昨夜ビルマの民主化運動指導者であるアウン・サン・スー・チーさんが7年半の自宅軟禁を解かれ、取り敢えずは自由の身となった。珍しくビルマ国営放送もこのニュースを伝えたという。心配していたが、軍政側から今後の行動に対して格別の教育的指導や制限はつけられていないので、当面表面的には政治活動に関して支障はない。
しかし、過去の例を見る限り、解放直後は何の条件をつけずとも、行動を起こすと君子豹変して無理難題を突きつけ、従わないと身柄を拘束するというのがこれまでの軍政当局のあくどいやり方だった。ここ当分双方の動きから目が離せない。
ところで、以前(2008年)に見逃してしまったNHKのハイビジョン特集「ボルガ河民族復興の大地をゆく」という2時間番組が昨深夜再放送されたので、録画しておき今日ゆっくり観賞した。
さすがNHKと言おうか、カネと時間をかけてじっくりボルガ河沿岸の歴史ある自治国と都市を巡っている。これまで知らなかったボルガ沿岸の歴史と民族の興亡を、船旅で牧歌的な風景を見せながら紹介してくれた。中々興味深い労作である。
7年前シベリア鉄道でシベリア大陸を横断した時、ボルガ河の鉄橋を渡り、思わず「ボルガの舟唄」が口を突いて出たが、あの滔々と流れる母なる川ボルガを、首都モスクワからカスピ海河口のアストラハンまで3,600㎞を下る10日間の旅は、シベリア鉄道同様にいろいろなことを深く考えさせてくれる旅である。
モスクワからタタール人の街カザフを皮切りに、スターリン時代に悲哀を味わったコサック人の街サマラ、ドイツ出身のエカテリーナ女帝が作ったドイツ系移民のサラトフ、独ソ戦攻防のボルゴグラード(旧スターリングラード)、モンゴル系カルムイク人のカルムイク自治共和国、そして最後はアストラハンに寄港する。それぞれの寄港地で、異なる民族の歴史の変遷を教えてくれる。特に印象的だった都市のひとつは、ドイツ系移民が居住するサラトフとボルゴグラードで、独ソ戦開始によりかなりの数の住民が死亡し、生き残った住民はシベリアへ移住させられ、偶々戦後初めて里帰りして旧居住地で思い出に耽る重苦しいシーンには心を打たれた。
それにしても帝政ロシア時代、そして革命からソ連邦瓦解までロシアが行った民族弾圧は、今日においてもロシアが旧ソ連時代の共和国に対して行っている政治的弾圧の行動からも垣間見ることができる。
カルムイク自治共和国が、ソ連崩壊後に国内にチベット仏教を生き返らせ、ヨーロッパ唯一の仏教国として仏教を信じることの素晴らしさを語る若きイリュムジンスク大統領の自信に満ちた顔が印象的だった。
いずれにせよこういう意欲的なドキュメントを心ゆくまで観賞出来るというのは、素晴らしいことだ。この番組は、これまで何年間にも亘って放映されたBSドキュメント番組の中から選りすぐったものなので、素晴らしいと頷けるにしても、ドキュメント番組にとりわけ関心が強い私にとっては、つくづく有難いと思う。
昨日開催されたAPECも今日閉幕した。議長国として菅首相が将来のビジョンについて総括スピーチで締めたが、存在感は極めて薄かった。意識的に中国の胡錦濤・国家主席を見るせいか、メディアまで混乱している。お笑い種だが、昨日朝NHK「あさいち」に出演していた左手のピアニスト・館野泉さんを、テロップが東京芸大ピアノ科を「主席」で卒業したと紹介した。最後まで訂正されなかったところをみると、NHK内でも間違いに誰も気付かず、相当胡錦濤「主席」に幻惑されて、「主席」だか、「首席」だか分らなくなっていたに違いない。
まあ今回のAPECは成果こそないが、大きなミスもなく終ったのは、不穏な雰囲気の中で開催されたケースとしては、まずまずなのかも知れない。