今年は朝鮮併合100年に当たり、両国で記念行事が開催されている。それとは別に、同じ年1910(明治43)年に、わが国が行き詰った暗い時代を反映するような陰惨な事件が起きた。学生時代に関連書籍を読み漁った「大逆事件」である。
昨晩NHK・ETV特集「埋もれた声―大逆事件から100年―」を観た。幸徳秋水、管野スガ、宮下太吉、森近運平らのように名の知られた人々とは異なり、世間ではあまり知られないまま罪を着せられ刑に服した不運な人たちとその家族を取り上げていた。
良質の木材の産出で知られる和歌山県新宮市を舞台に、天皇暗殺の疑いをかけられた土地の6人の人物に焦点を当てていた。首謀者と見られた医師・大石誠之助をはじめ、成石勘三郎・平四郎兄弟、新聞記者・崎久保誠一、2人の僧侶・高木顕明と峯尾節堂の6人である。この内大石と成石平四郎が処刑されている。被疑者26人の内、どうしてこの6人が大審院の一審だけで刑に服さねばならなかったのか。
一部では言われていたことだが、当時の桂太郎内閣としては日露戦争直後の戦勝ムードの中で、社会主義思想を危険思想と捉える強い拒絶感情があった。社会主義運動の中心的存在だった幸徳秋水を危険人物と捉え、抹殺するために幸徳と接触した大石、そして怪しいと睨んだ人物を片っ端から検挙していった。農民が貧しいのは天皇を始めとする雲の上の人たちが甘い汁を吸っているからだと天皇を襲おうとして爆弾まで製造し、実験していた信州人・宮下太吉以外はとばっちりで捕捉されてしまった。幸徳らにとっては、いわばでっち上げ事件だった。
7年前「大逆事件犠牲者を顕彰する会」が新宮市内に顕彰碑を建てた。検挙された6人は、天皇暗殺などに関わっていなかったということから、同じ地に住む住民が犠牲者とその家族に対して心に負担を強いることを行っていたことを反省し、自分たちに突き刺さった棘を決して忘れてはならないと誓ったのである。 遺族から理不尽な言動や、いやがらせに、その地に住んでいられなくなり、引越しをしていったとの証言もあった。
戦後「大逆罪」が憲法から抹消され、遺族は汚名を晴らすために最高裁まで訴えたが、無罪の証明がないと却下された。
今日平和な時代にあって冷静に考えてみれば、明らかに非民主的な弾圧事件であるが、平和な時代がいつ軍国主義による独裁国家の時代に突き進んで行かないとも限らない。平和な時こそ危険はいつも背中合わせにあることを考えておかなければならない。
事件関係者の中では、同棲していた年上の女性・管野スガを幸徳秋水に奪われた荒畑寒村がその腹いせからか、管野スガはそんなに魅力的な女ではなかったと半世紀前にテレビで語っていたのが何とも面白く、ふっと思い出した。