1287.2010年11月21日(日) 櫻井先生と鉾田一高へ

 昨晩はすっかり飲みすぎてほろ酔い気分のまま部屋へ帰り、バタッと眠りについてしまったが、今朝になっていよいよ「スマイル会」も解団となると気持ちとしては寂しい。朝食後水戸まで何とか足を確保しようと考えていたら、取手市にお住まいの櫻井徳郎先生が、常磐線の駅まで送って下さるとの親切なお誘いに甘えてJR石岡駅まで車に同乗させていただいた。

 櫻井先生の特技と専門知識を生かされた園芸については、日頃から努力されてご自宅の庭園や田畑を解放されて園芸や、土いじりを味わいたいという地域の方々を広くお招きして、「櫻友会」と称して楽しみながら和気藹々と園芸をご指導しておられる。茨城県内の学校や施設で講演をしながら、花壇の設計や造園計画にもかなり携わられたようだ。石岡駅への途次大洗海岸沿いに南下して、鉾田市内を通り抜けた時、造園を手がけられた県立鉾田一高へ寄ってみようということになり、狭い道路を走って校庭へ到着した。生憎休日なのでキャンパスはひっそりしていたが、トラック1周400mの広さがとれ、公式記録会が催されるほど校庭が広いのには驚いた。

 やはり地方の学校の方が施設は広々と運動環境に恵まれている。生徒たちは思う存分走り回ることが出来て幸せだと思う。

 櫻井先生がしみじみお話されたが、学校などの造園設計はほとんど設計者の名が表示されない。仮に名前が出るとしても代表者、つまり学校なら校長の名前が刻まれると話された。それは、他の記念碑的な彫刻や石碑でもそうだ。この鉾田一高でも校門から校舎へ向かってその前に創立周年記念彫像が建立されている。その下にその時の校長の言葉が達筆で刻まれていた。

 石岡駅まで櫻井先生に送られて帰宅したのが、午後1時過ぎだった。櫻井先生には随分お世話になってしまった。この「スマイル会」の先生方には多くのことを教えてもらった。いま歩んでいる未熟な旅行ジャーナリストとしての仕事でも参考になったことが沢山あった。

 しかし、「スマイル会」解団となるとやはり寂しい気がする。鹿嶋市から車で来られた石橋先生には、近くへ来られる時はぜひ連絡して欲しいと仰っていただいた。良い想い出を与えてくれて感謝の気持でいっぱいである。

 さあ次の教育海外研修団は1週間後で、これも今回限りで解団である。

2010年11月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1286.2010年11月20日(土) 「スマイル会」結団25年を前に解団

 1986年11月に茨城県海外教育視察団にお供して、当時の西ドイツ・アウグスブルグとフランスのエブリーで学校訪問をしてから、すでに24年が経過した。その後ほぼ毎年の如く同窓会を行ってきたが、参加された先生方もかなり退職された。幸いどなたも亡くなられてはいないが、今年が最後の同窓会と相成った。24回目同窓会の思い出は尽きない。万難を排する気持で参加した。

 今回その視察団「スマイル会」の最後の同窓会は、大洗海岸を目前にする鴎松亭で開催された。そもそもユニークな会の名前は、添乗員だった私が、旅行中学校訪問だけに限らず、常々「スマイル!」「スマイル!」と笑顔を湛えることを連発、強要していたことから、帰ってから「スマイル会」と名づけられたものである。

 当初は車で出かけるつもりだったが、大洗には水戸から牧歌的な鹿島臨港鉄道が運行されていると聞いたので、滅多に乗るチャンスがないと思い、試験搭乗さながらに電車で出かけることにした。JR常磐線・水戸駅で特急「スーパーひたち」から単線の単車輌に乗り換えた。車窓から見る沿線風景は稲穂も刈り取られ、まさに晩秋の田園風景である。人家はあまり見られず、これではあまり収益が上がらないのではないかと余計な心配をする。ほのぼのとした風情がいい。

 ところが座席の前の方から、揚げ物の匂いが漂ってくる。ところどころでポテトチップスや、ポテトフライをつまみ食いしている乗客がいる。それが車内にぷ~んと匂ってくるのだ。乗客の様態を見ているとつまみ食い、携帯メール、居眠り、おしゃべりに分けられるようだ。そんな短い旅の中15分で大洗駅に到着した。この駅舎内にはこの鉄道会社の本社がある。ここからタクシーで鴎松亭まで10分。

 大洗と言えば、旧大洗荘の早稲田大野球部OBの石井藤吉郎氏が有名人であるが、聞いてみるととっくの昔に亡くなられたと、タクシーの運転手がそんなことも知らないのかと言わんばかりの口の利き方だった。

 団員は私を別にして25名であるが、「最後のスマイル会」が効いたのか、万障繰り合わせて出席して欠席者は僅か6名だった。石橋喜代雄団長の挨拶に続いて、出席者全員が近況報告をされたが、懐かしい顔が見られる。この視察団では、ロンドン滞在中にホテルの火災騒ぎがあり、朝方になって全員が部屋から逃げる騒ぎがあったが、その当時の情景を説明される先生がおられて、改めてこの「スマイル会」が、火事現場に出遭わせたのだと再認識した。

 この団のまとまりが良いのは、やはり石橋団長のお人柄と統率力が秀でているからである。近況を伺っていると淀川ゆき先生のように、現在女性として初めて牛久市教育長の職を務めておられる先生もおられるし、来年定年を迎えられる3人の先生はそれぞれ小中学校長として勤めておられる。他にも公民館や生涯学習センターで活動しておられる先生も4人おられる。皆さんそれぞれ元気に地域で活躍されている。団結成以来24年となったが、まだ物故者がいないこういう時期に解団して、当時を偲ぶのが良いのではないかという考えで未練はあるが今回が最終回となった。

 走馬灯のように想いは駆け巡る。若い時代の感傷である。

 部屋に引き上げてから、お声がかかり別室で2次会を12時半まで続けていた。みんな口では解団もやむを得ないと言っていたが、実は別れがたいのである。窓の外は打ち寄せる太平洋の波に月光である。ついセンチメンタルな気持になる。

2010年11月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1285.2010年11月19日(金) 厳しい今年の就職戦線

 大学生の就職状況がはかばかしくないらしい。10月1日時点で、来春卒業予定の大学生の就職内定率が過去最低の57.6%まで落ち込み、就職活動は再び氷河期に突入した。

 このところ毎日のように大学生の就職活動の様子がテレビで放映されている。特に、地方の大学生が苦戦を強いられているようだ。地方には学生を受け入れる企業が少ないことがその最大の原因である。関東や近畿は60%を超えているが、九州や北海道、四国などの大学生は中々内定を得られず、50%をちょっと超えた程度である。

 翻って自分たちの時はどうだったか。卒業の1年前が空前の売り手市場で、あっと言う間に就職が決まっていた。そのおこぼれを受けてわれわれの卒業した昭和38年もあまり就職状況は悪くなかったような気がする。本気になればどんな会社だって入れると思い上がった気持があった。それで父親に頼ることもなく自分で職探しをして失敗し、私なぞは友人が次々に決まっていくのに、中々決まらず、親を心配させた。それでもゼミの先輩のルートで何とか就職することが出来た。

 それに比べれば今の学生たちが気の毒でならない。尤も全般的に今の学生たちは世相の影響か、昔の学生のようにひたすら前向きに進むと言う感じを受けず、妙に余裕があるのか、あちらこちら目移りがしてじっと前を見つめて突き進む学生はあまり多くないような気がする。

 2年前のリーマン・ショック以来就職状況は悪化の一途であり、「就職氷河期」と呼ばれた2000年前後でも60%台を維持していたことを考えると、今年の数字には極めて悲観的にならざるを得ない。特にこれまでと違って、大学院卒、理系が芳しくなく、これにいつも通り女子の内定率が低い。経済が沈滞して、就職先としての受け皿が大きく凹んでいることが致命傷であり、こればかりは経済界だけではなく、国を挙げて取り組まなければならない深刻な課題である。

 今や昇り調子の中国でも、大学生の就職難は深刻な問題となっているようだ。しかも中国では大学生の就職難は日本以上に悪化して、精々内定率は40%というから驚きである。一部にかなり高いレベルを求める企業がある反面、ほとんどの労働市場は単純労働者を求めている傾向に原因があるらしい。結局大学出が就職するマネージャー・クラスの仕事が思ったほど多くないことが効いている。

 一気に解決するのは難しいだろうが、就職内定率60%に対して求人率が1.28倍というのは、企業と学生の間のミスマッチを証明している。学生も高望みはほどほどにして、自分の実力にあう企業を探すよう頭を切り替えることも必要ではないか。

2010年11月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1284.2010年11月18日(木) 菱山郁朗・駒沢大講師が「週刊新潮」で話題に

 今日駒沢大学で大泉克郎講師による「高度情報社会のメディア論」講義開始前に、受講者のひとり、須田修一さんが大泉講師に「週刊新潮」を手渡していたが、講義の冒頭に講師がその週刊誌の記事について説明と解説をされた。

 今日発売された「週刊新潮」11月25日号に、「『ナベツネ』と『氏家』を大批判した日テレの元政治部長」というタイトルで、「日テレ・元政治部長」菱山郁朗講師に関する記事が3頁に亘ってセンセーショナルに取り上げられている。併せて菱山氏の写真も掲載されている。菱山論文が記載された「駒沢大学マス・コミュニケーション研究所」発行の研究所2009年報の写真まではっきり掲載されている。

 実は、先日やはり日テレの元部長だった大泉講師からこの年報をいただいたところである。

 「週刊新潮」の記事というのはこういうことのようだ。菱山氏が、研究所年報に「ナベツネ」こと、読売グループ総帥・渡辺恒雄会長と日本テレビ・氏家斉一郎会長のワンマン的言動と読売グループ内に充満する2人の強烈な存在感を非難する論文を寄稿した。それが読売・日テレの首脳陣の怒りを買ったらしい。その論文とは「メディア権力の研究」と題するもので、菱山氏が日テレ在職中に取材したドキュメント番組の社内の見方や評価について、氏の視点で書いたものだ。リクルート事件当時、検察捜査が政治家にまで及んだが、菱山氏はリクルート社が社会党・楢崎弥之助代議士に賄賂を手渡そうとする現場を隠し撮りして話題になった。だが、当時の読売グループ首脳陣は隠し撮りビデオが自民党幹部、特に中曽根氏、竹下氏らに捜査の手が及ぶことを懸念して、そのスクープ的取材手法を批判したことを菱山氏は論文の中で不条理で納得出来ないとの感情を吐露し、同時に高齢にも関わらず渡辺、及び氏家両氏が読売グループ内に鉄壁の備えをして君臨し、隠然たる権力を行使している古い体質を堂々と批判した。

 恐らくそれが大方の読売グループ社員の本音だったのではないだろうか。だが、それは読売グループ首脳陣にとっては到底許せないことなのであろう。読売も日テレも菱山論文に対するコメントはしないとジャーナリズムらしからぬ逃げの姿勢に終始している。

 記事の最後では菱山論文を引用し、「身体を張って日々取材活動を続けている大多数のジャーナリストにとって全く模範とはならないし、健全なジャーナリズムは育たない。むしろ2人はジャーナリストとしては失格であり、一日も早く後進に道を譲って引退すべきだ」と手厳しい。そして、記事は「2人が単なる後期高齢者に成る日。その日を待ち望んでいるのは、ひとり菱山氏だけではなかろう」と結んでいる。

 菱山氏はすでに退職したとは言え、元読売グループ社員として中々思い切った行動をされたと思う。実は、先日私の共著を菱山氏へお送りした際、この論文は久しぶりに力を入れて書いたので、ぜひじっくり読んで欲しいとメールをもらったところである。

 まだ、さらっと目を通した限りでは、事実をしっかり記述しているとの印象が強い。じっくり読んで感想を菱山氏へ書き送るつもりだ。実は、菱山氏から氏の12月14日の最終講義に、聴講と懇親会に参加しないかとお誘いがあったばかりである。残念ながら当日は飯田ゼミの忘年会があるので、出席出来ないが、近日中にお会いすることがあるならいろいろ話し合ってみたい。

 それにしても、菱山氏は蛮勇をふるって行動した、気骨のある人だ。その勇気ある言動に敬意を表し、喝采したい。今度お会いした時、とくと話し合えるのが楽しみである。

2010年11月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1283.2010年11月17日(水) 「はやぶさ」 お見事!

 昨日注目すべきニュースが2つあった。ひとつは、裁判員制度としては初めて横浜地裁で死刑判決が下されたことである。しかも、どういう意図か分らないが、裁判長が被告に控訴するよう話をしたことである。真意については憶測の域を出ないが、それでも各界から裁判長の気持を量りかねるとのコメントが寄せられたりして世論は揺れている。

 今日駒沢大学で清田講師は、裁判長の発言には裁判員の負担を軽くする意味があるのではないかと話された。確かに控訴すれば、2次裁判である東京高裁で裁かれることになる。その場合は裁判員が参加しないので、仮に死刑の判決が下されても裁判員が関わった割合が小さくなり、負担が軽くなる。無期懲役になれば、プロの裁判官が自分たちのクビキを多少解いてくれたように感じられる。深刻な心境を語っていた裁判員の姿を見ていた裁判長は、そんなことを望んでいたのかも知れない。

 しかし、異例な発言の裏には、裁判長が自ら下した死刑という判決に自信を持てないからだとか、これでは裁判員制度導入の意味がないとか、議論百出である。

 もうひとつのニュースは、6月に回収された宇宙衛星「はやぶさ」のカプセルから小惑星「イトカワ」の成分が採集されたことが証明されたことである。これは文句なしに素晴らしい業績であり、日本の科学技術のレベルの高さを世界へアピールするものだ。

 公式発表するひな壇席の宇宙航空事業団(JAXA)関係者の嬉しそうな顔が何とも微笑ましい。

 「はやぶさ」が、打ち上げられたのは2003年5月で、05年11月には20億㎞も離れた小惑星「イトカワ」に着陸した。だが、05年12月から06年1月の間は通信が途絶えて一時行方不明になった。JAXA研究者や職員の懸命な回復作業の末、漸く07年4月に地球へ向けて出発することができた。そして3年後の今年6月地球へ戻ってきた。それ以来JAXAでカプセル内に約1,500個の微粒子を確認した。

 専門的なことは分らないが、この結果には宇宙のロマンを感じるとともに、精度の高い技術を駆使して、精巧なロケットを製造して宇宙へ打ち上げ、一旦は故障して通信も途絶する苦難の中で、再び「はやぶさ」制御して地球へ戻すというオペレーションには、感嘆するばかりである。技術も凄いが、このプロジェクトに関わった関係者の辛抱強い努力と研究心には頭が下がる。最近にはない慶事であり、心から嬉しく誇らしく思う。

 このところ政治、外交、経済で行き詰まり状態だった日本も、科学分野では世界に冠たる実力を証明してくれた。大いに自慢して良いと思う。

2010年11月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1282.2010年11月16日(火) 事業仕分けは国の政策と矛盾している。

 昨年政府の事業仕分けが注目され、大方の喝采を浴びた。これは私も所属する政策シンクタンク「構想日本」の提言を受けて初めて実行されたもので、国の事業内容の効率性と無駄をびしびし査定して、その必要性に断を下したものである。

 それが、どうも言いっぱなしになり、中には看板の付け替えをすることでしぶとく生き残る事業もあって、実際には喝采を浴びた仕分けの成果にも疑問が呈された。そして、昨日事業仕分け第3弾後半戦が始まり、過去の仕分け結果が予算要求に充分反映していない事業を対象としてチェックが為された。

 仕分けでは対象となった28事業の内、9事業が廃止、6事業が予算圧縮、6事業が見直しとされた。その中で国の重要政策とされた観光が、オヨヨと思わせる国家の政策に逆らうような判断が下されたことには唖然とさせられた。

 観光関係の3事業の内、「観光地域づくりプラットフォーム支援事業」が予算要求を半減され、これからの観光業の目玉とされている「訪日旅行促進事業(VISIT JAPAN事業)」は予算要求の1/3を圧縮され、今後期待される「国際会議の開催・誘致の推進」は、何と予算計上が見送りとされた。

 観光は菅政権の成長戦略の主要な柱ではなかったのか。

 観光については、言うまでもなく近年国は経済再生の柱のひとつとして力を入れていくことを強く意識して、観光立国懇談会を発足させ、観光立国推進基本法を制定し、更に観光立国推進基本計画も策定して、着々と環境整備を行い、実効も上がっていた。更にその執行機関として一昨年には国土交通省は、外局として「観光庁」まで発足させ、わが国の遅れた観光行政を推進するための目標と枠組みは漸く緒に就いたばかりである。

 近著「そこが知りたい 観光・都市・環境」の中でもこれらの政策を評価し、近未来の観光振興に大きな期待を抱いていたことを記述したばかりである。しかも、観光の振興はこれまで国の強い支援策もなくほとんど民間の手によって行われてきた。事業仕分けチームは、国家予算を削減すると強圧的な文言を弄して、観光庁予算が倍増している(21年度62.5億円→22年度126.5億円)と言いがかりをつけているが、厚労省の22年度一般会計予算27兆円と比べれば分るようにごく些少であり、観光は雇用創出を含めて経済的にも成果が上がることは明らかである。

 それより何より、昨日まで観光は日本経済の切り札だの、21世紀は観光の時代だのと散々観光業界を踊らせておいて、その挙句にポイ捨てとは、やはり腹の中では観光産業は蔑視されているのだと改めて認識した。

  NHK「ニュース7」で、民主党が決めた政府予算を同じ民主党議員が事業仕分けで、廃止を決めるのはおかしいと民主党内から批判的な意見が出てきたと伝えていた。出足は良かったが、このところ事業仕分けに対する全面的支持という風向きが、少しずつ変わりつつあるようだ。

 それにしても納得がいかないのは、仕分け人と質問に対する説明者が観光の実態と本質についてまったく分かっていないことである。そういう人たちが過剰なパフォーマンスで演技している。これでは残念ながら日本の観光産業はいつまで経っても日の目を見ることはないのではないか。

 ところで先般オープンしたいま話題の羽田空港国際線ターミナルビルを見学がてらランチをいただきに妻と出かけた。まあ物見高い見学客を含めてロビー周辺と土産物店、レストラン街は芋を洗うような人混みだった。昨年12月に新管制塔見学で訪れた時とはまったく変わった熱気が充満していて、新しい観光ブームが元気づけてくれるような気がした。

 そんなムードに引き比べ、何と事業仕分けはがっかりさせてくれることだろうか。残念ながら政治家には肌で感じる観光の臨場感は分かるまい。

2010年11月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1281.2010年11月15日(月) 横綱白鵬64連勝ならず。

 今日は大きな国内ニュースが2つある。ひとつは、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の映像を‘You Tube’を通して外部へ流した海上保安官について、検察庁と警視庁は逮捕せず任意捜査を続けると発表した。対立する2つの説がある。国家機密守秘義務違反で逮捕すべきという声がある一方で、一部の国会議員に映像を見せ、議員がテレビでその内容を話した以上秘密とは言えないので、国家機密には当たらないという説がある。

 但し、組織として機密扱いで管理していた情報を個人の感情だけで外部へ広く流した行為が簡単に許されるのでは、海上保安庁に限らず、組織自体が成り立たないのではないかとの懸念もある。

 いずれにせよ、毅然とした姿勢が見られずガタガタするばかりで、今後も同じような事件が起きるのではないかと心配である。

 もうひとつのニュースは、大相撲九州場所で昨初日まで63連勝を続けていた横綱白鵬が、平幕稀勢の里に破れた。名横綱双葉山の記録69連勝を破るのではないかと期待されていたが、野望は潰えた。

 海外では、ビルマのアウン・サン・スー・チーさんが解放され、早速国民民主連盟(NLD)本部前で約4万人の支持者を前に声明を発表した。長い間の自宅軟禁状態にも拘わらず、常に身の回りで監視していた軍政の係官は優しい対応をしてくれたと係官を非難することはなかった。彼女の心優しく、思いやりのある人柄が偲ばれる。

 スー・チーさんは声明の中で、2千人以上に上る政治犯の釈放を求めるとともに、今後は軍政当局とも話し合いを進めると語ったが、彼女がこういう心情を話すのは初めてである。これまで民主化について、当局とは考えを改めねば話し合いは出来ないと頑なに語っていたが、長い軟禁状態の末、現状打開のためには自分たちの言い分を主張するだけではなく、相手の言い分も聞いてその中から妥協点を見出そうと考えを変えたのではないか。これもひとつの智恵であるので、支援する民主化仲間の同志らと充分意見調整をして、ことに当たってもらいたいものである。

 現時点では双方の考え方には、大きな隔たりがあるので、そう簡単に妥協点を見出すのは難しいと思うが、今は最悪状態で、これだけ世界中から非難を浴びている現政権が話し合いに応じようとしない以上、最善の策がダメなら次善の策を考えてみるのもひとつの方法ではないかと思う。

 それにしてもいつも現在の軍事政権の背後に見え隠れする中国の存在を、世界の民主化の声で表に炙り出す必要があるのではないかと思う。

2010年11月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1280.2010年11月14日(日) スー・チーさん解放される。

 昨夜ビルマの民主化運動指導者であるアウン・サン・スー・チーさんが7年半の自宅軟禁を解かれ、取り敢えずは自由の身となった。珍しくビルマ国営放送もこのニュースを伝えたという。心配していたが、軍政側から今後の行動に対して格別の教育的指導や制限はつけられていないので、当面表面的には政治活動に関して支障はない。

 しかし、過去の例を見る限り、解放直後は何の条件をつけずとも、行動を起こすと君子豹変して無理難題を突きつけ、従わないと身柄を拘束するというのがこれまでの軍政当局のあくどいやり方だった。ここ当分双方の動きから目が離せない。

 ところで、以前(2008年)に見逃してしまったNHKのハイビジョン特集「ボルガ河民族復興の大地をゆく」という2時間番組が昨深夜再放送されたので、録画しておき今日ゆっくり観賞した。

 さすがNHKと言おうか、カネと時間をかけてじっくりボルガ河沿岸の歴史ある自治国と都市を巡っている。これまで知らなかったボルガ沿岸の歴史と民族の興亡を、船旅で牧歌的な風景を見せながら紹介してくれた。中々興味深い労作である。

 7年前シベリア鉄道でシベリア大陸を横断した時、ボルガ河の鉄橋を渡り、思わず「ボルガの舟唄」が口を突いて出たが、あの滔々と流れる母なる川ボルガを、首都モスクワからカスピ海河口のアストラハンまで3,600㎞を下る10日間の旅は、シベリア鉄道同様にいろいろなことを深く考えさせてくれる旅である。

 モスクワからタタール人の街カザフを皮切りに、スターリン時代に悲哀を味わったコサック人の街サマラ、ドイツ出身のエカテリーナ女帝が作ったドイツ系移民のサラトフ、独ソ戦攻防のボルゴグラード(旧スターリングラード)、モンゴル系カルムイク人のカルムイク自治共和国、そして最後はアストラハンに寄港する。それぞれの寄港地で、異なる民族の歴史の変遷を教えてくれる。特に印象的だった都市のひとつは、ドイツ系移民が居住するサラトフとボルゴグラードで、独ソ戦開始によりかなりの数の住民が死亡し、生き残った住民はシベリアへ移住させられ、偶々戦後初めて里帰りして旧居住地で思い出に耽る重苦しいシーンには心を打たれた。

 それにしても帝政ロシア時代、そして革命からソ連邦瓦解までロシアが行った民族弾圧は、今日においてもロシアが旧ソ連時代の共和国に対して行っている政治的弾圧の行動からも垣間見ることができる。

 カルムイク自治共和国が、ソ連崩壊後に国内にチベット仏教を生き返らせ、ヨーロッパ唯一の仏教国として仏教を信じることの素晴らしさを語る若きイリュムジンスク大統領の自信に満ちた顔が印象的だった。

 いずれにせよこういう意欲的なドキュメントを心ゆくまで観賞出来るというのは、素晴らしいことだ。この番組は、これまで何年間にも亘って放映されたBSドキュメント番組の中から選りすぐったものなので、素晴らしいと頷けるにしても、ドキュメント番組にとりわけ関心が強い私にとっては、つくづく有難いと思う。

 昨日開催されたAPECも今日閉幕した。議長国として菅首相が将来のビジョンについて総括スピーチで締めたが、存在感は極めて薄かった。意識的に中国の胡錦濤・国家主席を見るせいか、メディアまで混乱している。お笑い種だが、昨日朝NHK「あさいち」に出演していた左手のピアニスト・館野泉さんを、テロップが東京芸大ピアノ科を「主席」で卒業したと紹介した。最後まで訂正されなかったところをみると、NHK内でも間違いに誰も気付かず、相当胡錦濤「主席」に幻惑されて、「主席」だか、「首席」だか分らなくなっていたに違いない。

 まあ今回のAPECは成果こそないが、大きなミスもなく終ったのは、不穏な雰囲気の中で開催されたケースとしては、まずまずなのかも知れない。

2010年11月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1279.2010年11月13日(土) APEC首脳会議始まる。

 今日から2日間横浜で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)出席のため、昨夜世界の超大物が特別機で続々やって来た。アメリカのオバマ大統領、ロシアのメドベージェフ大統領、中国の胡錦濤・国家主席らが厳戒体制の中で横浜入りした。中国とロシアとの関係はこのところギクシャクして、2国間首脳会談を開くのかどうかも決まっていなかったが、今夕になって急遽日中首脳会談が開かれた。これに先立ち早くも日米首脳会談が開かれ、日本はアメリカの理解ある行動に対して感謝の意を伝え、両国ともに中国を牽制しながら日米同盟の深化を確認した。日本にとっては対中・対ロを意識して殊更対米関係の強い信頼関係をアピールするとともに、アメリカがアジアに強い絆を築いていることを訴える姿勢を示した。

 こうなると日米同盟の基盤固めの点では、大いなる効果があったと評価しつつも、これから生じるであろう沖縄・普天間米軍基地移設のたなざらし問題をどう解決するのか。鳩山前首相の煮え切らない対話により、日米間には大きな溝が出来ている。5月28日の日米合意確認でアメリカに辺野古基地案実施にOKのシグナルを送ったことに対して、ほぼ全沖縄島民が反対と見られる空気の中で、果たしてアメリカが望む通りの対応が出来るのか、甚だ疑問である。

 下手をすると日米関係だってギクシャクしかねない。外交問題に弱い菅政権が、世界が注目する中で議長国としてどれだけ会議を仕切り、存在感をアピール出来るのか、ここは正念場であろう。

 さて、もうひとつ海外で前から気になっている政治問題がある。ビルマの民主化運動リーダーのアウン・サン・スー・チーさんが今日自宅軟禁の身柄拘束状態から解放されて自由を回復する日である。この国では今もって7日に行われた国民投票の結果が正式に発表されていない。軍事政権では、ほぼ8割方議席を確保して勝利を得たとの一部の報道があるが、もともとこの選挙自体が民主派勢力を疎外して実施されたもので、選挙自体の正当性に大きな疑問符がつけられている。

 スー・チーさんは、当局側が言うように恐らく解放されるだろう。但し、きつい条件を負わされる。つまり軍事政権に非協力的な行動、反政府的行動をとらないとの保証を要求されるだろう。スー・チーさんはこれを断固拒絶して、当局は再び彼女の身柄を拘束する手段に出るとのシナリオが予想される。これでは、何のための解放か分らなくなるが、今や軍政はスー・チーさんの存在自体が目の上のタンコブで、何とか屁理屈をつけて彼女と彼女を支援する民主化団体の影響力を封じ込めようとするだろう。

 さあ、どうなるか。注目してみてみたい。

2010年11月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1278.2010年11月12日(金) 徴兵制は世界的に減少傾向か。

 世界各地でテロや局地的な争いが頻発している中で、世界的に軍隊の徴兵制度は廃止、或いは中止の方向に向かっている。今年7月スウェーデンでは、100年以上の伝統を誇っていた徴兵制を志願制に移行させた。

 ドイツでも政権与党・キリスト教民主同盟(CDU)が、徴兵制廃止を含む連邦軍改革案を幹部会で了承したことにより、野党も制度廃止に基本的に同意していることもあって、近々キリスト教民主同盟党大会で承認し、早ければ来年7月にも廃止する。徴兵制廃止を踏み切った各国にはそれぞれの内部事情があるが、ぶちあけて言えば、最大の理由は財政難のようだ。

 また、徴兵制という国家の強制的な措置によって個人の自由との兼ね合いが問題になって、ヨーロッパなどでは宗教的信条などを理由に「良心的兵役拒否」を認める国も多い。同時に、一般の若者が短期間兵役を務める徴兵制より、専門性の高い職業軍人を求める意見が、軍内部などでも強まっているという。

 かつてアメリカが1973年に徴兵制を停止して全員志願制を採ったのは、ベトナム戦争による大量の犠牲者を出した国民がトラウマに陥ったことが原因である。

 そのほかにも、短期間の兵役期間では訓練や教育を徹底出来ず、投資効果も低いことが影響しているようだ。加えて近年は自国防衛のために戦うというより、海外派遣による活動で外地における戦死者が増えている事情もある。

 そんなこんなが絡み合って徴兵制を敷く国が減少しているらしい。

 現在世界で徴兵制度を採用している国家は、50ヶ国以上に上ると見られている。その中にはお隣の韓国、北朝鮮、イスラエル、ロシア、イラン、キューバなどに混じって、意外にもスイスがある。永世中立国スイスが、軍隊を編成し、海がないにも拘わらず海軍を保有したり、徴兵制度まで採っていることには、思わず本当かな?と思ってしまうが、スイスは当面徴兵制を止める考えはないようだ。東西対立が消えてヨーロッパの安全性が高まり、それに合わせてヨーロッパ各国が軍隊を減らす傾向にある中でスイスの存在は極めて異色である。

 それにしても拡大する北朝鮮や中国の軍事力は怖いが、わが国に徴兵制度がないことは、平和の証として世界に誇っても良いのではないだろうか。

2010年11月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com