1307.2010年12月11日(土) 中国はノーベル平和賞を何と思っているのか。

 昨日ストックホルムとオスロでノーベル賞授賞式が行われた。ストックホルムの授賞式後の晩餐会で、わが湘南高校の偉大なる先輩・根岸英一博士が化学賞受賞者3人を代表して記念スピーチを行った。冗談が苦手の日本人の中で、英語の流暢な根岸さんは軽いジョークの後「研究は賞のためであってはならない。どんなことであれ、私たちの探求の営みは常に学問的な高みを目指すためであるべきだ。それが実現したとき、賞はあとからついてくる」と話され、万雷の拍手を浴びた。その話は根岸さんの実感から出たものであろう。先輩が最近のノーベル賞受賞者の中でも、学者らしからぬ如才なさ、物腰の柔らかさとスマイルなどの点で人気と評価が高いのは嬉しいことである。

 ところで、オスロで開催されたノーベル平和賞授賞式には、肝心要の受賞者である劉暁波氏本人はおろか、代理人も出席せず、1935年ナチス治世下にドイツ人平和運動家・オシェツキー氏が受賞したが欠席して以来75年ぶりの主不在となり、名ばかりの授賞式となってしまった。その原因は受賞者である中国民主化活動家・劉暁波氏が中国当局によって収監され、家族も軟禁状態にあって物理的に出席出来ないからである。中国の民主化のために活動した人権派作家の自由を拘束して、名誉ある授賞式に出席を認めない強権的中国政府は完全に世界の民主化とはかけ離れている。

 中国政府が自分たちの論理だけを世界中に押し付けているのは、何もこのノーベル賞に限ったことではない。今回中国が国家として外交上非礼だと思うのは、権威あるノーベル賞選考委員会をこき下ろし、ノルウェイ政府に八つ当たりして経済取引を中止したり、あまつさえ授賞式に出席しないよう出席予定国に欠席を要請したことである。まったく子どもの対応である。

 更に常識を疑いたくなるのは、ノーベル賞授賞式を茶番とけなし、対抗上自分たちで即興的に独自の「孔子平和賞」とかいうアウォードを設定したことである。その対象者として早速台湾の元副総統・連戦氏に賞を授与すると発表したが、本人には伝えられず、代理人として連戦氏とは親族関係のまったくない少女に賞を授与した。これこそ茶番と呼ばずして何と言うべきか。もうこうなると中国の論理と行動は、支離滅裂で良識的な人々からは評価される筈もなく、正当性や論理性もない八方破れのパフォーマンスとしか言いようがない。

 中国の指導者は良心的でまともな国々の信頼を失っても、こんな非常識な対応でいつまでも経済発展を続けられると本気で思っているのだろうか。国民の声に耳を傾けることをせず、共産党内の内部事情と身勝手な都合だけを優先して政治を動かしていこうとする非民主的な政治体制の中国が、このまま体制をいつまでも維持していけるだろうか。怪しいものである。いつになったら幼児国家・中国は目覚めるのだろうか。

2010年12月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1306.2010年12月10日(金) 日本人若者からバイタリティが失われたか。

 韓国を旅行している間に、歌舞伎役者・市川海老蔵が先月末に犯した暴行事件のお詫び記者会見が行われたと旅行グループのひとりから聞いた。昨日の朝刊を読んでみると海老蔵は無期謹慎することになったという。当然だろう。梨園の名門に生まれた名声を鼻にかけ、好い気になって過去には艶聞を振り撒き、あれだけ酒乱で世間を騒がせ、公演にも穴を開けて多くの関係者に物心両面で大きな損害を負わせた。常識的にはとても考えられない破廉恥な行動に、同情の声はまったく聞かれない。すべて社会人として未熟な海老蔵の思い上がりと甘え、社会的常識と責任感のなさから生じたトラブルである。身近の年長者らや成田屋一門の指導と教育が充分でなかったことも影響していると思う。ここは冷静に猛省を求めて生まれ変わるつもりで再起して欲しいものである。

 それにしても世間一般に非常識な若者が目立つようになった。経済力の向上に伴ってモラルや倫理観の教育が充分なされていないからではないか。

 それに関連して6日付朝日夕刊によると、アメリカへ留学する日本人若者の数が激減している。つい最近ちょっと気にかかるニュースとして伝えられていたが、積極的に海外へ出ようという前向きな若者が極端に減っているようだ。若い頃より外向き志向だった私にはとても信じられない。それほど今の若者が内向き志向に偏り、海外で学び自分とは異なる国々の人々と切磋琢磨しながら成長しようとする若者が減少しているのは嘆かわしい。

 因みにアメリカへの留学生の対前年国別増減率では、中国の30%増、サウジアラビアの25%増に比べて日本人は15%減である。絶対数では、トップの中国128千人に次いで、インド105千人、韓国72千人、カナダ28千人、台湾27千人の次が日本の25千人である。ここでも韓国に圧倒的な差をつけられている。才能を開花させるためにアメリカ留学が絶対的に重要ということではないが、日本が力を発揮した1994~98年には日本人の留学生数はトップだった。そのことを考えてみると、まさに今の日本が行き詰った経済と国民の閉塞心理を如実に示していることになるのではないだろうか。

 今日裁判員制度に関して2つ異例の判断がなされた。ひとつは、鹿児島地裁で老夫婦を殺害したとして強盗殺人罪に問われ死刑を求刑された被告が、無罪の判決を得たことであり、もうひとつは福岡地裁で暴力団員の一審判決に裁判員を採用しないと判断したことである。後者は裁判員に指名された市民が暴力団から仕返しされる可能性を排除した裁判所の親心と言われている。それにしてもいずれも初めての判断であり、早くも専門家や識者の間で論議を呼んでいる。新しく導入された裁判員制度であるが、中々一筋縄では行かない。一般には裁判制度に関する興味と関心が高まったが、当事者にとっては頭の痛い問題だろう。これからも乗り越えなければならない多くの課題や難問が表出されるものと思う。

2010年12月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1305.2010年12月9日(木) 韓国の真面目さとエネルギーを感じた旅

 韓国最後の1日は昨日の雪のせいだろうか、外はかなり寒い。ソウル市内を案内してもらいながら考えることがあった。30年前の印象とは大分変わって、韓国も大きく成長して日本に匹敵する力を得た自信から、想像していたような自意識過剰とか、むきになったような顔は見られず、人々の表情にも優しさが感じられることである。この辺りは中国とは違う。

 今日も食事はやや辛い韓国料理だが、慣れてきたせいだろう、食べ易い気がする。特に昼食の石焼ビビンバはおこげが美味しかった。漬物は後から後から、注文すればいくらでも目の前に出される。少々辛過ぎるキライはあるが、慣れれば韓国料理ははまってしまうのではないか。空港への途次立ち寄った漬物店で、弁当箱ほどの漬物を6つ、焼き海苔を2束、いかの塩辛1瓶をついつい衝動買いしてしまったのは、いつもの悪い癖だ。最初から同乗していた写真店の具さんが親切で感じが良いので集合写真やスナップもついまとめ買いしてしまったのも、セルフ・コントロールが欠如してしまったせいだ。

 今日の観光は、最初に警戒網の中を大統領府である青瓦台前広場を訪れた。李王朝歴代の宮殿同様に青い瓦の建物は事務室を表すということを聞いた。ここでも北朝鮮兵士による過去の大統領暗殺計画について聞かされた。われわれが考える以上に韓国国民には北朝鮮への警戒心が強い。その後王宮・景福宮を見学する。ここは世界遺産には登録されていないが、登録されている昌徳宮より古く、規模も決してひけを取らない。面積も王宮の中で最も広く、各建物の姿・形も美しい。この景福宮は私にはひとつのノスタルジャがある。亡父が旧府立一商時代に修学旅行で訪れ、制服姿の同級生たちとともに集合写真を撮った宮殿内の慶会楼を見てみたいとかねがね思っていた。あのセピア色の写真のイメージはどういうわけか子どものころより脳裏にくっきりと残っている。池の中に王族の賓客接待の場として造営され、今も凛とした全体像は時代を経ても一幅の絵になる。亡父が写真に納まったスポットは、今や立ち入り禁止になっていたが、その息子は池の前に立ち慶会楼を背後に納めた写真を撮って納得することにした。個人的な小さな思い出に過ぎないが、その修学旅行当時の亡父は朝鮮占領下の京城で何を思っただろうかと考えると感慨無量な想いに駆られる。8年前に亡くなった父と異国で再会したような気持になった。

 仁寺洞の賑やかさは、昨晩訪れた明洞に匹敵する。ぶらついている最中に尿意を催したので、地下の公衆トイレに入った。これが中々清潔で、多くの設備があるのには感心した。公衆衛生感覚が鋭いのだろうか。昨日まで利用したドライブインのトイレも施設、衛生面で日本のそれに比べてもむしろ優れていると感じたほどである。

 僅か4日間の韓国旅行であったが、そこかしこに日本人が学ぶべき点が多く見られた。狭い国土の有効利用を考えると元々賢明な韓国の人々にとっては、智恵を出すのが最善の解決策ということなのだろう。ソウル市内は坂道が多く、気候も厳しく、生活するのは日本以上に厳しいのではないかと感じたが、人々は明るく愛想が良い。改めて好印象を持った旅行となった。

 一緒に旅行した人たちも、良い人ばかりで雰囲気良かった。再び来たいという人も数多くいたようだった。この旅行の企画会社・阪急交通社の手配については、よくやっていると感じた。これならあまり詮索しなければ、多くの参加者を獲得出来ると思う。ただ、いくつかの問題点もある。それは大手旅行社と大きくツアー企画の発想が異なることである。また、その点については、別の機会に精査して書いてみようと思う。

 帰路羽田から初めて京浜急行に乗って品川へ出た。従来定番として利用したモノレールに比べて便利とは感じたが、運行本数がまだ足りないと思う。

2010年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1304.2010年12月8日(水) 3つの世界遺産と初雪

 このツアーでは朝食をすべてホテル外で取ることになっている。今朝も外で食事をして高速道路をひたすら北上し、ソウル郊外45㎞にある世界遺産・水原華城を見学した。市内の目抜きにあって城内を車の往来の激しい道路が貫通している。城壁一周が5.7㎞でとても全体を見ることが出来ず、ごく一部の城壁を歩いただけだったが、まあそれなりに歴史を偲ぶことは出来る。しかし、周囲をビルに囲まれていて味気がない。どうも歴史の重厚さが感じられない。

 午後訪れた2つの世界遺産、宣陵と昌徳宮は李王朝の墓と王宮だが、ソウル市内のいずれも交通至便な地にある。それでも水原華城ほど街の喧騒やビルが気にならない。昌徳宮では、ガイドさんが李王朝最後の王に、梨本宮家から輿入れされた李正子さんにまつわる話をしみじみされた。話によると歴代の后妃の中でも2番目に人気があった妃とか。

 そう言えば、歴代大統領の中で1番人気の高かったのは、1979年に暗殺された朴正熙大統領だというのは意外な感じがした。軍人大統領として強圧的との印象が強かったが、私利私欲がなく国の発展のために献身的に努め、亡くなった時大統領の私財はほとんどなかったと言われている。その朴大統領が戦後悲運な境遇にあった李正子さんの生活を気にされ、国の費用を捻出して面倒をみたという。その点でも朴正熙大統領の真面目な人柄が窺える。

 今日訪れた3つの世界遺産に、6日の安東河回村を加えると、これで私が訪れた世界遺産は156ヶ所になる。これもひとつの勲章と考え、出来ればこれからも200ヶ所を目指して旅を続けたい。

 夕食後は今売り出し中のNANTAのコミカルな芸も観てみたいと興味があったが、今回はコリアハウスで公演中の伝統芸術を鑑賞した。韓国の伝統芸能というと必ず演奏されるアリランや、韓国民族舞踏の扇子舞があるが、それらを充分楽しむことが出来た。

 今朝ソウルで雪が降ったとは聞いたが、午後遅くなってからかなり激しい雪がみぞれに変わり、コリアハウスを出てから繁華街明洞を「銀ブラ」していた時はかなり降っていた。それにしても、東京で今年はまだ雪にお目にかかれないが、外国のソウルで初雪に会うとは旅の意外性と妙味であろう。

 今日はあのビートルズのジョン・レノンが暗殺されてちょうど30年目になる。先日解団した「チボリ会」の先生方とともにマルセイユ滞在中の30年前の今日、号外でジョン・レノンの死を知ってびっくりした。まさに「光陰矢の如し」である。静かに雪のソウルでマルセイユを想う。(韓国・ソウルにて)

2010年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1303.2010年12月7日(火) 古都慶州を観光

 ぐっすり眠ってあたふたとバスに乗り込む。慶州は全韓国人が古都として誇りに思っている素晴らしい街だ。40年前にソウルで開催されたPATA会議に参加した時に、下関から関釜フェリーで釜山へやって来てソウルへ車で上る途中に訪れたことがある。随分綺麗になったと思う。だが、あまり昔のイメージが感じられない。全般的に少々垢抜けたように感じる。その後ここでエキスポが開催されたこともひとつの理由ではないだろうか。

 ホテルの近くの小さな食堂でカルビ湯の朝食をいただく。母子3代でお店を切り盛りしているというが、皺のしわくちゃなおばあさんが日本語で気を遣いながらお愛想を振りまいている。資格を取ったおばあさんが、主として料理の献立を作っているという。

 その後世界遺産に登録されている石窟庵と仏国寺を見学に訪れた。石窟庵への山道のアプローチはほとんど記憶がない。石窟もガラス越しで見学するようになった。仏国寺は有名な写真が取れる角度で数枚シャッターを押す。慶州観光で最近は取り上げられていない古墳内の見学がやはりなかった。その理由を明日ガイドさんに尋ねてみようと思う。

 山菜ビビンバの昼食後、高速道を今日の宿泊地・温陽温泉へ向かった。約300㎞を4時間近くかけて走ったが、その間に外岩里民俗村に立ち寄り見学した。昨日訪れた安東河回村とは異なり住民が実際に生活している。観光客がづかづかと敷地内に入り込んで、住民に迷惑をかけているのではないかと少々気になったが、入口で入村料を支払うようだ。きっとその一部は住民に何らかの助成金として手渡されるのだろう。ここの雰囲気は日本の古き里山だ。

 もう1ヶ所立ち寄った高速道のドライブインに米軍の軍用車と装甲車が数台やってきた。数人の米軍兵士の姿も売店で見られた。ヨンピョン島砲撃事件の直後でもあり米韓合同軍事演習が行われた時で、どうしても北朝鮮との対決を考えて無意識のうちに緊張感が走る。

 今日宿泊したのは、温陽の街の中心にある陰陽観光ホテルで、この土地の最高級ホテルとの触れ込みである。阪急の日程表によると英語で‘ONYANG KANKO HOTEL’と紹介されていたが、インターネットとホテルの備品には‘ONYANG HOTSPRING HOTEL’としてあった。外国で「観光」をホテル名につけるはずがないではないか。この辺りも格安ツアー阪急の面目躍如というところである。高級ホテルであることは全体の感じと付属施設の充実さで納得出来る。室内はオンドルであるが、昨日のホテルに比べれば完全にオンドルを承知の宿泊客を対象にしているように思う。室内に入ると左右にトイレ・バスルームと押入れがあり、だだっ広い10畳ほどのオンドル一間にはテレビと低い整理棚、卓袱台がおいてあるだけで、押入れから布団を出す。困るのは、事務用テーブルがないことで、パソコンを打つのにも一苦労する。幸い今日は充電出来たこととインターネット設備があったので、何とか原稿をパソコン送信出来る。

 このホテルは温泉を売り物にしているので、話の種に初めて韓国の温泉に浸かってみた。男女別々の大風呂で日本の温泉旅館とほとんど変わらず、ゆっくり寛ぐことが出来た。この温泉利用スタイルは日本人が教えたそうだ。

 やや疲れ気味なので、好い加減な文をアップしてしまったが、何とか送信出来たので一安心である。明日は首都ソウルへ向かう。 (韓国・温陽温泉にて)

2010年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1302.2010年12月6日(月) 2年ぶりの韓国に期待高まる。

 新しくなった羽田国際空港へ妻に車で送ってもらい、初めてこの新ターミナルビルを使用してソウル金浦空港へ向かった。新空港ビルは斬新なデザインでテクノビルの感じであるが、広さもそれほどではなく、残念ながら新しい空港が出来たというわくわく感を抱かせてはくれない。これでは仁川空港や、シンガポールのチャンギー空港に対抗してハブ空港としては勝負にならないと思う。いざ搭乗となると大韓航空機へ乗り込むのに待合室からバスで案内されたのは、かなり時代に遅れているのではないかとややがっかりである。

 今回の旅行は僭越であるが、次回の書き下ろし作品のために格安旅行で業績を伸ばしてきた阪急交通社・トラピックスの対応とツアー・ハンドリング状況をチェックするのもひとつの目的である。そんなわけで格安団体旅行に参加してみた。安いのは結構だが、以前から会社と旅行参加者のハートフルな交流が乏しいと感じていた。実際この会社は、2004年エジプト・アレキサンドリアで1ヶ月の間に2度もバスのスリップ事故を起こした。察するところタイヤが磨耗した古いバスを利用していたからだと、TRAVEL JOURNAL紙へ寄稿した。同誌編集長によると同社から拙稿に対して苦情らしきものが寄せられたという。詳細は不明だが、痛いところを突かれて後ろめたい点もあったのだろう。

 申し込み段階から書類関係のやり取りでは、やはり不親切だと感じていた。やはり対応が冷たい感じがする。ところが、韓国でツアーが動き出すとツアーオペレーターは沢山のツアーを扱い慣れているせいか、そつなく今日1日のスケジュールを消化した。ガイドによれば、最近は圧倒的に阪急の牙城で、かつて盛んに送客していた大手業者のJTB、近ツー、日本旅行などでも、阪急の前では影が薄いそうだ。

 金浦空港に到着してから高速道路を走って今年世界遺産に登録された安東河回村を訪れ、1時間たっぷり朝鮮の伝統的な民家を見学した。1999年にはイギリスのエリザベス女王が訪れた。

 その後夕食を取って古都慶州のホテルへチェックインしたのは午後8時40分だった。この間走行距離約430㎞でかなり疲れた。外はやはり大陸性気候のせいでぞくぞくするような寒さだった。

 ガイドは中々意欲的な中年の女性で、李玉女さんと仰る。いま緊張している北朝鮮との関係について韓国人の気持を話してくれた。ソウル市内を東西に流れている漢江を境に、北部の地域が北朝鮮との対決の影響から南側に比べて住宅が少ないと意外な話を聞いた。いざ北が攻めて来たら逃げ易いためだという。こういう話は現地でないと聞けない。更に韓国の人びとはヨンピョン島を砲撃して民間人を殺害したことについては休戦協定に違反していると厳しい見方をしていた。

 ホテルは慶州のリゾートホテルで室内はオンドルで暖かく、これも経験だと思うが、インターネットの接続ができず、充電するコンセントが初めて見たタイプのもので持参したいくつかのオプションも使えずカメラ、パソコンの充電ができなかったのがやはり不満だ。

 明日からどんなスケジュールで、何を見せてくれるのか楽しみにしている。 (韓国・慶州にて)

2010年12月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1301.2010年12月5日(日) クラシックの演奏会を楽しむ。

 年に2回恒例行事となったゼミの赤松晋さんがチェロを演奏するアマチュア・オーケストラ「上野浅草フィルハーモニー管弦楽団」の定期演奏会がいつも通り浅草公会堂で開催された。

 演奏曲目はベートーベン「交響曲第8番へ長調」とショスタコーヴィッチ「交響曲第5番ニ短調」で、いずれも私には馴染みのない作品だった。いつもこの定期演奏会で演奏されるのは、普段あまり聞き覚えのない曲目が多い。最後にアンコールで「仮面舞踏会」が演奏され、やっと知っている曲に出合った。クラシックを聞く機会はあまりないので、時折静かに耳を傾ける機会があるのは貴重である。

 私も妻と出かけたが、夫人同伴のゼミ仲間が多く、全体で21人ほどの参加だった。終ってから幹事が予約してくれたレストラン「アリゾナ」で会食となったが、この店は生前永井荷風が好んで利用したところで、店内に荷風の写真が飾ってあり、店の主が複製ではあるが、荷風の作品「濹東綺譚」を見せてくれた。中々きれいで女性的な筆文字に加えて訂正箇所が朱文字で記入されているのが、パソコンでは感じられない味わいを出している。

 それにしても赤松さんは相変わらず若い。80名ほどの団員の中で、最年長とのことだが、ステージを見ていると最年少といってもおかしくない。あまりわれわれが、この演奏会にかこつけた会合が楽しみだと赤松さんにプレッシャーをかけるので、辛くても止められないと笑いながらこぼしていた。

 いつも感じるのだが、浅草界隈には独特の風情があり昔の下町情緒が残っている。昼食に入った日本蕎麦店「満留賀」は明治28年開業と書かれていたが、意外にも外人客がいくつか小さなグループ単位で入って来たのには驚いた。

 いま話題の東京スカイツリーが一歩一歩完成へ向けて上空へ伸びていて、通行人も立ち止まっては見物している。確かに話題になるタワーであることには違いないが、出来れば首都・東京のシンボルとしては日本的な建物の方がずっとサマになるのではないか。私も近著「そこが知りたい 観光・都市・環境」の中で触れたが、その点では江戸城が往時の木造で復元されるようだともっと大勢の人々の関心を高めることだろう。

 年に2度ではあるが、気持ちの通じあう仲間とコンサートを聴き、食事を楽しめることは幸せである。14日には、同じ仲間と下北沢で忘年会がある。

2010年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1300.2010年12月4日(土) 東北新幹線全線開通

 3年半に亘りこのブログを書いてきたが、今日連続1,300回というひとつの節目を迎えた。毎日原稿用紙3枚分程度を書き続けることは、傍から見れば大変なように見えるかも知れないが、自分自身としてはそれほどタフだと思ったことはない。書く材料は目の前にいくらでもあるし、的外れだろうと何であろうと、今のところ幸いにも書きたいという意欲と好奇心が衰えないので、しばらくはこのまま書いていこうと考えている。お陰で友人たちにも結構読んでもらっているようなので、彼らに対する近況と意思伝達にもなっている。あまり古い記録では参考にもならないと思うが、今年書いたブログは来年辺り小冊子にでもまとめて、友人たちに配ろうかとも考えている。

 さて、今日JR東北新幹線が八戸から新青森まで延伸開通して、東京駅から最終目的地までつながり念願成就となった。明治24年の開通時の所要26時間に比べると、120年経って時間的に僅か3時間20分と大幅にスピード・アップされたが、よく考えてみると巨額の投資をして新幹線網を整備しても、負の遺産というべきか、その一方で取り残されるものも沢山ある。

 東海道新幹線が初めて開通したのは、東京オリンピックが開催された昭和39年だが、あの頃はまだ高度成長期の真っ只中にあったので、更に経済成長に拍車をかけるためのステップとして新幹線は大いに利用され、持て囃されたのはある面で頷ける。だが、今や高速道路網も発達、整備され、新幹線が必要と思われる主要幹線道には鉄道網が整備され、ある程度新幹線需要が国内の至るところにまで行き渡った現在、果たして小さな地方都市にまで新たに新幹線を敷設する必要があるだろうか疑問に感じることもある。実際東北新幹線の「いわて沼宮内」駅の乗降者数は、1日僅かに117人で全国の新幹線駅の中で最も少ないという。

 メジャーな鉄道網が栄える一方で、並行在来線が苦しい経営を余儀なくされ、地方鉄道もどんどん寂れて行く。それらはほとんどが第3セクター方式による経営に移行するが、まもなく多額の赤字を背負わされる自治体が悲鳴を上げるのは目に見えている。結局廃線の憂き目を見ることになるのではないか。

 新幹線開業でJRから分離された在来線で、苦境に追い込まれているメジャーな鉄道に、①IGRいわて銀河鉄道(盛岡市)、②しなの鉄道(上田市)、③肥薩おれんじ鉄道(八代市)などがあり、昨年までの累積赤字がそれぞれ3億1千万、1億9千万、8億7千万円に達している。地方の財政が厳しい中で、この赤字補填は辛い出費だろう。このまま行けば当然廃止の運命にぶち当たることになろう。そう思うと日の当たる一面ばかりでなく、その皺寄せを受ける陰の部分があることを忘れてはなるまい。

 今日の東北新幹線の乗車券は発売と同時に、往路と復路ともに30秒、45秒であっという間に売り切れ、大万歳だったそうだ。しかし、落とし穴もあった。想定以上の強風のため一時運転を休止して全路線に大幅な遅れが出たようである。事業のプラス面には陰のマイナス面と、プラスの中にも機械だけでは解決出来ない問題もある。中々うまく行かないものだ。

2010年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1299.2010年12月3日(金) 普天間基地移設問題をどう解決するのか。

 昨日仲井真弘多・沖縄県知事が首相官邸で菅首相と知事再選後初めて会談した。知事は選挙で公約した普天間米軍基地の県外移設を強く求め、国内移設は容認出来ないと申し入れたが、菅首相は5月の辺野古へ移設するとした日米合意に改めて理解を求め、両者の会談は平行線に終った。

 どうもこの移設問題がギクシャクして、国と県が真っ向から対立する構図を作ってしまった。首相が沖縄の負担軽減策や振興策を提言したが、県民の意思と期待を背負った知事からは普天間基地問題と切り離して協議するよう求められた。

 仲井真知事は元々県外移設一辺倒ではなく、条件付きで辺野古移設を容認していた。その知事が県外移設に考え方を変え、政府と真っ向対立の構図へ向かったのは、鳩山前首相が基地問題に関する理念も、移設の具体的計画も、外国との交渉も、沖縄県民への理解もなく、軽い気持で「普天間基地は海外移設、最悪でも県外移設」とアドバルーンを上げ、選挙マニフェストにも公約として盛り込んだことに当初力づけられたからである。沖縄県民ならずとも、基地の撤去を待ち望んでいた国民は挙って鳩山氏率いる民主党を応援し、政権交代を実現して民主党が政権の座に就いた。

 だが、それは一夜の夢でしかなかった。元々首相の座に就いた鳩山由起夫氏には、日米同盟や基地問題に関して深い理解がなく、まったく理念や哲学がなかった。その結果が今春ふらふらした一連の基地問題への取り組みと対応である。自らの力で問題を解決出来ず、挙句の果てに無責任にも政権を投げ出してしまった。鳩山氏と民主党は、沖縄県民のみならず、米軍基地反対を叫ぶ国民を悉く裏切ったのである。問題をこじらせたのは、鳩山氏率いる民主党政権が迷走したからである。その意味では、現在の菅首相は無能首相だった鳩山由起夫氏の犯した粗相の尻拭いをしていることになる。

 しかし、前首相の後継者である同じ理工系の菅首相には、それなりの覚悟があって後継首相になった筈である。菅流の理念と哲学を充分駆使して、沖縄知事を説得するか、納得させなければならない。そうでなければ、このまま双方に不信感だけが残されて、相変わらず国と沖縄県の対立が続けられるだけだ。アメリカ政府は一刻も早い日米合意の実行を望んでいる。かてて加えて、わが国としても朝鮮半島の緊張化がピークに達している現在、天の邪鬼・中国に文句を言えるのは、やはり頼りになる米軍の存在であり、アメリカの要求を断れない弱みと本音がある。

 さあ、菅・軟弱首相よ、どうする? どうする?

2010年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1298.2010年12月2日(木) 政治家とは礼儀知らずで軽薄か?

 先月29日に参議院本会議場で開かれた議会開設120周年記念式典に臨席された秋篠宮ご夫妻に野次を飛ばしたとして、野党は中井洽・衆議院予算委員長への懲罰動議を提出した。以前からこの中井氏の言動にはお行儀の悪さが目立っていたが、当日の中井氏を映像で見てみると天皇・皇后両陛下をお迎えする空気の中にしては落ち着きがなく、とてもエチケットを弁えている人とは思えない。立ったり座ったり、隣席の同僚議員に書類を見せて話しかけたり、およそ目の前にほかの皇族が起立している時にとるべき態度ではない。

 その他にも自民党の逢沢一郎・国会対策委員長が同じ厳粛な式典中に携帯電話の着信音を鳴らしたとして与党から懲罰動議が衆議院に提出された。

 どっちもどっちだと呆れた印象を受けたが、それにしても国会議員の常識レベルは一般人として最低のレベルにあるのではないだろうか。よくもこれだけ最低のことをやっていて、自身恥ずかしいと思わないのだろうか。それでも日常活動で国民と約束したことを行い、誠心誠意国家国民のために全力を尽くしているならともかく、仄聞によればおよそ真面目に職務を遂行しているようには見えない。

 今日も子ども手当ての一貫として、子ども手当て13,000円に加えて、3歳未満の幼児にプラス7,000円の支給を考えていると玄葉光一郎・国家戦略担当大臣が語った。原資が不足している国家財政の中で、果たして賄えるのかとの質問に対して、直ちに決定ではないと言った。扶養家族と配偶者控除とのからみと言ったが、いかにも言葉が軽い。そういう大事なことは、決定してからマス・メディアで話すべきではないだろうか。そんな基本的なことすら分らない未熟な議員が増えた。子ども手当てを支給したいなら、マニフェストで約束する前に予算手当てを考えるべきではなかったか。また、そんなにばらまきパフォーマンスをやりたいなら、「櫂より始めよ」として、まず国民に約束した議員数の削減を実行して、範を示すのが筋ではないだろうか。

 まったく今の政治家は嘘をつくことと金儲けばかりに頭を使い、国家国民のことなぞまるで念頭にないように思える。困ったものである。

2010年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com