韓国最後の1日は昨日の雪のせいだろうか、外はかなり寒い。ソウル市内を案内してもらいながら考えることがあった。30年前の印象とは大分変わって、韓国も大きく成長して日本に匹敵する力を得た自信から、想像していたような自意識過剰とか、むきになったような顔は見られず、人々の表情にも優しさが感じられることである。この辺りは中国とは違う。
今日も食事はやや辛い韓国料理だが、慣れてきたせいだろう、食べ易い気がする。特に昼食の石焼ビビンバはおこげが美味しかった。漬物は後から後から、注文すればいくらでも目の前に出される。少々辛過ぎるキライはあるが、慣れれば韓国料理ははまってしまうのではないか。空港への途次立ち寄った漬物店で、弁当箱ほどの漬物を6つ、焼き海苔を2束、いかの塩辛1瓶をついつい衝動買いしてしまったのは、いつもの悪い癖だ。最初から同乗していた写真店の具さんが親切で感じが良いので集合写真やスナップもついまとめ買いしてしまったのも、セルフ・コントロールが欠如してしまったせいだ。
今日の観光は、最初に警戒網の中を大統領府である青瓦台前広場を訪れた。李王朝歴代の宮殿同様に青い瓦の建物は事務室を表すということを聞いた。ここでも北朝鮮兵士による過去の大統領暗殺計画について聞かされた。われわれが考える以上に韓国国民には北朝鮮への警戒心が強い。その後王宮・景福宮を見学する。ここは世界遺産には登録されていないが、登録されている昌徳宮より古く、規模も決してひけを取らない。面積も王宮の中で最も広く、各建物の姿・形も美しい。この景福宮は私にはひとつのノスタルジャがある。亡父が旧府立一商時代に修学旅行で訪れ、制服姿の同級生たちとともに集合写真を撮った宮殿内の慶会楼を見てみたいとかねがね思っていた。あのセピア色の写真のイメージはどういうわけか子どものころより脳裏にくっきりと残っている。池の中に王族の賓客接待の場として造営され、今も凛とした全体像は時代を経ても一幅の絵になる。亡父が写真に納まったスポットは、今や立ち入り禁止になっていたが、その息子は池の前に立ち慶会楼を背後に納めた写真を撮って納得することにした。個人的な小さな思い出に過ぎないが、その修学旅行当時の亡父は朝鮮占領下の京城で何を思っただろうかと考えると感慨無量な想いに駆られる。8年前に亡くなった父と異国で再会したような気持になった。
仁寺洞の賑やかさは、昨晩訪れた明洞に匹敵する。ぶらついている最中に尿意を催したので、地下の公衆トイレに入った。これが中々清潔で、多くの設備があるのには感心した。公衆衛生感覚が鋭いのだろうか。昨日まで利用したドライブインのトイレも施設、衛生面で日本のそれに比べてもむしろ優れていると感じたほどである。
僅か4日間の韓国旅行であったが、そこかしこに日本人が学ぶべき点が多く見られた。狭い国土の有効利用を考えると元々賢明な韓国の人々にとっては、智恵を出すのが最善の解決策ということなのだろう。ソウル市内は坂道が多く、気候も厳しく、生活するのは日本以上に厳しいのではないかと感じたが、人々は明るく愛想が良い。改めて好印象を持った旅行となった。
一緒に旅行した人たちも、良い人ばかりで雰囲気良かった。再び来たいという人も数多くいたようだった。この旅行の企画会社・阪急交通社の手配については、よくやっていると感じた。これならあまり詮索しなければ、多くの参加者を獲得出来ると思う。ただ、いくつかの問題点もある。それは大手旅行社と大きくツアー企画の発想が異なることである。また、その点については、別の機会に精査して書いてみようと思う。
帰路羽田から初めて京浜急行に乗って品川へ出た。従来定番として利用したモノレールに比べて便利とは感じたが、運行本数がまだ足りないと思う。