3455.2016年10月28日(金) 韓国大統領の大チョンボと日本のピンボケ外交

 お隣の韓国で朴槿恵大統領の大統領らしからぬ私的で異常な行動が話題になり、韓国紙がその事実を挙げて追及している。どこまで真実なのかはっきり分からないが、昨日大統領が謝罪会見をしたことから推すと指摘されたことはほぼ事実のようだ。大統領は国家の秘密文書を親友の民間人・崔順実さんに横流ししていた。40年以上に亘る親友のようだが、設立を主導した財団の不祥事を追及されている。大統領のスピーチ原稿までその女性がアイディアやポイントを提供したり、大統領の外国訪問の日程まで事前に外部へ伝えていたというから、外交儀礼上はもちろん、安全面でも問題があると評論家から批判され朴大統領は益々窮地に立たされている。

 大統領の人気がこのところ10%台と下がり続け、求心力を失いつつある。これによって野党からの攻勢が強まるだろうが、今日は出身大学内で大統領を糾弾する集会まで開かれた。残る大統領の任期は2018年2月までの1年4ヶ月であるが、それまで持ちこたえることができるだろうか。対する日本の安倍晋三首相の人気は、50%前後で推移している。しかし、自分の出身地、山口でプーチン・ロシア大統領と会見を行うことだってその腹の内は同じようなものではないかと言いたくもなる。

 さて、今日国連で核兵器禁止条約について来年から交渉を始めるとの決議を賛成多数で採択した。ところが、その内容と今後の行方は中々複雑のようだ。特に世界で唯一の被爆国日本が期待を裏切るように反対票を投じたのである。どうにも分かり難いのは、この日の会議では日本が提出した核兵器廃絶を求める決議案は賛成多数で採択された。その違いが分かり難いが、日本の立場は核兵器の廃絶を求めるが、核兵器の禁止は求めないということである。それでも前者の核兵器禁止条約は、核保有国のうち、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアが反対し、中国とインドが棄権した。被爆国・日本が反対票を投じたことは当然提案国のオーストリアを始め、多くの核兵器反対国から期待を裏切ったと受け取られ、大きな失望感を生んだようだ。当然国内の被爆者からも落胆の声が聞こえる。

 穿った見方だが、日本が反対票を投じたのは、日本が提案国となった後者案にこれまで反対していたアメリカが賛成票を投じるので、その見返りに前者案に反対するようアメリカから持ち掛けられたからだと見られている。アメリカの核の傘に入っている立場からアメリカの言い分を鵜呑みにしているのだが、その辺りの日本政府の考え方がどうもよく分からない。日本政府は被爆者を裏切るような態度を取り、日本の評価が下がる行動をしておいて、しかも大きく信頼を失って恥ずかしくないのだろうか。岸田外務大臣は「核保有国と非核保有国の間の地率をいっそう助長し、亀裂を深めるから」と言っているが、言い訳も白々しい。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は政府に抗議文を送り、被爆者らは一斉に反発している。沖縄基地、核兵器禁止条約反対など、日本政府は道義的に一層弱者を痛めつけている。

2016年10月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3454.2016年10月27日(木) 母33回忌、祖父50回忌の日に三笠宮殿下薨去

 32年前の今日母幸子は急性心不全で亡くなった。今日菩提寺である中野の宝仙寺で母の33回忌、並びに祖父の50回忌を併せて執り行った。それにしても時の経つのは早いものだとつくづく思う。亡くなった時母はまだ73歳だったので、それ以降父は鵠沼の割合広い自宅で93歳まで17年間やもめ暮らしだった。その父も15年前に逝った。人間の運命は誰も予測することはできない。だが、死はいつか自分自身の身にも訪れる。母は父に先立って旅立ったことを泉下で悔やんでいるかもしれない。今日弟が母の中野・桃園尋常高等小学校の卒業アルバムを持ってきてくれた。アルバムの表紙、校門風景、教職員の集合写真、母の同級生の集合写真を見ていると時代の空気が伝わってくるようだ。大正13年3月卒業だから、正に関東大震災の半年後のことである。優しい母だった。戦中、戦後の苦しい時期に度々転居を重ねながらも男4人女1人の我々兄妹5人の子どもを育て上げ、我々が孝行する間もなく突然逝ってしまった。最初の発作で倒れて藤沢市民病院へ入院中の母を見舞った時、スペインの学校訪問から帰った直後で私の写真が現地新聞に大きく掲載されたのを見て、母は嬉しそうに語りかけてくれたことが強く印象に残っている。懐かしい思い出である。

 お寺の本堂で僧侶の読経中に「光明真言」という言葉を子・孫11名揃って唱和した。

 「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」

 翻訳すると「心からお願いいたします。(宇宙)に遍満し、常住であられる大日如来よ、その偉大なちかいを示すさとりよ、智慧と慈悲のすくいと光明をさしのべて下さい。ぜひともお願いします」 ということを表している。所詮他力本願であるが、この気持ちは皆変わらない。

 いずれ私も後を追うことになる。せめて今生の行いで母から叱られることのないようにしたい。

 さて、法事を終えて帰って来たら、何と三笠宮崇仁殿下が薨去されたとの衝撃的なニュースを耳にした。100歳というご高齢で皇室では最高齢でもある。三笠宮は日本オリエント学会の初代会長であり、古代オリエント史の研究で実績を積まれご著書もある。このため天皇は今日午後予定されていた来日中のフィリピンの暴れん坊将軍、ドゥテルテ大統領との会見を急遽キャンセルされ、秋の園遊会も中止されることが決まった。天皇・皇后両陛下は向こう1週間喪に服されるという。これで昭和天皇に次いで3人の弟殿下も全員が他界された。昭和は完全に過ぎ去ったということになるのだろうか。

2016年10月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3453.2016年10月26日(水) 2020年東京五輪会場問題のゴタゴタ

 このところ気象状態が不安定で気温のアップ・ダウンも激しい。20日は27.7℃と夏日だったが、昨日の都内は最高気温が17.2℃だった。今日は一転して温かいが、それでも富士山には初冠雪があった。アメリカ大統領選挙の予想と同じで、先行きの見通しが分からない。

 さて、ゴタゴタ続きの2020年東京オリンピック・パラリンピック競技施設・会場選定について、外国の競技関係者が次々にやってきては小池百合子・東京都知事と会見して考えや希望を述べている。

 ロラン国際ボート連盟会長が来日して「海の森水上競技場」予定地視察後に小池都知事と会談して、「海の森」を最高の会場と評価していただけに落胆していた。続いて、バッハIOC会長が訪日して小池都知事や森喜朗・東京オリンピック組織委員会会長や、竹田恒和・JOC会長ら関係者と会って五輪会場問題を話し合っているが、バッハ会長としてはすでに決定した会場を今になって変更することにあまり賛成しているわけではないようだ。更に昨日マルクレスク国際水泳連盟事務総長は小池知事が当初予定のオリンピック・アクアティクス・センターから東京辰巳国際水泳場への変更を検討していることについて、観客収容数から考えて当初の計画による整備を求めた。

 この水泳会場については、今日のテレビで元組織委員会事務局員からこんなアイディアが示された。それは1964年東京大会の際水泳会場として使用された国立代々木競技場(旧第1室内競技場)を再び使用することである。面白いことに現在表面的にはプールがないが、床面の下にプールが隠された状態になっているという。この床面を取り外せば元のプールが表れ、以前には8コースだけしかなかったプールを10コースに広げれば使えると意外な提案である。確かにこれなら改修費用だけで経費をセーブすることができる。ところが、ここはすでにハンドボールの会場として予定されている。だが、ハンドボール会場には、1964年大会で東洋の魔女が活躍したバレーボール会場だった駒沢屋内体育館を使用してはどうかとの提案である。確かにこれなら可能性がある。しかし、こんなことは今ごろになって苦し紛れに重箱の隅を突っついて出て来るアイディアではなく、最初からレガシーとして考えられる案ではないか。

 あれもこれも最近になって表出しているオリンピック会場選定の混乱は、金に糸目をつけない世間知らずのお大尽気質と、既存の施設の有効活用を考慮しなかった手抜かりこそが依って来る大きな原因である。それらはいずれも役人の疎い金銭感覚と関係者の無責任から来ている。一体全体どうなることやら、まったく前途多難である。

2016年10月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3452.2016年10月25日(火) 安倍首相の私利私欲と名誉欲

 自民党総裁任期が「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長されることが来年3月の自民党大会でほぼ決まりそうである。これにより自民党総裁の安倍晋三首相は、2021年まで総理大臣の座に留まることが可能となる。1強多弱状態のまま今や安定政権となった安倍政権をこのまま続けさせたいという自民党の考えである。思惑通りなら、安倍政権は近年異例の長期政権となる。自民党内に大きな失点がない現状であまり波風を立てず、現体制でことを進めようとの消極的な姿勢がミエミエである。その他にも安倍首相自身も安定政権にどっぷり浸かって、権力志向が強くなり、自身の意思が反映されるよう努めているように見える。このまま安倍首相の総裁任期が延期されて期限いっぱい総理大臣を務めることになれば、2020年東京オリンピック・パラリンピックの主催国首相として世界へアピールすることもできる。

 他にも安倍首相には、もっと大きな夢があるようで、明治150年の節目を迎える来年2017年には、明治維新のために活躍した長州藩士を輩出した長州出身の首相はその主役として、またご当地総理として一際脚光を浴びる心づもりのようである。それには仕掛けがある。明治維新が成りわが国最初の宰相に就いたのが長州藩士の伊藤博文だった。明治50年(1917年)には同じ長州出身だった寺内正毅が総理大臣を務めた。そして明治100年(1967年)には安倍首相の大叔父・佐藤栄作が首相だった。日本の歴史上長州藩、山口県出身の人材が国を背負い、わが国家国民を引っ張って来たことをアピールする絶好の機会と捉えているようだ。そこに安倍首相の最大の出番があるわけである。それ故安倍首相は節目の明治150年(2017年)には総理大臣の座に留まって、大袈裟なパフォーマンスを演じたいのだ。売名行為と名誉欲も好い加減にしてもらいたいものだ。

 更に「日本の歴史=山口県人」をアピールするために、安倍首相はこんな身勝手な舞台演出まで考え、実行しようとしている。それは今年12月に予定されているプーチン・ロシア大統領との会談の場を、首都・東京や迎賓館のある古都・京都ではなく、幕末の政変の舞台である自らの故郷・長州山口で行おうとしているというから、私を公に利用しようとする安倍首相の名誉欲には呆れるばかりである。それにしてもかつては健康上の理由として泣きべそをかきながら総理大臣の職を退いた安倍首相も太々しくなったものである。そして、この目に余るプライベートなパフォーマンスを止められない自民党も末期症状と言える。こんな身勝手なことをやっておきながら、どうして1強多弱の安定政権を維持できるのか理解に苦しむ。これが魑魅魍魎の政界の現実であり、世にも不思議な物語である。

2016年10月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3451.2016年10月24日(月) 国政選挙に恣意と無駄はないか。

 昨日東京10区と福岡6区で衆議院議員補欠選挙が行われた。いずれも自民党候補者と自民党支援候補者が当選した。国政選挙とは言え全国的な統一選挙とは異なり、世間の関心がやや薄い印象は否めない。東京6区の投票率は34.85%で、2年前の統一選挙に比べて18.71%も下がった。福岡6区の場合は45.46%で前回を1.47%下がった程度で終わった。

 だが、この2つの選挙を見てこれほど有権者の関心が低く、選挙にかかる公的費用と無駄を考えると今後2年内に行われる衆議院選挙まで2名空席のままでも良いのではないかと考えてしまう。特に福岡6区で当選した鳩山二郎氏の場合は、福岡県大川市長現職だったため、市長を辞めて立候補した。そのため空席となった大川市長選も同時に行われることになった。

 更に昨日の選挙で別の意味で理解し難かったのは、投票が締め切られた午後8時に2つの選挙区で直ちに「当選確実」のテロップが出たことである。投票を終えた有権者に投票所の外で取材した結果から、マスコミ各社が勝手に予想した当選確実者であろうが、東京10区有効投票者数12万余票を投票箱閉鎖後瞬時に当選確実と打ち出すには、あまりにも不確定要素が多い。どうも不明朗なカラクリがあるように思えて仕方がない。

 現在475人もいる衆議院議員を2人欠員のまま、2年後の衆院選まで待っても現在の在り方から考えればそれほど大きな問題が生じるとも思えない。むしろ、税金の無駄遣いをなくす意味では、反ってプラス面もあるのではないかと考えているが、どうだろうか。

 さて、今日は母校湘南高校同期生会が藤沢市内の藤沢商工会館ミナ・パークで開かれた。早いもので来年3月には卒業して60年になる。今日は75名が出席した。同期生は401名だったが、悲しいことだが昨年までにすでに87名が他界した。会の冒頭この1年間に亡くなった5名の同級生に黙とうを捧げた。

 幹事から最初に話をするようマイクを向けられたので、最近のキューバ旅行の印象、60年安保闘争、ベトナム戦争終結TVインタビュー、イエメン共和国独立後最初の日本人入国者であること、等について気軽に話をした。周囲の友人と話しているとやはり病気、健康、趣味、余生の楽しみ、等どうしても後ろ向きの話題が多くなる。それでも5年後には母校創立100年を迎えるので、何とかそれまで頑張って元気に一緒に創立100周年記念式典に出席しようということになった。いつも通り元ブラバン名井さんの指揮で北原白秋作詞、山田耕筰作曲の校歌を唄ってお開きとなった。

 帰りに藤沢駅前のカフェでしばらくぶりに大塚武夫さんと1時間ばかり、アメリカ大統領選、朝日などメディアの無責任と傲慢ぶり、SNSの使い方などについて話し込んだ。やはり古い友だちというのは肩が凝らなくて好い。

2016年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3450.2016年10月23日(日) 姪のデザイン商品が三越本店に

 鵠沼に住む妹から彼女の娘がデザインした商品展示の案内メールが妻に送られて来た。日本橋の三越本店新館入口を入った正面に、姪がデザインしたシューズが何点か展示、販売されているので一緒に見に行きませんかとお誘いを受けたのだった。幸い私もフリーだったので、気晴らしに妻と何年ぶりかで三越へ出かけた。約束時間より少々早く着いてしまったので、しばらく外で待とうとした。するとちょうど入口の前が「お江戸日本橋」の日本橋だった。大勢の人々が群がっていて警察官が交通整理をし、全国各地の祭りの仮装が練り歩いていた。「郡上踊り」「女城主井伊直虎浜松踊り」「長崎蛇踊り」等が次から次と踊りながら目の前を通り過ぎて行った。それほど大きな規模ではなかったが、通行人、特に外国人旅行者にとっては珍しいハップニングに興味をそそられたのではないだろうか。

 待ち合わせ時間になったので、約束の場へ戻った。身贔屓だと思われるかも知れないが、改めて姪っ子の芸術的センスに感心した。元々美術関係が好きで中々センスがあるとは思っていたが、今日の展示は女性用シューズのデザインを姪が考え出し、それを企業「JAPAN SENCES」が商品化したもので、何となく洒落ているのはこの種のセンスに欠ける私でも分かる。そんなシューズが何種類も三越新館入口近くの一番目立つ場所に展示されて、「ETUDE BY E」との商標がスタンドに掲げられていた。この「E」というのが、姪のイニシアルだという。姪がデザインした展示商品のシューズをあれこれ品定めした後に、妻はやや高価ではあったが、気に入った一品を買い求めた。

 姪は高校の後輩でもあるが、高校生当時から全てに積極的で、こうして自分のタレントを活かして独り立ちしている様子を見ることは伯父として頼もしく嬉しい限りだ。まだ当分結婚する気はないようで現在はシューズのデザインの制作だけに執心しているが、いずれ他の商品も研究して自分なりの個性的なデザインを考え出せれば良いと言っていた。

 それにしても天下の三越本店で入店したお客様が最も目に留まる場所に、自らデザインしたシューズが堂々展示販売されるとは見上げたものだと感心した。今日の感想は少々身贔屓過ぎたかな?

 さて、3日前にミスター・ラグビー平尾誠二氏が53歳の若さで他界して関係者やファンを落胆させたが、今日は女子登山界のリーダーだった田部井淳子さんが癌で亡くなられたとの報道があった。女性として世界で初めて最高峰エベレストへ登頂した。その後も次々と世界各地の高山を征服し、女性初の7大陸最高峰制覇の記録を持っている。テレビでもしばしばその姿を観たが、いつもニコニコして優しい笑顔を見せていた。享年77歳で、私より1歳若かった。心よりご冥福をお祈りしたい。

2016年10月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3449.2016年10月22日(土) 印象深い山一証券倒産劇と「山びこ学校」

 昨深夜NHKプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点・・・山一破たん たった一つの記事から始まった」を観た。バブル崩壊時の1997年11月、山一証券自主廃業に至るまでの経緯をリポートしたドキュメントである。山一にとって創立100年目の悪夢だった。山一は一時証券業界でもトップを走っていた時期もあったが、最終的には損失隠しによって経営が破たんした。これにより大手証券会社4社のうち、山一だけが悲惨な経緯を辿り証券業界から姿を消した。自ら撒いた種というべきか、それとも身から出た錆というべきだろうか。

 私にはそれより30年以上も前に山一証券が受けた日銀特融に忘れられない思い出がある。山一破たん前の前哨戦ともいうべきもので、再建のために日銀から3兆円に上がる特別融資を受けたころである。1964年東京オリンピックの年だった。現場から上がって経理部財務課資金係に配属され投融資業務に関わっていた当時のことである。まだ新米経理マン時代に、上司から言われるままに証券や株券を取り管理していた。会社が社債を発行していたために、各証券会社のセールスマンが入れ代わり立ち代わり毎日のように経理部にやって来ては近くの椅子に座り、上司との面会時間までのつなぎに新米だった私によく話かけてくれた。山一証券のあるセールスマンの如きは、大学相撲部の出身という大きな体に背広を着こんで証券1枚が入った角封筒だけを持って来られた。ある日突然山一証券が倒産したという話が耳に入り、社名も山一証券㈱から㈱山一に変わり、資産を山一証券㈱から㈱山一に移し、その後㈱山一が新しい山一証券㈱に商号変更して以後は冒頭の山一証券㈱となり、それが最終的に自主廃業したわけである。私は言われるまま、㈱山一が取り扱った証券証書の名義を移し替えていた。はっきりは覚えていないが、株券をあっちへ移したり、名義の書き換えをやったり、慌ただしかった。番組を観ていると東洋経済新報社記者に内部のタレこみがあったことから取材していく中で山一社内に不正があると確信して追い詰めたというストーリーになっている。

 私自身はあくまで外部者であり、証券会社の何たるかも分からない新米社員時代にわが国の経済、証券業界を揺るがせた事件の近くにいたことを今更ながら不思議な感じで受け止めている。

 それにしても中々興味深い番組だった。

 さて、今夕の日経紙に懐かしい人へのインタビュー記事が載っていた。誰あろう、一世を風靡したあの無着成恭先生である。生徒の綴り方を「山びこ学校」に編集して、出版した山形県山元中学校の国語教師だった人である。中学1年時に夢中で読んだ。木村功が無着を演じた映画「山びこ学校」も観た。「~外では雪がコンコン降っている~」というような文節があったような覚えがする。「山びこ学校」は、素朴な山奥の雰囲気と貧しい生徒たちの生活ぶりをよく焙りだしていたと思う。その山元中学校も2009年に閉校になったという。無著先生は現在別府市内に居住しておられるようだ。

 無着先生は、いつも「なぜ?」と疑問を持ち考え、質問しないようでは国が亡びるとまで言っている。僧侶としても綴り方教室を指導した。こういう先生に習った生徒は、きっといつまでも先生のことを忘れないだろう。幸せなことだ。先日出席したクラス会の幕張小学校の恩師・湯浅和先生をつい想い出した。

2016年10月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3448.2016年10月21日(金) 鳥取地方で震度6弱の地震

 JAPAN NOW観光情報協会主催による毎月定例の観光立国セミナーで外務大臣政務官・山田美樹衆議院議員の講演を伺った。「海外で学ぶ 海外で働く 海外と交渉する」とのテーマで話されたが、斬新なテーマと内容で中々面白いと感じた。東大法学部卒業後旧通産省に勤めて、コロンビア大学へ留学され、その後役所を辞め複数の外資系企業で働いた後に、4年前自民党議員立候補者公募に応募して東京第1区から立候補し、見事当選して代議士になった経歴の持ち主である。この華やかな経歴から察すると上から目線で見下すような女性議員ではないかとの先入観があったが、そのような嫌味な態度はまったく見られなかった。ひとつひとつパワー・ポイントを使いながら丁寧に説明された、その謙虚な話しぶりは好感が持てるものだった。「海外と交渉する」という点では、日本を代表して外国の高官と交渉することは、隣席に専門家がいようとも自分以外の他人は交渉に関与することはなく、1対1で交渉するので孤独感があると仰っていたが、案外そういうものではないかと思った。

 高校時代の友人の元通産事務次官・牧野力くんについても当然よくご存じだった。

 かつて旅行業者として感じた印象と考えを話し、質問してみた。今でこそ外国人のインバウンド観光客が増加して国の財政を潤しているが、政府、国交省役人はインバウンドについてはこれまで公的に何もやらず、反ってそれまでアウトバウンド旅行を扱う旅行業者を外貨の無駄遣いとけなしては、旅行業者を見下したような態度ばかり取っていた。今日のインバウンド観光客の増加は彼らの功績ではなく、観光業者が地道に努力して今日花開いた成果であり、現実にインバウンド実務を行うことができない彼らは、旅行業者では中々できない、もっと日本の正しい文化の啓蒙と普及に取り組み、その正しい紹介に資金を投資し、活動して欲しいと要望した。山田議員には好意的に受け取っていただいたように思う。

 さて、帰宅したところ鳥取地方で大きな地震があったとのニュースに接して、4月の熊本地震に続き、またかと驚いた。震度6弱とのことだが、不幸中の幸いだったのは雨が降らず、そのためがけ崩れ、洪水、津波などが派生的に起きなかったことだろう。余震も続いているようだ。これからいつ東京にも地震が起きるか分からない。地震列島に住んでいる宿命と言ってばかりもいられない。

 ついては、16日付ブログでノーベル文学賞受賞者ボブ・ディランの♪風に吹かれて♪の訳詞者中川五郎氏について私の知るペンクラブの中川五郎氏ではないかと触れたが、この訳詞者中川氏とはフォークソング・シンガーであるらしいことが分かった。10月23日付「しんぶん赤旗」(日曜版)に載った中川氏のギター演奏の写真で分かった。あのお堅い「赤旗」も漫画や映画の記事も掲載するようになって、ひと昔前を知る我々60年安保世代にとっては随分変わったなぁという印象だ。

2016年10月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3447.2016年10月20日(木) 秋の1日を鎌倉古刹巡り

 ゼミで親しかった池田、長谷川、須藤の3君と鎌倉古都巡りを楽しんだ。大雑把な予定は前以て彼らに知らせていたが、年齢的な面もあり、ハードスケジュールは避けたいとの陰の声があった。今年2月にセルビアの山崎さんと円覚寺、極楽寺を訪れたが、今日も横須賀線車内と北鎌倉駅で待ち合わせて古刹円覚寺から、駆け込み寺として知られる東慶寺を参拝した。ここには鈴木大拙、西田幾太郎、岩波茂雄、和辻哲郎、谷川徹三、小林秀雄ら多くの哲学者、文学者の墓地があるが、意外だったのはオリンピック・ゴールドメダリストの織田幹雄さんとバレーボールの大松博文監督の墓地が並んでいたことだ。

 一昨年亡くなった竹内謙・元鎌倉市長の墓地があるとご子息から聞いていたので、受付で調べてもらい大凡の場所の見当はついた。だが、結局のところどうしても見つけることができず、次回に回さざるを得なくなった。竹内氏の菩提寺まで来ていながら目指すお墓を探すことができず、ご焼香もできず残念である。東慶寺には明確な墓地の配置図がなく、係員の地図による口頭案内では複雑な地形のため、思うように探し当てることができない。心残りではあったが、友人らを待たせるわけにも行かず、鎌倉街道を歩いて次の目的地・建長寺へ向かった。

 建長寺は久しぶりである。交通の便があまり良くないので、今まで1度しか訪れたことがない。今日は、座禅の部屋を見せてもらった。その後再び鎌倉街道を通り鶴岡八幡宮から改装成った若宮大路の「段葛ら」と小町通りを通ってJR鎌倉駅までやってきた。時すでに3時半になり、それぞれ疲れていたので、名残惜しかったが、江ノ電沿線観光は諦めて帰ることにした。

 最近1日1万歩をクリアできない日が多くなっていたが、久しぶりに今日は1万7千歩を超えることができた。それにしてもいずこのお寺も遠足で訪れた元気な小学生たちで溢れていた。多くの子どもたちがカメラを手に走り回っていたが、時代が変わったなぁと感じた。

 それでも秋晴れの暖かい1日を古都鎌倉の古刹巡りを楽しむことができた。

 さて、今日不意に降って湧いたような訃報には驚いた。ラグビー界の至宝、平尾誠二氏が53歳の若さで亡くなったのである。若い頃の洗練されたプレイを何度も見て、その都度唸らされたものだ。我が家の息子たちも憧れていた元日本代表選手はその実績もさることながら、3年後に日本で開催されるラグビー・ワールドカップを見据えて大きな役割を期待されていただけにラグビー界にとって大きな損失である。NHK夜の「ニュースウォッチ9」でも、その死を惜しんでトップニュースで紹介された。心からご冥福をお祈り致したい。

2016年10月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3446.2016年10月19日(水) 岡本太郎記念館事務局長と話し合う。

 先日南青山にある岡本太郎記念館を見学したが、今日は事前にアポを取って高橋善雄・事務局長とお会いした。事務局長とお会いしたのは、岡本さんの慶応幼稚舎卒業記念写真のコピーを差し上げるためと、他にも記念館スタッフも知らないような岡本さんに関するプライベートなお話をするためだ。

 岡本さんはご自分の作品が多くの人の手に渡り、散逸されることを心配されていたという。そのためかつて住んでいた川崎市に多くの作品をまとめて寄贈することになり、それが現在岡本太郎美術館として存在している。絵を額縁に飾ることも潔しとしないご性格だったそうで、仮に痛んだらご自分が修正に伺うと仰っていたという。

 他でもないが、偶々義父が幼稚舎で岡本さんと同じクラスメートで、大正13年卒業の岡本さん、同じくクラスメートだった歌手の藤山一郎さん、作家の野口富士男さんと一緒で竹馬の友として終生交流を続けていた。今日高橋さんにお話したのは、いまリニューアルで話題となっている大阪万博の折建設された「太陽の塔」の建築素材に、当時日本軽金属㈱会長を務めていた義父が、日軽金のアルミを使用してくれるよう岡本さんにお願いして快く承諾してもらったことである。流石にこの話は高橋さんもご存じなかった。その他にも藤山さんや、野口さん絡みのエピソードをお話して大変楽しいひとときを過ごすことができた。

 エッセイ「岡本さん、藤山さん、野口さん、そして岳父」を掲載した小冊子と、4人組に若干触れた拙著「南太平洋の剛腕投手」を差し上げたところ、有難いことに立派な写真集を2冊お返しにいただいた。

 今後催し物を企画される場合はご連絡いただけると仰っていただいた。

 次は、川崎市にある岡本太郎美術館を見学してみたいと思っている。

 さて、駒沢大学講座で講師の山田克・共同通信東京支局長が、あまり知らない新聞記者の業務のいろいろな面について講義してくれるので興味深い。今日は講義の最後に次の2点について質問した。①舛添要一・前東京都知事が在職中私的な美術品を公費で購入したことに関して、前知事も反省して自費で支払った後にすべて結果を説明すると大見得を切っていたが、小池知事が豊洲市場、東京オリンピック会場選定問題などに忙殺され、都議会の追及も尻切れトンボのまま約束が果たされていない。また、②稲田朋美・防衛相と菅義偉・官房長官が政治資金報告書に、金額が記入されていない白紙の領収証を受け取り、それにすべて同じ金額を書き込んで報告書に記載していたことが判明し批判された。だが、両閣僚は法に触れないと開き直っている。これらの点について、メディアがもっと厳しく追及すべきだと思うが、メディアとしてどう考えているのか山田講師に質問したところ、現状は各メディアともスタッフが足りず、ひとつの限られた問題にほとんどの記者がアプローチする状態になっており、その現象を由々しい問題であると認識していた。講師はこのような質問をぶつけられたことを会社内で話してみるということだった。それまで舛添問題に積極的に取り組もうとしないように感じていたので、やはりそうかと不承不承納得する形になったが、約束を守ることや、もらった白紙の領収証に相手にお構いなく勝手に金額を書き込む行為なぞは不条理で到底許されざることである。徹底的に追求して欲しいと思う。

2016年10月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com