昨日ストックホルムとオスロでノーベル賞授賞式が行われた。ストックホルムの授賞式後の晩餐会で、わが湘南高校の偉大なる先輩・根岸英一博士が化学賞受賞者3人を代表して記念スピーチを行った。冗談が苦手の日本人の中で、英語の流暢な根岸さんは軽いジョークの後「研究は賞のためであってはならない。どんなことであれ、私たちの探求の営みは常に学問的な高みを目指すためであるべきだ。それが実現したとき、賞はあとからついてくる」と話され、万雷の拍手を浴びた。その話は根岸さんの実感から出たものであろう。先輩が最近のノーベル賞受賞者の中でも、学者らしからぬ如才なさ、物腰の柔らかさとスマイルなどの点で人気と評価が高いのは嬉しいことである。
ところで、オスロで開催されたノーベル平和賞授賞式には、肝心要の受賞者である劉暁波氏本人はおろか、代理人も出席せず、1935年ナチス治世下にドイツ人平和運動家・オシェツキー氏が受賞したが欠席して以来75年ぶりの主不在となり、名ばかりの授賞式となってしまった。その原因は受賞者である中国民主化活動家・劉暁波氏が中国当局によって収監され、家族も軟禁状態にあって物理的に出席出来ないからである。中国の民主化のために活動した人権派作家の自由を拘束して、名誉ある授賞式に出席を認めない強権的中国政府は完全に世界の民主化とはかけ離れている。
中国政府が自分たちの論理だけを世界中に押し付けているのは、何もこのノーベル賞に限ったことではない。今回中国が国家として外交上非礼だと思うのは、権威あるノーベル賞選考委員会をこき下ろし、ノルウェイ政府に八つ当たりして経済取引を中止したり、あまつさえ授賞式に出席しないよう出席予定国に欠席を要請したことである。まったく子どもの対応である。
更に常識を疑いたくなるのは、ノーベル賞授賞式を茶番とけなし、対抗上自分たちで即興的に独自の「孔子平和賞」とかいうアウォードを設定したことである。その対象者として早速台湾の元副総統・連戦氏に賞を授与すると発表したが、本人には伝えられず、代理人として連戦氏とは親族関係のまったくない少女に賞を授与した。これこそ茶番と呼ばずして何と言うべきか。もうこうなると中国の論理と行動は、支離滅裂で良識的な人々からは評価される筈もなく、正当性や論理性もない八方破れのパフォーマンスとしか言いようがない。
中国の指導者は良心的でまともな国々の信頼を失っても、こんな非常識な対応でいつまでも経済発展を続けられると本気で思っているのだろうか。国民の声に耳を傾けることをせず、共産党内の内部事情と身勝手な都合だけを優先して政治を動かしていこうとする非民主的な政治体制の中国が、このまま体制をいつまでも維持していけるだろうか。怪しいものである。いつになったら幼児国家・中国は目覚めるのだろうか。