今朝は少々早い時間に神殿の丘へ向かう。ガイドのシュタイン朋子さんの話によると相当混雑して時間前に並んで待っていないと入るのに2~3時間はかかるという。ここにはエルサレム中から見通せる黄金ドーム(別称「岩のドーム」)がある。今日一日暑い中を歩いて見学することになった。この神殿の丘はほぼ市内の中心にあって、周囲を谷間で取り囲まれているような立地のため、遠方からでも燦然と輝くドームが眩しく映る。その後ぜひ見学したいと考えていた「嘆きの壁」に行く。ここで面白いと思ったのは、ヨシズのようなもので仕切られ、男女別々に壁に向かってお祈りをすることである。
日本の治安安全神話に比べて、自分たちの生活は何としても自分たちの力で守り抜くとの気概のあるイスラエル人は、面倒で厳しいセキュリティ・チェックを甘んじて受ける。それが、外国人にとっては嫌で堪らない。神殿の丘へ入るのに時間がかかったのは、このセキュリ・ティチェックのせいであるし、嘆きの壁の手前でも腕時計から、ベルトまで取り外すチェックには少々閉口である。まぁ、これもお国事情と言ってしまえば、そうなのかも知れない。
さて、思い出すのは、1967年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダンからヨルダン川以西を占領し、真っ先に嘆きの壁へ駆けつけたイスラエル軍兵士が嘆きの壁へ向かって涙を流していた光景が忘れられない。
その後、処刑されたイェス・キリストがゴルゴダの丘へ向かった道「ヴィア・ドロローサ」を歩きながら聖墳墓教会を見学した。明日が安息日ということもあって、信者が教会内部にいっぱいである。教会内ではカトリック正教の式典が行われていて厳かなオルガンの伴奏に合わせて♪ハレルヤ♪を歌いながら多くの神父さんが教会内で御練りをしていた。国立博物館では「死海文書」展示品の解説を聞く。
午後パレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会の見学である。エルサレム市内でもベツレヘムは特殊な地域で、いわば外国のような立場にある。武装兵士が詰める検問所はあるし、エルサレムの車でベツレヘムでは営業できない。従ってバスとドライバーを交代させる。随分無駄なことをしていると思うが、イスラエルとエルサレムの歴史を考えれば現状では止むを得ない措置なのだろう。
この聖誕教会は、イェス・キリストが生まれた場所として普く知られている。外壁からすれば、いかにも古い建物との印象があるが、内部の天井は木造で、聞けば何度か再建されたという。内部はギリシャ正教様式である。地下にはキリストが生まれた場所と産湯を浸かったスペースが煌びやかに飾られている。今日はキリスト教の誕生と歴史を現場で学んだ一日だった。これでツアーは明日ヨルダンへ入り、帰国の段取りだが、私はツアーを別れてあと2日日程を延長している。
そこへ今日困ったことが起こった。昨日辺りから具合が良くなかった「いぼ痔」が早朝になってとうとう突出したのである。一昨年10月と同じ症状である。どうも具合が良くない。残りの旅行をこのままの状態で続けるのは良くないだろうし、旅行するのも辛い。そこで日ごろかかりつけで、前回処置してもらった内科の森先生に直接国際電話をして症状をお話して、ある程度悪化を食い止める治療法を教えてもらった。
早く治療を受けるに越したことはない。この旅の最大の目的であるアンマン滞在をカットするわけにはいかないが、旅程を一日短縮することを考え、帰路アブダビで一泊する予定をキャンセルすることに決めた。フライト・チェンジについては添乗員の保坂さんに手配をお願いし、観光中にフライト変更ができたとの返事をもらった。これまで再三日程を変更したが、今またアブダビ滞在を取り消し、フライト・チェンジすることによって余計な出費が出た。アブダビでは払い戻しなしの条件でホテルも手配済みだし、変更による手配料を3度支払わされる羽目になった。でも、こればかりは健康問題でもあり、止むを得ないと思っている。
願うことは、現状より症状が悪化しないことである。