1995.2012年10月29日(月) 新東京観光の2つの目玉を体験

 32年前に旧文部省教員海外派遣第11団で、シビウ(ルーマニア)、ザルツブルグ(オーストリア)、インディアナポリス(アメリカ・インディアナ州)の3都市で学校訪問を行いつつ、1ヶ月間の視察ツアーを行った「シモナ会」の最後の集まりに参加した。しばらくこの「シモナ会」には出席していなかったが、フィナーレということもあり、また東京でも先日改装のうえ開業したばかりの「東京ステーションホテル」に宿泊し、話題の東京スカイツリータワーにも昇るという目玉もあって、東京の田舎っぺらしく期待を持って参加した。

 何と言ってもこの海外派遣団では、社会主義国でチャウシェスク大統領が君臨したルーマニアを訪れ、大統領の子息が知事を務めていたシビウ県で学校訪問を行い、有能で個性的な通訳シモナさんに世話になったことと、ブカレストを去る当日に空港への幹線道路が、国賓リビアのカダフィ大佐の公式訪問で封鎖され、いつ開放されて通行できるのかが判らなかった時に、シモナさんと空港へ行くあらゆる手段を考えた末に、凹凸の激しい田んぼ道を走行することに決め、シモナさんがドライバーを説得して揺られながら空港へ辿り着き、辛うじてウィーン行フライトに間に合ったことが厳しい想い出であり、懐かしくもある。

 幹事のひとり、群馬県の深町先生はその後、ルーマニアを訪れ、シモナさんの消息を尋ねたが判らず仕舞いで会えなかった。その後社会主義体制の崩壊とともにチャウシェスクは妻ともども公開処刑され、カダフィ大佐も昨春の「アラブの春」で反体制派によって殺害されてしまった。良きにつけ、悪しきにつけ、印象深い海外派遣だった。

 さて、今日午後東京駅に集合してバスで最初に向かったのは東京スカイツリータワーだった。天候が良かったので眺望を楽しみにしていたが、タワーへ辿り着くまでのアプローチには些か驚かされた。バスがタワーの駐車場を予約できなかったために、東武浅草駅でバスから降り、東武鉄道で次の駅、東京スカイツリータワー駅まで一駅乗って、そこからタワーまで歩き、帰りはその逆という面倒くさいものだった。タワー周辺でバスから客を降ろして、帰りに迎えに来ることができないものかとJTBの添乗員に聞いてみたところ、タワー周辺のバスの乗客の乗り降り扱いは厳しく禁止されているという。

 タワーが観光スポットとして人気のあるのは判るが、相変わらず今日も人出が多くて案内掲示が判り難い。どうも垢抜けた案内の形ができていない感じであるし、案内嬢のユニフォームも今ひとつぱっとしない印象を受けた。

 地上350mの展望台からの眺望は確かに遠景を望めるもので、東京の地形がよく判る。ただ、高い入場料を払って敢えて2度も来るほどのリピーター欲は湧き上がってこないのではないかと思っている。

 その後浜離宮恩賜庭園を見学して、東京ステーションホテルにチェックインし、ホテル内の日本食レストランで夕食を取った。ホテルはすべてに斬新で、話題の建物であるだけに中々内部のインテリアなども凝っていて、高級感が漂っている。ただ、元々ステーションホテルのため、構造上にどうしても無理があるようだ。それでも線路と同じように長い廊下を挟んで両サイドにずらっと一直線に部屋が並んでいる内部光景は壮観である。部屋も中々デラックスで清潔感が溢れ気持ちが良い。ホテルの外では多くのカメラマンが群がってホテル外観の写真を撮っている。

 値段は別にして使い難さはあるが、宿泊するだけならセレブな雰囲気を味わうことができる。

 夕食では、他の宿泊客と相席でもあったので、全員の団員と思うように話し合うというわけには行かなかった。ただ、まだ教員があまり海外旅行を楽しむ時代ではなかったせいか、また特殊なチャウシェスク全盛の社会主義国家を訪れたせいもあり、皆さん海外視察では随分強い印象を受けたようだった。そういう使節団のお供をできたことは幸運だった。これを最後として解散するのは残念だが、他の団体や、同窓会と同じようにこれも時の流れと思うより仕方ない。まだ旅行は明日も続くので、あと一日名残を惜しみながら14名の皆さんと観光を楽しみたいと思う。

2012年10月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com