昨日に続き、テレビ番組感想記である。昨晩放映のBS朝日の2時間番組「滝川クリステルが巡る美術ミステリー紀行!ピカソ&岡本太郎描く巨大壁画に隠された謎」を、懐かしく思いながらじっくり楽しんだ。
実は、ピカソと岡本太郎の間には、以前から何となく接点があるのではないかと思っていた。ある1枚のピカソの絵に衝撃を受けた若かりし太郎が、その後ピカソの面影を追うようにパリで真剣に研鑽に励み後年になって南フランスで憧れのピカソと対面し啓示を受けることが出来た。パリ大学留学中に激しい軍国主義の動きが風雲急を告げ、戦争間近くの慌ただしい空気の中で、太郎は辛うじて最後の船で帰国することが出来た。だが、間もなく太平洋戦争が勃発して太郎は徴兵され、中国戦線へ派遣され、そのために絵の修行にとって大切な5年間を無駄に過ごすことになり、そのことを太郎はいつまでも悔やんでいだ。
ドキュメントでは、大阪万博の「太陽の塔」やベトナム反戦広告について解説、或いは談話で紹介されたが、なるほどと頷けるものがあった。偶々岡本太郎氏と義父は、同じ同級生の藤山一郎氏らとともに慶応義塾幼稚舎以来竹馬の友として終生親しくお付き合いしていた。ある時保護者会で太郎の母上、岡本かの子女史からチリ紙で鼻を噛んでもらったと義父が話してくれたこともあった。あの「太陽の塔」で使用されたアルミ製品はすべて、義父が会長を務めていた日本軽金属㈱製のアルミだった。それも2人の友情の証であろう。
また、太郎はベトナム反戦運動にも理解を示して「ニューヨーク・タイムス」紙にべ平連が全面反戦広告を掲出した際、日本語で「殺すな!」と揮毫を書いてくれた。それは、昨年ベトナム戦争終結40周年に当たり都内芝公園で集会を行った時、べ平連の中心人物のひとりだった小中陽太郎さんが持参してくれた。反戦運動の仲間たちが一緒に写真に納まり、それが翌日の「ジャパン・タイムス」紙に掲載されることになって、義父を通して岡本太郎氏と少なからぬ因縁があった私も、小中さんや岡本氏の揮毫とともに英字紙上に活動と存在を世に発信することになった。
とても凡人には真似の出来ない言動をした逸材・岡本太郎氏であるが、常日頃よりそのエネルギッシュな行動力と、権力に屈服しない強い信念に尊敬の念を抱いていた。義父がつないでくれた小さな縁だったが、たった1度だけ電話でお話ししたことが、今では宝物をいただいたような思い出となっている。
全編を通して2時間はやや長いドキュメントであったが、フランス語の達者なガイド役のクリステルさんが、ピカソに所縁のある場所を丁寧に案内し、上手に説明してくれ、お陰で岡本太郎氏と同時に亡き義父を偲ぶことが出来た。中々興味深いドキュメントだった。