1998.2012年11月1日(木) お役人天国、ニッポン

 今や世界中どこを向いても景気の良い国はあまり見当たらないが、それに違わずわが国の景気低迷も長引いたまま一向に前途に光が見えない。今朝の朝日新聞トップ記事が「パナソニック7650億円赤字」とある。日経紙でないところがミソで、社会的にも大きな問題であることを窺わせる。しかも、副題を見れば、赤字額は何と2年間で1.5兆円とある。それを受けて今日のパナソニックの東証株価はストップ安となった。更にトップ記事から少し離して「電力8社6736億円赤字」の記事がある。これは、電力会社10社のうち8社の中間決算損益合計額であり、通期になるともっと惨めな決算になる可能性が高い。

 これではいよいよ日本沈没ではないかと先行きが気がかりである。これから中間決算が発表されるに連れ、ぞろぞろ赤字企業の決算が公表されることになるだろう。 

企業活動が停滞すると当然のことながら賃上げどころか、ベースアップ中止とか、ボーナス・カットとなり、サラリーマンに皺寄せされ、サラリーマンの生活は苦しくなる。その結果、全体の消費購買力は下がり経済需要が落ち込み、不景気の連鎖が起きる。

 ところが、民間の賃金水準が下がる中で、役人の給与は普通まず下がることはない。今年になって政府は消費増税を控え、国民の苦境に鑑みて国家公務員の給与削減に踏み切った。しかし、地方公務員にまでは削減を求めなかった。そのため何と公務員の平均給与は、地方が国を上回る現象が9年ぶりに明らかになった。期末手当を除く単純比較でも、国家公務員の月約37万円に対して、地方公務員は月約42万円だそうだ。一般的に全国約1800自治体の8割以上が国家公務員より平均給与が高いらしい。特に政令都市の中で最も高い横浜市は、国より12.2%高い。年齢、男女割合、最初の決定額などにそれぞれ特有の事情があり、一概に決め付けることはできないが、国から交付金として地方に資金が回されるとすれば、地方自治体も国に合わせて給与を削減するのが筋である。それにしても役人は生涯身分を保障され、それほど成績に左右されることもなく、これだけ民間との間に大きな格差が生じるのは、誰が何と言おうと根底に根強い官尊民卑の気持ちがあるからだろう。

 これらの情報に歩調を合わせたかのように、東京都の本日付広報紙に表とグラフ付きで「都職員の給与の状況」を懇切に説明している。

 それを読めば官尊民卑を否応なく納得させられる。23年度普通会計の人件費総額が、何と1兆5千億円超である。私が大学へ入学した昭和34年度の国の一般会計予算1兆4千億円を悠々凌駕しているのだ。

 都職員の給与は、毎月の定額給料に地域手当という一人当たり平均月額支給額61,180円が加算され、その他に通常の扶養手当(配偶者13,500円、その他子ども手当て)、住居手当8,500円、通勤手当、管理職手当て、特殊勤務手当て、超過勤務手当てなどが加えられ、その他に年2回高額のボーナス支給が行われる。

 この結果、職員の月額平均給与は、一般行政職で46万円強(平均42.3歳)、警察職にあっては、実に54万円弱(39.7歳)という高待遇ぶりなのである。

 そのうえ、定年時には多額の退職金も支給される。60歳まで勤めて平均で3千万円超の退職金が得られる。給与体系が良いのは歓迎されるべきことではあるが、それらの原資ははっきり言って税金である。民間企業の感覚からすれば、自分たちだけの都合で内輪で高待遇を決めるのには、正直言って釈然としない気持ちが沸いてくるのも致し方あるまい。在職中予算に追われ、厳しい営業活動に追われていたサラリーマンだった立場からすると、これを以ってしてお役人天国と言わずして何と呼ぶべきか考えざるを得ない。何とも羨ましい限りである。まったく親方日の丸ではないか。今度生まれ変わったらお役人になるか。

2012年11月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1997.2012年10月31日(水) 石原慎太郎・東京都知事正式辞任

 今日東京都の石原慎太郎知事が正式に辞任した。長かったとか、満足感と開放感があると言っていたが、任期を半分以上残しながら辞めることについてわれわれ都民への説明はまったくなかった。この辺りが自己本位にして天邪鬼で、周囲や支援者への思いやりに欠ける点だろう。こんなことになるのなら、前回の知事選で一旦は辞めると言い、後任として松沢成文・前神奈川県知事を認めるフリをしつつ君子豹変して引退表明を撤回し、松沢氏の顔へ泥を塗るような行為をすべきではなかったのではないか。

 これから国のために最後のご奉公と言って第三極の結成を目指しているが、言いたい放題の性格が今後魑魅魍魎の政界でどんな存在感を示すことができるだろうか、行動力は抜群であるだけに、最後の仕上げをどうやろうとしているのか見てみたいものである。

 さて、去る25日の本ブログに前日原子力規制委員会が発表した、全国16ヶ所の原発で重大事故が発生した場合の放射能物質の拡散予が、舌の根も乾かない内にと敢えて言いたいが、僅か5日後の29日になって同委員会は6ヶ所データの入力ミスが原因で放射能物質の拡散する方角や距離が誤っていたと修正予測図を改めて公表した。

 何とまぁお粗末なことか。ほんの5日前に発表した、国民の安全にとって極めて大事な情報をいとも容易く間違っていたと訂正する信頼感に欠ける軌道修正をやってのけたのである。5日前自治体や国民、特に関係深い地方の役所や人々を驚かせ、悩ませていた情報が訂正されたことにより、二重にショックや戸惑いをもたらしたことになる。どうしてこういう無様なことが起きてしまうのか。気の緩みとか、無神経で済まされる問題ではない。不遜であり真剣さが足りないのだと思う。

 昨日の朝刊には、訂正された6ヶ所のカラーの放射能拡散予測図が掲載されていた。今後のためにも注目しておきたいが、これだけの問題を引き起こしていて、規制委員会と関係役人らの処分が多分なされることはないだろう。これが内に甘い日本の官僚機構の体質なのだ。これだから、同じような問題は再び起きる。石原都知事が強調していた、中央官僚機構を変えないとダメだと言っていた通りの無様なシナリオである。

 ところで、アメリカ東部海岸を襲ったハリケーン「サンディ」がニューヨークを直撃した。時折激しいハリケーンがアメリカに上陸して多くの被害を出すのは知られているが、今度のハリケーンは大都市における災害に対するもろさを露呈することになった。市内マンハッタンは水浸しである。一週間後に予定されている大統領選も影響を受け、遊説を中止する有様である。投票結果にも影響しそうだという。広範囲に亘る停電で地下鉄は全面停止して、復旧のメドは立っていない。108年の歴史を誇る地下鉄も過去最大の被害を蒙ったと言われている。

 停電で観光客も大きな影響を受けているようだ。航空便がほとんどキャンセルされ、その他の交通機関も不通でホテルへも辿りつけず、辿りついたホテルも停電というていたらくだそうである。成田空港のニューヨーク行出発便が運休となったのは、ニューヨーク空港出発便がすべて運休となったためだ。いかに近代都市でも、自然の猛威には打つ手がなく弱いものだとつくづく思い知らされる。全米ですでに死者が50人を越えたという。ニューヨークヘのハリケーン襲来はまったく予想されていなかったようだ。世界的な気候変動もあり、ブルームバーグ市長もハリケーンに備えた防災計画の見直しが必要だと述べた。自然を舐めているとしっぺ返しを食らうことを改めて知らしめた。

2012年10月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1996.2012年10月30日(火) 旧文部省海外派遣団「シモナ会」も解散

 今朝起きてステーションホテルの部屋から丸の内方面を望むと、薄暗い中で駅前の人影はまだまばらだった。暫く経つと周辺が明るくなって写真を撮るために大勢の人が駅前に寄り集まってくる。朝食は我々の部屋の上の4Fフロアにある「アトリウム」だったが、これが中々洒落たダイニングでコーナーには応接セットがあって書棚も付いている。食事はブッフェだったが、中々手の込んだもので種類も多く、ブッフェにしてはややデラックスではないかと感じた。

 新装なったホテルの部屋数は150室だそうで、改装前の約3倍に増えた。これから当分満室が続くようで、オーナーのJR東日本にとってはドル箱になり、笑いが止まらないのではないだろうか。再開間もない話題のホテルに宿泊することができて、良い思い出を創ることができた。

 さて、昨日に続いて2日目の今日は、最初に築地場外市場へ向かった。場内のセリ市が見られるかと期待したところ、内部には外部の人間は立ち入りできないとがっかりさせられるようなことを聞いた。外国人観光客が押し寄せていることがニュースにもなったくらいで、当然入れると思っていたのに残念である。やむを得ず周辺の店を冷やかしながら、隣の店と軒がくっつくような店でトロの切り身とウニの瓶詰めをひとつ買い求めただけに終わった。

 その後江戸東京博物館を見学し、ガイドさんの説明に耳を傾けたが、江戸城周辺の大名屋敷にまつわる珍しく貴重な話を聞くことができた。

 最後のアレンジはお台場で屋形船に乗って、乗り場からレインボーブリッジの橋下を潜り沖合いに出て船内で昼食を取るというものだった。昨日に比べて天候はやや曇り勝ちだったが、船は揺れることもなく、美味しい食事をいただくことができて、ツアーの締めとしては思い出に残るものになった。

 東京駅前で解散となったが、最後の「シモナ会」の集まりとしては有終の美を飾るものだと言ってもよいと思う。幹事の二人の先生が早くから準備をして、時の話題となり予約の取り難いタワーやホテルの予約を取っていただいた。終わり良ければすべて良しとしていただいた心配りには頭が下がるばかりである。再会を期すという別れの形でないのが心残りであるが、長く続いた集まりにはいずれ終わりが来る。素晴らしく話題豊富な先生方との交流に最後までお付き合いすることができて、これも幸せだったと思わないわけにはいかない。

 それにしても、3日前の大学ゼミの「飯田会」も最後となり、続いてこの「シモナ会」も最後となり、一抹の寂しさは拭いきれない。心に隙間風の吹きぬけるような気持ちである。

 ご一緒した先生方とご家族のご健勝をお祈りするばかりである。

2012年10月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1995.2012年10月29日(月) 新東京観光の2つの目玉を体験

 32年前に旧文部省教員海外派遣第11団で、シビウ(ルーマニア)、ザルツブルグ(オーストリア)、インディアナポリス(アメリカ・インディアナ州)の3都市で学校訪問を行いつつ、1ヶ月間の視察ツアーを行った「シモナ会」の最後の集まりに参加した。しばらくこの「シモナ会」には出席していなかったが、フィナーレということもあり、また東京でも先日改装のうえ開業したばかりの「東京ステーションホテル」に宿泊し、話題の東京スカイツリータワーにも昇るという目玉もあって、東京の田舎っぺらしく期待を持って参加した。

 何と言ってもこの海外派遣団では、社会主義国でチャウシェスク大統領が君臨したルーマニアを訪れ、大統領の子息が知事を務めていたシビウ県で学校訪問を行い、有能で個性的な通訳シモナさんに世話になったことと、ブカレストを去る当日に空港への幹線道路が、国賓リビアのカダフィ大佐の公式訪問で封鎖され、いつ開放されて通行できるのかが判らなかった時に、シモナさんと空港へ行くあらゆる手段を考えた末に、凹凸の激しい田んぼ道を走行することに決め、シモナさんがドライバーを説得して揺られながら空港へ辿り着き、辛うじてウィーン行フライトに間に合ったことが厳しい想い出であり、懐かしくもある。

 幹事のひとり、群馬県の深町先生はその後、ルーマニアを訪れ、シモナさんの消息を尋ねたが判らず仕舞いで会えなかった。その後社会主義体制の崩壊とともにチャウシェスクは妻ともども公開処刑され、カダフィ大佐も昨春の「アラブの春」で反体制派によって殺害されてしまった。良きにつけ、悪しきにつけ、印象深い海外派遣だった。

 さて、今日午後東京駅に集合してバスで最初に向かったのは東京スカイツリータワーだった。天候が良かったので眺望を楽しみにしていたが、タワーへ辿り着くまでのアプローチには些か驚かされた。バスがタワーの駐車場を予約できなかったために、東武浅草駅でバスから降り、東武鉄道で次の駅、東京スカイツリータワー駅まで一駅乗って、そこからタワーまで歩き、帰りはその逆という面倒くさいものだった。タワー周辺でバスから客を降ろして、帰りに迎えに来ることができないものかとJTBの添乗員に聞いてみたところ、タワー周辺のバスの乗客の乗り降り扱いは厳しく禁止されているという。

 タワーが観光スポットとして人気のあるのは判るが、相変わらず今日も人出が多くて案内掲示が判り難い。どうも垢抜けた案内の形ができていない感じであるし、案内嬢のユニフォームも今ひとつぱっとしない印象を受けた。

 地上350mの展望台からの眺望は確かに遠景を望めるもので、東京の地形がよく判る。ただ、高い入場料を払って敢えて2度も来るほどのリピーター欲は湧き上がってこないのではないかと思っている。

 その後浜離宮恩賜庭園を見学して、東京ステーションホテルにチェックインし、ホテル内の日本食レストランで夕食を取った。ホテルはすべてに斬新で、話題の建物であるだけに中々内部のインテリアなども凝っていて、高級感が漂っている。ただ、元々ステーションホテルのため、構造上にどうしても無理があるようだ。それでも線路と同じように長い廊下を挟んで両サイドにずらっと一直線に部屋が並んでいる内部光景は壮観である。部屋も中々デラックスで清潔感が溢れ気持ちが良い。ホテルの外では多くのカメラマンが群がってホテル外観の写真を撮っている。

 値段は別にして使い難さはあるが、宿泊するだけならセレブな雰囲気を味わうことができる。

 夕食では、他の宿泊客と相席でもあったので、全員の団員と思うように話し合うというわけには行かなかった。ただ、まだ教員があまり海外旅行を楽しむ時代ではなかったせいか、また特殊なチャウシェスク全盛の社会主義国家を訪れたせいもあり、皆さん海外視察では随分強い印象を受けたようだった。そういう使節団のお供をできたことは幸運だった。これを最後として解散するのは残念だが、他の団体や、同窓会と同じようにこれも時の流れと思うより仕方ない。まだ旅行は明日も続くので、あと一日名残を惜しみながら14名の皆さんと観光を楽しみたいと思う。

2012年10月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1994.2012年10月28日(日) ホームページの情報容量拡大にトライ

 このところホームページの送信が中途半端で望み通り送信できず、困ったなぁと思い、いつも相談に乗ってもらっているITコンサルタントに過日相談してみた。ブログの更新程度なら何とか送信できるが、少し重い情報は送れないという状態が続いていた。エッセイなどでも写真付きで長い文章だともう送れない。これでは機能不全である。先日HPのプロバイダーであるリンククラブに照会したところ、最早容量が上限だということが判った。問題はこれをパワーアップする手続きを取ろうとするが、中々素人には難しい。今日コンサルタントに代替してもらい、対応をお願いした。やはり難しく、下手をすると一時的に私のHPにアクセスしても画像が映らないという心配がある。そこでコンサルタントが今日深夜にパワーアップ作業にトライしてくれることになった。これなら仮に一時的にHPが機能しなくなっても大きな影響はない。寝てる間の何とかということになるが、あまり一般の人はここまでやることはないようだ。つまり私のHPの情報量が普通の一般人のHPの常識から考えて多すぎるということに尽きる。

 しかし、今後も情報量はもっと増える。そこで現在4.5GBの容量を一気に400GBに増やすことになった。明朝になれば、きっとすっきりスムーズに送信できるのではないかと明日を楽しみにしている。すでに手元に送信して、HP上にアップしたい情報がいくつかある。早くHPにアップしたいものである。

2012年10月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1993.2012年10月27日(土) 追悼文集を発行し、大学ゼミの例会・飯田会も最後となった。

 大学ゼミの恩師を追悼する「飯田鼎先生追悼文集」の発行記念を兼ねて、ゼミ最後の会合・飯田会が母校・慶應義塾三田キャンパス内のファカルティ・クラブで行われた。追悼文集約百冊を会場へ運ぶため、居候中の長男に大学まで車で送ってもらった。数年ぶりに訪れた懐かしい三田キャンパスには新しい建物があるが、古い建物も残っていて土地勘は何となく頭に残っている。

 編集委員が幹事を兼ねることになったので、全員早めに集合してもらった。先生の奥様が慶大生のお孫さんに付き添わされてわざわざ鎌ヶ谷市から来られて冒頭にご挨拶をいただいた。他に挨拶されたOBは申し合わせたように、飯田ゼミで恩師から指導を受けた幸せを語っていた。私は編集長としての立場上、編集委員全員を紹介旁々、発行に至るまでの経過報告を行った。

 会合の若干の手違いは、OBへのスピーチ依頼が当初の予定より多人数になって会話を楽しんでもらうとの願いが思惑通りに運ばず、少々手順が狂ってしまったことだ。中にはそれとなくそっと耳打ちをしてくれた同期生もいた。ちょっと会話の時間が少な過ぎたということと、そのために料理の食べ残しが多かったことが誤算と言えば誤算だった。

 ひとつ残念だったことは、高校の後輩でもある元岩波の中村寛夫くんが、出席の予定だったにも拘わらず来られなかったことだ。大分体調が悪いのではないかと心配である。山崎洋さんのセルビア版「山の花環」の文庫本出版について岩波書店の考え方と発行の可能性について、彼の感想を聞いてみたかった。

 これを最後の飯田会にするのは忍びないとの強い要望に合わせて、何年後とまでは決められないが、「ポスト飯田会」会をやってみてはどうかとの声が出てくるほどの思い入れだった。今後どうなるか判らないが、こういう声が出てくること自体、このような滋味のある楽しい集まりを、それぞれに人生の後半を迎えた現在、このまま消滅させてしまうのは惜しくもあり、寂しいとの切実な要望があるからだと思う。

 一旦最後と決めたが、今後この会をどうするのか、会合後の編集委員会でいろいろ意見が出たが、しばらく時間を置き、編集委員が改めて来年初めに会って検討しようということになった。それも飯田先生への敬愛の念から生まれたものだと思う。飯田先生に巡りあい、ご指導いただいたことは本当に幸せだったと思わないわけにはいかない。

 それにしても昨年暮れに編集委員会を発足させてから、ほぼ10ヶ月間精一杯追悼文集作りに努めてきたが、今日何とか所期の目的を果たすことができて肩の荷が下りたような気がしている。

2012年10月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1992.2012年10月26日(金) 石原都知事辞任の波紋と影響

 今朝の新聞はどれも一面と社会面は石原都知事関連記事が満載である。テレビも各局とも石原報道で持ちきりである。これほど言動で影響力の強い政治家は、今や石原知事と橋下大阪市長をおいて他にはいないのではないか。知事には強い語調で決め付けるような発言が多く、時として反発や顰蹙を買うことが多いが、かなりの部分で頷ける点もある。「硬直した中央官僚の支配体制を変えないとダメ。役人と戦っていかないとこの国は沈んでしまう」とか、「国とかかわる行政に関してはほとんど国の妨害に遭って、非常に苦しい思いをした」と官僚の手法に手厳しい。昨日の記者会見でも各省庁を片っ端から批判していた。前原誠司・国家戦略担当大臣に対する個人的な非難はボロクソだったが、よく両者の言動を比べてみるとこれも石原知事に分も、理もある。

 だが、大きな話をする割りに具体的な目標やその進めかたが漠然としているように思える。これに対して各政党では都知事という後ろ盾が無くなった石原氏は恐れるに足らずと、ほっとしたような空気も窺える。

 中国や韓国も従来反感を持って石原知事を見ていたが、ここへ来て知事を右翼政治家とか、極右と騒ぎ反って国政舞台へ出てくることを警戒している。だが、しかし、中国の言う右翼というのは、むしろその逆で最近の中国こそ左翼から転じて、今では中庸から大きく外れ「右翼」的になっているのではないかと思う。

 石原知事はどうしても徹底的にやっつけるという気持ちが強いせいか、その手法が強引で一方的に思える点でかなり損をしているのではないかと思っている。今すぐ可能性や、結果が表れるわけではないが、規模は小さくとも石原氏の行動が政界に大きなインパクトを与えることによって、政治の流れがもう少し国民寄りになれば、石原氏の投じた一石は効果があったと見るべきであろう。

 さて、昨日注目のプロ野球のドラフト会議が開かれ、来年プロ野球界へデビューする新人選手の指名を行った。気になったのは、高校生投手として史上初めて最速160㎞を投げ、先日アメリカ大リーグ入りを表明した花巻東高校の大谷翔平投手を、日本ハム・ファイターズが敢えて強行指名したことである。聞けば、大谷投手は家族や周囲が日本球界入りを勧めたのに、自らが大リーグでプレイしたいの一念を押し通し大リーグ入りを決断したそうである。にも拘わらず少年の決意を配慮することもなく、むしろ有無を言わせず強引にドラフト指名して自球団入りを推し進めようとする球団は、ルール上は許されるにしてもあまりにも浅はかだとしか言いようがない。更にプロ野球界には、もしアメリカで成功せず日本へ帰ってきてもお灸をすえて、一定期間入団を認めないという意地悪なルールもある。まったく維新による開国以前のような感覚である。料簡が狭いというしかない。

 ファイターズが指名した理由のひとつには、野球界には高卒球児に直接大リーグへ行かれては、日本球界に有能人材が枯渇すると考えている節があるからである。しかし、それは日本球界が若者にとって魅力に欠けるからであり、自分たちは反省もせず、それを高校生の責に帰すかの言動は正しくない。

 今朝の日経紙「春秋」も、「18歳という若さは見たこと、触れたことを自分のものにする力が一生のなかでも旺盛なときだ。一流選手の技やプレー姿勢を貪欲に吸収してほしい。それが日本球界の財産にもなるだろう」とアピールしている。若い高校生をとやかく言うより、プロ野球界こそもっと大人になれ!と言いたい。

2012年10月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1991.2012年10月25日(木) びっくりしたなぁ!石原都知事辞任へ

 昨日の本ブログで高校の先輩・根岸英一博士について触れたばかりだが、今日は同じく高校の先輩で、根岸博士にとっても1年先輩の石原慎太郎・東京都知事の突然の知事辞任と新党結成のニュースには正直びっくりした。

 高校2年生時の授業で担任教師が「今度芥川賞を受賞した石原慎太郎くんは君らの先輩だよ」と話されたことをよく憶えている。

 石原知事の新党結成は以前から度々噂に上がっていたが、昨年都知事選立候補に際して松沢・前神奈川県知事との間にしこりを残した曰くつきの4選からまだ2年足らずの任期途中で、しかも年齢的にも国会議員にまで踏み切ることはないだろうと考えていただけに、まさに知事辞任は青天の霹靂だった。新党の代表となって、衆議院に立候補するという。これで政界に新たな風を吹き込むことになるだろうか。しかし、すべて万々歳というわけにも行くまい。石原知事は、もう年を取り過ぎていると言っては先輩に失礼だが、4月にアメリカで尖閣諸島の都による購入計画を爆弾的に発言して、その後の日中間の対立を引き起こすきっかけを作ったり、とかく台風の目玉となってきた。このニュースは早速中国のテレビ局でも速報されている。

 石原知事の言動には、アイディア、発信力、行動力、説得力など、良い点もたくさんあるが、首を傾げざるを得ないことも数々ある。今日はあまりにも唐突な発表でとにかくびっくりした。号外も出た。これから賛否を含めていろいろな意見や論評が出てくることだろう。

 さて、昨日原子力規制委員会が公表した、全国にある原発16ヶ所の放射能拡散予測結果が大きな波紋を投じている。防災地域を原発8~10㎞から30㎞以内に拡大した。この対象市町村は45から135に増え、人口は480万人になる。一旦事故が発生したらこれらの人々をどうやって避難させるのか。交通機関の混乱は想像を絶する。これにより原発再稼動のハードルが一層高まった。すでに政府や民間の事故調のアンケートなどにより、国民の大多数が原発再開に否定的であるとの意思ははっきりしている。政府も煮え切らない態度であるが、先月には2030年代に原発ゼロを目指すとの革新的エネルギー・環境戦略の方針だけは発表された。他方で規制委員会が安全性を確認した原発は政治判断を挟まず再稼動させるとの矛盾するような方針も公表している。はっきり言って政府も迷っているのだ。

 ところが、その一方でこれに逆行する声も経済界を中心に根強くあり、更に火力発電に頼らざるを得ず、国際社会に約束した二酸化炭素の削減が困難であること、海外、特にフランスやアメリカから日本の原発中止に対する身勝手な反対意見も寄せられる有様である。

 これらのマイナス要因を考え、国民の過半数が反対していることを踏まえると、原発は長期的に国民生活の幸福度から見ても最早再稼動は難しいと判断すべきである。

 今朝の朝日新聞では、社説と論評ともに「放射能予測 防災が無理なら廃炉に」とか、「廃炉の原発 決める時」とピシャリ断じている。防災計画が広域化されたことも新たに大きな問題となった。これができないと稼動は困難との規制委員会田中委員長も言っている。これでは、問題丸抱えの原発再稼動より、国民生活にとって不自由は伴うが、安全な原発ゼロ社会理念を受け止め、電力の無駄な消費を止めてすべての原発を廃炉にした方が、よほど人間の智恵と理性を生かした人間らしい社会生活を送れることになるのではないだろうか。

 原発再稼動絶対反対!

2012年10月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1990.2012年10月24日(水) 若者は積極的に海外へ行こう!

 日経新聞朝刊の「私の履歴書」に、今月は高校の先輩であるノーベル化学賞受賞者の根岸英一博士が書いておられる。今日の文章では若者が研究活動に限らず、積極的に海外へ出ることを勧めておられる。昨年3月博士にお会いした際、旅行好きな点で大いに意気投合し、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」を差し上げた時、「近藤さんはどんなところに行かれましたか?」と訊ねられ、ベトナム戦争中にベトナムへ行き、その翌年には第三次中東戦争直後で戒厳令下のアンマンでは、軍隊に身柄を拘束されたと申し上げたら、私にはそんな勇気はありませんがと笑いながら、とにかく何でも若いうちに海外へ行って外国を知り、外から日本を見てみることは自分を成長させるために大切なことであると仰った。その点で博士と大いに意気投合したものである。博士の言葉に勇気づけられ、若い人が多い大学の講演などではその点を説明して、できるだけ若者が海外へ出かけるよう、それもできるだけひとり旅を勧めている。

 実は心配されている日本の若者の現象のひとつに、遊びならともかく留学目的では外国へは行きたがらない傾向があるということである。アジアのインド人、中国人、韓国人らの留学生の数が増えているのに反して、アメリカで学んでいる日本人留学生の数が近年随分減少しているらしい。日本の若者の行動パターンには、チャレンジャー精神とか、積極性、行動力、向上心、国際性などが年々薄らいでいると言われている。若者が内向き志向になり、外部と言葉でコミュニケートしないで自分の世界、つまり内に篭る傾向がある。人と交わらず無機質な機器を介した交流まがいの会話で事足れりとしている若者が多いようだ。そんな会話は平面的で感情が篭らず、会話とも言えない会話に終わっている。人間関係の基本である、相手の目を見て相手の気持ちを考えながら話をし、相手の話を聞くことなどから逃避している。これでは相手の気持ちなんかわかる筈がない。こんなことを重ねていると人間の情緒や感情が判らないまま社会生活を送っていくことになり、それは自分が無感情な人間を演じていると同時に、接触する人々にも感情を伝えないロボット人間化を求めていることになる。こうなると人間として生まれながら人間としての使命を果たさずに朽ち果てるだけではないかと思う。ここ数日前から話題になっているパソコンによる遠隔操作が仮に蔓延ったりすると、人間は必要とされなくなるのではないかと考えてしまう。恐ろしいことである。

 機械化が進歩し便利になるなら、あくまでそれは機械に操られることなく、それを操る人間が幸せになることが前提でなければならない。今日のPCやら、IT文化の進歩はこのままで良い筈はない。それには自分の目で見て、自分の手で触れ、自分で行動して感じるという人間のベーシックな行動ができるよう行動しなければいけない。

 つい脱線してしまったが、若者だけに限らず、誰しも機会を捉えてどんどん海外へ出て直に自分の五感で異文化に触れるうちに、自ずから相手を慮る感情が培われるものである。

2012年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1989.2012年10月23日(火) 映画「恐怖の報酬」をテレビで60余年ぶりに鑑賞

 久しぶりに古いフランス映画をNHKで観た。サスペンス映画の「恐怖の報酬」で、カンヌ映画祭やベルリン国際映画祭でも、それぞれグラン・プリと金熊賞を受賞した秀作で、その当時まだ日本にこの種のスリルとサスペンスを描いたような映画は珍しかったために、大きな話題を提供した。シャンソン歌手イヴ・モンタンが主役で男優賞を獲ったことでも話題になった。日本で公開されたのは制作された翌年の昭和29年、高校1年生のころだったが、確かその翌年に藤沢市内の映画館でただ一人っきりで鑑賞した記憶がある。

 振動やショックに弱い危険なニトログリセリンを悪路の中、4人の男たちがトラックで輸送する仕事を請け負った、あらましのストーリーとどんでん返しのような結末ははっきり憶えていたが、その途中の息を呑むようなでき事と運転手仲間同士のやりとりはほとんど記憶にない。あれだけ話題作として楽しみに観たにも拘わらず60年余も経つと、こうも記憶力というものが頼りなくなるものかと些かがっかりしている。舞台がヴェネズエラの油田だったことも綺麗さっぱり忘れていた。モノクロ版だが、フランス映画にしては色恋沙汰もほとんどなく、今日の午後は息を詰めて2時間半ばかり魅入られてしまった。

 人間の記憶なんてこのように案外当てにならないものかも知れない。最近固有名詞が思うように口から出てこなくて往生することがある。これは年齢のせいもあり、同年輩の友人たちに尋ねてみても同じような回答が還ってくるが、やはり寂しいものである。

 さて、今日問題だらけの法務大臣・田中慶秋氏が辞職した。就任後僅か3週間でこのていたらくである。就任前からとかくの噂があり、大臣としての品性や力量が大分問題視されていたが、結局はそれが現実となった。野田首相の任命責任は重いと言わざるを得ない。北朝鮮拉致問題担当相としても、まったく任務を果たせなかった。与野党間の不信が募っている時だけに自民、公明党ら野党は政府に対して一気に攻勢を強めている。

 ところが、自民党でもおかしなことを考えている。正義は我にありと言わんばかりのポーズを取っているが、また「脱世襲」を取り止めようとしている。2009年の総選挙で、民主党から世襲批判を受けて次の総選挙から「引退議員の配偶者と3親等内の親族を同じ選挙区で公認・推薦しない」とマニフェストに盛り込み、一旦は世襲を原則禁じた。それが舌の根も乾かぬ内に、かなぐり捨てた。やはり過去に世襲制のおかげで政権を維持してきた自民党らしい姑息な考えである。改めて世襲の有り難味を再認識したのだろう。何とまあマニフェストの軽いことよ。実際今の自民党幹部にも世襲議員が多いが、新たに福田康夫・元首相や中川秀直・元幹事長の子息がほぼ公認されることは間違いないようだ。政治家業の世襲、たらい回しは止め処もない。

 これでは日本の政治家はとてもアメリカの政治家に敵わないと思った。2週間後に行われるアメリカ大統領選挙のオバマ、ロムニー両候補による最後のディベートが今日行われたが、彼らのすべてを佳しとするわけではないが、政治家としての理念、論点整理、論理構築、弁舌、などどれを取っても彼らにはとても太刀打ちできまい。率直に言って日本の政治家とは器と力量が違うという印象を受けた。

 日本の政治家にもう少しまともになってもらうためには、時間を置いた選挙だけではなく、政治家に対する国民による毎週の活動を採点する一定の通信簿が必要ではないかと考えている。選良であるべき議員数の大幅削減も必要だ。そんなことも真剣に考えるべきではないか。

2012年10月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com