1097.2010年5月15日(土) ホームページ開設3周年

 早いものでホームページを立ち上げ、このブログを書き始めてから今日でちょうど3年になる。何とかブログはほぼ1,100回を連続して書くことが出来た。幸いHPへのアクセス数も17,000回を数えた。大勢の人に見てもらっていると思うと責任感のようなものが湧いてくる。

 ブログはわれながらよくぞここまで書き続けてこられたものだと思う。これも偏に毎日思ったことや感じたことを書いてみたいとの気持ちが強く、疲れていてもその思いを押し通すことが出来たからに他ならない。今後いつまで書き続けることが出来るか、またこの個人的な記録をどうすべきかも考える必要があると思っている。 

 今日は沖縄返還が成って早38年である。返還闘争で2度ばかりデモに参加したことがあるが、仕事に追われて心情的な反対運動に終ってしまい、自分の行動に必ずしも納得しているわけではない。60年安保闘争と併せて考えると沖縄返還は了としても、その後安保条約が沖縄の足かせになっていることは間違いない。

 また、今日は昭和7年に海軍青年将校が時の首相・犬養毅を殺害した5.15事件が起きた日でもある。今や2.26事件同様に5.15事件もメディアで報道されることはなく、日本史で学ばなければほとんどの人が知らない時代になってしまった。日本人は少々過去の歴史を軽視し、こだわりがなさ過ぎではないだろうか。

 さて、先日惜しまれつつ亡くなったが、今もニュース性をもってしばしば取り上げられている人気作家・井上ひさしさんが、日本ペンクラブ第14代会長に推されたのは2003年5月の総会だった。その直後にペン会員に推薦されたことを、偶々スイス旅行中に妻からの電話で知った。その総会記録が掲載されている「P.E.N.」358号(2003年7月1日発行)をみてみると、井上新会長が話された就任挨拶が掲載されている。それによると会員になってから理事、常務理事、副会長と駆け上がってきたが、今まではサボっていたので、会長に選出されたのは天罰に違いなく、しばらくはよく働き、過去の埋め合わせをするようにとの天の裁きが下ったものだと「更生の弁」を述べている。相変わらず人を食ったようなスピーチで、井上流のユーモアとサビを利かせている。それでも、井上会長は連綿と受け継がれてきた反核反戦の気風を受け止め、その気風を若い人に渡すことを誓うと真面目なことも言っておられる。その時私を会員に推薦して下さった専務理事・小中陽太郎さんは、井上さんから副会長になって欲しいと誘われたようだが、2トップが揃って左翼系だと野次馬が騒ぐのではないかと、小中さんは辞退してヒラの理事に納まったと伺った。

 翌月の「P.E.N.」359号には、早速井上会長の発案により始まった月例会のショート・スピーチの内容が紹介されている。皮切りに会長自身が話された「遅筆生活40年」は、遅筆になった言い訳と時代背景を伝えていて、これが結構面白い。世間には出ていない井上ワールドの真骨頂である。

 この号には、6月理事会で承認された新会員が写真入りで紹介されている。私は名前、住所、電話、生年月日の後に、「エッセイスト。ギリシャ政府観光局長賞エッセイ部門入賞。推薦者 阿刀田高、小中陽太郎」と紹介されているが、同時に会員となった同期生には、阿木耀子、菊間千乃、小池真理子、なかにし礼、藤田宣永氏ら錚々たるメンバーがいる。これらの著名人が揃って私同様に阿刀田高氏に推薦されているのが、偶然とはいえ不思議な気がする。4年後井上会長の後任として当時専務理事だった阿刀田氏が第15代会長に選出された。

 いずれにせよ、文学界の楽屋裏や、著名作家の裏話は、含み笑いするような感じで面白い。

2010年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com