今年もついに大晦日を迎えることになった。どういうわけだが、高校入学直前に従姉妹夫婦に観せてもらった樋口一葉原作の映画「大つごもり」を思い出す。
さて、今日まで3連泊した二男家族は、午前中に新潟へ帰っていった。
午後になって年末の様子を探るべく近所の駒沢公園へウォーキングに出かけたところ、公園内の静まり返った雰囲気の予想が見事に覆され、どっと人があふれ出てきた。ちょうど陸上競技場の周辺を歩いていた時、何かの団体スポーツが終わって観客が出てきたのだ。テレビ放送車の係員に尋ねてみると、ちょうど全国高校サッカー大会の青森山田高対滋賀県立野洲高戦が終わったところとのことだった。入場料金を見ると大人1500円だった。余計なことだが、いくら全国大会とは言え、高校生の試合にしては少々高いのではないかと思う。高校生のカラスのようなクロっぽいジャージー姿がやたら目についた。
ところで、今年を振り返ってみて、自分にとって果たして満足できる1年だっただろうか。健康管理はもう少し注意を払う必要があったと反省している。だが、自分の成すべきことはある程度やれたのではないかと思っている。
幸いにも3月に昨年創立90周年記念事業として母校に新設された「湘南高校歴史館」内に、ノーベル賞受賞者・根岸英一博士、石原慎太郎「日本維新の会」代表、世界的指揮者・大野和士氏ら著名な卒業生とともに「湘南大樹」の一葉として名前と活動歴を展示してもらったことは大変名誉なことだと考えている。そのタイトルには、若い頃ヨルダンで軍隊に捕まったと紹介されている。それに刺激されて後記のように再びヨルダン訪れることになった。
著述では、欲を言えば、一冊単行本を出したかった。だが、これは昨年書いたエッセイ「トラック島の日系人大酋長の大和魂と謎」の内容を膨らませる形で現在ドキュメント風に書き直しているので、来年の課題と考えている。
私のエッセイやドキュメントの原点である旅とついては、6月に45年ぶりにヨルダンを訪れることができた。身柄を拘束された悪夢の現場を自分自身で検証し、長年の宿願を果たしたことで一応善しとしたい。ヨルダンの現状を見て、45年前のイスラエルとのささくれ立っていた敵対関係はかなり氷解したように受け止めた。パレスチナ問題を始めイスラエルに対するアラブ人の現在の感情もは理解することができたような気がする。来年はドキュメント執筆の絡みもあり、やはり旧トラック島を訪れないわけには行かないと思っている。もし、時間が取れれば、モロッコとチュニジアの世界遺産も訪れてみたい。
世界遺産見学も今年は160ヶ所へ積み重ねるつもりだったが、それ以上の166ヶ所を訪れることができた。いくつ訪れるというターゲットがあるわけではないが、ひとつひとつ訪問数を着実に増やしたい。それが、今最も依頼の多い世界遺産関係の講演にも役立つことにつながると考えている。できれば、来年はトータル170ヶ所に足跡を残したいと思っている。
また、昨年5月に亡くなられた大学ゼミの恩師・飯田鼎先生を偲ぶ追悼文集「飯田鼎先生追悼文集」を10月に発行することができたことも大きな喜びである。1年近い時間をかけたが、編集長として、ある程度納得のゆく文集を発行することができて、先生の奥様にもゼミ会員にも喜んでいただけたことは晴れがましい気持ちである。文集には親友で16年前に亡くなった中柴章くんに生前贈ってもらった短歌集から、そのいくつかを選択して掲載できたことは個人的にも大きな喜びである。彼の短歌に同期生全員の写真を添えて彼を思い出してもらえるよう工夫してみた。そのでき上がった文集を奥様と二人の娘さんにも贈呈して喜んでいただけたことは密かな喜びである。
ベオグラードの山崎洋さんとも彼の2度の一時帰国中に何度か会って、コンサートに付き合ったり、セルビアの抒情詩人・ニェゴシュの翻訳書の岩波文庫版の橋渡しをすることができた。実現するかどうかは、五分五分の可能性だが、来年岩波文庫として出版の朗報を伝えられれば嬉しい限りである。
考えれば、来年いくらでもやるべきことはある。健康に留意しながら、来年どころかもうしばらくはアクティブに活動したいと考えている。
ニュースではアメリカの経済危機を予感させる「財政の崖」の期限が待ったなしとの報道が成されている。日本にも影響が及びかねない。来年の経済凶事を予感させないことを願っている。
まもなくNHK紅白歌合戦も終わり、除夜の鐘が鳴る。明日はいよいよ新年を迎える。良い年であることを祈っている。