1988.2012年10月22日(月) ドナルド・キーンさんの日本人観

 今朝の朝日新聞に先般日本国籍を取得された日本文学者で、コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんへのインタビュー記事が掲載されている。キーンさんは文学者というばかりでなく、社会運動のサポーターで、多くの運動家とも交流がある。

 東日本大震災を機に日本への帰化を決断されただけに、90歳の高齢にも拘わらず、精力的に被災地を訪れたり、講演活動に東奔西走するほどの忙しさだという。そのキーンさんが日本文学の中に「日記文学」というジャンルがあることが極めて特徴的だと話されたことに感銘を受けた。

 「日本では『土佐日記』から始まり、『和泉式部日記』などの宮廷の女性たちの日記、そしてあらゆる戦争の間も人々は日記を書いていました。ほかの国では、日記はあくまでも資料という扱いですが、日本では『日記文学』というジャンルがあります。これは日本文学だけだと思います」

 そして、キーンさんは日本人の日記の中に日本人らしさが表れていると考えておられる。例えば、高見順の日記を参考にしながら、「母を疎開させようと訪れた上野駅は罹災民でいっぱいだったそうです。しかし、人々はおとなしく我慢強く謙虚でした。前年に高見順が見た中国人たちの騒がしい光景とは大きく違った。彼は『私はこうした人々と共に生き、共に死にたい』と書きます。私も同じです。今こそ、日本人とともに生きたいという気持ちです」とキーンさんは語っている。

 仏文学者で小中陽太郎さんの東大時代の恩師でもあった、渡辺一夫氏についても話している。「忘れられないのは、フランス文学者の渡辺一夫です。彼はこう書いていました。『もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし、決してアメリカ人を殺さぬ。進んで捕虜になろう』。こういう発言をした人はほかにはいません」。

 また、こんなことも言っている。「日本の軍人は平気で命を捨てると聞いて、日本人は何を考えているのかわかりませんでした。米軍の日本語通訳となって、日本の軍人の日記を読みましたら、彼らは日記の中で家族のことを考えたり、戦争が終わったらこんなことがしたいと書いたりしていた。日記を読むことで私は日本人を知った、という感じがしたのを覚えています」。なるほどと思うと同時に、キーンさん独特の日本人観はこうして養われたのかと思うと心が温まるような気がした。

 偶々来月26日の「ペンの日」のゲスト・スピーカーは、キーンさんだ。どんな話をされるのか今から楽しみである。

2012年10月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1987.2012年10月21日(日) 丹羽宇一郎・駐中国大使の努力を無にしてはいないか。

 先日来ホームページの内容変更送信に不都合が生じて少々困っている。今のところブログの送信変更には問題ないが、すでに危険信号が表れている。もし、このブログの変更内容が送信できなくなると、毎日まったく同じ画面になってつまらないHPになってしまって読んでもらえなくなると気になっていた。文章だけのブログなら送信量は比較的軽くて済むが、実際に写真入の重い情報をHPへ送信すると画像アップが機能しなくなるので頭痛の種だった。そこでいつもお世話になっているITコンサルタントに昨日相談してみた。現在HPは自分のPCからリンククラブを経由して送信してもらっているが、そのリンククラブ所定の個人用容量がどうも限界に達しているらしい。そこで現在の容量を増やすか、それがダメならリンククラブのような別の組織で、もう少し容量に余裕のあるのを見つけて所属を変更するしかない。コンサルタントと相談しながら当方の意向をリンククラブへメール送信したので、明日以降に連絡があると思う。

 現状では新しい情報をアップしようにも、送信できないので、リンククラブの回答を待って対処するしか効率的にHPを機能させる術はないと考えている。

 さて、まもなく任務を解かれる駐中国大使・丹羽宇一郎氏が一時帰国中に、昨日母校の名古屋大学で講演し、尖閣諸島国有化を巡る中国側の反発について、過去の日中対立の局面とはまったく次元が違うと、強い危機感を述べた。同時に、丹羽大使は野田首相にどう事態を解決しようとしているのかと訊ねたが、現場の感覚(つまり中国側の空気のことではないか)は理解を得るのが難しいと応えられ、どういう考えなのか理解できないまま、野田政権の対応に苛立ちを隠しきれないでいる。

 丹羽氏は難しい中国外交の切り札として民主党政権発足とともに、中国を良く知る民間人としてその経歴(伊藤忠商事元会長)を買われ、日中外交の最前線で中国との友好関係促進に努めてきた。しかし、日本政府の尖閣諸島国有化は日中間に問題を投じると発言したことが、中国寄りと見られ政府の方針に相容れないとして、更迭的な処分を受け9月に帰国の予定だった。ところが後任大使西宮氏が急逝され、後任が決まるまで任地に留まるという中途半端な立場にあった。中国に残留し反日の圧力を現地でもろに受け、公用車が襲われる事態にも遭遇している気の毒な人である。

 民主党政権の丹羽氏ら中国駐在外交官に対する配慮があまりにも足りないのではないか。これでは丹羽大使の努力も水泡に帰してしまう。実は、外務省内では当初民間から大使を迎えることには否定的な声が強かった。そんな四面楚歌の中で丹羽大使は精一杯に日中友好のために努力を重ねてきた。しかし、それは突如澎湃として湧き上がった反日運動と、民主党の外交政策の犠牲によって功を奏することはなくなった。今後このような大役を引き受ける民間人が現れ出てくる可能性が消えてしまったような気がする。

 それより何より、これだけ行き詰まった日中間の対立を、今後どう解決へ導いていくのか。政府からは誰一人として建設的な提言を行う政治家がいない。まったく先が見えない。こんなことで日本の政治と外交は大丈夫だろうか。

2012年10月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1986.2012年10月20日(土) 橋下大阪市長に白旗を掲げた「週刊朝日」

 昨日取り上げた橋下徹・大阪市長と「週刊朝日」の対立は真っ向勝負となったが、昨日深夜になって朝日側がお詫びのコメントを発表し、次号にお詫び公告の掲載と以降の連載を打ち切ることで収束の見通しとなった。橋下市長も「ノーサイドにしてやる」と終戦宣言をした。

 実は昨晩インターネットで情報を探っていたところ、石原慎太郎・東京都知事や猪瀬直樹・副知事らが「週刊朝日」の記事について、出自や肉親の過去まで暴き出して批難するのは卑劣だと朝日側を批判していた。特に、猪瀬氏は主筆者である佐野真一氏の忌むべき過去の盗用履歴まで明かして佐野氏の行為を批難した。ともに作家である猪瀬氏と佐野氏は同年齢であるが、元々仲が悪かったらしい。猪瀬氏の言うとおり、実際に佐野氏は「月刊現代」85年11月号に池田大作に関するドキュメントを書き、そこには溝口敦氏の著作から十数か所盗用箇所があり、翌月号にお詫びと訂正を載せたことがある。この時から猪瀬氏は佐野氏の品性に疑問を持ち、付き合いを止めたと述べている。他の佐野氏の作品にも盗用が見られるという。

 佐野氏は「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』に任せている。記事の中で同和地区を特定したことなど、配慮に欠ける部分があったことについては遺憾の意を表します」とのコメントを発表した。ここまで責められては逃げようもない。佐野氏も観念したのだろう。大朝日が白旗を揚げるのは珍しい。それだけにこの記事の内容について朝日としてもよほど不味いと考えたのだろう。佐野氏は記事の中で、「もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」とまで語っている。ならば、周囲の出自だとか、環境など非民主的な手法で攻めるより、もう少し本筋を突いた橋下個人の言動を炙り出して橋下氏の実像を描き出すべきではなかったか。

 それにしても「日本維新の会」代表である橋下氏は、近づく解散・総選挙を念頭に、本業である市長職を放り出して早くも全国遊説へ飛び出していった。これから益々東奔西走の忙しさとなるであろう。とすれば、先日本欄で危惧したように、このままでは大阪市長としての責任ある職責を全うすることができるかどうか疑問である。他人事ながら些か気にかかる。

 良きにつけ悪しきにつけ、どこまでも人騒がせなお人である。

2012年10月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1985.2012年10月19日(金) 橋下徹・大阪市長vs.「週刊朝日」の対決

 「日本維新の会」を国政政党として立ち上げ、政界はおろか日本中の各方面に旋風を巻き起こしている橋下徹・大阪市長にまつわる特集を、「週刊朝日」10月26日号が緊急連載を始めた。表紙も橋下市長の顔を大きく扱い、そしてその表題がすごい。「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」や、「橋下徹のDNAをあぶり出す」とか、「ハシシタ 奴の本性」とか、あまり好意的ではなく、とにかく凄まじい。やれ、橋下市長の父親は全身刺青のヤクザで、自殺をしたとか、やれ、従兄弟は殺人を犯したとか、知られたくも明かされたくないプライバシーの暴露には驚いた。一昨日駒沢大学の清田講師がここまでやるかと驚いて言われたほど一貫して橋下市長攻撃が徹底している。私も一読して、ここまでプライバシーを一般に暴かれたら橋下市長も黙ってはいられまいと感じた。各方面で脚光を浴び、その言動があらゆる面で注目されている橋下市長は権力の座に就いたが、ここまで大朝日に厳しく攻撃されるとは思ってもいなかったのではないか。見方によっては、それほど橋下氏はある面でメディアを敵に回してしまっていたとも言えるのではないだろうか。

 これに対して橋下市長は、直ちに反撃を開始した。言論の自由は尊重されるべきであるが、ここまでプライバシーを暴かれては我慢ならないとばかりに、今後朝日新聞と朝日放送の取材を拒否すると伝えた。だが、これは些かやり過ぎで公私を混同していると思う。アピールするなら私的な面だけに留めておくべきだろう。

 これに対して、「週刊朝日」編集長が今朝の朝日で橋下市長に謝罪をした。朝日記事によれば、同誌は同和地区問題で差別の是認や助長をする意思はなく、その点で表現が不適切だったと謝罪し、次号で「お詫び」を掲載するという。しかし、この謝罪文では、市長個人や縁戚に関するお詫びがなく、むしろ二次的な同和問題のお詫びだけになっている。案の定橋下市長はこの謝罪コメントに納得せず、「人格を否定する根拠として先祖、縁戚、DNAを挙げて過去を暴き出した」と批判している。特に、家族の出自や被差別部落の地名まで触れた点を強く非難している。今後どういう結末になるのか判らないが、次号の掲載内容を読んでみたい。ただ、この特集の中心執筆者は、ノンフィクション作家の佐野真一氏で、氏の面子もあり、そう簡単には白旗を掲げないだろう。佐野氏のコメントも楽しみに待ちたいと思っている。

 願わくば、言論の自由とプライバシーの保護を一緒くたにしないでもらいたい。

2012年10月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1984.2012年10月18日(木) 衆参両議院とも一票の格差は違憲状態

 品川ロータリークラブから初めて講演依頼を受け、会場の「グランドプリンスホテル高輪」へ出かけた。ここはかつて「高輪プリンスホテル」と呼ばれていて、戦後竹田宮家跡地に建てられ、広い庭園もあって雰囲気も高級で中々格式が高い。ホテル全体の建物は再建され、内庭もきれいに手入れされ豪華になったが、古い西洋館風の建物だけが、以前と同じ場所にそのまま残されている。何とそこが、44年前妻とお見合いをした場所だ。感慨深い場所のひとつだ。今日の講演会場演台からも真下に見えたので、話の中でもつい脱線してお見合いの話をしてしまった。恥ずかしながら猿でもできる反省のひとつである。

 実は、卓話と呼んでいる30分の講演をスタートさせようとしたところ、冒頭USBメモリーのパワーポント画像が中々PC画面上に現れず、些か慌てた。こんなこともあろうと、早めに会場へ来てテストをした時にはいつも通り何ら問題はなかったが、本番での失敗は取り返しがつかない。実際卓話はわずか30分なので、どうやって要点を圧縮してまとめたら良いか考えていただけに、最初に無駄にした10分近い時間がもったいない。結局卓話は時間切れになり、会員の方々にも惜しまれながら打ち切ることになってしまった。しかし、それが災い転じて福と成すの結果となり次回続編をお願いしたいとのお声をいただくことになった。

 しかし、なぜパワーポイント画面が直ぐに現れなかったのか、どうも原因がはっきりしないだけに悔いが残る。次回チャンスをいただけたら今度こそ名誉挽回を図りたい。皆さんには楽しんでいただいたようなので、慙愧に耐えないというほどのことはないが、それでも心残りはある。

 さて、昨日映画監督の若松孝二氏が交通事故で亡くなられた。ピンク映画で名を成したが、その後社会問題を風刺した問題作品をいくつも作り、その中で「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は2008年のベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞した。2009年3月に埼玉県所沢で行われた、その連合赤軍作品鑑賞会で、高校ラグビー部の先輩である元全学連書記長だった清水丈夫さんについて若松監督と話をしたことがある。実力派の監督だったので、これからも社会の歪みをえぐるような力作を期待していたが、残念ながらそれも夢となった。

 ところで、今朝の新聞で最も大きく取り上げられたのは、最高裁が参議院の一票の格差は違憲状態にあると判断を下したことである。これは一票の格差が最大の5倍となった一昨年の参院選をめぐり、弁護士らが「選挙区ごとの投票価値が不平等なのは違憲だ」として、各地の選挙管理委員会を相手に選挙無効、つまりやり直しを求めた訴訟に対する判決である。最高裁は違憲を認めながらも、選挙無効の請求は退けた。

 最高裁は、昨年3月にも最大格差が2.30倍となった、2009年衆院選でも違憲状態と判断しており、これで衆参両院ともに違憲状態という異常事態となった。

 今直ちに成すべきことは、国会で継続審議となっている参議院の「4増4減」案や、かねてより問題を投じていた衆議院の「一人別枠方式の廃止」法案の成立を図ることであり、その後に最高裁も強く求めているように、一日も早く抜本的な選挙区の見直しを行うべきであろう。

 しかし、これこそが問題である。自分たちに降りかかってくる問題に対して、いつも腰が引ける国会議員が最高裁判所から違憲状態だと判断されても直ぐ腰を上げるかどうか、あまり当てにできない。とにかく自分の都合でしか動かない国会議員を今やまったく信頼することができない寂しい状況にある。

 さぁ、どうする? 国会議員たちよ!

2012年10月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1983.2012年10月17日(水) 生活保護費の上昇と不正受給

 いま生活保護費の急激な上昇が問題になっている。その一因に不正受給がある。数ヶ月前にあるタレントの母親が息子に生活能力が充分あるにも関わらず、長年に亘って生活保護費を受給していたと指摘され話題になった。そのタレントは世間のブーイングを浴び、母親が受け取っていた生活保護費を返還した。これは生活受給の資格がない者が生活保護費の意味を都合の良いように解釈して、もらえるものならもらっておこうとのさもしい心根が批難されているのだ。同時にこれまであまり話題にもならなかった最低限の生活を維持していくための手当てが、あまり芳しくない原因から注目されるようになったわけでもある。前述した生活保護費の不正受給である。受給資格があるのかどうか公平な調査のうえ、法律に基づき、本当に生活できない弱い人々の生活を保証するなら、立法の精神が生かされる。その一方で、タレントの母親のような不届き者が現れると、折角善意で弱者を救済しようとの制度も悪用されるケースが増える。この1年間に違法に支出された生活保護費用は、全国で129億円に上ると言われている。

 今日偶々駒沢大学の清田義昭講師が、北海道放送(HBC)がラジオ放送した「凍えた部屋」、即ち今年1月札幌市内のアパートで姉妹が死亡しているのが発見された原因と、その防止対策を追及した番組を録音で聞かせてもらった。これは健康を害した42歳の姉と、知的障害者で40歳の妹が主人公である。健康保険の適用も受けられず、収入がなく身体が弱った姉が亡くなり、それから暫くして世話していた姉の死により自力で何もできない妹が亡くなった。妹の死因は餓死である。この事実をHBCはなぜ生活保護費支払いの救いの手が差し伸べられなかったのかと問題を提起したものである。

 不正受給を見抜くのは難しい。よほど慎重にして長い間身近にアプローチして監視しなければ、見抜けない。

 今夜NHK「ニュース・ウォッチ9」でも生活保護費不正受給について報道していた。生活保護費を正当に受けられるケースと、不正受給の問題がこれからまだまだ増えそうである。

2012年10月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1982.2012年10月16日(火) ビルマとの交流が歩み出した。

 民主化路線へ歩き出したビルマが今脚光を浴びている。アメリカを中心とする先進諸国による経済制裁を解除され、アジアで残された経済市場として、また自然資源供給国としてこれまで控えていた欧米先進国や、日本、韓国などが進出を考えている。軍事政権国家ビルマが経済制裁の合間に中国がビルマに広く進出し、その存在感は群を抜いている。かつては細々ではあるが、わが国も地道な分野で活動し、多くのビルマ国民に受け入れられていた。

 しかし、中国の自己本位の開発計画などで中国は政権内部ではともかく、必ずしもビルマ国民の心を掴んでいない。ビルマ国民は、早く日本がビルマの再建計画や国の発展に貢献してくれることを望んでいることは、かつて何度もビルマを訪れ、ビルマの人々と親しく付き合っていて彼らの心情をある程度理解している私には推察できることである。

 そのビルマへ昨日から12年ぶりで日本から直行定期便が就航した。漸く‘ANA Business Je’というビジネス客を対象にした特殊なフライトが飛び始めたところだ。ヤンゴン(ラングーン)空港は中国資本により新規建設され、かつて汚れて匂いの染み付いた時代物の懐かしい空港ビルに取って代わった。まだまだビジネスや観光のインフラは遅れて、ホテルなどは不足状態のようだ。私が訪れていたころは、外国人用のホテルは市内に僅か3軒しかなかった。それでも何とか需要に応えていた。現在日本航空も就航を考えているようだが、すでに韓国、台湾、シンガポールからも直行便が近々就航する予定で、そうなると市内のホテルが益々足りなくなることは明らかである。ビルマにとっては観光振興を図りたい反面、観光客に来てもらっては対応に苦慮するという笑えない一面もある。

 しかし、航空路の開設と拡大によって少しずつでも交流が深まれば、いずれビルマと諸外国との経済交流が強まり、ビルマの経済発展に寄与することにつながっていくのではないかと期待している。

2012年10月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1981.2012年10月15日(月) 拉致被害者帰国から10年経過

 10年前の今日、北朝鮮に拉致されていた日本人拉致被害者5人が帰ってきた。残る被害者の帰還も直ぐにもと期待されたが、残念ながらその期待は未だに実現していない。しかも、現状はその可能性は遠のくばかりである。拉致被害者家族会が結成され、世論の支援を受けて国は国務大臣国家公安委員長に拉致問題対策相を兼任させ、問題解決へ取り組む姿勢をアピールした。だが、入れ替わり立ち代り大臣が交代する中では、当該の大臣も本腰を入れて拉致問題だけに取り組む時間もなく、意欲も感じられず、事態は一向に進展しないまま、無為に10年が過ぎてしまった。

 日朝間の外交関係は冷え込んだままで、いくら北朝鮮の指導者が交代したとは言え、現状では解決の道は見えない。恐らく日本が北朝鮮に相当な経済的援助を行って、北にとってもそれが大きなメリットがあると判った時か、或いは可能性は薄いが北の支配体制がドラスチックに変わり、現体制が崩壊した時しか、望めないのではないかと悲観的にならざるを得ない。

 さて、相変わらず動きの見られない国会だが、漸く与野党の幹事長会談を行い、見通しだけは何とか立ったというところだ。しかし、まだ臨時国会の日程が決まったわけではない。そんな折に、日本維新の会の代表である、橋下徹大阪市長と幹事長である、松井一郎大阪府知事らが政府与党を始め、各党を挨拶周りをした。橋下新党としては、国政進出へ向かって具体的なスタートを切ったというところである。それでも首を傾げたくなるのは、大阪市長と大阪府知事という要職にある二人が、国政活動に動くことが大阪府と大阪市にとって、また府民と市民にとってマイナスにならないだろうか。そんなに大自治体の業務を、簡単に責任を持って執行することができるのだろうか。

 かつて橋下市長は、自分の時間を削り、時間を生み出せば二役も可能だと見方を披瀝したが、そんなに簡単に二役をこなせるとは思えないし、仮にできたとしても全力投球とはいかないのではないか。

 日本維新の会が国政へ進出すること自体は、既成政党の既成概念を打破するためにも大きなエネルギーとなり、政界に新しい風を吹き込むことになると思うが、「二兎を追うもの一兎も得ず」になりかねないのではないかと少々気になる。

2012年10月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1980.2012年10月14日(日) 亡き恩師へ追悼文集完成の報告

 先日完成した「飯田鼎先生追悼文集」30部を持参して一条彰編集委員ともども奥様をお訪ねし、お世話になった先生の霊前へ追悼文集完成のご報告をした。

 先生のご自宅は東武野田線鎌ヶ谷駅から歩いて10分程度のところにあるが、近年の市街地整備、特に駅周辺の開発、住宅建設、鉄道の高架化などにより、昔に比べて随分雰囲気も変わり市街地は都市化されたように見える。かつては農村のイメージが強く田畑ばかりで家屋もあまりなく、先生のお宅もだだっ広い雑木林の中に埋もれるようにあった。現在の開けた駅周辺の環境を考えると昔日の感がある。

 そう言えば、東京方面からJR船橋駅へ向かう総武線沿線も大きな変貌を遂げている。都心から比較的近いこともあり、沿線人口が増えて交通の便も良くなり、ベッドタウンとして急速に発展したようだ。

 昭和26~27年、私が中学生だった一時期通学していた頃は、下総中山駅周辺の田んぼでは上品な白鷺の集団が飛来して餌を啄ばんでいたのを車窓からしばしば見たものだが、今では田んぼはひとつも見られなかった。これも首都圏周辺の都市化現象の典型なのかと一面で寂しい思いがした。

 奥様にはこの追悼文集を大変喜んでいただき、ご苦労さまでしたとねぎらいのお言葉をいただいた。先生ご夫妻には結婚55周年を迎えられた昨年5月、突然のように先生が亡くなられて、奥様はやはり寂しいと言っておられた。先生の愛妻家ぶりはつとに有名だった。特に処女出版書「イギリス労働運動の生成」の「はしがき」を、「原稿の浄書や整理に進んで協力してくれた妻静子の労を多とするものである」と結んだ表現は、我々学生の間でも長い間話題になっていたほどである。それだけに奥様のお気持ちは察するにあまりある。

 その奥様が私の卒業論文のテーマ「河上肇論」を良くご存知で、私がゼミ入門面接で先生からその頃どんな本を読んでいるかと問われ、河上肇の「自叙伝」「貧乏物語」を読んでいるとお話ししてそれがゼミで河上肇について学ぶきっかけになったことを、奥様が先生からお聞きになったと伺い、嬉しい気持ちになった。帰りの道すがら一条さんと、いつかまたここを訪れる機会があるだろうかとしみじみ語り合った。27日に三田キャンパス内で開催される飯田会が最後の例会かと思うと何とも言えず寂しい限りであるが、先生が亡くなられた今、残念だがそれも時の流れとして受け入れざるを得ない。それにしても大学で飯田鼎先生という素晴らしい恩師に巡りあえたのは、幸運であり、わが人生最大の幸せのひとつだと思っている。

 さて、昨日作家・丸谷才一氏が亡くなられた。享年87歳であるから、早過ぎるということではないが、それにしても名文筆家の死は少々ショックである。今日の日経朝刊の評伝に「もし丸谷才一氏がいなかったら、1970年代以降の日本文学は、もっと殺風景で平板なものになっていたに違いない」と書かれていたくらいである。私自身僭越ではあるが、石川淳、丸谷才一、大岡信を現代の3大名文家と見ていただけに、実に惜しく残念である。ご冥福をお祈りしたい。

2012年10月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1979.2012年10月13日(土) どうにも気になって仕方がない。

 昨日取り上げた今年のノーベル文学賞受賞者・莫言氏に対する中国内の真偽取り混ぜたニュースが聞こえてくるが、やはりと思わないわけにはいかない。

 莫言氏は体制派作家と批判されたことに対して、「共産党が指導する中国で作品を書いているが、政党に作品の自由を奪われることはない」と反論し、併せて獄中の民主化活動家・劉暁波氏について一刻も早く自由を回復することを望むとも話した。だが、この後段のコメントについて中国メディアは報道しておらず、ネット上に流れる記者会見の動画もこの部分が削除されているという。なんだかんだと言っても、結局のところ中国政府にとって都合の悪い言動は国民の目に入らないよう強制的に消されてしまうのだ。残念ながら、これが「民主国家」中国の現実である。

 一方、昨日から俄かに大きな話題を提供しているのが、ノーベル医学・生理賞を授与された山中伸弥教授のiPS細胞が世界で初めて臨床に応用されたと報じられた読売新聞の記事である。昨日の夕刊からテレビニュースでも上へ下への大騒ぎである。研究を行い、手術を施したとされたアメリカのハーバード大やマサチューセッツ病院がその事実を否定して、疑義が一層広まった。東京医科歯科大卒の森口尚史氏という研究者が、他人の論文を盗作したと見られている。フットライトを浴びて迷惑そうな山中教授も「まだ早いんじゃないか。この段階で、十分な動物実験なしでいきなり人間というのは、私たちの考えからはあり得ない」と疑問を呈した。

 ニュースを真っ先に報道した読売新聞と共同通信は、取材過程を検証すると公表した。良きにつけ、悪しきにつけ、ノーベル賞のようなビッグトピックには、他人の功績を利用しようとするちゃっかりパフォーマンスが付きまとうものだ。しかし、森口氏の論文はアメリカはもとより、イギリスの科学雑誌‘NATURE’でも盗用と指摘され、折角の山中教授の栄誉にも傷をつけることになってしまった。どうも後味が良くない。山中教授には同情するばかりである。

 さて、何もしない政治家について、2つのことが気になった。ひとつは、自民党が大物議員引退により世襲回帰が目立ち、次の総選挙では前回総選挙のマニフェストで決めた世襲の原則禁止が形骸化しそうになったことである。これも民主党がだらしないせいで、自民党には若くして政治環境に馴染み、政治を体で知っている人として、むしろ世襲議員の方が適材であるとして、恥ずかしげもなく前言撤回を叫び出したのである。事実公募で候補者を選ぶと言っているが、その公募に名乗り出てくるのが、武部勤・元幹事長、福田康夫・元首相、中川秀直・元幹事長、大野功統・元防衛庁長官ら大物議員の子息である。これでは中国の共産党幹部の子息らのグループ・太子党と変わらないではないか。それより政治家の親類以外は政治には向かないと考える世襲賛同派の思い上がりが許せない。それなら民主党と同じ、マニフェスト違反ではないか。

 もうひとつ気になったことは、「戦争も辞さずと石原都知事が発言した」と、野田首相と石原都知事との会談内容を前原誠司・民主党政調会長が軽々しく明かし、石原都知事を批判したことである。会談内容が事実なら看過できないことであるが、それよりこんな際どい内密の話を党の幹部が何のためらいもなく口外することに危機感を覚える。尖閣諸島国有化によって日中関係が険悪になった原因を、決定した自分たちではなく石原知事の責任におっかぶせるつもりのようだが、決定したのは自分たちではないか。

 前原氏の無責任ぶりは、国交大臣に就任するや、マニフェストに書いてある通り、八ツ場ダム建設中止と宣言したが、その後任の前田大臣が中止命令を中止してもマニフェスト違反と責めるわけでもなく、自分が在職中の業務についてまったく無頓着なのである。自分の仕事に責任を持てない人物は何を言っても信用されない。こういう人物が党の中枢に座っていることが、民主党の一番信用できない点である。

2012年10月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com