いま日本の政治の在り方、重要な国事の決め方がおかしくなっている。メディアでも再三指摘しているように、民主主義の原則に則って議論を重ね、国民の理解を得てどちらとも決められないとなったら最後に多数決で決めるというのが民主主義のルールである。然るに現在の安倍政権は、言葉を曲解し、立法の精神を斟酌せず、内閣閣僚だけの判断で重要事項を決めようと乱暴にも非民主的な路線を走り出した。それを地方議会も真似するようになったことは、民主主義にとって大きな危険信号である。
例えば東京都議会で昨日ヤジ問題を追及しないことを決めた。海外からも批判がありながら、これをいつまでも対処しないままでいることは、与党自民党と公明党にとってマイナスと捉えて敢えて無視しウヤムヤにすることに決めたのである。すべては自分たちの都合次第なのである。こういう議員には都政を担ってもらいたくない。
一方、本丸の国会では、文言や「政治家のご都合用語」を自分たちの都合次第によって変えることで自分たちの考えを押し通そうとしている。
彼ら政治家が「発明」「生産」した言葉ではメディアも理解に苦しんでいる。今朝の朝日「天声人語」では、集団的自衛権行使を巡る与党協議で示された原案について「これほどわけのわからない文章はない」とまで極言している。それが自民党と公明党の利口な議員には、きちんと分かるというのだ。
こうして安倍政権は、僭越にも「平和の党」を自称する公明党とともに、一歩一歩日本を戦争に駆り立てているのである。
安倍首相は口を開けば、自衛力とか、他国から攻撃を受けた時とか、被害妄想的な発想で専守防衛を踏み越えた自衛隊の行動力の強化をアピールしているが、軍事力の強化、徴兵制が現実となった時、自衛隊の兵力の拡大とか徴兵制度がどういうマイナス作用を及ぼすことになるのか、分かっているのだろうか。危険が伴う海外の戦地へ派兵されることを承知のうえで、自ら自衛隊に入る若者が増えるとはとても考えられないし、徴兵制度から逃れようとする人々は確実に増える。
つい最近も北朝鮮国境近くの最前線で発砲事件を起こし数人の兵士を殺した、除隊前の韓国人兵士の行動を考えると徴兵制度の怖さというものが分かってくる。集団的自衛権の行使や、憲法解釈の変更により、戦争の危険が増す中で確実に徴兵制度のおぞましさが浮上してくる。その時徴兵から逃れられるのは、婦女子、未成年者、高齢者、病人ぐらいだが、その時政治家は恐らく高齢者という範疇で悠々兵役から逃れることができるだろう。それ故に政治家は自分の身が戦争に巻き込まれることに鈍感となり、軍国日本の復活に神経が行き届かなくなるのではないか。
戦争現場の実態とその場の臨場感が分からない政治家たちはこれだから困る。