝はホテルを発つ前にコテージを下りて目の前の「死海」海岸で浮遊体験を楽しんだ。身体が浮くということ自体は、この湖の塩分が30%と極めて高いことから理論的には理解できるが、浮遊が実際にどういう感覚なのか、今までどうもぴんとこなかった。

 ところが、身体を水に浸からせると当たり前だが本当に身体が浮いてしまう。特に両足が浮いて寝たままの状態でいつまでもじっとしていることができる。浮いたままの状態で手足を上げても大丈夫なのだ。やっと理論的にも感覚的にも納得することができた。しかし、それにしても不思議な国のアリスの気持ちである。まあ、他人には中々体験できないことを試すことができて満足している。今日久しぶりに身につけた赤い海水パンツは、1983年にアマゾン川で泳いだ時に地元で買ったものだ。物持ちが良いのか、普段泳がなくなったせいだろうか。

 今日はいよいよ陸路でイスラエルへ入国する。近くにある辺鄙なところに国境検問所がある。ヨルダン側の出国手続きはごった返す出国者に巻き込まれて疲れたが、あまり問題はなかった。問題はイスラエルの入国手続きである。イスラエルでは散々待たされた結果漸く全員無事に入国することができた。国境を越えたとは言え、それほど環境に違いがあるわけでない。ただし、ヨルダンを離れるに際して、ヨルダンのバスとガイド役目は終わり、バスとガイドは替わった。Ra’edさんたちとは明後日再び待ち合わせることを約束して別れた。

 イスラエルのガイドはシュタイン・朋子さん。早速国境から首都エルサレム市内へ向かい、オリーブ山からパレスチナ自治区と旧市街全貌を眺める。岩のドームがとりわけ目立つ。ガイドさんのパネルを使用した、イスラエルの歴史と現状の説明が分かりやすく、大変参考になった。

 エルサレムというと、やはり私自身どうしてもたった6日間で決着がついた第3次中東戦争を思い出す。あの時、イスラエルは勝利者の倣いとして①ヨルダン川以西、②ゴラン高原、③シナイ半島、を戦果として占領し、今も①と②についてはイスラエルの占領下にある。まだ、分からないがガイドさんの話では①については、ヨルダン政府にそれほど取り戻す気持ちがないようだとの話には何だか割り切れない気持ちである。占領地区に住むアラブ人の本音を探り出して聞いてみたいものだ。

 イスラエルと言えば、何となく先入観として持っているのが、発達した先進国家のイメージである。それが市内の交通インフラがまるでダメで、車の渋滞というより、低い交通モラルには少々呆気にとられるほどである。そして想像していなかったことだが、坂が多い。狭い道路とアップダウン、そして駐車スペースが不足しているせいだろうか、あちこちでクラクションを鳴らす音がけたたましい。

 何となく慌しい中に1日が終わったような印象である。

2012年6月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1849.2012年6月5日(火) ペトラ遺跡観光は疲れるが、素晴らしい。

 夕べオプショナル・ツアーでペトラ遺跡でも最も知られた宝物殿エル・カズネを見学したが、真っ暗闇の中を幽かに写真で知るエル・カズネを見ただけだった。今日は期待感に胸を膨らませて朝8時にホテルを歩いて出た。まずそのエル・カズネを目指す。本物を間近に見てみると、何とも言えない厳かな気持ちに捉われる。更にその奥先へ向かう。岩山の階段が990段もあることから、昨日来やや疲れ気味でもあったので、ロバに乗ることにした。ロバの背で振り落とされまいと必死になってしがみついていたが、細い岩山を登り下を見れば谷底も見え、少々怖い感じもした。帰りもロバに乗っても良かったのだが、岩山の下りには流石に恐れをなし危険を避け止めることにした。

 ペトラ遺跡というと決まってエル・カズネの絵が紹介されるが、周辺渓谷跡に残された数々のお墓、神殿、その他の古代ナバテア人の遺跡と環境が素晴らしい。中には排水溝や彫刻の残滓もある。まだまだ考古学上貴重な遺跡が発掘される可能性を秘めているが、予算的に苦しくて思うように手が回らないようだ。

 エル・カズネから奥入った岩山は登るに従って景色が良くなってくる。アメリカのグランド・キャニオンと比較してもスケールでこそとても太刀打ちできないが、歴史と文化の遺産が数多く残され、総合的に見て決してひけを取るものではないと思う。ホテルへ戻ってきたら午後3時前で、昼食を挟んで歩きっ放しだったので疲れた。流石に疲れたその哀れな歩き方が一目で分かるのか、馬車、ロバ、馬の業者から利用しないかとの呼びかけの声を散々かけられた。今日は万歩計で2万歩を越えていた。

 ペトラ遺跡の素晴らしさはとても口には言い表せない。あまり日本人観光客の姿は見かけなかったが、欧米人がかなり押し寄せているようだ。とにかくこれで私自身世界遺産見学も160箇所になったし、「新世界7不思議」の7箇所もすべて征服した。世界遺産関係の講義を引き受けることが多くなったが、今後はこれに新世界7不思議も取り混ぜて幅広い内容で話せるのではないかと考えている。

 ペトラの地を去って今日の宿泊予定地「死海」へ向かう。相変わらずの炎天下をバスは砂礫の砂漠の中をひた走りに走る。アンマンから死海へ向かう道すがら大峡谷の一方の土手を約900mも下り出す。何でもこの広く深い谷は、南下すればアフリカ大地溝帯につながるという。随分スケールの大きな谷間で途中に珍しい標識が見られた。何と海抜0mとある。これから更にバスは下る。結局海抜-400mの死海に辿り着いた。我々は海面より深い場所に一夜の宿を取ることになった。

 中々立派なリゾートホテルで昨日と同じMOVENPICKである。各部屋が特殊な配列になっていて、ガーデンを横切り、海岸近くに部屋がある。このコテージの部屋のベランダから真正面に死海とその遥か向こうにイスラエルのパレスチナ地区の影を捉えることができる。明日はいよいよ念願のイスラエルに初めて入国する。期待はいやがうえにも高まってくる。

2012年6月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1848.2012年6月4日(月) 45年ぶりのアンマンは?

 長い旅路の末、乗り換え空港・アブダビへ来て、待合室で約4時間のアンマン行出発待ちである。相当しびれを切らしたころ、漸く憧れ?のアンマン行フライトに搭乗することになった。アラブ首長国連邦のナショナルフラッグ・キャリアのエティ・ハド航空は6年前に日本に乗り入れたらしいが、どちらかというとドバイにあるエミレーツ航空の方が知られている。機内の冷房が効きすぎて寒く、薄いセーターを持ち込んだので、どうにか寒さには耐えることができた。

 比較的ダウンタウンに近かったアンマン空港は以前とはまるで様子が違っていた。場所が移ったのだ。あの薄暗かった安普請の空港建物は近代的なビルに変わっていた。従って45年前の面影はまったくない。

 同行者は10人にJTB女性添乗員保坂さんが一緒である。ヨルダンでは英語ガイドの‘Ra’ed Salimさんが出迎えてくれた。すぐさまマダバへ向かう。首都アンマンに次ぐヨルダン第二の都市である。イスラム教を国教としているが、このマダバにはキリスト教徒も多い。

 最初に訪れたのは、ネボ山。出エジプト記で知られるモーゼがエジプトからユダヤ教徒60万人を率いて40年間かけて辿り着いたところで、ユダヤ教徒にとっては有難味に触れることができる。その石碑の傍で巡礼者のグループであろうか、谷間へ向かって朗読のようなことをしていた。高台から遥かに死海とヨルダン川を望むことができる。

 このマダバという街はモザイクの生産でも知られている。普通のタイルではなく、自然石からモザイク製品を作っているが、ことの始まりは聖ジョージ教会のモザイクである。

 首都アンマン市内を通過しないので、アンマンの印象は何とも言えない。今日バスはそのままペトラへ進んだ。世界遺産としても、また新7世界不思議のひとつとしても大いに楽しみにしている。ところが、今日ナイトツアーとしてペトラ遺跡のエル・カズネまで夜道を散歩する仕掛けがあるという。もちろん参加した。結果的にはやや期待を裏切った。まあ明日以降の楽しみが深まったと思えばいい。

2012年6月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1847.2012年6月3日(日) 自らに、‘Bon Voyage!’

 この1ヶ月間国会では何ひとつ法案が通らず、国会では小田原評定を繰り返すだけである。ヨーロッパ経済、特にギリシャとスペイン経済は行き詰まり、ギリシャの如きはEUを離脱するのではないかと囁かれている。日本でも3ヶ月ぶりの株価の極端な低落である。その中で昨日東京と上海の外為市場で円と人民元との直接取引が始まり、1元=12円33銭のレートが示された。されど一向に景気の良い話は聞こえてこない。

 そんな中でシリアの社会混乱は熾烈を極めてきた。そのシリアと第3次中東戦争当時国家連合を結成し、お互いに国名を「アラブ連合」と名乗った一方のエジプトでは、昨日失脚したムバラク前大統領が昨年反政権デモ参加者への発砲を命じ、800人以上が死亡したとして殺人罪に問われ終身刑の判決が言い渡された。まだ、死刑を求刑した検察側と弁護側双方とも控訴すると見られているので、裁判は継続するが、そのムバラク氏の下で首相を務めた人物が今月中旬のエジプト大統領選の決戦投票で国民の信を問うというのだから、何をかいわんやである。

 ともかく、これからヨルダンへ向かう。アラブ首長国連邦の首都・アブダビを経由してエティ・ハド航空でアンマンへ発つ。宿泊予定のホテルには部分的にしかインターネットサービスが使用できないようなので、毎日書き込むこのブログもHPにアップできないのではないかと気にかかるが、何とか書き込めるようトライしたい。久しぶりのアラブ、そして長距離飛行だが、若気の至りだろうか、どうも興奮を抑えきれない。

 所期の目標であるアンマン市内で45年前に身柄拘束された現場での検証を始めとして、世界三大塩水湖「死海」(これで三大塩水湖すべて征服)、ペトラ遺跡(これにより「新・世界7不思議」すべてを訪問)を訊ねて新たな個人記録を達成し、思い出に残る、楽しい旅行であることをヤハヴェとアラーにお祈りしたい。

 国内の政治的閉塞状況が気がかりではあるが、自らに、‘Bon Voyage!’

2012年6月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1846.2012年6月2日(土) 大飯原発再稼動は各首長の思惑によるものではないか。

 福井県大飯原発再稼動について、何やらただならぬ暗躍と政府筋からの陰湿な圧力があったようで、急速に安全性と危険性を憂慮した反原発の動きが萎えてしまった。そもそも空気が変わったのは、関西広域連合が限定期間付で再稼動を容認してからである。中でも大飯原発から立地的に最も遠い和歌山県の知事が、最初に積極的に容認すると発言した辺りからである。現状では再稼動を疑問視して、最も慎重だった京都府と滋賀県両知事も追認するように夏の電力最大消費時期のみ再稼動を容認すると発表した。

 これまで再稼動に反対を唱えていた腹に一物の橋下徹・大阪市長の豹変は予想されていたが、比較的強硬に反対していたと思われていた山田啓二・京都府知事と嘉田由紀子・滋賀県知事の後退というより、変節は理解し難いと考えていたところ、インターネット上で産経新聞朝刊が「『反原発』強硬知事が‘変節’した理由」として苦しい内情を赤裸々に解説している。

 一言で言えば、両知事は経済界から総スカンを食らったことのようだ。特に滋賀県では県内の19首長らは、嘉田知事が山田知事とともに政府に突きつけた脱原発依存社会への7項目の提案が事前に話がなかったとして強い不満を述べ、彦根市長の如きは謝罪まで要求する有様である。知事が真意をいくら説明しても市町村長らとの距離が縮まることはなかった。さもありなむ事実を知ったが、滋賀県は産業用の電力消費が多く、関西電力管内の産業用電力消費量の割合が約38%であるのに対して、滋賀県のそれは約58%が産業用だという。その典型は県内第2次産業の割合が41%で、全国第1位の企業城下県だそうだ。これでは、知事も県内経済界の声を無視できなかったのに違いない。

 嘉田知事の「節電は電気料金が節約できるため、マイナスばかりではない」とか、「経済は大事だが、原発事故で住めなくなったら何もならない」の真っ当な意見はどこかへ押しやられてしまった。理想や理念は素晴らしくても、例え危険性を伴っても経済のパワーには勝てないということだろうか。経済界に何ら寄与していない現在の自分自身が、原発反対を唱えるのも経済界の一部に言わせれば「原発再稼動に口出しするな」ということになるのだろうか。

 しかし、ちょっと待ってもらいたい。現状では原発再稼動は関西エリアだけがGOサインを示した。その他のエリアでは節電を実行しようとしている。関西以外では現在のところ、この夏の暑さに対して我慢に我慢をして耐え抜いて最盛期の2ヶ月を乗り切ろうとしている。そこには無駄を排除しようという純真な気持ちも芽生える。それよりこれでは折角節電しようと考えていた関西人の気持ちだって拍子抜けではないか。関西広域連合には、経済優先のあまり「もったいない」の気持ちを斟酌しようとの気持ちが感じられない。経済力がすべてを支配するとの思い上がった気持ちがあるのではないか。

 関西経済界のお歴々に質問を呈したい。ならば、原発稼動によって排出される使用済み核燃料をどのように処理しようというのか。稼動すればするほど今後10万年もの長期間に亘って核のゴミが溜まり、処理する方法もなく、置き場所もなく、地上で危険に晒されたまま大金を投資して当てもなく監視していくのだろうか。

 各首長には、経済団体の支援がなければ選挙で当選もおぼつかないと聞く。結局いくらきれいごとを言っても、自らの利己主義から国民を放射能の危険に晒すことに協力しているだけではないのか。

2012年6月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1845.2012年6月1日(金) 楽しみなヨルダン旅行

 明後日からヨルダンとイスラエルへ出かける。「JTBルック」ツアーに参加し、ツアーがヨルダンを離れる当日ツアー一行と別れて、単身アンマンとアブダビに1泊ずつ滞在して2日遅れの11日に成田へ帰る予定である。控えの日程表を妻に渡したら、不安そうにアンマンとアブダビのホテルが決まっていない理由を尋ねるので、それならと愚妻を安心させるために、今日インターネットでアブダビ海岸沿いの「シェラトン・アブダビ・ホテル&リゾート」を予約した。税・サービス料込みで9,399円だった。アンマンについては、45年前に宿泊した「ホテル・アルカサール」を現地で予約したいと考えている。

 しかし、この「ホテル・アルカサール」が昔通り現在も営業しているかどうかが少々気になるところである。あの当時は中東戦争により戒厳令下にあり、街には軍用車や軍人ばかりが目につき、外国人観光客なぞほとんどいなかった。ホテルもこじんまりした古い石造りの建物だった。だが、このホテルはアンマン旧市街の目抜き通りに面して、目の前にローマ時代のコロシアムがあるという絶好のロケーションにあり、しかも空港案内所が薦めてくれたホテルだ。それなりに信用のあるホテルだったのだろう。だが残念ながら、ホテルリストをいくら探しても同じ名前のホテルは見当たらない。あれはいかにも伝統のありそうな3階建ての古いホテルだった。今では市内に欧米系の近代的なホテルが進出する中で地場資本としてはやっていけなくなったのかも知れない。もし建て直しされていたら、多分45年前に私が宿泊した痕跡なんてなくなって、しかめっ面の軍人に尋問された支配人室なども検証することは絶望的だ。

 何とかして当時の身が震えるような鮮烈な臨場感を呼び覚まして、アンマン市内を歩き回ってみたい。アラブ諸国の中でも比較的治安が安定している今日のヨルダンは、あの第三次中東戦争でヨルダン川以西をイスラエルに占領され、不倶戴天の敵とまで言われたお互いがこれほどスムーズな外交関係を築き上げているとは驚きである。しかも、陸路で国境を横断できる現状にはつくづく時代は変わったものだと思う。もちろん油断はできないが、今では軍隊に捕捉されたような、ぴりぴりした危険な治安ではないだろう。不安の中にも大いなる期待と楽しみがある。ちょうどその日、8日は日本対ヨルダン戦のサッカー・ワールドカップのアジア最終予選が日本で行われる。ヨルダンにもきっと友好的なムードが生まれてきている筈だ。現地でも日本に対する関心が高まって、興味本位にサッカー談義に引きずり込まれるかも知れない。

 それに引き換え、北隣のシリアの国内の混迷は益々酷くなるばかりである。アナン前国連事務総長がアサド・シリア大統領に会い、政府軍による人民への暴力的弾圧を止めるよう説得しているが、一向に効き目がない。

 ついに堪忍袋の緒が切れたか、アメリカのクリントン国務長官がロシアに対して名指しで非難口撃をした。シリアに対する武器の輸出を止めるようにとの忠告である。ロシアも中国も内政干渉は控えるべきと主張しているが、所詮中ロが自分たちの都合を代弁する都合の良い弁護こそが残虐行為を野放しにしていると欧米諸国から批判されている。この間に毎日罪もないシリア人の尊い命が失われていく。変わらないのは、世界紛争の火種は今もアラブ諸国のどこかにあるということである。

2012年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1844.2012年5月31日(木) やはり原発を稼動するのか。

 原発再稼動の動きが急激に加速している。あれほど原発反対の声が高まり、福島原発事故の収拾も、事故検証もまだ終わらず、脱原発の流れは変わらないというのに、突風のように慌てて再稼動へ舵を切ろうとする意図は何か? 確かに真夏の電力消費ピーク時を憂慮した電力供給不足を何とか回避しようとの気持ちは理解できる。だが、賛否の議論を半ばにして打ち切り、強引に再稼動しようとする手順には、追い詰められた原発賛成派の遮二無二原発を再開しようとの執念というか、怨念のようなものさえ感じる。空恐ろしいことである。

 大向こうを唸らせることにばかり熱心な橋下徹大阪市長は、暫定との条件付で大飯原発再稼動を受け入れると表明した。やはりメッキが剥げたと言うべきだろうか、本音が表われたようだ。見得を切って格好の良さばかり売り込んでいるが、所詮その本心は一般庶民の声をないがしろにする大根役者である。

 今朝の朝日のトップ見出しは「首相、再稼動決断へ」であり、経済紙日経にしても「大飯原発、再稼動へ」とある。内容を読むともう大飯原発再稼動は既定路線のようで、いかなるニュアンスであろうと反対と受け取ってもらえるうわべたけの発言をしても、真意は再稼動を容認することが明白になってきた。こういうだまし討ちのような決め方はいかがなものだろうか。関西広域連の受け入れ容認や関西経団連の強い再開要望に、結局政府が折れたと見るしかない。これで近いうちに条件付ながらも大飯原発が稼動し、他の原発も雪崩現象的に再稼動へ踏み切り、震災以前の「原発は安全で安心、安い」のキャッチフレーズの下に、電力の無駄遣いをやる。そして、放射能の恐ろしさが忘れられた頃、いつの日にか再び原発事故を引き起こすという恐ろしい構図が目に浮かんでくる。憂慮すべき事態である。

 さて、今日の新聞を見ていて妙なところが気になった。今朝の朝日は全紙38頁である。新聞は通常B全紙を二つ折りにして見開きとして頁を重ねるので、4の倍数が普通で、今朝の新聞なら40頁か、36頁であるべきなのに半紙が1枚入って38頁となっている。手間隙かけてなぜこんな中途半端なことをやっているのだろうか。ちょっと気になった。全面広告頁が10頁もある。その他の広告頁を加えると全体の半分近くが広告ということになる。結局読者は購読料金のうち、気が向かなければ読みもしない新聞購読料を支払わされているわけである。どうでも良いことかも知れないが、どうもよく分からない。

2012年5月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1843.2012年5月30日(水) 野田首相は原発問題にどう立ち向かうのか。

 今朝の朝日新聞一面に「原発なしでは、首相『生活成り立たぬ』」とある。あれっ、いつの間にか野田首相は原発賛成派に転じたのかと思わせる記事である。首相はこれまで菅前首相の脱原発路線より一歩後退したが、減原発の立場を取ってきたと信じていた。それが記事をよく読んでみると「電力供給の3割を担ってきた原子力発電を直ちに止めては日本経済、国民生活は成り立たない。安全性や必要性が確認された原発は、関係自治体のご理解を得つつ、再稼動について判断していく」と衆議院本会議で語った。完全に態度を豹変させた。

 昨日原子力安全改革2法案が審議入りしたのに合わせた質問に応えたもののようだが、原発再稼動へ向けて姑息な手段により外堀が少しずつ埋められつつある。経済産業省が電力会社の発電部門と送配電部門を分ける発送電分離を進める腹を固めたことも原発再稼動と無縁ではないと思う。

 それより何より、一昨日国内電力のうち原発の割合をどれくらいにするかということについて経産省の審議会が4つの選択肢を最終決定したばかりではないか。当然そのひとつには2030年には原発をゼロにする案も含まれている。にも拘わらず早くもその翌日、原発行政に大きな責任を担うべき首相が、審議会の案を無視するが如き早目に原発再稼動を語るなぞ、無責任と軽率のそしりを免れないと思う。一国の総理大臣ともあろう者が一体何を考えているのかと問いたい。これでは原子力行政はメチャクチャで、審議会や委員会がいくら最善の案を提案しても意味がないのではないか。周囲の顔色ばかり窺っているような野田首相のカメレオン的態度には、関西電力大飯原発を再稼動させるために福井県に同意を要請し、逆に西川一誠知事から原発が重要な電源として住民から理解されるよう首相から国民へのメッセージを求められたことがその背景にあるのではないか。知事は福井県や自分の意向や責任で原発再稼動のイニシアチブを取りたくない。電力は国のエネルギー政策であると説得して、その後押しを態度が煮え切らない野田首相に委ねたのである。野田首相ばかりでなく、みんな自分の意見や希望をひた隠しにして、表立って批判を浴びたくない様子がありありである。その陰で上手に有利にことを運ぼうとする。ことは国家戦略である。よく観察しているとずる賢いやり方だということが分かってくる。こんなことで野田首相以下国会議員は国のエネルギー政策をリードしていけるのだろうか。

 さて、今日注目の野田、小沢会談が開かれた。野田首相としては小沢民主党元代表へ消費増税法案への協力を要請し、小沢氏の翻意を促すつもりだった。だが、予想通り小沢氏は自説を曲げず、議論は平行線に終わり、会談は実りのないものとなった。はてさて野田首相は多くの難題を抱え込み、これからどうやって政権を運営していくのだろうか。

2012年5月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1842.2012年5月29日(火) シリア国内の混迷がヨルダンへ及ぶことはないか。

 来週から中東へ出かける。その中東・アフリカの中で質的には状況はやや異なるが、世界の注目を集めるような社会情勢の変容と混乱がある。

 そのひとつはエジプトの大統領選挙である。エジプトでは、昨春「プラハの春」ならぬ」「ラブの春」として30年間君臨したムバラク政権が倒れ、早い時期に民主国家の誕生が期待されたが、1年以上を経過して未だ民主的政治機構と統治が確立されていない。その最大の課題であるポスト・ムバラクのリーダーがまだ決まらないからである。先週漸く大統領選挙が実施されたが、過半数を制した候補者が見当たらず、上位二人による決戦投票が来月半ばに実施されることになった。

 第1回の投票で1位となったのが、穏健派イスラム団体ムスリム同砲団が推すムハンマド・ムルシ氏で、2位がアフマド・シャフィーク氏である。このシャフィーク氏というのが中々の曲者で、実は失脚した晩年のムバラク政権下で首相を務めていた。本来ならムバラク氏同様に追放処分を受けて当然の人物であると思う。今更どの面下げてと言いたいような御仁である。しかも元空軍司令官でもあった、れっきとした軍幹部である。ムルシ氏とシャフィーク氏の差は僅差であり、イスラム宗派と軍部との勢力争いに発展することもあり得る。

 仮に正当な国民の総選挙によって選ばれた大統領ということになっても、かたやイスラム教国家としての力が強まるか、こなた似非軍事政権になるかという民主化とはかけ離れた政権になりそうである。期待した民主国家への道は極めて厳しいものと言わざるを得ない。あれほどムバラクはもう堪えきれない、我慢の限界であるとばかり、一旦は民主化運動の流れの中で悪名高き独裁者を追放しても、とどのつまりは宗教指導者か、ムバラク継承者の軍人になってしまうのではあまりにも寂しい。早晩周辺国にもその影響は及んでくるのではないだろうか。

 国民の半数以上が新しい国を背負う政治家に期待しないというのだから、国家再建は道遠しである。実際第1回選挙の投票率は46.2%で半分の50%にも満たない。いろいろな要因はあるだろうが、まだ民主国家、また国民としての精神が成熟していないということだろうか。これでは新政権が発足しても早晩新たなトラブルが起きそうな気がする。

 もうひとつの懸念材料は、旅行先ヨルダンの北隣シリアの国内情勢が益々流動的になり、一層危険な様相を帯びてきたことである。

 27日にホウラで起きた100人以上の住民虐殺事件を憂慮して、即時首都ダマスカス入りしたアナン前国連事務総長はアサド大統領と会い、一時的停戦などの調停案を守るよう強く説得する。これまでシリアの立場を擁護していたロシアと中国の中でもロシアは、虐殺に関与したのは政府側との西欧側の言い分に若干譲歩する姿勢を示した。しかし、シリア国内に利権を持ち、シリア内の体制が代ることを危惧するロシアと中国は、基本的には相変わらずアサド政権を支持する考えを崩していない。他国がシリアに物申すのは、内政干渉だとの主張を繰り返している。これまで散々他国への内政干渉を行ってきた両国がよくそんなことを言えるものだ。イスラム教内宗派の対立もあって西隣国レバノンにも火種が燻んできた。これからシリア内の対立がレバノンへ波及しないよう望んでいる。

 まかり間違っても旅行先ヨルダンへ火の粉が飛んでこないことを祈るや切である。

2012年5月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com