ビルマに対して俄かにアメリカ政府が関係改善に動き出した。その背景には、ビルマ国内における中国の圧倒的な存在感と、最近になってビルマ政府の外交スタンスが変化しつつあることが影響している。軍事政権は1988年に選挙で惨敗を喫したアウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化勢力を弾圧し、こともあろうにリーダーらを多数逮捕し、スー・チーさんの政治活動を抑圧し、自宅軟禁に押し込んだ。その時以来、欧米諸国はビルマ軍事政権に対して経済制裁を課してきた。これにより元々苦しいビルマ経済が益々窮地に追い込まれた。その窮状につけ込んで援助を申し出たのが隣国の中国である。中国にとっては願ってもないチャンス到来である。表向きはビルマへの友好関係の構築、ビルマ経済への支援を唱えているが、すでに馬脚を顕した中国の途上国への支援は、支援という美名につけこみ、現地へ恩恵を与えるどころか甘い汁を根こそぎ母国へ持ち帰るやり方で、これまで経済援助をしてきたアフリカ諸国からも強い不満の声が上がっている。
これまで中国によるビルマへの投資も、美味しいところを丸ごと中国本土へ持ち帰る援助に名を借りた中国にとっては割のいい「商い」だった。だが、今年9月にビルマ政府は中国に対し中麺北部国境近くのミッソンダム建設工事の凍結を一方的に通告した。仮に工事が完成してもその発電量のほとんどは中国へ送電され、地元ビルマ国民への恩恵は極めて限られている。そのうえ環境汚染もあって周辺住民の間には不満が燻っていたからである。
現在中国・成昆とビルマ・インド洋沿岸都市・チャウピューとの間に石油・天然ガスのパイプ・ライン800㎞構想がある。これが完成すれば、マラッカ海峡を通さずにインド洋から直接ビルマ産天然ガスや中東産石油を中国に運び込むルートが開通する。これもビルマのための開発ではなく、ビルマの土地を利用した中国のための開発である。これらの投資により、ビルマへの海外からの投資は累進的に増加し、2010年度のそれは200億$(約1兆5500億円)に達して、それ以前の21年間の累計投資額(160億$)をも上回った。そして、その約7割を中国と香港が占めている状態である(残りのほぼ3割はタイと韓国)。この中国の影響力とこれまでの中国一辺倒外交に危機感を抱いたアメリカ政府は、アジア・太平洋地域におけるプレゼンスを確立するために遅まきながら行動を起したというのが、アメリカ外交の本心である。
ビルマ自体は今年3月の民政移管以降徐々に政治・経済両面で改革が進み始めた。ビルマ政権内でも、このあこぎな中国の手法に対する不満が渦巻いており、そこへ軍政の最高権力者で親中派だったタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の引退が政権内の空気を変えさせた。
このような時期にクリントン米国務長官がビルマを訪れテイン・セイン大統領と会談した。現職の国務大臣がビルマを訪れるのは、実に57年ぶりである。ビルマとしてもこのまま国際社会の中で孤立するのはできれば避けたい。アメリカにとっても中国の進出を牽制したい。
両者の思惑がからんだ会談では、クリントン長官は1,000人以上の政治犯を無条件釈放と、ビルマと北朝鮮との間の核開発協力の停止を求めた。これに対してテイン・セイン大統領は、アメリカの主張は一応理解できるとしている。今後ビルマが経済封鎖を解除され国際社会へ復帰し、多くの国々と外交関係を復活させることを願うものである。