3229.2016年3月16日(水) ラグビー部後輩諸君にちょっぴり不満

 民主党と維新の会の合流に伴い、両党は新しい党名を決めるため新党名を募集していた。「民進党」と「立憲民主党」の2つの名前が挙がったが、最終的に「民進党」に決まった。「名前倒れ」とか、「名は体を表す」と言われるが、両党が「民進党」に決めたならそれで佳しとすべきだろう。

 しかし、どうも引っかかるのは新党名が台湾の「民進党」と同じだからである。尤も台湾の場合、正式名「民主進歩党」を簡略化したそうだが、それでも何となく似ていてどうもすっきりしない。しかも、今年1月の総統選挙と立法委員選挙の結果、新総統には蔡英文主席、そして蔡主席が党首を務める民進党が勝ち、政権交代によって女性党首の蔡主席と民進党が台湾の政権を担うことに決まった。今や追い風に乗った「民進党」である。その党名を拝借するような感じの新党名に思えてしようがない。

 いつももたもたしている印象の日本の民主党だが、せめて党名変更を機に政府・自民党にひと泡吹かせるくらいの行動を示してほしいものである。

 さて、今日は元旦の母校ラグビー祭から2カ月ぶりに母校を訪れ、ラグビー部顧問教師に少々お小言を言って来た。

 実は、昨年卒業したラグビー部員の些か礼儀知らずな今風の作法について注意を促してきたのである。

 率直に言えば、昨年の卒業部員、女子マネを含めて全部員22名に対して、僭越だが拙著「南太平洋の剛腕投手」を卒業のお祝いと激励の気持ちを込めて先輩の善意で贈ったつもりだった。拙著に「冒険心と行動力」という言葉をそれぞれ書き添えて、更にメッセージ用紙を添えて大封筒に収めて顧問を通して各部員の名前を記して署名して贈った。それから1年が経つが、残念ながら22名の内誰1人として受け取ったとの連絡をくれない。お礼の言葉を待っているわけではないが、22名もの若者が巣立ちに当たり先輩から好意の品を受け取っていながら、まったく連絡もしてこないことに流石に腹が立ったのだ。余計な贈答品とでも受け取られたのではないかと少々がっかりした。こんなことなら、贈ることはなかったのかも知れないと思わず考えてしまう。

 彼らに与えたA4版いっぱいのメッセージには、「本、特に大河小説を読め!」「手紙を書くくせをつけよ!」「若いうちに1人で海外へ出ろ!」「群れを組まず、1人で行動せよ!」「臨場感を養え!」「スマイルを心がけよ!」のような自分がこれまで海外で体験上会得した言葉を書き、それらが少しは彼らの成長に糧となって欲しいと願った言葉を書いたのだ。封筒には私の名前と住所も書いてある。贈った拙著には母校の特異な校史や甲子園優勝のエピソード、国体でサッカー部が優勝、ラグビー部のエピソードなども書いてあるので、興味を持ってもらえるはずだ。しかも、現校長が朝礼で拙著を推薦・紹介してくれているし、図書館には10冊程度贈呈した。

 彼らの父母も自分たちの子どもがもらった贈り物に気づかなかったのだろうか。物をもらったら、どんな物であれ、ありがとうというのがごく普通の礼儀であり、常識だと思うが、彼らはどうもそんなことは考えてもいないようだ。それでも、キャプテンか、代わりの誰かが全員に成り代わって、せめて1人でもいただいたとの連絡を寄こすくらいの配慮はして欲しかったというのが率直な気持ちである。

 1月に食事をした1年先輩で南極研究の第一人者の国立極地研究所・神沼克伊名誉博士にお話ししたら、顧問教師に事情を話すべきだと言っておられた。そんなことからわざわざ車でラグビー部の後輩でもある顧問を訪ねることになった。これは決して私の本意ではない。ただそれにしても寂しいような気持で何ともやり切れないようなすっきりしない1日だった。顧問は彼らにどういう伝え方をするだろうか。そして顧問と部員たちはどんな対応をしてくるだろうか。しばし待ちたいと思っている。

 それにしても普段から普通にお礼を言うことも、手紙を書くこともないのだろうかと考えると、彼らがこれから厳しい世の中を真っ当に渡って行けるのかどうか、考えると些か憂鬱になる。

2016年3月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3228.2016年3月15日(火) 北岡和義氏の新たな出発

 昨夕出席した北岡和義さんのパーティについて書いてみたい。

 正義感が強く硬骨漢の北岡さんは、これまで一筋縄では行かない多難の道を歩んできた。元読売記者、横路孝弘・元衆議院議長秘書の後、ロスアンゼルスで日本語TVを起ち上げ、帰国後は日大三島で教職に携わる傍ら、同じ記者仲間の毎日新聞西山太吉さんの外務省機密漏えい事件の支援者として小中陽太郎さんらとともに西山さんを支えて、見事西山さんの無念を晴らし勝訴を勝ち得た。

 実は先月案内状をいただいた時は、そこに「現役引退記念激励パーティ」と書いてあった。普通はジャーナリストに引退なんてあるわけがないし、北岡さんの性格を知っているだけにそんな筈はないと思っていた私は、返信に「本当に引退ですか?~都合により一時引退と考えている」と書いた。それに昨年日本ペンクラブ理事に推薦されたばかりで、これからペンの改革のためにひと踏ん張りしてもらわなければならず、やるべき仕事はたっぷりある。

 会場受付で北岡さんと顔を合わせた瞬間、本当に引退するのかと彼にぶつけてみた。すると北岡さんは行灯の文字を指差した。そこには何と「日大教員退職記念パーティ」と書いてあった。いつの間にか会の名前と主旨が変わっていた。やはりそうだったのだ。そうだろうとは思っていた。彼がジャーナリストから身を引く筈はなく、日大三島にある国際関係学部特任教授の職を辞めるのだ。取り敢えずホットした。かつて1度だけ彼の依頼により三島で講義をしたことがある。

 しかし、少々悪気が過ぎる。それにしても北岡さんの広い人脈には驚いた。今日はメディア関係者を主に約150名の人々が彼を激励に駆け付けた。

 田原総一朗氏のショートスピーチを皮切りに、横路元衆院議長、江田五月氏、内田忠男氏、小中陽太郎氏ら多士済々だった。その中で私にとって若い頃から憧れだった元朝日の冒険ライター・本多勝一氏にお会い出来て話をすることが出来たことは感激だった。本多氏の書を何冊読んだか。エスキモー、ニューギニア、アラビアの未開地への紀行書、特に「戦場の村」などのベトナム関連書には強い影響を受けた。そしてどれほど未知の土地への好奇心を呼び起こされたか。今年84歳の氏に会えていろいろな思いが込み上げてきた。でもあの会場に正ちゃん帽、セーター、長靴スタイルはいかにも不似合で、それでいていかにも個性的な本多さんらしい。

 他にも軍事評論家の小川和久さんとは出版記念会にご出席していただいて以来の再会だった。いま小川さんが著した文春新書「日本人が知らない集団的自衛権」を読んでいるが、感想を語り合いながら、自衛隊の海外における行動について専門家の立場から話を伺った。そこには同じ軍事評論家の前田哲男氏もおられたが、小川さんのロジカルな持論は他の追随を許さないほどだ。

 ともかく北岡和義氏のこれからの活躍を心より祈念して止まない。

2016年3月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3227.2016年3月14日(月) 難しいマラソン選手の選考

 昨日リオ・オリンピック女子マラソンの日本代表選手を選考するレースのひとつである、名古屋ウィメンズマラソンが行われ、日本選手でトップだったレース2位の田中智美選手が有力となった。すでに昨年の世界選手権で日本人選手トップとなり大会7位入賞の伊藤舞選手はルールにより決定しており、残り2人の候補に先月開催の大阪国際女子マラソンで優勝した福士加代子選手と昨日活躍した田中選手が有望と見られている。

 今回の選手選考は当初から選考基準が分かりにくくいくつか問題点が指摘されていた。オリンピック開催前年の世界選手権で日本人トップにして、8位以内入賞の条件の他に、国内3つの選考レースがあり、それぞれ季節や天候などの条件が異なるレースの走行記録を同条件に計算して最も優れた選手を選ぶのだから難しい。

 中でも大阪国際で福士選手が走った優勝記録が最高だったが、陸連はすぐに内定を出さず、当初福士は昨日の名古屋にもエントリーする予定だった。流石に健康上の問題が指摘され、陸連が福士に辞退を促すほどだった。今朝の新聞によれば、すでに決定した伊藤選手はともかく、選考レースの実績から見て福士と田中選手に決まるだろうとのコメントが載っていた。

 他の一発勝負のレースに比べてマラソンの選手選出は中々難しい。アメリカのように選手決定レースと銘打ち、一発で決めればことは簡単であるが、マラソンばかりはひとつのレースに集中してかける時間は並のものではないようだ。自然条件に合わせて自分の体調をそれにフィットするように仕上げていくとすると、機会を失しるし、敗者復活のチャンスもない。

 漸くこれで17日に代表3選手が決定するようだが、これに懲りて4年後の東京大会では誰もが納得の行く選考は出来るだろうか。

 さて、9日付本稿9日に取り上げた「皇室典範は女性蔑視か」について、今日の参院予算委員会で、安倍首相が国連の女性差別撤廃委員会の最終見解案に、男系男子の皇位継承を定めた皇室典範が「女性差別に当たる」と見直しを求める記述があった問題について「委員会が皇室典範を取り上げることは全く適当ではない」と述べ、同委を強く非難した。そのうえで対外的な情報発信を強化する考えを示した。

 皇室典範についての記述は、政府の抗議で最終見解では削除されたが、首相は「国民の支持を得て今日に至っており、女性に対する差別を目的としていないのは明らかだ」と指摘。「今回のような事案が2度と発生しないよう、また我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう、国連及び各種委員会にあらゆる機会を捉えて働きかけたい」と述べた。

 この国連女子差別撤廃委員会の指摘は、疑問だと思っていたが、やはり保守主義者の安倍首相にとっては、皇室典範の実態をよく知らない外国人委員がやり玉に挙げたことに憤懣やるかたなかったのではないかと思う。 

 今夕ジャーナリスト・北岡和義さんの「現役引退記念激励パーティ」が神保町の学士会館で開かれた。激励に出かけたが、パーティ、そして2次会でも盛り上がって帰りが遅くなったので、報告は明日書くことにする。

2016年3月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3226.2016年3月13日(日) 天皇・皇后両陛下ご臨席のクラシック鑑賞へ

 一昨日は東日本大震災発生5年目の1日だった。震災発生後の5月に初めて震災地の復興と被災者を支援するクラシック・チャリティコンサートが新宿の東京オペラシティで行われた。爾来毎年3月11日前後にこのチャリティコンサートが開催されている。第6回目の今年は、今日午後同じ東京オペラシティで開催された。

今日のコンサートに当たっては、予め事前に妻が入場券を予約していたので、車で会場のコンサートホールへ出かけた。コンサートの正式名は「東日本大震災復興支援 チャリティ コンサート」と名付けられ「クラシック・エイドVol.6」と副題が掲げられていた。

プログラムを見て著名なオペラ歌手や楽器演奏者に胸の高まるような期待をしていた。幸い前から2列目の座席に妻と並んで座っていた。1部と2部に分かれていたが、驚いたことに2部開演の直前になって後部座席の方からざわざわした物音がして、聴衆が立ち上がったので振り向いたところ2階中央最前部席に、何と天皇・皇后両陛下が着席されようとしておられた。両陛下とも手を挙げ聴衆の拍手にお応えになっておられた。場内放送は特になく、出演者も特別両陛下に対する言葉もなく、ごく自然に次々とパフォーマンスは続けられた。

第1部は渡辺一正(以下敬称略)のチェンバロによる指揮、とヴァイオリンのアンサンブルによるバッハの協奏曲、金子三勇士と中野翔太のピアノ合奏による「ジュピター」演奏、そして第1部の終わりに昨年総理大臣賞を受賞した県立郡山高校合唱部が混声合唱を披露してくれた。

  第2部では、ソプラノの森麻季、メゾ・ソプラノの林美智子、テノールの錦織健が迫力満点に自慢ののどを聞かせてくれた。もうひとり期待していたのは、「左手のピアニスト」館野泉のピアノ独奏だった。残念だったのは、座席が正面に向かって右側だったので、左手で鍵盤を叩くシーンを見ることが出来なかったことだ。他にピアニストとして著名な横山幸雄、山岸茂人ら多彩な音楽家が名曲を奏でてくれ2時間半に亘ってたっぷり一流のパフォーマンスを楽しませてもらった。最後に森麻季と郡山高校生が震災支援歌「花は咲く」を唄った後、アンコールに応えるように出演者全員と会場が一体となって「故郷」の大合唱となり幕を下ろした。

 天皇・皇后両陛下も堅苦しい公式行事とは異なり、お好きなクラシックを幾分かはエンジョイされたのではないかと思う。終演後聴衆の拍手の中を手を挙げて会場を立ち去られた。

 楽しいコンサートだった。光栄にも両陛下と同じホールで同じクラシックを耳にすることが出来たことは良い思い出になった。

 偶々今月のNPO法人「JAPAN NOW観光情報協会」紙のコラム欄に、1964年1月箱根スケート国体開会式にご出席されるため当時皇太子・同妃殿下であった両陛下がロマンスカーで箱根へ向かわれたが、その時玉川学園前駅1号踏切で周辺警戒のため臨時に踏切番に狩り出された思い出話を寄稿したところだが、両陛下に格別身近な印象を持ったのはそれ以来である。

 妻ともどもすっかり好い気分になって、そのまま近くのハイアット・リージェンシー東京で贅沢なディナーを済ませて鼻歌混じりでご帰還となった。今日は久しぶりにクラシック音楽を両陛下とともに素晴らしい雰囲気の中で堪能する幸運に恵まれた。今夜はきっと良い夢を見られるだろう。

2016年3月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3225.2016年3月12日(土) スポーツ界の無秩序と闇

 つい先日プロ野球・読売巨人軍の高木京介投手が野球賭博を行っていた容疑で、昨日巨人軍は高木投手をプロ野球コミッショナーに告発した。またかというのが率直な気持ちである。昨年10月3人の投手が野球賭博をやっていたことを告白して無期限出場禁止になり、球界から去って行ったばかりである。これで、球団のボス、渡辺恒雄最高顧問と球団オーナー、球団社長ら3人が責任を取って辞任することになった。友人の滝鼻くんは数年前に球団オーナーを辞めていたので、良かったと思う。それにしてもどうしてこのようなスキャンダルが球界の盟主とされる巨人軍だけに起こるのか。

 これはロシア陸上界の禁止薬物使用のドーピングに似ているところもある。まだ、最終的な結論は出ていないが、下手をするとロシア陸上チームは、今夏開催されるリオ・オリンピックに出場出来なくなる可能性がある。かねてよりロシアでは陸上界ぐるみの薬物使用が噂に上っていたが、内部では薬物使用を止めるべきコーチまでが強制的に選手に使用を勧めていたというから国ぐるみ、陸上チームぐるみで確信的にドーピングを行っていたと見られても抗弁出来まい。リオ・オリンピック出場の可否は今月中にはっきりする。

 他にもロシアのスポーツ界の病根とも言える事象が明らかにされた。世界反ドーピング機関(WADA)からテニス界の女王マリア・シャラポワ選手が1月の全豪オープン後のドーピング検査で陽性反応が出たと発表された。現在シャラポワ選手は暫定的に出場停止処分を受けているが、彼女が過去10年間服用していた薬物「メルドニウム」が今年1月からWADAの禁止薬品にリスト・アップされた。彼女はそれに気づかなかったと言っている。軽率ではあるが、それほど悪意のあるものではなかったように思え、同情の声も聞かれる。しかし、考えてみれば薬を服用するのは選手個人の判断であり、責任である。いくら医者が調合し大丈夫だと言っても、国際テニス連盟から危険薬物のリストが公表されたにも拘わらず、それに目もくれなかったというのは、選手としてはちょっと無神経で、軽率だったと言わざるを得ない。

 今やシャラポワ選手は世界女子スポーツ界では、最も賞金を稼ぐ選手と言われ、美人でCMにも引っ張りだこだったために甘やかされ、つい油断があったのかも知れない。それにしても家族やマネージャーら周囲が誰も彼女が服用する薬物に注意を払わなかったのだろうか。この辺りはロシア・スポーツ界の無秩序な空気と闇のせいであろうか。

 読売巨人軍にしても、シャラポワ選手にしても無警戒であり、お粗末である。スキャンダルが明らかになった以上しっかり再調査、身辺整理をして、正すべきは正した後堂々と太陽の下でプレイして欲しいものである。

2016年3月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3224.2016年3月11日(金) 東日本大震災から5年

 あの惨い東日本大震災から今日でちょうど5年が経過した。各地で犠牲者を悼む追悼式が行われた。都内で開かれた政府主催の追悼式典では、天皇、安倍首相が追悼の式辞を述べられた。死者、行方不明者合わせて2万人を超える犠牲者である。このところ連日のように、各被災地の当日の様子や、その後の復興具合、家族を失った悲しみの遺族の様子、街の現状、等々についていろいろな角度からドキュメント風に伝えている。今日は朝から夜遅くまでスタジオから、現地から生放送で生々しい当時の様子を伝えている。改めて震災の恐ろしさ、自然の驚異を思い知らされる。

 5年前までわれわれは地震、津波の恐ろしさについて、あまり真剣に考えていなかったのではないかと思う。そのため地震への備えが、必ずしも充分ではなかったのではないだろうか。被災者は口を揃えて、日頃から地震が起きたらどうすべきかということを常に考えておくべきだと言っている。確かにそうだと思うが、そうは思えども恐怖を身近に感じないと備えをするという心境には中々ならないものだ。

 気の毒なのは、まだ遺体が見つからず行方不明になっている人たちの家族である。再起への力が湧いてこないと半分諦め、その一方で、今もなお、もしやどこかに生きているのではないかと一縷の望みをかけている遺族もいる。行方不明者の数は、3千名近い。

被災地はどこもまだまだ復興途上にある。1日も早く街が復興し、遺族の人たちが立ち直られるよう願っている。

 さて、今日は麹町の日本海事センタービルで、NPO法人JAPAN NOW観光情報協会の観光セミナーに出席した後、理事会に出席した。観光セミナーは副理事長・JR東海相談役の須田寛氏が講師を務め、「『駅名』と『列車名』を考える」と題して、専門的な立場からユーモア溢れる話をされた。

 その後理事会が開かれ、5月の総会に向けて、今年度の決算案と来年度予算案について議論した。その後にJN協会の今後の行き方が話し合われた中で、「城と観光」をテーマにフォーラムの開催について提案と検討がなされた。今や歴史ものブームが地域に観光客を呼び込むひとつの流れになりつつある。幸い大河ドラマ「真田丸」高視聴率の影響を受けて戦国武士が注目されている。そこで、JN協会員である長宗我部家17代目当主・長宗我部友親氏と甲斐武田家16代目当主・武田邦信氏に対談してもらい、それにオプションを付けて浅井長政が城主だった滋賀県長浜市フォーラムを開催してみてはどうだろうかと提案が出され、前向きに検討することになった。

2016年3月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3223.2016年3月10日(木) 高浜原発3、4号機に運転停止の仮処分

 昨日大津地裁は関西電力高浜原発3号機、及び4号機の再稼働に反対する住民の訴えを認めて、運転差止めの仮処分決定を下した。2基はいずれも昨年4月に福井地裁の運転差し止め仮処分決定で運転を取りやめていたが、12月に関電の保全異議が認められ、今年に入ってから再稼働していた。だが、この大津地裁の判断により再び運転することが出来なくなった。裁判長は断層の調査が徹底的に行われておらず、安全上の余裕を取ったとは言えないとして関電の説明では不十分としている。これにより、再稼働したばかりの高浜原発3号機は今日運転を停止したが、4号機はお粗末にも再稼働したばかりの29日に変圧器周辺のトラブルで原子炉を緊急停止していた有様である。

 稼働中の原発に運転停止が示されたのは初めてである。これで再稼働中の原発は、鹿児島県川内原発の2基だけである。いくら設備について原子力規制委員会から安全とのお墨付きが出ても、周囲環境に地層などの問題がないのかという点でイェロー・カードを示された。これからも電力会社と地域住民との間でトラブルが起きたりするのだろう。実は、この高浜原発は地形上福井県に位置している。だが、これは隣接県滋賀県民が訴えた裁判である。これまでにも京都府民から地元住民とはどこを指すのかとの疑問が上がっていた。高浜原発がほぼ京都府との境界線上に在るからである。行政による線引きで事足りるのかと、同じ県内でも原発への距離によって異なる声が出ていた。今度の裁判所の判断は、所属する県だけでは、必ずしも地元とは呼べないということを示唆している。その意味で電力会社は今後地元の意見を配慮する場合、どれほどの地域を地元と考えたら良いのかと新たに考えなければならないと思う。

 それにしてもトラブル続きの原発稼働である。この高浜原発運転停止が、今後他の運転中止中の原発再稼働にどんな影響を与えるだろうか。それでも政府は原発再稼働を進める方針に変わりがないと言っている。この負の影響のせいだろうか、今日の東京株式市場では日経平均株価が軒並み上がっている中で、関電株式のみ一時17%も下落した。

 さて、今日は東京大空襲から71年目の1日でもある。B29爆撃機300機の空襲により約10万人の人々が犠牲になり、約27万戸が焼失したと言われている。とかく明日の東日本大震災の日に目を向けがちになるが、ともに忘れてはいけない運命の日である。

昨日朝日朝刊の「オピニオン&フォーラム」に、東京大空襲に遭い、それに関して数々の著作を残している作家・早乙女勝元氏が今年も「忘れてならぬ3.10と3.11」と投書で訴えている。因みに早乙女氏は毎年この時期になると被災体験について朝日に投稿している。

2016年3月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3222.2016年3月9日(水) 皇室典範が女性差別?

 昨日取り上げた国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)が日本に対して提示した見解は、日本人の理解や観念からすれば、首を傾げる内容がかなりあった。その中で委員会はこんなことも勧告し、事前に日本政府がクレームをつけて何とか撤回させた一項もあった。

 それは最終見解案に、男系男子による皇位継承は女性差別に当たるとして、皇室典範の見直しが盛り込まれていたことである。国連の一組織として影響力が強い委員会が、誤解も含めてどうしてこのように無秩序で不正確な知識や情報だけを拠りどころに、拙速に長年国家が延々と継続し、その国民により受け入れられている制度を大上段から糾弾しようとするのか理解に苦しむ。

 確かにヨーロッパの王室などでは、女性が王位に就くことを認めている。だが、それは国民の間で長い伝統の中で自然に根付いた制度である。わが国の皇室典範も男子が皇位を継承するというのは、庶民の家長制度など日本的な風習などがその根っこにあり、決して女性蔑視から生まれたものではない。

 今回は、日本政府が直ちに手続き上問題があるとして公式に反論したため、皇室典範の見直しは最終見解から削除された。それでも当初は、委員会の見解案は2月に行われた日本に対する審査会では皇室典範が議題にならなかったことから、日本政府が審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題があると抗議して委員会は最終的に皇室典範に関する記述を削除したという。委員会は必ずしも納得したうえで皇室典範が女性差別であるとの見解を撤回したわけではない。

 しかし、日本を取り巻く環境は、例え長年定着した文化面であれ、伝統面であれ、このようにだんだん風当りは厳しくなっている。現実にいま国連では、この他にも子どもの人身売買、児童売春、ポルノなどの他にJK(女子高校生)ビジネスについても不正確で不十分な報告を基に、国連人権理事会に勧告書が提出されている。これらの日本に対する曲解や誤解などに、今後どのように対処していくべきだろうか。

2016年3月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3221.2016年3月8日(火) 国際的な見方と考え方は千差万別

 「選択」3月号には中国関連レポートが大分載っている。主に中国に対して批判的な記事が多い。記事への批判とは別に、その中のひとつを読んで意外なことを知った。今年2月のアメリカ上院本会議で首を傾げるような法案が全会一致で可決された。それは、首都ワシントンにある在米中国大使館の一角をノーベル平和賞受賞者で、獄中にいる反体制作家・劉暁波氏にちなんで「劉暁波プラザ」と改称することを定めた法案である。これを提案したのは、いま大統領選に立候補している共和党のクルーズ氏だそうである。

 私が意外に思い驚いだのは、いくらアメリカ国内の土地の一隅とは言え、件の「プラザ」がこの外国大使館内だとすれば、明らかに治外法権が認められている用地内である。はっきり言っていかにアメリカの公権力であろうとも簡単に手出しは出来ない筈である。対中国外交において大きな波風を立てたくないアメリカ政府筋としては、恐らく大統領特権である拒否権の発動により、法案を承認しないであろうが、好奇心を掻き立てる法案である。どうなるのか、興味を持って見守りたい。

 さて、昨日国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)は、日本政府に対して女性差別撤廃条約の実施状況を審査するための勧告、及び見解を公表した。

 その要旨は3点ばかりある。ひとつは、昨年最高裁が合憲とした「夫婦同姓」について「女性に夫の姓を強制している」と訴えた。第2点目は、国会議員や企業の管理職など指導的な地位を占める女性の割合を2020年までに30%以上にすることを要求した。第3点目は、慰安婦問題の責任を巡る指導者の発言や日韓両政府が昨年12月に結んだ合意は、被害者中心のアプローチが十分とられていないので、被害者の意向を考慮するよう求めた。その他にも付随した勧告条項がある。

 これらについては、日本政府がまだコメントを出していないので、論評のしようがない。ただ、わが国は昨年女性活躍推進法が成立して、女性の地位向上へ向けた動きを活性化させようとしている時だけに、これらの指摘をどう受け止め、日本の立場をどう国際社会へ説明し納得させていくのだろうか。

 ただ、これらは概ね理解出来るが、これらの指摘の中で必ずしも素直に納得出来ないのは、第1の「夫婦同姓」についてCEDAWが、結婚後妻が夫の姓を強制的に押し付けられているとの指摘は、現時点ではやや的外れだと思う。他の国にも見られるように結婚後、夫妻ともに旧姓をそのまま名乗る伝統の国は数多い。これに対して日本の場合は、法律により夫か、妻のどちらかの姓を強制的如何に拘わらず名乗っている。また、古来から男が家長だった伝統もある。日本の社会では、現在まで一部の例を除き、この旧習を踏襲してきた。必ずしも男尊女卑から生まれた制度ではない。

 果たして文化が全く異なる外国人の目から見た「男が女に姓を強要した」との短絡的な見方は、現代の時流に即した自由で公平なものであるかとの見地から見て些か疑問を感じざるを得ない。

2016年3月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3220.2016年3月7日(月) ‘芸術は爆発だ!’岡本太郎氏を想う。

 昨日に続き、テレビ番組感想記である。昨晩放映のBS朝日の2時間番組「滝川クリステルが巡る美術ミステリー紀行!ピカソ&岡本太郎描く巨大壁画に隠された謎」を、懐かしく思いながらじっくり楽しんだ。

 実は、ピカソと岡本太郎の間には、以前から何となく接点があるのではないかと思っていた。ある1枚のピカソの絵に衝撃を受けた若かりし太郎が、その後ピカソの面影を追うようにパリで真剣に研鑽に励み後年になって南フランスで憧れのピカソと対面し啓示を受けることが出来た。パリ大学留学中に激しい軍国主義の動きが風雲急を告げ、戦争間近くの慌ただしい空気の中で、太郎は辛うじて最後の船で帰国することが出来た。だが、間もなく太平洋戦争が勃発して太郎は徴兵され、中国戦線へ派遣され、そのために絵の修行にとって大切な5年間を無駄に過ごすことになり、そのことを太郎はいつまでも悔やんでいだ。

 ドキュメントでは、大阪万博の「太陽の塔」やベトナム反戦広告について解説、或いは談話で紹介されたが、なるほどと頷けるものがあった。偶々岡本太郎氏と義父は、同じ同級生の藤山一郎氏らとともに慶応義塾幼稚舎以来竹馬の友として終生親しくお付き合いしていた。ある時保護者会で太郎の母上、岡本かの子女史からチリ紙で鼻を噛んでもらったと義父が話してくれたこともあった。あの「太陽の塔」で使用されたアルミ製品はすべて、義父が会長を務めていた日本軽金属㈱製のアルミだった。それも2人の友情の証であろう。

 また、太郎はベトナム反戦運動にも理解を示して「ニューヨーク・タイムス」紙にべ平連が全面反戦広告を掲出した際、日本語で「殺すな!」と揮毫を書いてくれた。それは、昨年ベトナム戦争終結40周年に当たり都内芝公園で集会を行った時、べ平連の中心人物のひとりだった小中陽太郎さんが持参してくれた。反戦運動の仲間たちが一緒に写真に納まり、それが翌日の「ジャパン・タイムス」紙に掲載されることになって、義父を通して岡本太郎氏と少なからぬ因縁があった私も、小中さんや岡本氏の揮毫とともに英字紙上に活動と存在を世に発信することになった。

 とても凡人には真似の出来ない言動をした逸材・岡本太郎氏であるが、常日頃よりそのエネルギッシュな行動力と、権力に屈服しない強い信念に尊敬の念を抱いていた。義父がつないでくれた小さな縁だったが、たった1度だけ電話でお話ししたことが、今では宝物をいただいたような思い出となっている。

 全編を通して2時間はやや長いドキュメントであったが、フランス語の達者なガイド役のクリステルさんが、ピカソに所縁のある場所を丁寧に案内し、上手に説明してくれ、お陰で岡本太郎氏と同時に亡き義父を偲ぶことが出来た。中々興味深いドキュメントだった。

2016年3月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com