今日はイスラム教の安息日である。市内はいつもより車が少ないように見える。いよいよツアー帰国の当日となった。尤も私はツアーから離れて個人行動に移るので、ツアー同行者とは感慨は違う。ホテルをチェックアウトの際電話代を支払い、絵葉書の切手を購入しようとしたら、ホテルでは郵便切手は取り扱わないという。売店で買えというわけだが、その売店が店開きをしていない。24時間サービスを建前としているホテルとしては、少々顧客サービスの面で問題があるのではないかと思う。結局ガイドの朋子さんに切手代を添えて投函をお願いすることにした。
ホテルから国境へ向かう。国境検問所へ向かう途中で、‘SEA LEVEL’地点で停車する。ヨルダンと同様にどうも山中に0mというのがあまり日本人にはぴんとこない。そのほかに砂漠の中に遊牧民族ベドウィン族のテントをところどころ見ることができる。アラビアの遊牧民は、その昔朝日新聞に連載された本多勝一氏のルポが懐かしい。
さて、検問所では相変わらずイスラエル出国手続きとヨルダン入国手続きでごった返して随分時間がかかる。こればかりは国の仕事であるから、外の人間がとやかく言うのは憚られるが、それにしても「無駄」に近い時間の浪費である。それにイスラエルの出国税が一人46$とはべらぼうな金額ではないだろうか。こんな高い出国税は聞いたことがない。流石ユダヤ商人と言っては言い過ぎだろうか。
ここでガイドの朋子さんとはお別れである。僅か2日間だったが、分かりやすいガイドをしてもらって大変助かった。特に感心したのは、ご自分のアイディアで作成されたであろう、年表と図解だった。20年もイスラエルに生活し、ヘブライ語を学ばれたので言葉には不自由ないのだろうが、イスラエルという国と3つの宗教について、日本人にわかってもらおうとする気持ちが感じられた。暑い国での生活は大変だと思うが、一層の活躍を祈念して止まない。
ヨルダン側では一昨日別れたガイドのRa’edさんとドライバーが出迎えてくれた。一昨日と同じようにすべての手続きが完了するまでに2時間近い時間を要した。
アンマン市内に入り昼食を取ってから、ツアーは空港へ向かったが、その途中で今晩の宿でRa’edさんに手配してもらった「トレド・ホテル」で降ろしてもらい、ツアーの皆さんとはお別れだ。中にはちょっと変わり者のおっさんもいたが、他の同行者のほとんどは良い人たちだった。古今東西「旅は道ずれ、世は情け」と言われるように、一緒に旅していてそれなりに楽しい人たちだった。
トレド・ホテルは決して高級なホテルではないが、窓下を見下ろすとオレンジ色のテント張りの大きな市場が見える。外観は悪くないが、ウォッシュタオルの備えがなく、バス回りがあまり衛生的ではなく、バスタブにストッパーがなくスペアを持って来させたり、部屋の電灯も暗い。たった1泊だから良いが、あまり長く滞在する気にはなれないホテルだ。
外へ散策に出る。興味本位に市場の売り子から質問を受けるが、みんな笑顔がいい。どこの国もトップは申し合わせたように気難しい顔をしているが、このヨルダンの普通の人たちはみな素朴で明るい人々である。
夕食の折ビールを頼んだところノン・アルコール・ビールだった。うっかりしたが、アルコールはイスラム圏ではご法度なのだ。失敗!失敗!
明日はRa’edさんが手配してくれたガイドのムハマッドさんの車で、午後のアンマン出発までの時間を有効に過ごす。行ってみたいところは、何と言っても前回身柄拘束された現場である。そして、今はなくなってしまった、前回宿泊のホテル・アルカサール周辺と古代ローマ劇場にもう一度ぜひ行ってみたいと思っている。
外からイスラム教特有のお祈りの言葉、アザーンが流れてくる。ヨルダン最後の夜の帳が下りてきた。
残念だが、痔の具合はあまり良くない。