今朝の朝日新聞に先般日本国籍を取得された日本文学者で、コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんへのインタビュー記事が掲載されている。キーンさんは文学者というばかりでなく、社会運動のサポーターで、多くの運動家とも交流がある。
東日本大震災を機に日本への帰化を決断されただけに、90歳の高齢にも拘わらず、精力的に被災地を訪れたり、講演活動に東奔西走するほどの忙しさだという。そのキーンさんが日本文学の中に「日記文学」というジャンルがあることが極めて特徴的だと話されたことに感銘を受けた。
「日本では『土佐日記』から始まり、『和泉式部日記』などの宮廷の女性たちの日記、そしてあらゆる戦争の間も人々は日記を書いていました。ほかの国では、日記はあくまでも資料という扱いですが、日本では『日記文学』というジャンルがあります。これは日本文学だけだと思います」
そして、キーンさんは日本人の日記の中に日本人らしさが表れていると考えておられる。例えば、高見順の日記を参考にしながら、「母を疎開させようと訪れた上野駅は罹災民でいっぱいだったそうです。しかし、人々はおとなしく我慢強く謙虚でした。前年に高見順が見た中国人たちの騒がしい光景とは大きく違った。彼は『私はこうした人々と共に生き、共に死にたい』と書きます。私も同じです。今こそ、日本人とともに生きたいという気持ちです」とキーンさんは語っている。
仏文学者で小中陽太郎さんの東大時代の恩師でもあった、渡辺一夫氏についても話している。「忘れられないのは、フランス文学者の渡辺一夫です。彼はこう書いていました。『もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし、決してアメリカ人を殺さぬ。進んで捕虜になろう』。こういう発言をした人はほかにはいません」。
また、こんなことも言っている。「日本の軍人は平気で命を捨てると聞いて、日本人は何を考えているのかわかりませんでした。米軍の日本語通訳となって、日本の軍人の日記を読みましたら、彼らは日記の中で家族のことを考えたり、戦争が終わったらこんなことがしたいと書いたりしていた。日記を読むことで私は日本人を知った、という感じがしたのを覚えています」。なるほどと思うと同時に、キーンさん独特の日本人観はこうして養われたのかと思うと心が温まるような気がした。
偶々来月26日の「ペンの日」のゲスト・スピーカーは、キーンさんだ。どんな話をされるのか今から楽しみである。