1198.2010年8月24日(火) 元上司と久しぶりに歓談

 今朝の朝日を見て一瞬目を疑った。夜8時過ぎの京王線新宿駅でプラットフォームの先頭に並んでいた北海道・星槎大学の佐藤方哉学長が酔っ払いに押されて線路上へ押し出され、偶々入ってきた電車に巻き込まれて亡くなられた。佐藤学長は作家・佐藤春夫の子息である。不運と片付けるには、あまりにもお気の毒で言うべき言葉もない。

 昨年星槎大学の共生科学会セミナーが大磯キャンパスで開催され、星槎大学教授でもある小中陽太郎さんからお誘いを受けて参加し、共生科学会の会員になった経緯がある。大学のお歴々も出席されていたので、その後のパーティでお会いしたかも知れない。北海道から夏休み中に上京されたのは、大学本部が横浜にあるので所用があったのだろう。それにしても残念なことである。

 今年に入ってから会いましょうというままになっていた電鉄経理部時代の元上司・岡村透さんのお宅を訪れ、漸く約束を果たすことができた。お元気そうだったので、ひとまず安心した。やはり旅行の話と経理部時代の話になる。特に、岡村さんが主計課長の時、私が経理の仕事が性に合わず一旦辞表を提出してなだめられ、それでも依怙地になって辞めるつもりでいた。

 ところが、ちょうどその時(1968年8月)に起きた世に言う「プラハの春」のせいで、首都プラハは騒乱状態となり、9月に予定していたプラハ留学の機会が儚く潰えた。振り上げた拳の置き場に困り進退窮まった。その挙句結局辞表を取り下げ、岡村さんには随分ご心配をおかけした。それから気を取り直して経理を続け、その後旅行関係部署で働き続けることが出来た。結果的に仕事を続けたことが今日につながっている。それだけに今はともにフリーな立場になり、思い出話も人一倍懐かしいものとなり、奥様ともども愉しいひとときを過ごすことが出来た。

 岡村さんも会社をお辞めになってから、公認会計士の資格を活かしてそれを生業となされ、世田谷区公認会計士協会会長の要職も務められた。お互いに会社を辞めてからの第2の仕事の方が、むしろ結果的に思い切ってやりたいことをやれて、反って幸せだったのではないかと意見が一致した。

 思いのたけを発散して久しぶりに爽快な気持ちになれた。いつまでも岡村さんご夫妻がご健勝であるよう願っている。

2010年8月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1197.2010年8月23日(月) 大逆事件100年のドキュメントを観て

 今年は朝鮮併合100年に当たり、両国で記念行事が開催されている。それとは別に、同じ年1910(明治43)年に、わが国が行き詰った暗い時代を反映するような陰惨な事件が起きた。学生時代に関連書籍を読み漁った「大逆事件」である。

 昨晩NHK・ETV特集「埋もれた声―大逆事件から100年―」を観た。幸徳秋水、管野スガ、宮下太吉、森近運平らのように名の知られた人々とは異なり、世間ではあまり知られないまま罪を着せられ刑に服した不運な人たちとその家族を取り上げていた。

 良質の木材の産出で知られる和歌山県新宮市を舞台に、天皇暗殺の疑いをかけられた土地の6人の人物に焦点を当てていた。首謀者と見られた医師・大石誠之助をはじめ、成石勘三郎・平四郎兄弟、新聞記者・崎久保誠一、2人の僧侶・高木顕明と峯尾節堂の6人である。この内大石と成石平四郎が処刑されている。被疑者26人の内、どうしてこの6人が大審院の一審だけで刑に服さねばならなかったのか。

 一部では言われていたことだが、当時の桂太郎内閣としては日露戦争直後の戦勝ムードの中で、社会主義思想を危険思想と捉える強い拒絶感情があった。社会主義運動の中心的存在だった幸徳秋水を危険人物と捉え、抹殺するために幸徳と接触した大石、そして怪しいと睨んだ人物を片っ端から検挙していった。農民が貧しいのは天皇を始めとする雲の上の人たちが甘い汁を吸っているからだと天皇を襲おうとして爆弾まで製造し、実験していた信州人・宮下太吉以外はとばっちりで捕捉されてしまった。幸徳らにとっては、いわばでっち上げ事件だった。

 7年前「大逆事件犠牲者を顕彰する会」が新宮市内に顕彰碑を建てた。検挙された6人は、天皇暗殺などに関わっていなかったということから、同じ地に住む住民が犠牲者とその家族に対して心に負担を強いることを行っていたことを反省し、自分たちに突き刺さった棘を決して忘れてはならないと誓ったのである。 遺族から理不尽な言動や、いやがらせに、その地に住んでいられなくなり、引越しをしていったとの証言もあった。

 戦後「大逆罪」が憲法から抹消され、遺族は汚名を晴らすために最高裁まで訴えたが、無罪の証明がないと却下された。

 今日平和な時代にあって冷静に考えてみれば、明らかに非民主的な弾圧事件であるが、平和な時代がいつ軍国主義による独裁国家の時代に突き進んで行かないとも限らない。平和な時こそ危険はいつも背中合わせにあることを考えておかなければならない。

 事件関係者の中では、同棲していた年上の女性・管野スガを幸徳秋水に奪われた荒畑寒村がその腹いせからか、管野スガはそんなに魅力的な女ではなかったと半世紀前にテレビで語っていたのが何とも面白く、ふっと思い出した。

2010年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1196.2010年8月22日(日) 中韓観光客受け入れに注力する日本

 一昨日顔を出したテレビ番組について、友人からいくつか電話とハガキでその評価を知らせてくれた。お世辞もあるから額面通りには受け取れないが、大体好意的な見方だった。会社の知人のひとりの如きは、全小田急OB社員の中で、これだけアカデミックな形で活躍され、実績を残しているのは、将来の文化勲章受賞者の資格充分とジョークも交えて喜んでくれた。それでもそう言っていただけるだけでも嬉しい。

 中国・杭州で開催された日中韓観光担当相会議で、日本の前原国交相は空港や駅などの公共施設でも中国語やハングル表示を増やして中韓観光客の利便をはかり、観光客増加のための具体的な政策を行うと語った。確かに近年中国と韓国から観光客が増加している。先日脱稿した「そこが知りたい 観光・都市・環境」原稿の中でもコメントしたが、あまりにも中韓観光客だけを対象にしたかのような大臣の「彼らが立ち寄りそうな場所で中韓語を出来るだけ表示する」の発言は、どんなケースを想定しているのかはっきり判らない段階では、素直に受け入れられない。大臣の意図がどの程度の場所を意味しているのか判然としないが、駅構内の駅名表示には、すでに日本語と英語が使われている。この2つの言語を削除するわけにはいかないので、このうえに更に1~2の言葉を追加表示するとは、駅の表示スペースが小さいだけに反って分りにくくしてしまい、日本人や英語母国語にしている観光客には不親切になる恐れがある。

 折りも折り今朝の朝日フロント・ページのトップに「旅行会社、中国に参入」と書かれていた。中国が年内にも日本の旅行会社に中国国内で海外旅行業務を行うことを解禁するという。これも中国人の日本への旅行に拍車をかけることになると思う。

 日本政府の観光行政への力の入れ具合は、かつて観光業界への冷遇ぶりを知るだけに、オヨヨという感じである。前掲書にも多少皮肉を込めて、政府の君子豹変ぶりを「変われば変るもの」と書いたばかりである。

 それにしても、経済不況で展望が開けないため、新しい産業を開拓しようという政府の意向に会わせた形で、観光産業は旧産業でありながら新産業として期待されることになった。観光業界はこれまでほとんど政府の援助を受けることなく、不要不急の産業として幾分軽視されてきた。それが、今や「観光産業さまさま」である。

 いつまで国は観光業界に温かいまなざしを注いでいてくれるだろうか。不安無きにしも非ずである。

 今日甲子園球場では夏の全国高校野球大会決勝戦が行われ、沖縄代表の興南高校が神奈川県代表校・東海大相模高校を破り、初めて優勝旗を沖縄に持ち帰った。春のセンバツに続く春夏連覇である。

2010年8月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1195.2010年8月21日(土) 民主党の派閥抗争はどうにかならないか。

 7月下旬パキスタン西北部を襲った豪雨により大洪水を引き起こし、死者が1,600人、被災者は実に1,540万人に上る。今も被害は拡大して市場最悪規模のものになると憂慮されている。大洪水に襲われた地区は、アフガニスタン国境に近く、被災者を放っておくとイスラム過激派が救援活動をして同地区住民が彼らに同化されてしまうという危機感がある。ザルダリ・パキスタン大統領は「武装組織がこの状況を利用する恐れがある」と、各国へ支援を求めている。パキスタンにも言ってやりたい。洪水被害で資金が足りないと外国へ援助を求めるくらいなら、金のかかる原爆開発なんか止めろと。アメリカは国連や、民間援助団体を中心として突出して多額の援助を始めたが、日本も支援金と人的支援を行うことになった。自衛隊もヘリ部隊の派遣を決めた。

 いつも思うことだが、国際支援というと率先行動を起こすのは、決まってアメリカである。自分たちの置かれた立場上アメリカは支援せざるを得ないのだろうが、経済発展著しく、軍備拡張も目覚しい中国が手を上げないのがどうも解せない。軍が保有する大量のヘリを支援に提供したらどうだ。ロシアも同じである。中国の行動には、いつも打算が付いて回っている。リターンが伴わないと自ら動かない打算的な面がある。世界から尊敬される国家と成り得るかどうかは、このように他国が窮地に追い込まれた時にこそ見せ場となるのではないだろうか。その意味では、中国は世界の大国と言うには、まだ早いと言っても良い。

 さて、来る民主党代表選に向けた民主党内の呆れたゴタゴタはどうにかならないものだろうか。国民が嫌気をさしているにも拘わらず、内部抗争は日に日にエスカレートしている。流石に今朝の朝日には厳しい論調の社説が載っていた。

 民主党代表選は「何のために戦うのか」と厳しい。出だしから「この人たちはいったい何をやっているのか―。少なからぬ有権者があきれているに違いない」と書いてある。その通り、まったく呆れている。争いは菅首相派と反首相派の間で行われている。反菅派というのは、言うまでもなく小沢派である。小沢派は、首相がマニフェスト通り政策を実行しないと、自派から党代表・首相を選出しようとしている。菅首相になってまだ3ヶ月である。3ヶ月前に自分たちが選んだ代表者を、やり方が気に入らないからとポイするとはあまりにも節操がないのではないか。自分たちにとって都合が悪いから、首相を代えようというのだから呆れる。世界でも呆れられるだろう。小沢派にとっては、国際社会の評価とか、国民の心配なんか眼中にないのだ。こういう人たちは政治家である資格がない。とっとと政治家を辞めてもらいたい。国民を不幸に貶めるばかりである。

 欲の皮が突っ張ると、他人のことなんか目に入らなくなってしまう。こんな家庭内争議ばかりやっているようだともう民主党なんか投票しないぞ!

2010年8月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1194.2010年8月20日(金) テレビ画面写りはまずまず?

 朝8時から始まる日本テレビの「スッキリ!!」を観るため若干早く起きた。8時20分ごろ放映されると聞いていた私の出番だが、中々画面が出てこない。中々出て来ず、交通問題に詳しい弁護士が2度も話をしているので、私の画面はボツになったかなと思っていたところ、38分になってニコニコ顔の私がジェスチャーを交えて話している画面がやっと2回ばかり出てきた。近藤先生テレビ初登場の巻である。1時間近くも取材に応じていたので、本音としてはもう少し顔を出させて欲しかった。1分30秒くらいと聞いていたが、1分もなかったのではないか。

 観た印象ではそう悪くもないので、こんなものかと受け止めることにした。早速受信メールをチェックすると早くも良かったという声が届けられたのでほっとした。

 JN協会の観光セミナーで何人かの方から良かったとお褒めの言葉をいただいて安心した。妻や妻の友人、妹らにも割合評判が良いようなので、まあ良かったと思っている。

 今日の観光セミナーは小林幸氏の「英国運河の旅」と題して、イギリスの‘LLANGOLLEN CANAL’を家族4人でボートを借りて、往復140㎞の運河を旅した話だった。珍しい視点の旅行で家族が1週間協力しあいながら、ボートを操る。料理を作りながら家族は全長20mのボートに宿泊して高低差のある運河を上り下りする。割合一部では知られているらしく、ネット検索すればかなり詳しく知ることが出来るらしいが、寡聞にして知らなかった。時間が取れて同志が見つかれば、一度はやってみたいツアーのひとつである。それにしてもヨーロッパでは、今どき100年以上も前にトランスポーテーションの手段だった運河を、21世紀になって趣味と娯楽のために使う発想と、自然を楽しもうとする自然主義的考えには、感心する。やはり日本人とは少し違うなぁと実感する。

2010年8月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1193.2010 年8月19日(木) 日本テレビ「スッキリ!!」に出演

 飯田ゼミの池田博充くんと神保町の書泉グランデ前で会い、池田くんの話を聞かせてもらった。彼が偶々スペイン・ツアーでフライト・キャンセルに巻き込まれてしまい、旅行会社の不誠実な対応が納得できず、私に電話をかけてきたことから、今日のテレビ取材の参考にしようと打ち合わせすることになった。災いを転じて福となすべく、もらった資料についてことの顛末を聞いて、それを素にこの後日本テレビの取材に応えようとしたものである。

 それにしても、彼の話を聞いた限りでは、参加したツアーの旅行会社の対応はあまりにも不親切で酷すぎる。彼らの団体はアイスランドの火山爆発による航空機のキャンセルにより、バロセロナで7泊も余計に宿泊する破目になった。延泊のホテル代負担を巡って旅行会社と交渉したが、旅行会社では一切取り合おうとはせず、自然現象によるフライト・キャンセルなので、旅行会社に責任はないと主張するばかりだったらしい。当事者同士、つまり航空会社・フィンエアと旅行者で話し合って欲しいと突き放されてしまったと彼は憤慨していた。

 主催旅行会社は、自社商品を購買してくれた顧客に対してもう少し親切に両社の仲を取り持って、旅行者の気持ちを汲んであげる努力を払っても良いのではないかと思う。しびれを切らした池田くんは、同じ団体の仲間とともに航空会社へ直接交渉して、ヘルシンキのフィンエア本社とフィンランド消費者庁の了解を得てホテル延泊代を負担してもらうことに成功した。1人1泊6,000円の賠償で、7日分として84,000円を返してもらったという。一方で、彼が呆れたのは、この交渉の結果勝ち得た成果を、旅行会社が自分たちの手柄のようにほかの参加者に対して、航空会社がホテル代を負担すると連絡したことである。旅行会社が行うべき義務を、顧客である旅行参加者が個別交渉によって得た成果を、今度は旅行会社が我が物顔に利用する神経の図太さである。

 その後予習をしながらランチを終えて汐留にある日本テレビの本社ビルで、担当の渡部健太さんの質問に応える形でカメラマンのカメラ回しが続けられた。1時間のインタビューを通して、格安ツアーの問題点をいくつか話したが、話したいことが多くて、やはり時間的には少々足りなかったような気もした。それでも初めてのテレビ番組登場でもあり、何とか取材は終えたが、満足度としてはとても充分ではない。全体のデザインが描けない中で質疑に応えるというのは、つくづく難しいものだと思う。しかも、終ってから画面を見ることが出来るわけではない。すべてをテレビ局に任せることになった。

 毎週ウィークデイの朝8時から10時25分まで放送される長時間番組「スッキリ!!」の「特報」の枠の中で、明朝私がしゃべる時間は僅か1分30秒に短縮されて放映されるとのことである。仕上げはどうなっているのか、気にはなる。すべては明日見てからのお楽しみ半分不安半分である。

2010年8月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1192.2010年8月18日(水) 明日のテレビ出演に備える。

 今朝早稲田出版の大塚靖敏編集長から電話があり、四方山話の後でアメリカ・ユタ州のバス横転事故について日本テレビが取材のため私を紹介して欲しいと言っていると聞いたので、喜んでお引き受けすることにした。しばらくして日本テレビの番組「スッキリ!」担当者の渡部さんと名乗る方から、事故の補償、手配の実務等について話して欲しい。明日取材して明後日の朝8時に放映するということになった。

 特に気にされていたのは、イギリスの場合、旅行主催会社が旅行参加者の負った実費費用と見舞金等についてほぼ全額負担すると聞いているが、日本では4年前のトルコの事故に際して、主催旅行会社HISは、被害者は加害者であるバス会社と直接交渉すべきだと突っぱねているなどの、日欧間で異なる責任の取り方だった。

 幸い昨日飯田ゼミの池田くんから4月にスペイン旅行した時の体験から、保証を得る方法が参考になると思い、早速明日午前中に会って詳しい話を聞くことにした。池田くんはアイスランドの火山爆発により、フィンランド航空がバロセロナからヘルシンキまで飛ばなくなり、7日間バロセロナで滞在を延期せざるを得なくなった。延泊に伴ってかかった費用負担について旅行会社との間でトラブッていると聞いた。池田くんは、旅行会社を当てにできず、フィンランド航空へ同志とともに直接交渉したら、同航空では、EUではその種のケースでは費用は航空会社が負担すると言って、速やかに支払ってくれたという。このEUの例と日本の一部の旅行会社との賠償というか、費用負担に対する考え方の違いを説明しようと思っている。

 いずれにしろテレビ局としては、関心を呼ぶニュースであり、消費者がかなり費用負担をしている例が見られるので、消費者保護の立場からも、きちんと日本の旅行会社が果たすべき責任について説明したいと思っている。

 私にとってはこういう形でテレビへ出演するのは初めての経験でもあるので、かつてエジプトで起きたバス事故の顛末と責任の取り方について書いた論稿があるので、それらをもう一度チェックするなどして万遺漏のないよう、ある程度準備をしておきたいと考えている。

2010年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1191.2010年8月17日(火) 朝日朝刊に自説主張が掲載される。

 昨夕朝日新聞社から取材された海外ツアー事故に関する内容が、今日の朝刊3面に掲載された。全8段のスペースを割いて事故の補償についてかなり詳細に説明していた。私の記事は2段枠組みで5つのポイントについてまとめられている。枠組み記事にはこう書かれている。

 「旅行ジャーナリストの近藤節夫さんに、安全な海外旅行をするためのポイントを挙げてもらった。

  • 任意保険には必ず加入
  • 実績のある旅行会社かどうか調べる
  • 極端に安いツアーでは、旅程に無理がないか、安全なホテルを利用しているかを確認
  • 車で長距離を移動する場合、余裕のあるスケジュールか、運転者が2人以上いるかを旅行会社にチェック
  • インターネットだけに頼らず、できるだけ旅行会社の窓口で相談し、安全だと納得してから予約を」

 ほとんど話した通りに書かれている。スペースが狭いので、私なりの持論をすべて話すことは出来なかったが、主旨は伝わったと思う。早速新聞を読んだ友人2人からメールが入っていた。更に記事をコピーしてメール送信したところ、やはり関心があるのかいくつかコメントを寄せてくれた。

 小中陽太郎さんからもメールで、朝日に旅行アドバイザーとして掲載されたのは一流の証拠だとお世辞であるがお褒めの言葉を送っていただいた。ある程度社会的に認めていただいたということで、これからの仕事上にもモチベーションが高まる。

 午後長男から電話で、王貞治さんのお母様・王登美さんが亡くなられたと知らせてくれた。夕刊をみると確かに死亡記事が掲載されていた。最近まったくお会いすることはなかった。2年前に亡くなられた王鉄城先生の奥様から施設に入っておられると聞いていたが、その先生の葬儀場にはお姿も、お名前も見られなかったので少々気にかかっていた。その後、週刊誌にあまり好意的でない介護の話が取り上げられた。

 最後にお会いしたのは、2001年12月である。満百歳を迎えられお祝いのセレモニー「百賀」をお任せいただき、センチュリー・ハイアットで行った。その時はお元気だった。明治34年(1901年9月1日)富山県のお生まれで、戦前戦後を通じてかなりご苦労されたように伺っていた。医師だった故王鉄城先生のお薦めもあったが、随分お世話になった。今でも忘れられない思い出は、ご家族でハワイ旅行された時、帰国日を占うと凶であると成田から新宿のお宅へ直行せずに、ただひとり成田に滞在してから1日遅れで帰宅されたことである。信心深いのには驚ろかされた。

 ほとんど王鉄城先生ご夫妻をパイプにして王家の皆さまとお付き合いをさせていただいたが、良い思い出ばかりである。それは取りも直さず、王家の皆さまのお人柄が素晴らしいからである。

 王登美さんのご冥福をお祈り致したい。

2010年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1190.2010年8月16日(月) これから戦没者遺骨収集をどう進めるのか。

 大東亜戦争中に海外で戦死した旧日本軍兵士のご遺骨は、今も100万柱以上が海外に眠ったままになっている。厚生労働省では毎年戦地へ遺骨収集団を派遣しているが、年々収骨作業は困難になり、収容数も減少の一途である。

 1973年以来20年近く旧厚生省・中部太平洋戦没者遺骨収集事業に携わってきた経験上から戦没者のご遺骨を収集するのは、年々難しくなっているということを実感する。日本側に当時の状況を知る人が年々少なくなっているのと同じように、海外各地で日本軍の行動や生活について知っていた現地の人たちがほとんどいなくなったことも大きく影響している。外地の人里離れたジャングルや、山地では現地の人の案内を請わなくては、思うように戦没地へ入ることが叶わないからである。

 例えば、フィリッピンでは51万8千人の戦没者のうち、約37万3千人のご遺骨が帰還していない。これは、軍がフィリッピンの山奥深く進軍したために山野に展開した作戦で部隊がちりじりになり、戦後も現地のゲリラ部隊の潜伏などで接近出来ないという事情もある。

 ビルマのインパールやコヒマのように、高山のジャングル地帯では平時でも入るのは難儀である。とても収骨することは難しく、しかも現在のビルマの政情不安を考えると現状では不可能に近い。年々遺族も少なくなり、厚労省や遺族会も焦っているが、現実的に状況は益々厳しくなっている。

 ある程度実情を知っている立場からすれば、収骨数というのは、数え方がマチマチなので、正確な数にはなりにくい。特に戦没地の事情によって数え方も異なるので、実態とは多少合わない点もあることは承知しておいた方がいい。

 政府は遺族がもういつまでも待てない状況に鑑みて、このまま座視しているわけにはいかない。実際には10年や20年の間にすべてのご遺骨を母国へ奉還することは不可能に近いことを直視すべきである。それなら、せめて気持ちのうえで遺族が折り合える対応を考えるべきである。ひとつの方法としては、希望する遺族には毎年8月15日に戦没地近くで慰霊追悼式を行い、気持ちを慰めてもらうことである。

 いくら形として追悼式で式辞を述べても、本当の気持ちは伝わらない。民主党は昨年の政策集で、無宗教の新たな国立追悼施設を設置する方針を明記したはずである。にも拘わらず、菅首相は「今すぐどうという結論ではなく、党内外の議論のあり方を見ていきたい」とのんびりとしていて冷たい。

 さて、夕方先日に続いて朝日の別の記者から、改めて海外旅行の安全について尋ねてきた。明日の特集で報道したいとのことだった。随分切羽詰まった特集だが、先日のように空振りに終らなければいいが・・・。

2010年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1189.2010年8月15日(日) 65回目の終戦記念日

 終戦記念日の今日、日本武道館で「全国戦没者追悼式」が、天皇、皇后両陛下ご臨席の下に行われた。式典には軽井沢で静養中だった菅首相も帰京して出席し、衆参両議院議長、最高裁長官、及び遺族を中心に約6,000人が出席した。先の大戦の戦没者は310万人と言われている。230万人の軍人・軍属と80万人の一般人である。この内240万人が海外で亡くなられた。広島と長崎の原爆による犠牲者は全戦没者のほぼ1割である。

 アメリカでは、今も原爆投下は戦争終結を早め、犠牲者が増えることを防いだとして悪いことではないとの声が約6割もいると直近の世論調査が伝えていた。これだけ悲惨な犠牲を強いておいて、なお自分たちの行いは正しかったとする傲慢で頑なな考えはとても受け入れ難い。どうして相手の気持ちを慮らず、自分だけが正しいとする自分本位の考えが芽生えるのか理解不能である。

 アメリカ人は自ら声を大にして主張するように、アメリカ合衆国は民主主義国家の見本として、一般的に民主的で意見を広く求めて多数決を重視しながらも、たった1人の声も尊重すると思われている。それが、今日アメリカが何とか世界でも一番信頼される国のひとつとなった原因ではないかと考えている。

 しかし、場合によっては救いようがないと思うほど頑固で自説を曲げない頑迷さを持っている。その典型は銃砲所持の権利であり、この原爆投下の肯定論である。

 戦後65年も経過して、これだけ世界中に反戦・反核の火の手が挙がっているのに、頑強に自分たちの正当性を主張する彼らの間違いを糺すのは、アメリカへ反核の声なき声の連鎖を造り上げることしかないのではないか。アメリカ以外の人々から、原爆投下は間違っていたとアメリカに言ってもらうよりほかに、アメリカ至上主義に凝り固まっているアメリカ人を説得する方法はないのではないだろうか。プラハの宣言では、オバマ大統領は責任を感じていると発言したが、それは必ずしもアメリカ人の声を代弁したものではなかったということだ。

 さて、終戦記念日と言えば、毎年のように物議を醸す政治家の靖国神社の公式参拝がある。今年は数日前に仙石由人・官房長官が、首相を始め閣僚は参拝しないと発表した。菅首相は武道館には行ったが、靖国神社を訪れてはいない。今日は、自民党谷垣総裁、大島幹事長、安倍晋三・元首相、及び超党派の靖国神社を参拝する国会議員の会に所属する議員が参拝した。

 今日首相以下各閣僚が参拝しなかったことで、これから民主党政権の下では、国の代表者が靖国へ参拝しないことが明確になった。今後天皇・皇后両陛下の参拝についても、現在一般の戦没者と戦犯が合祀されている現状を考え直さないと難しいのではないかと思う。分祀して戦犯は靖国から別の場所でお参りするか、一部で検討されている国立の追悼施設を建設するか、もうとっくに考えてみる時期に来ているのではないだろうか。そうでなければ、いつまで経っても靖国参拝問題は解決しない。

2010年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com