終戦記念日の今日、日本武道館で「全国戦没者追悼式」が、天皇、皇后両陛下ご臨席の下に行われた。式典には軽井沢で静養中だった菅首相も帰京して出席し、衆参両議院議長、最高裁長官、及び遺族を中心に約6,000人が出席した。先の大戦の戦没者は310万人と言われている。230万人の軍人・軍属と80万人の一般人である。この内240万人が海外で亡くなられた。広島と長崎の原爆による犠牲者は全戦没者のほぼ1割である。
アメリカでは、今も原爆投下は戦争終結を早め、犠牲者が増えることを防いだとして悪いことではないとの声が約6割もいると直近の世論調査が伝えていた。これだけ悲惨な犠牲を強いておいて、なお自分たちの行いは正しかったとする傲慢で頑なな考えはとても受け入れ難い。どうして相手の気持ちを慮らず、自分だけが正しいとする自分本位の考えが芽生えるのか理解不能である。
アメリカ人は自ら声を大にして主張するように、アメリカ合衆国は民主主義国家の見本として、一般的に民主的で意見を広く求めて多数決を重視しながらも、たった1人の声も尊重すると思われている。それが、今日アメリカが何とか世界でも一番信頼される国のひとつとなった原因ではないかと考えている。
しかし、場合によっては救いようがないと思うほど頑固で自説を曲げない頑迷さを持っている。その典型は銃砲所持の権利であり、この原爆投下の肯定論である。
戦後65年も経過して、これだけ世界中に反戦・反核の火の手が挙がっているのに、頑強に自分たちの正当性を主張する彼らの間違いを糺すのは、アメリカへ反核の声なき声の連鎖を造り上げることしかないのではないか。アメリカ以外の人々から、原爆投下は間違っていたとアメリカに言ってもらうよりほかに、アメリカ至上主義に凝り固まっているアメリカ人を説得する方法はないのではないだろうか。プラハの宣言では、オバマ大統領は責任を感じていると発言したが、それは必ずしもアメリカ人の声を代弁したものではなかったということだ。
さて、終戦記念日と言えば、毎年のように物議を醸す政治家の靖国神社の公式参拝がある。今年は数日前に仙石由人・官房長官が、首相を始め閣僚は参拝しないと発表した。菅首相は武道館には行ったが、靖国神社を訪れてはいない。今日は、自民党谷垣総裁、大島幹事長、安倍晋三・元首相、及び超党派の靖国神社を参拝する国会議員の会に所属する議員が参拝した。
今日首相以下各閣僚が参拝しなかったことで、これから民主党政権の下では、国の代表者が靖国へ参拝しないことが明確になった。今後天皇・皇后両陛下の参拝についても、現在一般の戦没者と戦犯が合祀されている現状を考え直さないと難しいのではないかと思う。分祀して戦犯は靖国から別の場所でお参りするか、一部で検討されている国立の追悼施設を建設するか、もうとっくに考えてみる時期に来ているのではないだろうか。そうでなければ、いつまで経っても靖国参拝問題は解決しない。