1672.2011年12月11日(日) 見応えのあったテレビの戦争?番組

 今日はテレビとビデオで日本近代史上興廃を分けた2つの戦争関連番組を観た。

 ひとつは太平洋戦争に関するドラマである。わが国の戦争に関しては、不思議なくらいメディアで主題として報道されることが少ない。特に民放テレビではほとんどと言っていいくらい、報道ニュース番組以外では取り上げない。そんな中で流石にNHKは、公共放送だけあっていろいろな角度から取り上げて放映し考えさせてくれる。

 昨日NHKで放映された「真珠湾からの帰還」というタイトルに、「軍神と捕虜第1号」と副題が付けられた 90分ドラマは中々の秀作である。実在の人物の行動とその周辺人物を取り扱った番組である。5艇の海軍特殊潜航艇が真珠湾攻撃に参加したが、撃沈され乗組員10名のうち9人は戦死して「軍神」として崇められる一方、死に損なった酒巻和男少尉が太平洋戦争で最初の捕虜となった。心理描写の多いドラマだが、生き残った酒巻が上官だった少佐から教えられた「死に方を考えろ」との教えを考え続ける。米軍の捕虜となったが、その後同じように捕虜となった日本人兵士たちのリーダーとして収容所内で米軍から一目置かれるようになる。酒巻は国内で非国民、国辱として非難されるが、戦後復員することができた。仲間や部下の死を背負い、悩みながら生きていく。その後トヨタ自動車に入り、トヨタブラジルの社長になったという。

 われわれ戦争未体験者にとっては、兵士たちの深層心理までは理解し難いが、こういう辛い体験を味わった人が大勢いたということは知っておくべきである。深く考えさせられるドラマだったと思う。

 もうひとつは、今晩放送された NHK連続大河ドラマ「坂の上の雲」である。日露戦争で勝負を分けた旅順郊外の「203高地」における日露両軍の激しい攻防戦のシーンが印象的だった。この「203高地」を奪取したことによって日本の勝利が確実なものとなったが、歴史上の有名人が入れ代わり立ち代り登場する。司馬遼太郎の同書を読んだ時、司令官・乃木希典の評価があまりにも低いのに当初驚いたが、今日は存在感が薄く、リーダーシップが見えない乃木が描かれていたのは原作に忠実だったのだと確認した次第である。

 戦争関連のドラマには、その時代の世相や社会現象が反映されるケースが多い。その点では歴史や歴史上の人物、時代背景を学ぶことができる。更にこれは書物でも同じだが、深く学べば学ぶほど興味も尽きない。

 それにしても、上記2つのドラマは腰を据えて観るのに格好のドラマだ。今日は併せて3時間を長々とじっくり楽しむことができた。ロケ場面なんかを考えると相当の手間と金がかかって大変だと思うが、テレビでも真面目で反戦思想が滲み出てくるような戦争関連番組をもっと制作してほしいものである。

2011年12月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1671.2011年12月10日(土) EU内で浮上した英対独仏の対立は解消できるか。

 ヨーロッパ経済の不安定化の渦中にあるEUでは、ここ1週間首脳会議を開催し、ユーロ圏の政府債務危機への総合対策を盛り込んだ議長総括を採択して昨日閉幕した。

 しかし、これまであまり注目されなかったEUという堅牢な組織の脆い部分が少しずつ姿を表してきた。ギリシャ財政危機以来、中心となって危機回避に奔走してきたのは首脳の中でも、ドイツのメルケル首相であり、フランスのサルコジ大統領だった。だが、昨日の首脳会議閉幕前になって、この独仏両国と同じEUではあるが、ユーロ圏に入っていないイギリスとの間で考え方に齟齬を来たすようになった。

 EU加盟国は27カ国であるが、通貨を共通する「ユーロ圏」国は17カ国であり、ユーロ圏外で最大の国家がイギリスである。このイギリスと独仏が鋭く対立する場面が出てきた。そもそも独仏の間では必ずしも考えが同じではなかったが、財政規律を強化するためにはEU条約を改正する必要があるとの認識で、お互いに歩み寄ることによって意思の統一を図った。条約改正には加盟27カ国の全会一致が不可欠だからである。ところが、これに異を唱え出したのがイギリスである。イギリスのキャメロン首相は、「ユーロ圏の安定はヨーロッパ諸国とイギリスにとって良いことだが、イギリスの利益を守る必要がある」として、条約改正はイギリスの利益につながらないと述べ、挙句の果てには「単一通貨に入っていなくて良かった」と言い出す始末である。条約改正にイギリスが反対している以上議長総括も簡単には前へ進めない。

 日本の外交官と異なり、百戦練磨のタフ・ネゴシエーターであるそれぞれの首脳陣が、交渉のプロセスでいずれ妥協点を見出すことと思うが、外交に弱い日本としてはこの際タフな3ヶ国のお手並みを拝見し、当面高みの見物と行くか。

 さて、今年生まれた子どもの名前について、明治生命が人気ランクを発表した。まだ年末まで1ヶ月近くを残しているが、傾向としては何となく分る。しかし、近年の特徴として簡単に読めない名前や、字画数が多くて赤ちゃんが大きくなった時に他人から正確に呼んでもらえないとか、試験用紙に記名するのにちょっと苦労するのではないかと他人事ながら些か気にもなる。

 つい最近ブラジル・サッカー界のスーパースターだったソクラテス選手が亡くなった。しかし、かのギリシャの哲学者と同じ名の選手はひとときサッカー界で大活躍していたが、サッカーばかりでなく頭脳の方も中々優秀だったようで医師としても活動した。名前負けしなかったのだ。

 さあて、日本の子どもはどんな名だろうと思ったら、懸念した通りまず読みにくい。はっきり言って読めない。男の子は①大翔(ひろと)、①蓮(れん)、③颯太(そうた)で、女の子は①陽菜(ひな)、①結愛(ゆあ)、③結衣(ゆい)、というのが人気ベスト3である。親も子どもの幸せを願って、良かれと思い名づけたと思うが、有名人とかタレントの名にあやかって名づけたとしたら、子どもが可哀相な気がしてくる。男の子の「ひろと」、女の子の「ひな」「ゆあ」なんてよくも考えたなぁと思う。最近子どもを育てきれずに、子どもに暴力をふるう若い親や、幼い子どもに突然ナイフで傷つける若者などに見られるように残虐な事件が多い。両親の愛情を一身に受けて親が名づけた名前の通り、健やかに成長してほしいものだと思う。

2011年12月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1670.2011年12月9日(金) 日系人ミネタ米下院議員の信念について

 「JAPAN NOW観光情報協会」の12月観光セミナーで、NHK制作局チーフディレクターの小山靖史氏が、今年のドキュメンタリー話題作「渡辺謙アメリカを行く―9.11テロに立ち向かった日系人」について制作者の立場から、ビデオのさわりの部分を映写しながら約2時間に亘って講演してくれた。

 この番組は放映された時に観て、中々骨太い作品だと感銘深く感じた作品である。小山氏が製作の裏話を交えて、いくつか興味深い話もしてくれた。アメリカで圧倒的な人気と存在感がある日本人は、MLBのイチローと俳優の渡辺謙だそうだ。その渡辺が企画に賛同し、ボランティアとして演じてくれた。渡辺は1年のうち日本とロスアンゼルスでそれぞれ半分ずつ生活し、日系一世のような生活をしていると自認し、日系人の歴史と生活に関心が強いらしい。

 番組は戦時中の日系人隔離収容所で日系人が収容され、自由を奪われたことに対して、日系人下院議員として1987年レーガン大統領時代に、アメリカ議会に日本と日本人に対して謝罪させ、名誉を回復する法案を通過させることに尽力した、ノーマン・ミネタ氏の生きざまと足跡を追ったものである。ミネタ氏の積極的な行動力と誠実な人間性が議会でも信頼され、民主党員であるにも拘わらず、クリントン民主党大統領の下で商務長官、ブッシュ共和党大統領の下で運輸長官という極めて稀な閣僚経験を持つ。

 この番組の主旨に惚れこんだミネタ氏と渡辺が、多忙な中でボランティア的協力をしてくれた。そのミネタ氏は戦時中ハート・マウンテン収容所に押し込められて家族の絆を壊されたと語ったそうだが、この番組のために現地を訪れ、アメリカで有名人である渡辺がドライバーを務めてくれたことに興奮していたと述べた。

 9.11テロ発生の時、ミネタ氏は運輸長官だった。アメリカ国内にイスラム系住民に対する非難が渦巻き、航空機搭乗に彼らを差別しようとの動きがあった。その差別的行動を阻止したのは、戦時中人種差別により収容所でミネタ氏自身辛い体験を味わった原体験があったからである。

 多くの反発とバッシングがある中で、敢えて差別を阻止しようとしたミネタ氏の理念と行動力、加えて揺るがぬ信念、強い正義感が反対論を押さえ押し切った。ミネタ長官の提案通り法案は通過し、アメリカ国内で9.11以後イスラム系住民を差別するシステムは回避された。

 現地の映像も良かったが、話の中心がぶれなかったことと、ストーリー性がしっかりしていたことが素晴らしい作品に仕上がった理由だと思う。

 小山氏には事前に私の9.11に関する持論を話し理解をいただいた。併せてカイバル峠の写真のコピーを差し上げた。ほかに何人かの質問者の中で、JN協会前理事長の丹羽晟氏が、ミネタ氏は信念が固くぶれないと言われた話で、丹羽氏が運輸省局長時代に仕え、ぶれない政治家として挙げた3人とは、①中曽根康弘・元首相、②橋本龍太郎・元首相、③石原慎太郎・現東京都知事、というのには多少反論もあろうが、なるほどと頷かせるものがあった。

 いずれにせよ、今日のセミナーは極めて意義のあるもので、勉強になった。

 さて、今日臨時国会が閉会した。最後になって一川保夫・防衛相と山岡賢次・消費者相に対する参議院問責決議案が可決された。だが、拘束力がないので、本人に辞める意思がなく、任命権者である野田首相にも辞めさせる気持ちがなく、両大臣は揃って来年の通常国会まで任務に就く。だが、問責決議に拘束力がないとするなら、なぜ貴重な時間を費やしてすったもんだの辞職騒ぎをやるのか。今国会では提案した法案38のうち、通ったものは僅か13案である。平成になって最低だそうである。国会議員はあまり仕事をしていないことがよく分る。

 同時に、公務員人件費の削減、国会議員定数の削減などは法案が通らず、公務員のボーナスが今日増えて支給された。国会議員、公務員を併せて自分たちは身を削らず、国民に負担ばかり強いている。ひどいものである。

2011年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1669.2011年12月8日(木) 太平洋戦争開戦70周年を迎える。

 日本帝国海軍の戦闘機による真珠湾攻撃で戦争の火蓋は切られた。今からちょうど70年前の今日太平洋戦争は始まった。今なお公式には戦争の検証が充分なされたとは言えない。先ずは、戦争の原因を突き止め反省のうえに過去を清算することが、求められると思う。にも拘わらず、今だに誰が戦争責任者なのかはっきりしない。310万人もの多大の犠牲者を生み出しながら、依然として誰が戦争の責任者なのか判然としないのは不条理ではないか。

 今朝の朝日「オピニオン」で、日本近代史専門の加藤陽子東大教授は、最終的に開戦の決定を主導したのは誰かと問われたのに対して、大本営政府連絡会議と閣議決定によって開戦が決まったので、軍と内閣双方の一致があったと答えている。つまり軍と政府両者の責任ということのようだ。個人的には誰とは言っていない。加藤教授によると、日本は軍と文官の間に非対称性(この言葉がよく分らない)があったという。

 開戦は軍の暴走によるものと喧伝され、それを止められたのは天皇しかいなかったと言われ、結局戦争へ向ったのは、止められなかった天皇の責任が重いと言われたこともあった。いずれにせよ戦争責任についてはこれまであいまいのまま過ごしてきた。

 それが証拠には、靖国問題はウヤムヤにされ、沖縄基地問題も出口は見えず、戦後浮上した国境問題には話し合いする気もなく、歴代政権は事なかれ主義で手をつけず今日まで無為に過ごしてきた。実際太平洋戦争とは言うが、これだって正式な名称ではなく暫定的な名称であり、あれだけの犠牲を払った戦争が今もって正式名称さえ付けられないまま今日に至っている。

 今の政治家は無能ということもあるが、こういう大事な問題を真正面から取り組もうとしない。些細なことについて口こそ達者だが、しっかり学び専門知識を身につけて、論理的にディベートしなければいけないような厳しい問題からはみんな逃げている。何でもかんでも先送りして、自分たちの手は極力触れないようにしているのだから話にならない。

 さて、昨年の今日は韓国にいた。昨年11月23日に起きた延坪(ヨンピョン)島砲撃事件の情報を探るべく出かけたが、警戒が厳重で同島方面へはとても行ける状況ではなかった。ただ、高速道路上、或いはドライブインで大砲を載せた軍用車を見たり、頻繁に戦車を載せた軍用車を追い抜いたりしたのは、事件の影響ではないかと思ったものだ。

 今日のテレビ番組を見てみると、NHKは戦争を取り上げた番組がいくつかあったが、民間TV放送はあまり大きく取り上げていない。僅かに日本テレビ「ZERO」が、戦史物を書いている半藤一利氏を引っ張り出し、村尾信尚キャスターと対談した程度である。過去の事件よりCMが取れる金儲け番組の方が大事だと思っているわけでもあるまいが、各民放も開戦70周年という画期的な日を真剣に捉えて、もう少し昭和の大戦争に関心を持っても良いのではないかと思う。

2011年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1668.2011年12月7日(水) 鈴木宗男元議員を囲むピント外れの議員たち

 昨日は親しい友人3人と今年最初のランチ忘年会で、こもごも最近の身の回り情報の交換をする。ひとりは私と同年配であるが、残りの2人はかなり年長で、どうしても健康が話題になる。以前なら忘年会を昼日中にやるなんて気持ちも発想もなかったが、最近は同じ年配者と集まることが多いこともあり帰りの足を心配して早いうちに一杯となる。楽しい会話であっても少々味気ないのは、やはり健康問題上アルコールを控えることだ。しかし、こればかりは残念だが止むを得ない。

 今日はまず「JAPAN NOW観光情報協会」の企画会議に出席した。主要議題は来年3月に名古屋で開催予定のJN協会観光セミナーについてである。日本観光振興協会中部支部長で、JR東海相談役の須田寛氏がほとんど立案し、実施面でも主体的に取り仕切られる。今日の会議でも須田氏があらましの計画について説明された。須田氏の献身的でエネルギッシュな活動には頭が下がる。

その後JN協会の忘年会を同じ麹町の海事会館ビル内の喫茶店を借り切って行った。久しぶりに高校の同級生・大塚武夫さんと話しこんで、中国問題について意見を交わした。また、青色申告に関していろいろお知恵を拝借した。

さて、昨日受託収賄罪で2年間の刑に服していた鈴木宗男・元衆議院議員が1年の刑期を残して仮釈放されたが、昼間の記者会見と夜の仲間内の祝賀会?では恥も外聞もなくいい気になって気炎を上げていた。悪質な罪を背負った仮釈放の身の人間に対して、早速愚かな国会議員が集まり、‘鈴木先生’の激励会をやっている図式はあまりにも次元が低くはないか。仮釈放されたとは言え、刑期はまだ1年残っている。もう少し謙虚に反省して謹慎の気持ちがあって然るべきではないか。ところが、そんなことにはお構いなく、鈴木氏は大演説をぶち上げ背広の襟に金バッジまで着けている。議員でもないのに不思議だと思っていたら、永年勤続議員として表彰された時いただいた金バッジだという。ここにも嫌らしい「国会議員への渇望」とミエが見られる。

 小沢一郎・元代表、鳩山由起夫・元首相ら民主党領袖、出る場所を間違えたのではないかと思える‘良識派’福島瑞穂・社民党党首、更に国会で鈴木氏を「疑惑の総合商社」とまで罵倒した辻元清美議員までもが敵に塩を送るかのように、こんな妖怪が顔を出すような場に顔見せして自分の常識・社会通念の劣化ぶりを世間にアピールする愚かさには、またかというアホらしさに呆れるばかりである。

 日本の政治、そして政権交代を成し遂げて期待された民主党のフレッシュさを台無しにした民主党の面々、特にリーダーの小沢、鳩山の凸凹コンビにはがっかりさせられる。鳩山氏は表舞台に出しゃばるべきでないにも拘わらず、鈴木氏をヨイショして、一昨日にはまた軽率な発言で周囲を唖然とさせている。

鳩山氏が何をしゃべったか?? 相変わらず反省の色もなく、こう着状態の沖縄普天間基地移設問題について、辺野古以外に基地移転の場所がある筈だと思いつき発言をしたのである。この懲りない御仁はどこまで無責任で、周囲の人々を惑わせ、迷惑をかけるつもりだろうか。

鳩山氏の政界における存在は、日本の政界のためだけではなく、日本国にとって大いなるマイナスでしかない。議員職に縋りついていないで1日も早く議員を辞すべきである。それは彼が国家のためにできる唯一の善行である。

2011年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1667.2011年12月6日(火) プーチン‘大統領’再び君臨か?

 来年3月ロシアで大統領選挙が行われる。すでに昨年辺りからロシア的と言うべきか、プーチン首相によるおかしな政治的な工作が行われている。つまり、現在のメドベージェフ大統領とプーチン首相がお互いの立場と職務を交換して、プーチン氏が大統領に、メドベージェフ氏が首相に納まろうとの奇妙な政治的取引である。こういう国民を舐めたような政治ショーが世界の大国で行われようとしている。ロシアが近代民主国家ならぬ姑息なエゴイズムを全世界に曝け出したのである。

 これはどう考えてみてもおかしいと思う。プーチン首相の権力欲と名誉欲は留まるところを知らない。最高位権力者である大統領として憲法上認められている2期・10年の役目を3年前に終え、本来なら引退か、閑職に就くべきだったが、甘い蜜に味を占めて権力の座に居座る方策を考えた。それが、一旦座を離れてから前職に復帰することである。権力の中枢から遠く離れず、茶坊主・メドベージェフ氏に一時的に「大統領の座」を貸して院政を敷き、憲法に抵触しない範囲内で虎視眈々とトップの座に復帰を図るという、呆れた政治ショーを演じようとしているのだ。

 プーチン首相の並々ならぬ権力志向は、まず憲法上許される2期・10年の任期を全うすることであるが、更にこのうえに強欲なおまけがつく。大統領就任後この任期を憲法改正によって1期5年ではなく、6年に延長して、自分は2期・12年を大統領として君臨し、再び甘い汁を吸おうというのである。つまり、今後2012年から12年間の2024年まで、再び国のトップでやりたい放題のことをやろうというのである。長期政権に胡坐をかき、恐怖政治を行った末に独裁者として追放された、チュニジア、エジプト、リビアの権力者の最近の悲惨な例を見るまでもなく、いつかはプーチン長期政権が民衆によって倒される可能性も充分考えられる。

 実は、こんな馬鹿げたことがよくできると呆れ返っていたところ、一昨日行われたロシア下院選挙で、プーチン率いる政権与党「統一ロシア」が議席を大きく減らした。そうは問屋が卸さないものだ。2007年の前回選挙では全450議席のうち、「統一ロシア」は丁度7割の315議席を獲得して一党支配状態だった。それが、今回の得票率は52.8%の238議席でしかなかった。過半数を超えたとは言え、憲法を単独で改正できる2/3の絶対安定多数は失った。

 日経紙は、「プーチン首相が過去10年間に亘り実施してきた‘一党支配’や‘管理された民主主義’への警鐘となる。経済面では汚職の根絶や、自由な企業活動の保証に向けた構造改革に期待し、政治面では政党間の公正な競争を求める中間層が声を上げた結果だ」とコメントしている。

 今ひとつ見えにくいロシアの政治が若い層には嫌われていることが窺がえる。プーチン首相が大統領に返り咲いて、ロシアは民主主義の道を歩んでいくのか、或いは以前の暗黒の共産主義国家時代へ逆戻りをするのか、プーチン首相の行動から目が離せない。

 さて、朝日新聞の特集「カオスの深淵」3回目で知ったことだが、ベルギーには昨年6月から首相がいなかった。昨日540日ぶりに漸くディルポ新首相が選任された。ちょっと常識的には考えられないことであり、これでよくも国家が機能できたものだといぶかしい気がする。

 実は、ベルギーは言語別、地域別の5つの自治政府が教育、経済、雇用などを担当しているので、中央政府としては他国の中央政府ほどなすべきことはない。そしてEUという国家の枠を超えるような超国家の枠組みの中に組み込まれているので、それほど国家としての意識や存在感がないらしい。古来ベルギーは、北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏の対立が続いていたので、余計にひとつの国という概念が国民の間ではぴんと来ないようだ。

 それにしても、こうなると国家とは一体何だろうか。

2011年12月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1666.2011年12月5日(月) 戦争体験者の苦悩の声が減った。

 まもなく太平洋戦争開戦70周年が巡ってくる。その当時私はまだ3歳になったばかりで当然記憶はない。それでも終戦の年に小学校(当時は国民学校)に入学し、空襲警報発令で防空壕に逃げ込んだり、校外で突然襲ってきた米戦闘機に担任の青木正子先生が「伏せなさい!」と叫んだ大きな声が今もって忘れられない。また、自宅の2階から現在の内房線列車が米戦闘機の機銃掃射を受けたシーンを目撃した記憶は、私自身の戦争実体験の想い出としてはっきり覚えている。その後旅行を生業とするようになってから、戦友会の戦跡巡拝団や、厚生省中部太平洋戦没者遺骨収集事業に関わるようになり、戦争体験者と会って話を伺う機会が多くなり、おかげで徐々に戦争について学び多くの知識を得るようになった。

 開戦記念日というエポックメークな時を前に、NHKテレビでもいくつか特集番組を放映している。3日、4日の2回に分けてNHKスペシャル「太平洋戦争70年―証言記録・日本人の戦争―」というドキュメンタリー番組が放映された。第1回「アジア―民衆に包囲された戦場」と第2回「太平洋―絶望の戦場」だった。4年間に亘り800人の証言をベースに番組は構成されたようだ。日中戦争以来8年に亘る戦争の間に元兵士が語った悲惨な戦場証言である。戦争の意味について、中々考えさせられる番組だった。

 「戦争は絶対やってはいけない」という言葉が繰り返されたが、この番組には将官、士官、下士官、一兵卒を問わず、戦争の残酷さや辛さ、戦地で生きて祖国へ帰りたいとの純粋な気持ちが吐露されている。

 1人の兵士とある将校の告白を紹介してみたい。ひとりは秋田県出身の86歳の1兵士である。フィリピン・ルソン島へ派遣されたが、敵は米軍だけではなく地元住民、中には抗日ゲリラも数多くいたという。ゲリラのいた地区では全員虐殺の命が出され、これは断りようがなかった。拒否すれば軍法会議で銃殺が待っていた。皆殺し作戦だった。当時は命令から逃げることは絶対できないと考えていた。だが、今になって兵士はなぜこれを避けることができなかったのかと悩み、フィリピン住民に申し訳ないと心から詫びている。

 もうひとりの87歳の元将校は、同じルソン島で突撃隊長として部下を死地に向わせ、200人の部下の内、生きて帰還した者はたった4人で、自ら下した命令で多くの部下を殺した後ろめたさと後悔から、戦後自宅から人前に姿を現すことはなく、楽しい旅行や温泉などにも行かず、そんなことをしたら殺した部下に申し訳ないとひたすら自宅で謹慎生活を送っておられる。この方はインタビューの後3ヶ月後に亡くなられた。

 折りも折り今朝の日経新聞に「遺骨収集実態ずさん―フィリピンで戦死の日本兵―」の記事が載っていた。内容的には3月に朝日がスクープしたものと同じだが、かつて細かく精査し確定したうえに遺骨収集事業を進めていたが、この記事で暴露されたようにフィリピンの戦没者遺骨収集事業の安易な好い加減さが気になる。この先の遺骨収集事業がどうなるのか心配である。

 ほかにも北上市の元教師は教え子が戦地へ向う度に励まし、戦地の教え子に「真友」という新聞を印刷して故郷の情報を戦地へ送り、士気を鼓舞していた。教え子も受け取るのを楽しみにしていた。しかし、これが戦後この教師の心に深い傷を残し、私費で鎮魂の鐘を造り戦死した教え子の名を彫ってお堂を建立し、鐘撞きをしながら昭和42年に亡くなるまで毎日戦没した教え子を供養していたという話が紹介されていた。胸にズシリとくる辛い話である。

 いずれにせよ、先の太平洋戦争は未曾有の犠牲を強いて、戦没者と遺族のみならず多くの国民の間にも深い傷跡を残した。この番組の冒頭で「戦争体験者が誰もいなくなることを憂いたことが生の声を取り上げるきっかけになった」というナレーションが流された。一方で、時代がどんどん変わっていく間に、戦争の傷跡も風化していくのではないかと心配する、戦地で苦労された元兵士の言葉が引っ掛かった。

2011年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1665.2011年12月4日(日) ヨーロッパ財政破綻の原因は?

 世界的に経済不況が蔓延し、一部には第1次大戦以来の世界大恐慌が襲ってくるのではないかと不安視する声もある。多少失業率は向上したとは言え、アメリカの景気が全体的に一向に好転せず、その間にヨーロッパ先進国の財政が連鎖的に行き詰まり、抗議活動やデモが勢いを増し、失業者は増え、ギリシャに続いて、イタリア、スロバキア、スペインの政権が交替する有様である。

 今日から朝日新聞がこの実態にメスを入れるべく、朝刊1面にトップ記事としては珍しい特集を組んだ。「カオスの深淵」と題してヨーロッパ危機の意味について明後日まで3回連載される。この難解な疑問については専門家でも意見や評価が分れるところである。その本当の原因はよく分らない。だが、金余り現象の究極の結果ではないかと考えている。資本主義社会、言い換えれば近代民主主義になって経済が発展し、共産主義が悪と決め付けた、金融資本主義に次第に拍車がかかったことに依るのではないかと思っている。

 朝日は「借金が民主主義を支配する」とのテーマを投げかけているが、多分その通りだと思う。一部の人間が借金をしたことにより、目に見えない資金流通量が増え、その分だけ購買力が増えた。また、商品取引とか、金融資本取引や信用取引により需要以上に見かけの資金が増加して、世界的に資金量がだぶつき、世界経済が砂上の楼閣にあったのではないかと考えている。その裏では、投機筋のヘッジ・ファンドや、証券会社などの金融機関の暗躍があった。

 ついにはあれだけびくともしなかった「最後の砦」ドイツ経済すら揺らいだ。ドイツ国債が4割も売れ残り、ドイツ連邦銀行が残りを引き受ける破目になった。

 朝日の特集を追ってもっと学んで、本当のところを知りたいものである。

2011年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1664.2011年12月3日(土) 思考停止の国会議員にうんざり

 沖縄問題となると、どうしてこうもこじれるのか。先日防衛省・田中聡沖縄防衛局長の暴言があったと思ったら、その身内の暴言を非難して更迭処分まで下していた一川保夫・防衛大臣が語った、米兵の少女暴行事件について、実態を知らなさ過ぎるとして野党はもちろん、与党内からも非難が浴びせられている。職務柄そう批判されても弁解の余地もない。

 何度も繰り返すようだが、一川大臣は就任記者会見からして大臣としての適格性に欠けるのではないかと危惧されていた。防衛大臣になろうというのに防衛問題に素人であると公言して、顰蹙を買ったのはつい3ヶ月前である。こういう発言を聞かされては、部下も堪ったものではない。東日本大震災で活躍する自衛隊員のモチベーションも下がる一方なのではないか。どうしてこんなとろい人物が、国防の最高責任者になることができるのか。

 1995年米海兵隊員による沖縄の少女暴行事件は、事件当時沖縄中で強い反発を買い反米デモを引き起こした。これがきっかけで普天間基地移設問題が俎上に上がってきた。今普天間基地移設問題がギクシャクしている最中に、そんな大事な事件の内容と経緯も知らずに、よくも防衛大臣を引き受けたものだ。大臣たるもの何も考えていないことになる。

 衆議院では大臣の問責決議案が検討されている。ほとんどの野党が問責に賛成しているうえに、与党内でも大臣を罷免させるべきだとの強硬な意見が出されている。今日前原誠司・民主党政調会長が「この問題(少女暴行事件)をきっかけに米軍普天間飛行場返還が大きなうねりになった。そのことをご存じないとは勉強不足が過ぎる」と切って捨てた。同じ党内有力者からも愛想をつかされたのである。このままでは衆議院で問責決議案が通ることは確実である。これは政権政党にとって致命傷になりかねない。任命権者である野田首相にとって選択肢は狭まり、防衛大臣を罷免するかどうかの瀬戸際に立たされている。どうして、こうもでき損ないの大臣が後から後から表舞台に出てくるのだろうか。

 政治が不透明で前へ進まない時に、またつまらない失言と足の引っ張りあいにより国政レベルで時間と費用を無駄に使っている。国会議員はもっと恥を知るべきではないか。自分たちは仕事もせず、身銭も切らずに国民には増税、増税と負担ばかり押し付けている。いま国会議員に一番実行してもらいたいことは、議員定数の削減である。これで財政的には大分助かる。これは総選挙の民主党マニフェストであり、国民に約束したことではないのか。国民との約束も守れないのか。

 東京メトロ「国会議事堂前」駅名をフランス語で発音すると「コッケイジジドモー」となる。正に図星である。エスプリの効いたジョークを好むフランス人は流石に見抜いている?

 結論を言えば、「国会議員とは何も考えず怠け者でウソツキ、単に欲の深い詐欺師である」。

2011年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1663.2011年12月2日(金) アメリカとビルマの外交関係復活成るか。

 ビルマに対して俄かにアメリカ政府が関係改善に動き出した。その背景には、ビルマ国内における中国の圧倒的な存在感と、最近になってビルマ政府の外交スタンスが変化しつつあることが影響している。軍事政権は1988年に選挙で惨敗を喫したアウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化勢力を弾圧し、こともあろうにリーダーらを多数逮捕し、スー・チーさんの政治活動を抑圧し、自宅軟禁に押し込んだ。その時以来、欧米諸国はビルマ軍事政権に対して経済制裁を課してきた。これにより元々苦しいビルマ経済が益々窮地に追い込まれた。その窮状につけ込んで援助を申し出たのが隣国の中国である。中国にとっては願ってもないチャンス到来である。表向きはビルマへの友好関係の構築、ビルマ経済への支援を唱えているが、すでに馬脚を顕した中国の途上国への支援は、支援という美名につけこみ、現地へ恩恵を与えるどころか甘い汁を根こそぎ母国へ持ち帰るやり方で、これまで経済援助をしてきたアフリカ諸国からも強い不満の声が上がっている。

 これまで中国によるビルマへの投資も、美味しいところを丸ごと中国本土へ持ち帰る援助に名を借りた中国にとっては割のいい「商い」だった。だが、今年9月にビルマ政府は中国に対し中麺北部国境近くのミッソンダム建設工事の凍結を一方的に通告した。仮に工事が完成してもその発電量のほとんどは中国へ送電され、地元ビルマ国民への恩恵は極めて限られている。そのうえ環境汚染もあって周辺住民の間には不満が燻っていたからである。

 現在中国・成昆とビルマ・インド洋沿岸都市・チャウピューとの間に石油・天然ガスのパイプ・ライン800㎞構想がある。これが完成すれば、マラッカ海峡を通さずにインド洋から直接ビルマ産天然ガスや中東産石油を中国に運び込むルートが開通する。これもビルマのための開発ではなく、ビルマの土地を利用した中国のための開発である。これらの投資により、ビルマへの海外からの投資は累進的に増加し、2010年度のそれは200億$(約1兆5500億円)に達して、それ以前の21年間の累計投資額(160億$)をも上回った。そして、その約7割を中国と香港が占めている状態である(残りのほぼ3割はタイと韓国)。この中国の影響力とこれまでの中国一辺倒外交に危機感を抱いたアメリカ政府は、アジア・太平洋地域におけるプレゼンスを確立するために遅まきながら行動を起したというのが、アメリカ外交の本心である。

 ビルマ自体は今年3月の民政移管以降徐々に政治・経済両面で改革が進み始めた。ビルマ政権内でも、このあこぎな中国の手法に対する不満が渦巻いており、そこへ軍政の最高権力者で親中派だったタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の引退が政権内の空気を変えさせた。

 このような時期にクリントン米国務長官がビルマを訪れテイン・セイン大統領と会談した。現職の国務大臣がビルマを訪れるのは、実に57年ぶりである。ビルマとしてもこのまま国際社会の中で孤立するのはできれば避けたい。アメリカにとっても中国の進出を牽制したい。

 両者の思惑がからんだ会談では、クリントン長官は1,000人以上の政治犯を無条件釈放と、ビルマと北朝鮮との間の核開発協力の停止を求めた。これに対してテイン・セイン大統領は、アメリカの主張は一応理解できるとしている。今後ビルマが経済封鎖を解除され国際社会へ復帰し、多くの国々と外交関係を復活させることを願うものである。

2011年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com