気象予報通り朝から雪が降り出していて、先日8、9日の45年ぶりの大雪の時と同じようにしんしんと降り続いている。いま開催中のソチ冬季オリンピックより風情のある雪景色ではないかと思えるくらいである。因みにソチは17℃だという。椰子の木の下でマイクを握っているワイシャツ姿の特派員もいるくらいで、冬季大会らしからぬ光景が映し出されている。
ともかく西日本から関東にかけて大雪警戒警報が出された。昨日亡くなった息子の義父のお通夜を明日、告別式は明後日行われると連絡があったが、場所が雪深い奈良県吉野で現地でも大分雪に見舞われているようだし、東京も一面銀世界なので、外出も相当気を配らなければいけない。結局息子とも連絡を取り、葬儀には出席できそうもないので、改めてお別れの挨拶に来月3日に吉野へ行くことにした。
訃報序と言っては語弊があるが、先週の朝日の「惜別」欄に、「しいのみ学園」創設者・曻地三郎先生の訃報とその人となりをかなりのスペースを割いて紹介していた。曻地先生とは直接お会いしたことはないが、2009年にNPO「知的生産の技術研究会」が「知の現場」(東洋経済新報社発行)を出版した際、編集委員が手分けして21人の知識人に取材した。私も編集委員のひとりだった。21人のうち私が取材し文章を書いたのは4人だったが、曻地先生に取材することはなかった。DVDを観て取材者から曻地先生について話を聞き、随分興味を持った。取材記録を読んで、プロジェクトの「原稿添削指導者」として文章の校正、推敲を担当した。終始充実した取材をして楽しく、また有意義な体験をすることができた。幸い同書は新聞書評でも紹介され、それなりの高い評価を得ることができた。いま改めて同書を見てみると、懐かしい記憶が甦ってくる。私が取材した作家の野村正樹さんは親しかったが、2年前に亡くなられた。ロマンスカーの中で取材したことが懐かしい。
その折のいろいろなDVD取材記録が残されているが、曻地先生はその時すでに齢100歳を超えておられた。養護学校「しいのみ学園」創設者にして、学園長として映画にもなり話題になった。最近まで矍鑠として生きておられ、その後も海外旅行を楽しんでおられる姿を時折新聞などで拝見した。
しかし、迂闊にも曻地先生が亡くなられたとは寡聞にして知らなかった。昨年11月に心不全で亡くなられたそうだが、何と107歳だった。107歳のご高齢で亡くなられたために、脳性小児まひだった2人の息子さんを含めて3人の息子たちと妻には先立たれたが、先生は勉強家で亡くなるまで外国語を学んでおられた。
こういう方はもうあまり出てこられないのではないか。遅くなってしまったが、曻地先生のご冥福を心よりお祈り致したい。