692.2009年4月5日(日) 小学生時代の友と会う。

 とうとう北朝鮮がやってくれた。午前11時33分北朝鮮は舞水端里(ムスダンリ)ミサイル基地から長距離弾道弾ミサイルを発射したのである。第1弾は日本海上に、第2弾は太平洋上に落下した。幸い日本国内にはロケットの断片や破損部分等は落ちなかった。ただ、これでことが済んだわけではない。多くの国から強い非難を浴びながら打ち上げを強行した。ミサイルは他国・日本上空を飛行したのである。当然日本は米韓とともに国連安保理へ北朝鮮の国連安保理決議に反するとして制裁採択を求める。しかし、恐らくロシアと中国は制裁には同意しないだろう。いずれにせよ舞台は国連の場へ移ることになる。

 今日卒業した幕張小学校の同期生会が海浜幕張のホテルで開かれた。昨年度古希を迎えて同級生は70歳になった。もうほとんどが現役を引退している。幕張小を卒業してから私立市川中学へ進んだ懐かしい仲間にも中学時以来会うことが出来た。みんな好いオッサン、オバハンになった。われわれが学んだ幕張小学校の創立は聞けば明治4年だという。これだけ歴史のある小学校はそんなにないと思う。今日出席してくれた恩師のおひとり、中台先生はあの時代は物はなかったが、生徒はみんな素朴で純情だったと仰ってくれた。今年83歳になるというのに、校歌斉唱にビアノを伴奏してくれた。幹事の話では、同期生会は今回を最後にしたいとのことだったが、内々に一寸早すぎるのではないか、せめて喜寿の年でよいのではないかとアピールがあった。

 南房総の勝山小学校からこの幕張小学校へ転入したのは、5年生の2学期だった。ちょうど湯川秀樹博士が初めてノーベル賞をもらった時だった。担任だった湯浅和先生はとっくの昔に亡くなられた。今日も幹事の野口進くんから湯浅先生は良い先生だったと懐かしむ声を聞いた。まあ懐かしい友とも会えて良かった。出席者は68名だった。こどもの頃のイメージが温かく思い出されてきた。

 2次会には出ないで千葉市内に住んでいる、勝山小学校の同級生・笹生嵩夫くんにホテルに来てもらって2人だけの私的同窓会となった。家庭環境が似ていることもあって、勝山を去っても付かず離れずコミュニケーションを保ってきた間柄である。同じ5人兄弟で中々優秀な家族だったが、住友商事に勤めて海外経験も長かったようだ。先日の出版記念会に来てくれて、交流が復活する機縁となった。実にロンドンで会って以来である。これからも時折会おうと約束して別れた。

2009年4月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

691.2009年4月4日(土) 北朝鮮今日はロケット発射せず。

 北朝鮮が人工衛星を打ち上げると発表してから、その報道の真偽を含め、マス・メディアは振り回されている。どうも科学衛星ではなくミサイル発射ではないかとの疑念が出てから、日韓米を主に世界中が北朝鮮に自制を促しているが、頑なな北朝鮮は一切聞く耳を持たず、一方的に今日4日から8日までの間に発射すると公表した。マス・メディアは今日その話題で持ちきりとなり、北朝鮮が11時過ぎに発射すると発表してから刻一刻と固唾を呑んで見守っているというのが、日本中の空気だった。その間に誤報が出て、その事実が分ると今度はその撤回に忙殺されるなど、日本中が上へ下への大騒ぎとなった。北朝鮮の行動は不可解で今日は取り止めたとも何とも言わずに、明日以降に打ち上げを延ばしたに過ぎない。それにしても誤報の出所では、何が原因でそんな無様な連絡をしたのか。自衛隊では当初発射と感知したらしい。しかし、これでは探知機の性能がまったく当てにならないではないか。

 明日以降また北朝鮮のわがままし放題の他人騒がせが繰り返されるのかと思うとうんざりである。

 今年は天候が不順で桜が咲きそうになると急に寒くなって桜開花がのびのびになっていたために、桜の満開は遅れ気味で今日辺りがほぼ満開に近い。昨日観た「国際文化会館」の桜は実に見事だった。妻が花見に行きたいと言い出したのは実は近くの呑川縁の桜のことだが、思い切って「国際文化会館」へ花見を兼ねてランチに出かけた。やはりここは場所柄だろうか、普通のホテルとは趣が少々異なる。外人客も多いし、雰囲気が割合上品である。料金も比較的リーズナブルで、これからも偶にはここで食事をしてみたい。

 昨日国際文化会館からの帰途気がついたのだが、地下鉄・都営線の六本木駅が中々見つけにくい。日比谷線の六本木駅ならすぐ見つかるのだが、散々案内板に従って歩き回ったが、情けないことに辿り着けず遂に交番で尋ねた。おまわりさんが笑いながら、教えてくれた駅は直ぐ近くだった。随分同じように迷いかける尋ね人が多いようである。今日は帰りに鳥居坂を下り、南北線の麻布十番駅の入り口を入ったが、ここからプラットフォームまでが大変だった。長い地下道もさることながら、エスカレーターで下がったり、上がったり坂の地下を何路線かの地下鉄網が張り巡らされているので、相当地下深く上がったり下がったりしているわけで、こんなに地下が複雑になっているとは初めて知った。

2009年4月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

690.2009 年4月3日(金) 原寿雄氏の出版記念会

 昨年受講した岩波市民セミナーの講師だった、元共同通信副社長・原寿雄氏の岩波新書「ジャーリズムの可能性」の出版を祝う会のご案内をいただいたので、六本木の財団法人「国際文化会館」へ出かけた。ここは岩崎小弥太の邸宅だっただけに環境抜群の一等地にある。日本庭園も素晴らしく、桜が満開で実に素敵な一夜となった。

 約120人が参加されたが、ほとんどがジャーナリストで直接知っているのは、残念ながら岩波市民セミナーを紹介してくれた共同通信出身で、駒沢大学の片山正彦講師だけだった。この新書の中で資料を提供してもらったと紹介されている元朝日の阿部和義氏に先日話をしたが姿は見えなかった。

 普通のパーティとは異なり、最初に原氏の30分ばかりの講演があった。この新書は前半に、渡辺恒雄・読売グループ会長のマス・メディアに働く者が政治に介入し、自民・民主の大連合を画策することへの批判的論文と、大手メーカーのスポンサーとしての意図的CM抑制によりテレビ局への圧力を強めている事実への非難について書かれている。そのために読売を中心にかなり苦情や非難があったらしい。読売に対する非難を含んだコメントや巨人軍の効用、読売の大衆性等が原氏の口をついていくつか出てきた。

 また、原氏は問題が生じたら、もっと議論を深めることが大切だと持論を述べられた。特に、漆間官房副長官のオフレコ発言が流れたいきさつについても解説され、下手をするとオフレコが情報操作に使われる恐れがあると言われた。サルコジ・フランス大統領がジャーナリズムへ国家の補助が必要だと発言したが、日本でもその必要性があるとも述べられた。この辺りの真意は、よく分らないが、原氏ははっきりと発言したところをみると、本気でそう思っているのではないか。しかし、私にはこれこそが情報操作や、報道管制に使われる恐れがあると感じられたのだが・・・。

 引き続き何人かの著名人が挨拶されたが、中でも大宅映子、国弘正雄、本多勝一氏らには強い思い込みがある。かつて一世を風靡した冒険ジャーナリスト・本多勝一氏の見た目にげっそりした姿は昔の英姿を覚えている私には、些か衝撃だった。京都大学山岳部出身で、世界の僻地を歩き回っていた本多氏の姿からなぜか憔悴したような印象を受けた。あのベドウィン族との砂漠の旅、ニューギニア高地民族、中でもヤゲンブラさんとの交流、エスキモー(現イヌイット)とのセイウチ退治等々の描写は、聞きしに勝る面白さだった。それが挨拶もぼそぼそと原稿を読みながら話していた。話が上手でないとは本人が冒頭に断わったし、昨年佐高信氏も講義の中でそう言っていた。それにしても落差が大き過ぎる。国弘氏も元気がなく、終始椅子にかけっぱなしだった。ただ一人元気だったのは大宅氏で、子どものころから父親・大宅壮一氏から幾種類もの新聞を読まされ、それぞれの新聞の書き方が違うことを教わり、それが父親から教わった最大の財産であると話していたのが印象的だった。

 いずれにしろ、原氏の良き人柄が偲ばれ、老若男女すべてのジャーナリストに尊敬され、敬愛されていると思わせるパーティだった。

 さて、先月末イスラエルの総選挙が行われ、右派が圧勝した。これでパレスチナ政策強硬派を軸とする右派連立政権が誕生した。首相にはリクード党首のネタニヤフ氏が復活し、外相には連立を組んだ「イスラエル我が家」のリーベルマン党首が就任した。現在小康状態を保っているパレスチナ和平にこれで軋みが出るのではないかと懸念された矢先に、案の定リーベルマン外相はパレスチナ和平会議を欠席すると言い出した。この様子からすると今後パレスチナ和平は混沌としてくるのではないか。

 総選挙以前には、アメリカがパレスチナ寄りの言動を起こすことはなかった。それが更に右傾化したわけだから、和平は遠のいたと言うべきだろう。唯一の和平への道は、ブッシュ政権からオバマ政権に替わったアメリカが、‘CHANGE’と「人権」を表に出してきたことである。オバマ政権がイスラエルに自制を促し、パレスチナ側の意向を少しでも汲み取ろうとの姿勢を見せれば、和平への道程はまったく可能性がないと諦めることもない。一にかかってアメリカの出方次第であろう。

2009年4月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

689.2009年4月2日(木) 久保田達也先生にインタビュー

 出版プロジェクト2度目の取材である。原宿駅竹下口前集合時間より少し早く着いたので、今や若者文化の名所となった竹下通りを覗いてみた。まあ凄い人ごみで前へ進めないくらいである。平日の午後であるが、春休みのせいか中高生と外人客が多い。大分前に来た時に比べると、エリアが広くなったような気がする。その理由のひとつは従来竹下通り1本だけが原宿のように思われていたが、現在は途中に袋小路になったような脇道も広い意味で原宿と考えられるようになったからだろう。若者ばかりが浮かれているようだが、その若者文化というのがどうもぱっとしない。どこの店も安物商品をただ置いているだけとの感覚に囚われたのは、頭が古いせいだろうか。

 今日の取材はビジネス作家・久保田達也先生である。行動派にしてITの戦略家である。サイバー大学教授でもあり、HPでセミナーを仕掛けようとされている。スケールの大きい考えを持っておられ、大きな夢として1億の日本人を企画マンにしたいとの構想がある。それは、日本人の潜在能力が優れているとの考えがあるからであり、主たる取材者である幅健一さんの「最も行ってみたい国は?」との質問に対して、即座に「日本」と応えられたことからも分る。

 特に頭に残ったのは、グーグル本社を訪れた時の印象と情報整理術、そして過去に味わった挫折である。グーグルでは目的を持って仕事に取り組んでいるが、その内20%はプライベートである。それでいて目的を達成すると辞めていく。ゴールまでの過程を重要視しているということになる。

 情報整理は、「捨てること」だと言われる。情報は貯めると満足する。書物でも心を鬼にしても捨てることだそうだ。

 味わった挫折は昭和43年の新宿駅騒乱事件で検挙された時である。またその時対応した刑事が徒然草全文を諳んじたことにショックを受けて、体制側で改革を支えていこうと思ったそうである。このことが良いのかどうか分らないが、私にはそういうスタンスは無理だと思った。とにかく前向きな方である。

 私も人生で学んだり、ことを処していくために大切なことと考えている「生」「本物」「臨場感」について共鳴できたことが嬉しい。ITに対する考え方について随分教えていただいた。

 久保田先生の事務所をお暇して、新宿で仕事を終えた人も加わり7名で出版プロジェクト会議を開き、今後のスケジュールを話し合う。若い人も積極的に参加してくれて有意義な取材、会議となった。

2009年4月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

688.2009年4月1日(水) 故高木東六作?「新年度、あ~新年度、新年度」

 日銀が3月短観の結果を発表した。予想通り景況感は最悪の結果となった。大企業の製造業で74年の調査開始以来最悪のマイナス58という数値で、6四半期連続の落ち込みである。

 今回の不況は昨年辺りから百年に一度の大不況と言われているが、確かに一向に出口が見えない。これを解決する術がないのが何とももどかしい。小手先だけの対策では、むしろ悪くなる一方である。設備投資にブレーキがかかり、雇用が削減され、消費も下落するばかりである。株価は昨日の大幅下落から反発して小康状態であるが、この先どうなるかは予測できない。

 そんな不景気風の中で今日新年度に入り、新入社員を迎えた企業では入社式が行われた。大手企業でも前年度の半数ぐらいというのがやっとのようだ。採用する余裕はないが、人事構成がいびつになるとの消極的な考えから已むなく採用を決めた会社も多いらしく、長期的な人材需要に応えた採用計画ではない。この経済不況がこのまま続くなら、企業の雇用に光明は見出せないのではないか。経済が回復しない限り、すべてが好転しないとの閉塞感が漂う。いつになったら経済が回復するのだろうか。

 北朝鮮がミサイルを発射するのではないかとの予想に対して、万一の場合に備えて地対空迎撃ミサイルが落下予想地周辺に、続々と配置されている。これから発射予定日の4日から8日の間は、毎日どんな情報が伝えられるのか、気になるところである。今日ロンドンに到着した麻生首相も早速韓国の李明博大統領と会い、この問題について話し合った。北朝鮮がミサイルを発射すれば、国連安保理へ提訴するという点で両首脳の意見が一致した。

2009年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

687.2009年3月31日(火) 真っ赤っかの平成20年度を送る。

 今日は平成20年度の年度末日である。中小・零細企業は言うに及ばず、大手民間企業の決算も軒並み赤字という散々たる経済状況にある。昨年まで飛ぶ鳥を落とす勢いだったトヨタもついに減配の憂き目を見ることになったらしい。東証日経平均株価も昨年度末の12,525円が、35%も下がって今日の終値は8,109円だった。資産が目減りしてどこの年金資金運用も大変なようだ。まだまだ当分の間明るい兆しが望めない。専門家ですら、来年度の日経平均が10,000円台にまで戻るとの予想が80%、極端に5,000円まで下がるとの予想が20%もある。政府も補正予算を組んだり、景気対策を考えているが、一向に景気は上向かない。失業率は4.9%にまで上がり、非正規雇用者の失業者数は増加する一方である。雇用問題は最大の社会問題となりつつある。

 一方、アメリカでは不況の象徴であるGM社の役員が多額の賞与を受け取ることで、オバマ大統領以下アメリカ国民から猛烈に顰蹙を買ったが、ワゴナー会長はGM社が政府の補助金を受ける条件のひとつとして、経営責任を取って会長職を辞することになった。鵜の目鷹の目の国民は、ワゴナー会長から目を逸らさず、会長の退職慰労金がどうなるかを厳しく監視している。

 さて、今年も駒沢大学マス・コミュニケーション研究所の公開講座に参加を申し込んだ。木曜日の講座に関心があったのだが、すでに申し込んだ多摩大学の現代世界解析講座(毎週木曜日開催)と日時がダブってしまうので、‘CHANGE’マインドして金曜日の「現代広告論」と出版関係の講座を受講することにした。4月から毎週3時限大学で講座を聴くことが出来る。大いに楽しみにしている。

 自分の名前「近藤」の「近」の文字には「しんにゅう」がある。「しんにゅう」のある漢字には、1点の「しんにゅう」と2点の「しんにゅう」の2通りがある。なぜ単純に統一することができないのかという議論がつい最近専門家の間であった。近藤の近は1点で、今までずっとこれで通してきた。ところが、戦前は近も2点だったそうで、漢字の母国中国に倣ったらしい。日本でも本来は2点が正しかった。それが戦後、当用漢字の字体を決めた時に簡略な1点を採用してしまった。今となってはどっちを使用するのか、どちらとも言えないらしい。2点を使用した漢字の方が圧倒的に多いらしいが、今更「近」は2点だといわれてもちょっと馴染まない。思わぬところで、自分の名前をつらつら考えることになった。どうするのかと思ったら、いろいろな意見を参考に文化審議会国語分科会の漢字小委員会で再検討され、今秋修正案が公表されるという相変わらずのんびりした役所的処方である。

2009年3月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

686.2009 年3月30日(月) 知研プロジェクトの取材始める。

 今年の「知的生産の技術研究会」の出版プロジェクトがスタートして、今日は初めてのインタビューである。22名の知識人のうち、今日インタビューにお応えいただくのは評伝作家・北康利先生で、現在売れっ子作家として大童の活躍である。わざわざ出版社までお越しいただき、知研からは八木哲郎会長、久恒啓一理事長、秋田英澪子事務局長、カメラマン兼記録員として幅健一さんが出向き、主たる質問者として私自身が当った。事前に21項目の質問事項を提案していたところ、一問一答でなく、この質問事項に沿って応えましょうとの申し出があったので、喜んで受け入れることにした。

 ご両親の出身地、兵庫県三田市は今話題の白洲次郎を生んだ。予想していたことであるが、ご自身は元来「読むこと」「書くこと」が好きで、亡父へのオマージュ、町おこし、評伝作家が少ないとの理由から自然に郷土史家として歩き出した。白洲次郎についても2冊の著書がある。人生訓として「一望を照らす」と述べていたように、ひとつの道に秀でた、社会にインパクトを与えた人に惹かれると話された。それが、松下幸之助であり、福沢諭吉であり、白洲次郎なのだろう。影響を受けた人物として、司馬遼太郎の「竜馬が往く」からパワーを得られたと仰っていた。

 当初予定の1時間を2時間近くにまで伸ばしてもらい、几帳面に丁寧に流れるように話していただいた。さすがに東大弁論部で鍛えられただけのことがある。

 印象的だったのは、①若い人の適性を伸ばす、②商売とは経営学より人間学である、③物事をイーグルアイで観る、④和魂和才、⑤早め早めの時間管理、⑥家族への思いやり、等々である。

 他にも随分参考になることや有益なことを話していただいたが、それをしっかりした文章としてまとめていかなければならない。しかも読ませる文章でなければならないし、北先生の話された要点を外さないことが肝要である。出来るだけ早く文章化したいと思っている。取材を終えて八木会長の案内で出版社から日本橋の「泰明軒」へ向かい、名物のオムレツをいただいた。つい世界遺産として人気のフランス「モン・サン・ミッシェル」の参道沿いの伝統あるオムレツ屋を思い出した。

 北先生の取材はいろいろ学ぶことが多かったし、楽しかった。チームワークで仕事をやるのは楽しいものだ。全員の気持も大いに高揚して、人へのインタビューの面白さをみんなで実感したのではないかと思う。まだ、スタートしたばかりだが、編集スタッフとしてはこれから約20名の方に取材する。順調に行かないこともあると思う。幸い若い人たちも情熱をもって取り組んでくれるので、彼らにとって良い自己啓発のための教訓となり、逞しい人材として育って欲しいという願いがある。知研力を発揮して立派な実績を造り上げたいものである。

 夜になって取材を予定している小中陽太郎先生から、月曜と火曜ならいつでも都合がつけられると有難いご連絡をいただいた。

2009年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

685.2009年3月29日(日) 大相撲は本当に八百長がなかったのか。

 2年前の「週刊現代」の大相撲八百長事件連載記事に関して日本相撲協会が発行元・講談社に対して起こした名誉毀損訴訟で、26日「週刊現代」側が敗訴し、4,300万円の支払いと記事を取り消す広告の掲載を命じられた。確たる具体的な証拠がなく杜撰な調査と憶測で日本相撲協会や所属の横綱・朝青龍らの名誉を傷つけたというものである。本当に八百長がなかったのかどうか、これまでの相撲協会の疑問だらけの対応を見ていると首を傾げざるを得ない。誰も裁判の結果が正しいとは思っていないのではないだろうか。

 一方、敗訴した講談社の姿勢も指摘されるように杜撰である。2年前にある書物の広告文表現の件で質問した時、まったく鼻も引っかけられなかった。しかし、その後論理を尽くして疑問を述べたらようやく手紙で応えてくれた。その時大手出版社である講談社ともあろうものが、その説明の稚拙さと非常識さに恐れ入ったことがある。しかも、手紙の書き方がまったくなってなかった。つまり、副部長職にある人物の寄越した手紙が、手紙の体をなしていなかったのである。手紙の書き方のイロハも知らないのには呆れたほどである。よくこれでビジネスが出来るものだと驚いた。この程度の常識しかない出版社と、すべてに次元の低い相撲協会の似たもの同士が角突き合わせていては、埒が明くはずがない。どっちもどっちだと感じた次第である。

 所詮高みの見物と決め込むしかない。八百長相撲は関係ないとばかりに盛況の大相撲春場所は今日が千秋楽で、横綱白鵬が全勝優勝を飾った。

 今日の「NHKスペシャル・沸騰都市のそれから、バブル崩壊後のドバイ~」を観ていて面白いことに気がついた。世界経済不況の影響を受けたドバイから、お金がどんどん流失している。1年前まで新しいビルが後から後から建設されていたが、資本の流失により今や工事はストップしたままである。石油資本家が随分損失を出した。アメリカ経済の破綻から、大きな影響を蒙った典型である。他方で、イランはアメリカの経済制裁を受けていたことが、反ってその影響から逃れることができたという不可思議さがある。また、アラブでは資金の貸借に利息を支払わないために、借入金が多くても利息支払いの厳しさから逃れられる。儲かれば配当金を支払う。しかし、現在儲からないので配当金は支払わないで済む。さらに、バングラディッシュのような世界最貧国では投資物件もなかったために経済不況の波をかぶることなく、昔通りにただ貧しいだけという実態である。

 ケインズ経済学では、これらの国々は対象にはなっていなかったのか、或いは死角だったのだろうか。そんなことは考えてもいなかったが、いずれも負の効用である。レアケースであるが、こんなこともあるのかと気づかされた次第である。

2009年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

684.2009年3月28日(土) 映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」鑑賞

 2007年に若松孝二監督がメガホンをとった映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の映写が財団の主催により所沢市民文化センターで行われた。ぜひ観たいと思いながら、見逃していた映画であるし、偶々早稲田出版の大塚靖敏編集長の勧めもあり、初めて公営の所沢文化施設へ出かけた。西武鉄道・航空公園駅から広い道路が一直線に伸びて、都市計画がきちんと整備され、目指す施設までの街頭風景は清潔で緑の多い理想的な東京の郊外都市という雰囲気である。

 期待していた映画は3時間10分の長編で、あの世間を震撼させた事件をリアルに見せてくれた。ついあの時代を思い出していた。60年安保から続いた学生運動の延長線上に引き続き起きた東大安田講堂篭城事件、70年安保、全学連の分裂、などの1カット・シーンであるが、1972年2月10日間に亘って雪の降る山中で展開された警察機動隊と連合赤軍の攻防は、まさに当時の昂揚感の演出、そして分裂を繰り返す学生運動が瓦解する端緒となった事件である。かなり事実に立脚して描かれているが、当時問題になった連合赤軍内部のリンチ、虐殺のおぞましいシーンは少々気の弱い人には見ていられないのではないか。殺し合いとなった赤軍のメンバーもほとんどが有名国立大学生で、「革命を目指す」の一念で突っ走り、結果的に無残な結末となった。今でも思い出すことができる学生たち、塩見孝也、森恒夫、坂東国男、植垣康博、坂口弘、田宮高麿、吉野雅邦、永田洋子、重信房子、金子みちよらの名前が妙に懐かしかった。

 上映後小休憩を経て、若松監督、主演した永田洋子役・並木愛枝、森恒夫役・地曳豪、坂東国男役・大西信満が主催者を交えてトークをやってくれた。若松監督の狙いはこの事件を反権力の視点で描きたかったそうだ。それ以前に他の監督があさま山荘を取り扱った映画が2作品(ひとつは原田真人監督「突入せよ!あさま山荘事件」)あったが、すべて権力サイドから撮っている。これは真実とは言えない、自分なら反権力の立場から撮ると決めた。それがこの映画である。実際機動隊員が射殺された場面は、スクリーンに見られなかった。しかし、警官が殺されたことが警察側を結束させ、執念となって山荘へ突入し、5人のメンバーを検挙した画期的なエポックと経緯からすると、この場面も取り入れた方が公平で、真実に近いのではないかと思う。実際警官が射殺された時は、連合赤軍もひどいことをすると憤慨したくらいである。

 当時の雰囲気は割合表現されていたと思う。やや疲労感を感じたが、久しぶりに学生運動史も思い出した。でもあの頃の熱気はもう見られない。監督も言っていた。今の学生にはその元気はないと。

 帰りがけに若松監督に「60安保」へ誘ってくれたラグビー部の先輩で、全学連書記長だった清水丈夫さんをご存知か尋ねてみた。名前は知っているが、直接は知らない。むしろ委員長だった唐牛健太郎を良く知っていると話してくれたが、パフォーマンスの派手な唐牛らしいなと感じた。

2009年3月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

683.2009年3月27日(金) 北朝鮮はミサイルを撃つか。

 先日北朝鮮が来月4日から8日の間に、人工衛星を打ち上げ最初の第1弾を秋田県沖合いに、そして第2弾を日本本土を通り越して太平洋上へ落とすと発表したが、日米韓からは衛星ではなく、長距離弾道ミサイル「テポドン2」ではないかと疑われている。

 日本上空を通過するので、万が一にも日本国内へ落下することを想定して今日安全保障会議では、ミサイルが日本の領土、領海に落下する場合に備え、自衛隊法に基づいて「弾道ミサイル破壊措置命令」を初めて発令することになった。早速防衛大臣の命を受けて自衛隊部隊が地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)を積んでぞろぞろ落下予想地点へ動き出した。

 どうして北朝鮮という国は平時にこういう馬鹿なことをやるかと言えば、勿論北朝鮮の他国の迷惑を顧みないやりたい放題の、爆弾攻撃に対する防衛のためだということである。いくら理を説いても、聴く耳を持とうとしない理不尽な北朝鮮では、すべてが虚しい。嫌な予感だが、先の戦争前夜に似てきているような感じである。あの戦争の記憶はそれほどあるわけではない。しかし、現実に父親が入営中の部隊へ見舞いに行ったり、灯火管制で電灯の光を落としたり、目の前で米空軍機が列車を銃撃する光景を我が家の2階から見ていたり、空襲警報のサイレンが鳴るたびに防空壕へ避難したり、それなりに戦争感覚は体感として覚えている。だが、海外の戦地で元日本兵の方々から悲惨な話を直接伺ったことが一番自分には堪えたと思っている。そんなことにならないために、戦争の恐れのあることには有言無言で反対してきたつもりである。

 折も折、今日1枚のハガキが届いた。講演会「戦後日本共産党史(45~60年)の諸問題」の案内である。どこで私の連絡先を知ったのだろうか。終戦から安保までやろうというのだ。テーマから推して主催者は共産党系統の組織ではないかと思っている。こういうところが共産党の目ざといところだし、細かく国民の気持に目配りしているところでもある。主催者をはっきり表記しない点が気にかかるが、社会運動資料センターではないかと推察する。どんな形式で会を進めるのか面白そうなので行ってみようかなと思っている。

 それはさておき、北朝鮮ギャングには参るなぁ。将来北朝鮮国民に負の遺産として残されることははっきりしているが、彼らは気の毒にも何も知らされていない。

 今日の夕刊には昨夕観た映画「フロストXニクソン」の広告と映画評が大きく掲載されていた。かなり話題になりそうである。

2009年3月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com