2608.2014年7月4日(金) 京都、世界の観光都市で人気一番

 このほどアメリカの富裕層向け旅行雑誌「トラベル+レジャー」誌の今年度世界人気都市ランキングのトップに、日本の都市として初めて京都がランクアップされた。京都は一昨年9位、昨年5位に入り、ついに首位に躍り出た。日本の都市が好評を博すのは、観光施設のようなハード部門だけではなく、治安、清潔、おもてなしなどのソフト面の優れた点が外国人から認められたからだと思う。因みに、京都以下の人気順位は②チャールストン(米)、③フィレンツェ(伊)、④シェムリアップ(カンボジア)、⑤ローマ(伊)、⑥イスタンブール(トルコ)、⑦セビリア(スペイン)、⑧バルセロナ(スペイン)、⑨メキシコ・シティ(メキシコ)、⑩ニュー・オーリンズ(アメリカ)である。残念ながらチャールストンは訪れたことはないのでよく分からないが、他の8都市は何度も訪れたことがある。それぞれ歴史のある魅力的な都市ばかりだ。

 昨年トップだったバンコックがベスト10にも入らなかったのは、長らくデモ騒ぎがあって治安面で不安が大きかったからではないかと思う。昔からよく「観光は平和産業」と言われているが、まさにその通りでバンコックがランク外に落ちたことといい、あれだけ多くの世界遺産を抱える中国の都市がひとつとしてランクインしなかったのは、大気汚染や他国の海洋権益までも主張する好戦的な外交姿勢と国民性が大きくマイナスに作用しているからだと思う。

 京都を訪れる観光客の数は昨年5162万人で、外国人観光客は113万人だったという。私が京都市内に住んでいた頃はまだ中学生だったので、観光について関心はなかったが、今から思えばその世界遺産である観光都市で生活することができたのは、幸せでもあり良い思い出ともなった。

 さて、昨日座談会の折拙著の主人公、ススム・アイザワ大酋長のプロ野球始球式の際の写真を江ノ電沿線新聞に何とか掲載したいと司会者から強い要望があった。3年前に読んだ小林泉著「南の島の日本人」の中に1枚掲載されていたことを思い出し、使用許可を得るべく発行元の産経新聞出版社に問い合わせてみた。担当者はその写真は著者から提供されたものなので著者の了解を得られればよいでしょうと著者の携帯番号まで調べて教えてくれた。そして著者である大阪学院大学教授の小林泉氏へ連絡したところ当方の申し出を快く受け入れていただいたので、早速江ノ電沿線新聞社にその旨伝えた。

 まったく予想もしないことだったが、半日足らずで当てもない写真探しも、かくて一件落着となった。

 さて、最近の東京都議会で発せられた女性蔑視のヤジのほとぼりが冷めぬ間に、今度は国会の場で同じようなヤジがあった。ところが都議会以前に起きたヤジだった。国会では問題にならなかったが東京都議会で問題になって、ついに膿が滲み出てきたのか。

 今度は日本維新の会の上西小百合衆議院議員の質問に対する自民党大西英男議員のヤジである。この愚かな議員も東京都出身だという。あまりにも次元が低いので、もううんざりであるが、今夕の朝日新聞のコラム欄「素粒子」に「国会にも女性蔑視のヤジ議員。学級会以下の都議会に、都議会以下の国会。号泣県議も現れ、有権者は涙も出ず」とある。

 国も首都東京も低レベルの議員さんたち、さぁどうする?

2014年7月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2607.2014年7月3日(木) 拙著販促のための座談会

 来月中旬上梓予定の拙著「南の島の日系人大酋長の波瀾万丈」の販促に協力してもらうために藤沢市の江ノ電沿線新聞社が座談会を催してくれ、9月1日発行号にその内容を掲載してくれることになった。高校ラグビー部の滝澤さんのご紹介によるものだが、大変有り難い。今日参加したのは、佐々木信也さんと大酋長のご親戚の相澤光春氏、そして私の3人で同社取締役吉田克彦氏が司会を務めた。

 和気あいあいの雰囲気の中で大酋長ススム・アイザワの人生、人柄、仕事などについて思い思いに話合った。帰宅してみると現代書館から二校ゲラが7日ごろにでき上がるという連絡が入っていた。まだまだ大分修正する必要がある。遅々としてはいるが、少しでも前へ進めれば夢が現実となる。皆さんからの期待も大きいので、手に取った時良い書物だと思ってもらえるような書に仕上げられれば嬉しい。

 今日佐々木さんから伺った野球の話の中で、2つばかり印象に残っている話がある。そのひとつは、スタンドの応援の音が野球の興味を削ぐことだそうだ。我々にはぴんと来なかったが、専門家の間ではこれまでも言われていたことで、改めてプロの感じるところはやはり違うものだと思った。そのノイズが打球に反応する野手の感覚を鈍らせ、野球そのものの興味を失わせるということだった。もうひとつは、キャッチャーから二塁へ投げるスピードとコントロールが良かったのは、大洋ホエールズの土井淳捕手でそれまでこれほど素晴らしいキャッチャーはいなかったと言っておられた。なるほどと思う反面、そこまでは気が付かなかった。

 いずれにせよ考えていることをしゃべっただけだが、楽しい座談会だった。願いは拙著の販売が順調に行くことである。

2014年7月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2606.2014年7月2日(水) アルゼンチンのデフォルト危機

 アルゼンチンがデフォルトの危機に直面している。アルゼンチン政府は先月30日に同国国債の保有者への利払い期限を迎えた。だが、アルゼンチンは利払いできないわけではなかったが実行しなかった。そこには伏線があった。債権者であるアメリカの投資ファンドとの間で裁判沙汰になり好ましくない判決を得たことが大きい。元本削減を求められたアメリカの投資ファンドは満額支払を求めてアメリカで法廷闘争の末、アルゼンチン政府に対して他の投資ファンドより優先的に全額を支払ってもらえる判決を得た。

 そもそもの発端はアルゼンチン政府が提案している債務リストラ案を件の投資ファンドが拒絶したからである。みすみす資産の減少を意味する提案を、アルゼンチン政府から「はげたか」とまで揶揄されたアメリカの投資ファンドが受け入れようとしなかったからである。

 その回避のための猶予期間は1カ月である。この国は13年前にもデフォルトに陥った。国家としてはいささか甘い金融政策であり経済運営である。不名誉なできごとだし、国際社会の信用を大きく損なっている。

 それにしても南米諸国は経済不安、インフレ、デフォルトの可能性などから国際社会の信用が薄い。現在アルゼンチンは国際金融市場から排除されている。お隣のブラジルにしても、ワールドカップや、来るべき2016年リオ・オリンピック開催で一見経済成長、経済発展を窺がわせるが、必ずしも実態はそうでもなく、不安定なことはワールドカップ直前の競技場施設工事の遅れなどでも露見した。

 昨日アルゼンチン政府が朝日新聞全一面に本件に関する「公式声明文」を掲載した。「アルゼンチンは支払う」というものである。国債の利払いを約束したのである。アメリカの司法に対する恨みつらみをぶちまけて国家として責任を以って利払いを行うことを約束したものだ。こんな国家の恥をさらすような広告を見たのは初めてだ。とにかく世界中を騒がせた事件である。

 翻って日本だって多額の借金を背負っていて他人事ではないが、幸い日本国債保有者が「はげたか」海外投資ファンドなどでなく、日本人の預貯金が借金を上回ることがその危機を逃れさせている。それでも基本的に一旦事態が急変すれば、アルゼンチンの二の舞に陥る恐れがないわけではない。対岸の火山視せず、国会議員は国の借金を削減するよう務めるべきである。

2014年7月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2605.2014年7月1日(火) 安倍政権、集団的自衛権の行使容認を閣議決定

 国内外とも猶予ならざる事態が進行しつつある。国内では、言わずと知れた集団的自衛権行使の容認である。今日自民、公明両党は憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を容認するとの閣議決定案について正式に合意した。昨日までぐずぐず言っていた友党の公明党も自民党の方針を容認することになった。自民党に自分たちの平和の理念や断固たる信念を伝えられず、極右自民党に追随する道を選んだ。しかし、体裁だけ繕い対外向け党内議論を重ねても所詮本音は見えている。党内及び地方組織内に反対の声がありながら、公明党執行部は連立を壊すのが恐ろしく、いとも簡単に「平和の党」の看板を下ろすことになった。自民、公明ともども今後は「戦争の党」と公称すべきだろう。

 すでに全国で200を超える自治体が現時点での容認は拙速だと反対し、岐阜県議会では自民党県連が集団的自衛権を認めないとして本部に反対している有様である。アンケート調査でも国民の半数以上が拙速と批判し、議論を重ねることを望んだ。だが、今の自民党政権は総選挙で国民から全面的な信任を得たとして、戦後の憲法論を曲げてまでも憲法の解釈を変更するという強引な手法を取ることになった。

 自民党の驕りは、大きな勘違いにまで突き進んだ。総選挙では自民党を勝たせた。だが、それはすべての決定権を自民党に委ねたということではない。この辺りを大きく誤解している。

 本日発足60周年を迎えた自衛隊にしても、戦争に関わり死の危険が限りなく強まるが、果たして防衛省はそれで良いのか。戦争への道が大きく開け、平和憲法と崇められた現憲法は戦争に対して歯止めが利かなくなっている。

 安倍首相は今夕の記者会見ですべては国民を守るためとか、戦争の可能性は集団的自衛権行使によって限りなく小さくなったとか、国民を戦争に巻き込むことは抑止力の効果により反って少なくなったと言った。このノーテンキ男は何を言ってんだと言ってやりたい。これだから勉強もせず苦労も知らないお坊ちゃんは困る。間違いなく日本が戦争へ突き進む可能性は高まった。

 さて、国外ではシリアとイラクの国境を跨いで、イスラム過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が「イスラム国」の樹立を宣言した。先日来イラク国内がイスラム・シーア派とスンニ派、そしてクルド人が入り乱れて騒乱状態になっているところに、シリアから件のISISが入り込みイラク国内がテロの温床となることが懸念されている。これからイラクはどうなるのか心配である。

2014年7月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2604.2014年6月30日(月) 中国故宮博物院の秘宝

 10日ぐらい前からパソコンのプリンターの具合が良くない。6年近く使用しているものだ。文字が二重に印刷されるので、印刷物は資料としてはとても使えない。取扱説明書を読み何度もトライしてみたが、思うように修正できない。近くのヤマダ電機へ修理に持って行ったが、修理に10日間もかかると聞き、直接メーカーへ問い合わせてみた。メーカーはプリンターを持ち込んでくれれば当日内に修理を終えると聞いたので、考えあぐねた末にそうすることに決めた。そこで今日都下日野市のエプソン東京修理センターまでカーナビを使いながら辿り着き修理を依頼した。今日中には修理を完了してすぐ宅急便で送るので、明日には手元に届けられるということだった。やはり積極的に動かないとこちらの望むようにはなかなか行かないものだ。取り敢えず問題が解決してほっとした。

 そのまま車を運転してフォルクスワーゲン店へ行き1年間の定期検査を依頼した。これも今日中に整備検査を終えて夕方届けてくれた。このVW車も購入してからすでに8年が経った。プリンターにせよ、車にせよ、機械物は便利ではあるが、手間と経費がかかる。

 さて、昨日と一昨日の2日間NHKの特別番組で中国の秘宝「故宮」展示物を取り上げていた。その中で「象牙多層玉」と称する清時代の国宝について詳しく伝えていた。実は、1968年初めて台北の故宮博物館を見学した際、この「象牙多層玉」の見事さに舌を巻いた。彫刻されたいくつかの玉がひとつの玉の中に隠され、その手の込んだ技術に感心したものだ。その時ガイドはこうも言っていた。何十年もかけて父子3代に亘って創り上げた絶品の芸術品であると。とても信じられない高い技術に中国の工芸品のなせる技に驚いたことを思い出す。それが、昨日ヨーロッパと中国の芸術面の相互影響に関する解説で、これは清時代にヨーロッパからの影響によってでき上がったものであるということだった。しかも模造できる例を見せてくれて、台北のガイドの話に度肝を抜かれたが、この実例によってある程度納得することができた。

 それにしてもいつ見てもこの多層玉たるや見事なものである。

2014年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2603.2014年6月29日(日) 些細でも嬉しいニュース

 上野浅草フィルハーモニー管弦楽団の年間2度行われる定期演奏会の観賞に浅草公会堂へ出かけた。ゼミの仲間の一人、赤松さんが長い間チェロを演奏している。このオーケストラは、いつも難しい曲ばかり演奏して中々理解しにくいが、残念ながら今日も知らない曲ばかりだった。ワーグナーの歌劇「リエンツィ」序曲、ストラビンスキーの組曲「火の鳥」、そして最後はブラームスの交響曲第4番ホ短調作品98である。私のようなクラシック素人には、ちょっと難しい。演奏会を楽しむというよりむしろゼミの仲間たちとわいわい話合って、雷門にある永井荷風お気に入りのレストラン「アリゾナ」で美食をいただくのが至福の時である。中には健康状態がやや気になる人もいるが、このままいつまでも健康で楽しいサークルであって欲しいと願っている。もちろん次回11月のコンサートも観賞するつもりだ。

 今日は海外旅行中ということから、常連の夫婦3組が参加しなかったが、その内の一人、利光國夫さんが、現在発売中の「文藝春秋」7月号の「同級生交歓」に成城学園小学校時代の同級生6人と並んで映っているという。帰りに同誌を買ってみたところ確かに利光さんの英姿があり、同級生のコメントも書かれていた。これも少なからずゼミの誇りであり、嬉しいことである。

 さて、昨日告別式に出席して帰宅したところ妻の携帯へ長男の嫁からメールで彼らの小六と小四の2人の娘について嬉しい知らせがあった。2人とも大阪、京都、奈良の3府県合同の小学生百人一首コンクールで2位に入賞したという。小六の娘が小学生の部で、小四が初心者の部でそれぞれ2位とはわが孫ながら、あっぱれだと早速長男にお祝いの言葉を送った。2人とも絵も上手なので、ともにさらに多面的に力を伸ばして欲しいものだと思っている。それにしてもこの次はどんな成長ぶりを見せてくれるか楽しみである。

2014年6月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2602.2014年6月28日(土) 100年前の今日のでき事

 第1次世界大戦が始まって今年は100年目になる。20世紀は戦争の時代とよく言われるが、その先鞭をつけ、1500万人という最大の犠牲者を生んだのが第1次大戦である。我々が世界史で習う通り一遍の史実では、断片的な事実しか知ることができず、その背景にある、複雑で止むにやまれぬ原因までは、よほど自主的に知ろうとしないと分からないままに終わってしまう。各国が入り乱れて戦争に介入したのは、自国の権益を獲得するための利権争いであり、日本にしても口実は日英同盟締結によって対ドイツ同盟に加わったとされているが、実際には日本の狙いは、ドイツが持っていた中国や南洋群島にあった植民地権益だった。

 そして、100年前の今日、1914年6月28日サラエボで歴史上あまりにも有名なオーストリア皇太子夫妻がセルビアの青年によって暗殺され、あの第1次世界大戦勃発の口実となった。1カ月後の7月28日オーストリアが宣戦布告したことにより正式に第2次大戦が始まった。

 この他に当時はあまり公に知らされなかったが、サラエボ地域は多民族、多宗教で争いが絶えなかった。セルビアの青年の犯行とされている大戦勃発の原因であるが、そこには民族や宗教がからんで強大化しつつあったバルカン半島のセルビアを牽制し、力を削ぐことを企んだ連合国側に決定的な開戦の事情が隠されている。その点については、先日セルビアから来日した山崎洋さんもしきりに深遠なる背景を語っていた。所詮戦史には多面性があるので、この点をどれだけ自分自身で調べて解明し真実に迫るかということが大切であると思っている。

2014年6月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2601.2014年6月27日(金) 松本サリン事件から早や20年

 早いもので松本サリン事件が発生してから今日でちょうど20年になる。朝のテレビ・ニュースがこの事件の風化について伝えていた時、NPOで付き合いのある知人の阿部和義さんのことをふっと思い出した。月刊「コロンブス」昨年3月号に連載コラム「観光立国を支えている人」で、取材を受け、好意的な記事を書いてくれたのも阿部さんである。また、日比谷高校時代ラグビー部に所属し花園全国大会にも出場したほどラグビーに通じていたので、割合気兼ねなく何でも話すことができる。

 しばらくすると、朝日新聞を読んでいた妻が驚いたように、「この方、阿部さんではないかしら?」とその記事と写真を示した。社会面のトップで仏壇に線香を上げている大きな写真の主は、間違いなく阿部さんである。以前にもNHKで報道されたことがあるが、気の毒にも阿部さんは当時信州大学の学生だった一人息子をこの事件で喪った。阿部さんにとっては悔やんでも悔やみきれない事件だった。当時朝日記者だった阿部さんは、悲劇にもめげず仕事に立ち向かっていたが、奥さんと2人の娘さんは大きなショックを受けた。その後新聞でも報道された娘さんは大学医学部に進学したと聞いたが、記事によると2人の娘さんの一人は精神科医師、もう一人は麻酔科医師と書かれていた。昨夏にはご長女の下に初めてのお孫さんに恵まれたという。ご家族にとっては嬉しい初孫誕生のニュースだろう

 阿部さんも数年前舌癌を患って手術を受けた。一時はしゃべるのに不自由さを感じていたようだが、最近では大分回復したようだ。

 もうこれほどの不幸に会うこともないだろうから、今のまま朝日経済部記者だった阿部さんらしさを発揮して引き続き取材活動に当たって欲しいと願っている。

 さて、過日妻の兄の義母が亡くなり、今夕JR新横浜駅近くの葬儀場で通夜が営まれ妻ともども出席した。享年91歳の故人は近年養護施設で生活し、必ずしも健康状態は芳しくなかったようだ。遺影は微笑んで福々しい良い笑顔だった。心おきなく逝かれたことだろう。

2014年6月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2600.2014年6月26日(木) 言葉を自分流に解釈する政治家たち

 いま日本の政治の在り方、重要な国事の決め方がおかしくなっている。メディアでも再三指摘しているように、民主主義の原則に則って議論を重ね、国民の理解を得てどちらとも決められないとなったら最後に多数決で決めるというのが民主主義のルールである。然るに現在の安倍政権は、言葉を曲解し、立法の精神を斟酌せず、内閣閣僚だけの判断で重要事項を決めようと乱暴にも非民主的な路線を走り出した。それを地方議会も真似するようになったことは、民主主義にとって大きな危険信号である。

 例えば東京都議会で昨日ヤジ問題を追及しないことを決めた。海外からも批判がありながら、これをいつまでも対処しないままでいることは、与党自民党と公明党にとってマイナスと捉えて敢えて無視しウヤムヤにすることに決めたのである。すべては自分たちの都合次第なのである。こういう議員には都政を担ってもらいたくない。

 一方、本丸の国会では、文言や「政治家のご都合用語」を自分たちの都合次第によって変えることで自分たちの考えを押し通そうとしている。

 彼ら政治家が「発明」「生産」した言葉ではメディアも理解に苦しんでいる。今朝の朝日「天声人語」では、集団的自衛権行使を巡る与党協議で示された原案について「これほどわけのわからない文章はない」とまで極言している。それが自民党と公明党の利口な議員には、きちんと分かるというのだ。

 こうして安倍政権は、僭越にも「平和の党」を自称する公明党とともに、一歩一歩日本を戦争に駆り立てているのである。

 安倍首相は口を開けば、自衛力とか、他国から攻撃を受けた時とか、被害妄想的な発想で専守防衛を踏み越えた自衛隊の行動力の強化をアピールしているが、軍事力の強化、徴兵制が現実となった時、自衛隊の兵力の拡大とか徴兵制度がどういうマイナス作用を及ぼすことになるのか、分かっているのだろうか。危険が伴う海外の戦地へ派兵されることを承知のうえで、自ら自衛隊に入る若者が増えるとはとても考えられないし、徴兵制度から逃れようとする人々は確実に増える。

 つい最近も北朝鮮国境近くの最前線で発砲事件を起こし数人の兵士を殺した、除隊前の韓国人兵士の行動を考えると徴兵制度の怖さというものが分かってくる。集団的自衛権の行使や、憲法解釈の変更により、戦争の危険が増す中で確実に徴兵制度のおぞましさが浮上してくる。その時徴兵から逃れられるのは、婦女子、未成年者、高齢者、病人ぐらいだが、その時政治家は恐らく高齢者という範疇で悠々兵役から逃れることができるだろう。それ故に政治家は自分の身が戦争に巻き込まれることに鈍感となり、軍国日本の復活に神経が行き届かなくなるのではないか。

 戦争現場の実態とその場の臨場感が分からない政治家たちはこれだから困る。

2014年6月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2599.2014年6月25日(水) ワールドカップで日本丸轟沈!!

 日本時間の今日明け方に行われたワールドカップの予選リーグ最終戦で日本は、コロンビアと戦い1-4で敗れた。大会参加前の意気込みはどこへやら、これで1引き分け2敗となり敢えなく予選敗退である。やはり世界は強い。特に中南米各国の抜きんでた強さには脱帽である。それに引き換えアジア勢の不甲斐なさは、出場4カ国合せて未だに1勝もできない体たらくである。

 試合では日本チームは精一杯戦い、シュート数ではコロンビアを圧倒していた。前半は1-1で惜しい場面もあったが、終わってみれば3試合で勝ち点1、得点2、失点6というストレスの溜まる結果だった。前回の南アフリカ大会では決勝トーナメントへ進出しただけに、今大会はより大きな期待がかけられていた。確かに日本チームは年々力をつけ、今大会は密かに決勝トーナメント進出が期待されていたが、相手国も日本を上回るスピードで実力を向上させていた。

 尤も今大会は優勝候補でもあった、前回優勝チームのスペインを始め、サッカー王国のイングランドやイタリアも決勝トーナメントへ進出できず、予選リーグで強国が姿を消す番狂わせが数多くあった。それだけ世界のレベルが向上して力の甲乙つけがたく、各国がお互いにしのぎを削る戦いの場となったということだろう。

 早速「ワールドカップ余話」と題して来月の「JAPAN NOW観光情報協会」紙用にエッセイを書き貯めておいた。

 さて、東京オリンピックの翌年に製作された市川崑監督による記録映画「東京オリンピック」をビデオで観た。作られた当時はなんやかんやと喧しい批判があった点でも注目を集めた記録映画である。この映画が上映されたとき、時の建設大臣が「訳がわからん、作り直せ」と命じて、別に「公式」記録映画が作られたと言ういわく付きの作品でもあるが、結果的に空前の観客数を記録した。そんなこともあり、前から観てみたいと思っていたところ、先日テレビで放映したので録画しておいた。

 半世紀も経つと画面も昔日の感を覚えるほどだが、懐かしい光景がいくつも観られて2時間半の間かぶりつきだった。最後のマラソンを甲州街道傍で直接見たことが印象に残っている。残業中だったが、会社から甲州街道まで走って行き、優勝したアベべ・ビキラ選手や銅メダルの円谷幸吉選手が目の前を走り過ぎるのを見た。

 その3年3か月後の1968年1月8日、エチオピア・アジスアベバ市内のハイレ・セラシェ皇帝病院内を歩いていて偶然にもアベべ選手の親戚の医学生、ウォルデ・マルタム・ケベデさんに会い、アベベ選手や円谷選手について話し合ったことが懐かしい。その時ケベデさんがアベべに会えるよう電話をしてくれたが、生憎その時アベべは海外へ出かけていて会えなかったことが返す返すも残念だった。

 そして時も時、その数時間後円谷選手は自衛隊宿舎内で突然自らの命を絶った。メキシコ・オリンピックを間近に控えて円谷選手への過重な期待が重圧となり、憐憫の情を催す遺書を残して27歳の若さで彼岸へ旅立った。旅行中でその悲報を知らないまま、1週間後に帰国してその衝撃の事実を知り、ショックを受けたことが思い出される。

 走り幅跳びに出場した東急の山田宏臣さんも懐かしい人である。まだ若くして亡くなった山田さんとは仕事のうえでも交流があったが、ソウルで開催された旅行業界の国際コンベンションPATA総会に参加し、同じホテルに泊まって長々と話合ったことも思い出深い。

 賛否いろいろあろうが、1964年の東京オリンピックを知り当時の感慨に耽るには、これほど的確な記録映画はないと思う。

2014年6月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com