今朝の朝日を見て一瞬目を疑った。夜8時過ぎの京王線新宿駅でプラットフォームの先頭に並んでいた北海道・星槎大学の佐藤方哉学長が酔っ払いに押されて線路上へ押し出され、偶々入ってきた電車に巻き込まれて亡くなられた。佐藤学長は作家・佐藤春夫の子息である。不運と片付けるには、あまりにもお気の毒で言うべき言葉もない。
昨年星槎大学の共生科学会セミナーが大磯キャンパスで開催され、星槎大学教授でもある小中陽太郎さんからお誘いを受けて参加し、共生科学会の会員になった経緯がある。大学のお歴々も出席されていたので、その後のパーティでお会いしたかも知れない。北海道から夏休み中に上京されたのは、大学本部が横浜にあるので所用があったのだろう。それにしても残念なことである。
今年に入ってから会いましょうというままになっていた電鉄経理部時代の元上司・岡村透さんのお宅を訪れ、漸く約束を果たすことができた。お元気そうだったので、ひとまず安心した。やはり旅行の話と経理部時代の話になる。特に、岡村さんが主計課長の時、私が経理の仕事が性に合わず一旦辞表を提出してなだめられ、それでも依怙地になって辞めるつもりでいた。
ところが、ちょうどその時(1968年8月)に起きた世に言う「プラハの春」のせいで、首都プラハは騒乱状態となり、9月に予定していたプラハ留学の機会が儚く潰えた。振り上げた拳の置き場に困り進退窮まった。その挙句結局辞表を取り下げ、岡村さんには随分ご心配をおかけした。それから気を取り直して経理を続け、その後旅行関係部署で働き続けることが出来た。結果的に仕事を続けたことが今日につながっている。それだけに今はともにフリーな立場になり、思い出話も人一倍懐かしいものとなり、奥様ともども愉しいひとときを過ごすことが出来た。
岡村さんも会社をお辞めになってから、公認会計士の資格を活かしてそれを生業となされ、世田谷区公認会計士協会会長の要職も務められた。お互いに会社を辞めてからの第2の仕事の方が、むしろ結果的に思い切ってやりたいことをやれて、反って幸せだったのではないかと意見が一致した。
思いのたけを発散して久しぶりに爽快な気持ちになれた。いつまでも岡村さんご夫妻がご健勝であるよう願っている。