今朝の新聞を開いて驚いたのは、ギリシャ政府が首都アテネのピレウス港を中国国営海運大手に売却を決めたとのロイター通信ニュースである。中国側の意図としては、地中海の要であるギリシャ最大の港湾を手に入れることにより、中国とヨーロッパを結ぶ地域経済圏構想を進める考えと見られ、中国はここをヨーロッパへの輸出の中継地点として利用するものと推測されている。
まだ詳細は分からないが、ギリシャ政府は財政再建のために政府資産の一部であるピレウス港を売却することにしたのである。
しかし、その国にとって最大の貿易港を他国に譲渡して、周辺の海運業者、漁師、商店などの業務や日常生活に支障は出ないのだろうか。港内には私有財産がないのだろうか。今のところ港のどの部分を売却するのかはっきりしない。政府機関が持つピレウス港管理会社の株式の51%を日本円約350億円で買い取るという話だけではどうもぴんと来ない。
1999年に妻とエーゲ海クルーズを楽しんだ時、タクシー・ドライバーに紹介されてピレウスのレストランで海鮮料理を美味しくいただいたが、あのレストランはどうなってしまうのだろうか。
かの小田実が、ヨーロッパで最も感銘を受けたのはアクロポリスだったと語ったが、いつの間にか周囲の環境が変わったことによって、国の景観が壊されることが気になる。1日の漁を終えて夕焼けの中を漁師たちが帰って来る港の背後に見える世界遺産アクロポリスが、港内に仮に中国がバカ高いタワーでも建てて見にくくなったり風景を損ねるようなことはないか、余計な心配までしてしまう。
それより国家にとって屈辱とも思える国民にとって身近な資産の売却を国民はどう思うだろうか。政治家にはその辺りの配慮はなかったのか。
さて、昨日の日経夕刊で知った訃報がある。われわれの学生時代に野球部の青年監督だった前田祐吉さんが今年1月に亡くなられていたことが分かった。享年85歳だった。物腰が落ち着いた方で、部員からの人望があった。ピンチになりベンチから出て来る時、ポケットに手を入れた独特のポーズには特異な雰囲気があった。監督として①ベストを尽くすことを選手に要求したことは当然であるが、その他には②チームワークと③自ら工夫し自発的に努力することと野球をエンジョイすることを求めた。前田監督時代の忘れられないのは、何といっても1960年秋の早慶戦である。あと1試合勝てば私にとっては入学後初めての優勝というところまで来て、中々勝てず、その間引き分け再試合を含めて6連戦の結果、最終的に優勝を逸してしまったことである。それでも2年後の最後の早慶戦で優勝を決め、三田まで提灯行列をしたことが良き思い出として強く印象に残っている。
今でも東京6大学野球史上最もドラマチックな話題のひとつは間違いなく早慶6連戦だと思っている。結果は1勝3敗2分けだった。アルペンクラブの山仲間たちと全試合外野席で観戦して、閉会式の後はがっかりして疲れ切ってしまったことが懐かしい。清沢、角谷、三浦、丹羽ら4人の完投型投手を揃えながら勝てなかった。高校同級生の村木くんは5番バッターだったが、残念ながら彼も打てなかった。
60年安保闘争が終わり、何となく虚脱感のあった後だっただけに、その反動のせいだろうか、妙に応援に熱が入っていた。それにしても60年安保と早慶6連戦は、当時の学生にとっていずれもエポックメーキングな出来事だった。忘れようにも忘れられない。この後日吉の教養課程を終えて専門課程の三田に進んだ。そういう意味では、いろいろ経験した日吉キャンパスだった。
昨年ラグビー部の監督だった上田昭夫さんが亡くなられたが、お2人ともソフトタッチのインテリタイプの監督で一世を風靡するほどの実績を残した。思い出しても懐かしい。この偉大な監督の気持ちを受け止めて、野球部、ラグビー部の後輩たちにはもうひと踏ん張りしてもらいたい。