第1次世界大戦が始まって今年は100年目になる。20世紀は戦争の時代とよく言われるが、その先鞭をつけ、1500万人という最大の犠牲者を生んだのが第1次大戦である。我々が世界史で習う通り一遍の史実では、断片的な事実しか知ることができず、その背景にある、複雑で止むにやまれぬ原因までは、よほど自主的に知ろうとしないと分からないままに終わってしまう。各国が入り乱れて戦争に介入したのは、自国の権益を獲得するための利権争いであり、日本にしても口実は日英同盟締結によって対ドイツ同盟に加わったとされているが、実際には日本の狙いは、ドイツが持っていた中国や南洋群島にあった植民地権益だった。
そして、100年前の今日、1914年6月28日サラエボで歴史上あまりにも有名なオーストリア皇太子夫妻がセルビアの青年によって暗殺され、あの第1次世界大戦勃発の口実となった。1カ月後の7月28日オーストリアが宣戦布告したことにより正式に第2次大戦が始まった。
この他に当時はあまり公に知らされなかったが、サラエボ地域は多民族、多宗教で争いが絶えなかった。セルビアの青年の犯行とされている大戦勃発の原因であるが、そこには民族や宗教がからんで強大化しつつあったバルカン半島のセルビアを牽制し、力を削ぐことを企んだ連合国側に決定的な開戦の事情が隠されている。その点については、先日セルビアから来日した山崎洋さんもしきりに深遠なる背景を語っていた。所詮戦史には多面性があるので、この点をどれだけ自分自身で調べて解明し真実に迫るかということが大切であると思っている。