3449.2016年10月22日(土) 印象深い山一証券倒産劇と「山びこ学校」

 昨深夜NHKプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点・・・山一破たん たった一つの記事から始まった」を観た。バブル崩壊時の1997年11月、山一証券自主廃業に至るまでの経緯をリポートしたドキュメントである。山一にとって創立100年目の悪夢だった。山一は一時証券業界でもトップを走っていた時期もあったが、最終的には損失隠しによって経営が破たんした。これにより大手証券会社4社のうち、山一だけが悲惨な経緯を辿り証券業界から姿を消した。自ら撒いた種というべきか、それとも身から出た錆というべきだろうか。

 私にはそれより30年以上も前に山一証券が受けた日銀特融に忘れられない思い出がある。山一破たん前の前哨戦ともいうべきもので、再建のために日銀から3兆円に上がる特別融資を受けたころである。1964年東京オリンピックの年だった。現場から上がって経理部財務課資金係に配属され投融資業務に関わっていた当時のことである。まだ新米経理マン時代に、上司から言われるままに証券や株券を取り管理していた。会社が社債を発行していたために、各証券会社のセールスマンが入れ代わり立ち代わり毎日のように経理部にやって来ては近くの椅子に座り、上司との面会時間までのつなぎに新米だった私によく話かけてくれた。山一証券のあるセールスマンの如きは、大学相撲部の出身という大きな体に背広を着こんで証券1枚が入った角封筒だけを持って来られた。ある日突然山一証券が倒産したという話が耳に入り、社名も山一証券㈱から㈱山一に変わり、資産を山一証券㈱から㈱山一に移し、その後㈱山一が新しい山一証券㈱に商号変更して以後は冒頭の山一証券㈱となり、それが最終的に自主廃業したわけである。私は言われるまま、㈱山一が取り扱った証券証書の名義を移し替えていた。はっきりは覚えていないが、株券をあっちへ移したり、名義の書き換えをやったり、慌ただしかった。番組を観ていると東洋経済新報社記者に内部のタレこみがあったことから取材していく中で山一社内に不正があると確信して追い詰めたというストーリーになっている。

 私自身はあくまで外部者であり、証券会社の何たるかも分からない新米社員時代にわが国の経済、証券業界を揺るがせた事件の近くにいたことを今更ながら不思議な感じで受け止めている。

 それにしても中々興味深い番組だった。

 さて、今夕の日経紙に懐かしい人へのインタビュー記事が載っていた。誰あろう、一世を風靡したあの無着成恭先生である。生徒の綴り方を「山びこ学校」に編集して、出版した山形県山元中学校の国語教師だった人である。中学1年時に夢中で読んだ。木村功が無着を演じた映画「山びこ学校」も観た。「~外では雪がコンコン降っている~」というような文節があったような覚えがする。「山びこ学校」は、素朴な山奥の雰囲気と貧しい生徒たちの生活ぶりをよく焙りだしていたと思う。その山元中学校も2009年に閉校になったという。無著先生は現在別府市内に居住しておられるようだ。

 無着先生は、いつも「なぜ?」と疑問を持ち考え、質問しないようでは国が亡びるとまで言っている。僧侶としても綴り方教室を指導した。こういう先生に習った生徒は、きっといつまでも先生のことを忘れないだろう。幸せなことだ。先日出席したクラス会の幕張小学校の恩師・湯浅和先生をつい想い出した。

2016年10月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com