昨日は右手首から腕へかけて添木を付けて包帯で固めたので、入浴しなかったが、2日間も風呂を浴びないのも気持ちが悪いので整形外科へその後の様子を診てもらいに出かけて尋ねたところ、さらっとシャワーを浴びるとか、腕の包帯箇所にレジ袋を被せてはどうかとアドバイスをいただいた。レジ袋を被せてどうにか風呂へ入ることができた。
今日午後もお歳暮品を買いにデパートへ出かけたが、右腕の添木もどきのせいでハンドルが握れないので、運転は妻に任せっぱなしだ。随分窮屈になったものだ。一日も早く解放されたいものである。
さて、いま取り掛かっている旧トラック島大酋長のノン・フィクションも大詰めで、推敲している最中である。あまり情報のない国のせいで中々欲しい情報が得られない。そんな情報不足の中で出会ったのが中島敦の作品である。作家「中島敦」の名はこれまで寡聞にして知らなかったが、これだけの名文家の作品を知らず、読まずにいたことは恥ずかしいし、惜しいことだった。できることなら遺骨収集に携わり、彼が勤務していたパラオを初めて訪れた頃に読んでおくべきだった。
「南洋通信」(中公文庫)はミクロネシアの島々を中島が巡った観察記録と、戦前彼が日本に残した妻らに宛てて書き送った手紙を紹介している。いま執筆中のノン・フィクションには随分参考になる。ついこの1ヶ月間に2度通読した。ミクロネシアの一般の女性や子どもの性格、当時の日本の統治の在り方などがよく描かれている。中島敦生誕100年記念として2009年に河出書房新社から出版された、もう一冊の「中島敦」も好い。この中に採用されている名作「山月記」が評判通り特に素晴らしい。日野啓三や福永武彦、川村湊らもべた褒めである。
彼を知るのが、あまりにも遅すぎた。でも何とかノン・フィクションの執筆では参考にさせてもらった。中島は明治42年生まれだから私の父より1年若い。昭和16年6月に文部省職員としてパラオへ赴任し、太平洋戦争開戦まもなく昭和17年3月帰国し、同年12月喘息をこじらせて亡くなった。健康に恵まれず、あっという間に駆け抜けた短い生涯だった。享年33歳だった。惜しみてもあまりある天才作家の夭折だった。
中島の短編作品は少々難しいが、読み応えがある。もう少し落ち着いたらじっくり読んでみたい。
ミクロネシアに関心を持ったおかげで、とにかく素晴らしい作家を知ることができて幸いだったと思っている。