お隣に住む西本さんが、ご家族揃ってニューヨークから帰国の挨拶に来宅された。3年半に亘ってニューヨークのJETROに勤務されていたが、転勤によりこの3月にご主人はNYからJETRO岐阜貿易情報センター所長になられたという。現在岐阜市に単身赴任されている。ご家族は近所のマンションを借りて自宅の賃貸契約が切れる8月を待っておられる。NYへ行かれる直前に生まれたお嬢ちゃんが来年小学校入学とは、実に時の流れるのは早いものだと感慨深い。上の男の子が小学2年生で、これからも転勤があるだろうし、大変だろうなぁと思う。
さて、相も変わらず実行力の乏しい鳩山内閣が、今やぼろぼろである。平野官房長官が、今日鹿児島で徳之島の米軍基地誘致派の有力者と個別に話し合いを持った。正面突破は無理と悟ったか、政府はサイド攻撃で切り崩しにかかってきた。町長、島民が挙って反対の中で、別のルートを通して説得しようとする、住民の気持ちを逆撫でするような手法はいかがなものか。町長も住民も裏切られたような気持ちで憤懣やる方ない。
政府が早く決着をつけたいとの気持ちも分らないわけではないが、政府のやり方がどうも拙速で泥臭い。それに鳩山首相は住民感情が一番大事で、それを尊重すると散々言っておきながら、やることはまったく逆である。
一方日米間で実務者協議を始めたようだが、普天間移設を実現するための政府案(キャンプ・シュワーブ杭打ち桟橋方式と一部徳之島移設)をその前提として話しているなら、その前提自体が壊れかけ暗礁に乗り上げている。それを敢えて解決の見通しの立たない政府案を強引に推し進め、一方でアメリカと政府案を話し合っているようだが、皮肉にもアメリカはすでに桟橋方式に否定的な見解を示しているようだ。では一体どうすれば良いのか。はっきり言って、こういう袋小路に入った以上今のところ打つ手なしというどうにもならない状況にある。
今日沖縄普天間基地周辺を移設反対、基地撤去を唱える人びとが雨の中で、普天間基地の周囲を1人ひとりが手をつないで「人間の鎖」デモンストレーションを行った。沖縄県民、なかんずく基地周辺住民にとっては本土返還後、失望の連続だったという。長らく旧コザ市長を務められた大山朝常氏は、著書「沖縄独立宣言」の副題に「ヤマト(日本)は帰るべき祖国ではなかった」と付けられたという。沖縄県民にとって本土復帰は喜ぶべき結果にはならなかったのか。もしそれが本音だとすると沖縄返還に多少なりともかかわった私としてもやり切れない気持ちである。いつになったらすっきりした気分になれるのだろうか。