32年前の今日母幸子は急性心不全で亡くなった。今日菩提寺である中野の宝仙寺で母の33回忌、並びに祖父の50回忌を併せて執り行った。それにしても時の経つのは早いものだとつくづく思う。亡くなった時母はまだ73歳だったので、それ以降父は鵠沼の割合広い自宅で93歳まで17年間やもめ暮らしだった。その父も15年前に逝った。人間の運命は誰も予測することはできない。だが、死はいつか自分自身の身にも訪れる。母は父に先立って旅立ったことを泉下で悔やんでいるかもしれない。今日弟が母の中野・桃園尋常高等小学校の卒業アルバムを持ってきてくれた。アルバムの表紙、校門風景、教職員の集合写真、母の同級生の集合写真を見ていると時代の空気が伝わってくるようだ。大正13年3月卒業だから、正に関東大震災の半年後のことである。優しい母だった。戦中、戦後の苦しい時期に度々転居を重ねながらも男4人女1人の我々兄妹5人の子どもを育て上げ、我々が孝行する間もなく突然逝ってしまった。最初の発作で倒れて藤沢市民病院へ入院中の母を見舞った時、スペインの学校訪問から帰った直後で私の写真が現地新聞に大きく掲載されたのを見て、母は嬉しそうに語りかけてくれたことが強く印象に残っている。懐かしい思い出である。
お寺の本堂で僧侶の読経中に「光明真言」という言葉を子・孫11名揃って唱和した。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
翻訳すると「心からお願いいたします。(宇宙)に遍満し、常住であられる大日如来よ、その偉大なちかいを示すさとりよ、智慧と慈悲のすくいと光明をさしのべて下さい。ぜひともお願いします」 ということを表している。所詮他力本願であるが、この気持ちは皆変わらない。
いずれ私も後を追うことになる。せめて今生の行いで母から叱られることのないようにしたい。
さて、法事を終えて帰って来たら、何と三笠宮崇仁殿下が薨去されたとの衝撃的なニュースを耳にした。100歳というご高齢で皇室では最高齢でもある。三笠宮は日本オリエント学会の初代会長であり、古代オリエント史の研究で実績を積まれご著書もある。このため天皇は今日午後予定されていた来日中のフィリピンの暴れん坊将軍、ドゥテルテ大統領との会見を急遽キャンセルされ、秋の園遊会も中止されることが決まった。天皇・皇后両陛下は向こう1週間喪に服されるという。これで昭和天皇に次いで3人の弟殿下も全員が他界された。昭和は完全に過ぎ去ったということになるのだろうか。