812.2009年8月3日(月) 裁判員制度始まる。

 裁判制度の大きな転換点である「裁判員制度」が今日スタートした。数日前から新聞、テレビで細かに説明していたが、今日NHKでは1時間ごとにニュース形式で同時進行といってアナウンサーが報告していた。

 今回の裁判は4日間に亘って行われるが、速攻処理を心がけているようで、3日後に判決言い渡しを行う。裁判員は6人で男1人、女5人という構成だったが、裁判員候補者は47人で今朝になって裁判所で6人が選ばれた。最初だから、思うとおりには中々うまく行かないと思うが、外国でも取り入れている制度であるし、プロの裁判官だけに任せるのではなく、普通の人が重要な国の制度に参画するというのは、将来的にはプラスだと思う。

 ただ、日本人には他人の運命に自分の意見が影響を与えるということが、性格的に受け入れにくい点があるので、その辺りが制度的にスムーズにいかない懸念もある。

 それにしても最終的に裁判員に選ばれなかった人が、「残念だ」「ほっとした」ともらした言葉が2つに分かれたのもなるほどと理解できる。

 語弊があるが、今日は割合分かり易い殺人事件だった。66歳の女性が近所の男性に刺殺されたというもので、被告も殺人を認めている。従って、刑期がどの程度になるかということが焦点になる。判決は3日後だが、どう出るか。

 「知の現場」も大分進んできた。取材原稿もいくつか目を通して感じたままにコメントをつけて取材者に伝えている。私自身の4つの原稿はすでに送付済みで、その内2つは出版社のOKをもらっている。先日来こちらのコメントに対してどうしても納得してもらえない執筆者がいて、再三メールで意見の摺り合わせをしているが、相手と意見が合わない。久しぶりの対立で文章も深く考えるようになるが、一番の対立点は問題点の捉え方の違いである。まあもう少し議論を戦わすことになると思う。性格の差もあるだろうが、今までの経験、体験、歩いてきた道、仕事の差、が一番大きいかもしれない。まだまだこういうことにワクワクするのは、安保時代の名残だろうか、或いは若いのだろうか。

2009年8月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

811.2009年8月2日(日) 偉大な2人のご逝去を悼む。

 2人の偉大な人物が相次いで亡くなった。一人は昨日亡くなったフィリピンの元大統領コラソン・アキノ氏である。この人の周辺には2つの強烈な印象がある。ひとつは亡命中の夫、ベニグノ・アキノ氏がアメリカから帰国した時、マニラ国際空港で機外へ出た途端に射殺された生々しい光景である。もうひとつは、コラソン・アキノ氏が大統領選に立候補して、不正にからむトラブルで現職のマルコス大統領が国外脱出した時に、フィリピン国民挙って黄色いシャツを着て行進したピープルパワーの迫力である。

 アキノ氏の評価は分かれる。マルコス氏の不正を暴いて民主化を進めたという功の反面、それ以外にこれという目だった成果がなく政局を混乱に導き経済も失速させたという罪の部分である。しかし、マルコス独裁政権を追放し、民主国家への道を切り開いた功績は大きい。アキノ氏の実績を批判する人に対して「私らアキノ家が民主化をしなかったら、フィリピンはずっと遅れていた」と自らの行動と実績に人一倍強いプライドを持っていた。夫は殺害され、娘は不倫事件で非難され、孫は障害児で家庭的にはあまり恵まれなかったようである。それにしても、個性的な人だった。享年76歳だった。

 もう1人は、今日世界水泳選手権のためローマに滞在中に亡くなった「フジヤマのトビウオ」こと古橋広之進氏である。享年80歳だった。1500m自由形の世界記録18分19秒0は、長い間当時の世界記録として燦然と輝いていた。昭和24年小学校5年生の時、ロスアンゼルスで行われた全米水上選手権で次々と世界記録を破り、それを社宅の隣のおばさんから教えてもらい、嬉しかったことを覚えている。憧れの選手だった。当時は近所のおばさんまで古橋選手の活躍を喜んでいた。終戦間もないあのどん底の時代は、全国民がもろ手を挙げて日本選手の活躍を願い応援していたような気がする。だから古橋選手の引退まで見守って温かい気持ちで応援していた。

 1952年ヘルシンキ・オリンピックですでに盛りを過ぎていた古橋は400m決勝で最下位に落ちた。優勝したフランスのボアトウ選手の父親が喜びのあまりコートを着たままプールへ飛び込み、水中で息子と抱き合っていた感激的なシーンの一方で、プールから上がり俯きながらプールを去っていく寂しそうな古橋選手の姿が脳裏から消え去らなかった。しかし、それまでに日本人を力づけてくれた功績を知っている日本のファンは、誰も古橋を責めるようなことはしなかった。そういう意味では遠い存在ではあったが、選手と一般のファンの間に心の通い合いがあったように思う。その古橋選手は水泳界に残り、後進の育成にも力を貸し、日本水泳連盟会長職を務め、日本オリンピック委員会会長まで務め、昨年はスポーツ選手としては初めて文化勲章を受章している。

 ローマで亡くなったというのもドラマチックである。古橋選手が惨敗したヘルシンキ大会の帰路、NHKアナウンサーだった和田信賢氏がロンドンで客死したこともその当時話題になった。一世を風靡した人というのは人生の散り際も華々しい。

 お2人のご冥福をお祈りしたい。

2009年8月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

810.2009年8月1日(土) 白金亭で広東料理を楽しむ。

 あまり暑いという気がしないうちに、酷暑の8月に入った。30日には衆議院議員総選挙が行われる。先日の民主党マニフェストに次いで、各党が思い思いの政権公約を公表した。昨日は待ちに待った?自民党のマニフェストが発表された。仔細には目を通していないが、全面に「責任力」を打ち出してきた。民主党に対抗して政権担当能力を強調するためらしいが、責任力という言葉は初めて聞いた。指導力とか、想像力、行動力等なら一般的に使用されるが、責任力とは永六輔氏の「老人力」以来のニューワードである。

 自民党、民主党ともにその中に将来の「国家の姿」とも言うべき将来ビジョンが示されていない。マニフェストが、4年間の在任期間中の政権公約と言われているが、そこには将来像も書き出すべきではないか。4年後から10年後辺りまでを具体的にアッピールするのはどうかと思うが、4年内の実現公約と将来のビジョンは打ち出すべきであると思う。

 まだマニフェストが定着していないせいもあり、恐る恐る相手の顔を見ながら提案するような様相である。各党ともまだマニフェストなるものについての理解が充分でないようだ。その証拠に内容について詰問された鳩山民主党代表は、先日示したものは政策集約集で、本物のマニフェストは選挙公示後に発表するときた。まさに混乱の極みである。

 おいしい話がどんどん出てくるが、やはり気がかりなのは財源である。自民、民主両党とも相手を責めているが、財源が足りないことは目に見えている。それでいて、消費税には当面手をつけようとしない。結局選挙民から悪く思われたくないと思える節がある。

 昨日遅く長期宇宙滞在を終えた宇宙飛行士・若田光一さんがスペース・シャトル・エンデバーでケネディ宇宙センターへ無事帰還した。今からちょうど40年前にアポロ14号が初めて人間を月へ運び、宇宙飛行士が足を踏んだ。あっという間の40年だった。日進月歩の科学の発達を考えても、この間の長足の進歩にはた驚くばかりである。

 夕方になって白金台にある洒落た広東料理「白金亭」へ出かけた。知研の主要メンバーが卓を囲んで小中陽太郎先生のお話を伺おうとの主旨で懇親会が設営された。奥様も同席された。八木会長、久恒理事長、秋田事務局長の三役に、樋口裕一多摩大教授、公認会計士の望月実さん、「会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ」を書いた若い斉藤正明さん、小説の勉強をしている房園靖子さん、日本ペンクラブへの入会を希望する童話作家の溝江玲子さん、そして私を加えて計11人の忙しい方々が来られた。

 先日中目黒教会でペトロ岐部について話された上智大の川村准教授の様子を撮ったDVDを見せてくれ、参加者皆さんの自己紹介を交えて楽しい宴となった。

 小中さんによれば、このお店の経営者は画家伊東深水の息子勝田氏とのことであり、店の支配人もそう紹介してくれた。道理で洒落た部屋の壁に深水のデッサン画がいくつも掛けられていた。勝田氏については、慶応三田キャンパスの集合授業で度々騒いでいたので、煩い奴だなという印象が強く残っている。著作についてはそれぞれの方が、いくつも書いておられ、宴を通じて心地よい会話を楽しんだ。久しぶりにすっかり酩酊機嫌になり、小中先生の奥様の運転で自宅まで送っていただいたが、妻にお風呂に入らず休んだらと言われ、そのまま白河夜船へ。

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809.2009年7月31日(金) 国連総会議長、広島、長崎へ

 真夏だというのに今日は涼しく、全国的にも降雨、低温、洪水等の気象変化で各地にいろいろ支障を来たしている。今日は7月最後の日であるが、炎天とはまったく縁遠い。まもなく暑い終戦の日が巡ってくる。

 来月6日、9日の原爆投下の日に合せてデスコト(ニカラグァ)国連総会議長が来日することになった。国際社会の大物が在職中に広島、長崎を訪れるのは、昨年のペロシ米下院議長に次いで2度目のことである。カトリック神父でもあるデスコト議長は広島に原爆投下した米軍機機長に対して「彼は良心を無視して、命令だけに従うように教え込まれていた。キリスト教社会を代表して、許しを請いたい」と述べた。原爆投下を行い、それを容認していたアメリカに対して、臆せず信念を述べるのは心からそう信じているからであろう。ひとつには、オバマ大統領のプラハ発言により、核廃絶への道が開かれ、大手を振って反核を唱えることができるムードが整ってきたことが大きい。ここで出来ることならオバマ大統領にもうひとつ踏み出して、大統領自身が広島、長崎に来て核廃絶のスピーチをすれば、どれだけ世界に対してアピールすることが出来るだろうか。テニアン島空港滑走路脇に建つ「原爆投下機ここより旅立つ」碑を思い出す。

 デスコト議長は原爆投下を「人類の歴史における大変な悲劇」として「2度と繰り返さないためにも忘れてはならない」と強調している。実は、一昨日小中陽太郎さんからメールを送信してこられた。You tubeの画像を見て欲しいと教えてくれたものだ。核問題、気候温暖、エネルギーを研究している「憂慮する科学者同盟」という団体の上級アナリスト、グレゴリー・カラキー氏が、動画で日本国民に対してオバマ大統領の核政策の転換を応援するよう日本政府とアメリカ合衆国政府にアピールして欲しいというものだった。核廃絶運動に対する唯一の被爆国・日本政府の対応は、オバマ大統領の核政策の転換に懸念を示した。これは反対の国務省、国防総省内の一部の米議員を勢いづかせる。日本国民に対して日米両政府へオバマ大統領の核政策を支持するよう働きかけることを要望するものだった。

 4月オバマ大統領の核廃絶へ向けた発言以来、漸く核廃絶が認知されたような曙光が見えてきたようだ。デスコト議長は「核不拡散を達成する唯一の道は、すべての核兵器をなくすことだ」と北朝鮮などの核開発も牽制している。こういう人格的にも優れた人物が、国際舞台で発言することの効果は大きい。

 こういう核廃絶の動きがある一方で、6月28日に行われた日韓首脳会談の際、麻生首相が李明博大統領に対して「北朝鮮核問題が深刻化すれば、国内で武装すべきだという声が強まる」と述べていたことがばれてしまった。これはアメリカの日韓両国の「核の傘」を更に強化することにもつながりかねない。両首脳とも元々保守強硬派だけに、中国を意識した会話でもあろうが、相手が北朝鮮とあればいつもの軽口のくせで、つい強硬になったのだと分かる。しかし、時期が時期だけにちょっと問題を起こしそうだ。

2009年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

808.2009年7月30日(木) 大人は何歳からか?

 法務大臣の諮問機関・法制審議会の民法成年年齢部会は、民法上の成年年齢を現在の20歳から18歳へ引き下げることが適当とする最終報告書をまとめた。これは1人の人間が大人であるか、まだ大人には達していないか、その判断を示す基準、境界線を下げることを意味している。長年に亘って20歳になれば一応大人と世間は考えていただけに、18歳でよいと簡単には決めにくい理由もある。

 「18歳になれば大人」は大人としての自覚を持ってもらうため、また1人前に自立するという意識を持ってもらうためにも効果的であり、社会もそれを望んでいる。一方でそう簡単にいかない面もある。成人年齢を20歳から18歳へ引き下げることにより、年齢制限のある法律でひっかかるのが308もあるという。同時に若い人を1人前として認めようとしたがらない傾向のある日本人の性格からして、感情的な根強い反対論があるのも事実である。

 しかし、世界的にみると最早18歳以上を大人の年齢と認めている国の割合は、約7割もある。部会は責任の重さを感じたのか、YESとの結論は国会の議決に委ねるという逃げの形をとった。

 何歳から大人としたら良いのかは難しい問題で、副次的な問題もいろいろある。大人として自分ひとりで不動産契約まで出来るので、少々危険だという意見もある。しかし、18歳大人説が世界的傾向だとするなら、日本でも傍観者ではいられない。すべてを大人だからと認めるのではなく、今はすべてを認めずに過渡期的取り扱いとして部分的に大人としての処遇をしたらどうかと思う。

 こんなこともあった。西ドイツのギムナジウムを訪問した時だったが、校内でタバコをすっている生徒がいた。これを見た日本の先生がギムナジウムの校長へ学校内で喫煙を認めているのかと質問した際返ってきた返事が、認めたくはないが、憲法上16歳になれば喫煙をとがめられないことになっているのが悩みのひとつとのことだった。まず18歳の大人になったら全面的に何でも認めるという線から、部分的に網をかけていくというような経過措置をしないと変なものになってしまう恐れがある。

 銀座ライオンで恒例の飯田ゼミ暑気払いを行ったが、いつもの2階は予約が取れず、3階のライオン系統の「入母屋」で個室を借り切った。8人が揃ったが、総選挙を前にしてやはり政治への不満、民主党が政権を取ったらどうなるか、等々について話が盛り上がった。小松隆二先生も最近では学長だった東北公益文科大学へもほとんど行くことはなくなったと伺った。

 この「入母屋」で、初めてウナギのカツを注文して食べた。今まで考えたこともなかったウナギのカツが案外美味しいのにはびっくりである。実にうまかったなぁ。

2009年7月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

807.2009年7月29日(水) 政務官制度は三権分立に抵触しないか。

 JAPAN NOW観光情報協会定例企画会議が開かれた後に、暑気払いということになった。企画会議では、13日に財団法人日本海事センターと「パシフィコ横浜」で共催して開いた「第6回観光・海事立国フォーラム」で挨拶された、中田宏・横浜市長の話題に終始した。北康利氏のセミナーに出席していたため、残念ながら参加出来なかったが、聞けば20分のスピーチの中で、熱心に観光振興のための建設的な話をされたので、まさか昨日突然市長辞意を申し出るとは思いも寄らなかったようである。

 出席者の間で、総選挙と中田市長の思惑についていろいろ話が出た。出席の皆さんは新聞記者出身者が多いので、官庁の内部事情に通じている。余談として民主党の100人の政治家が官庁へ入り込むという話についても、松尾理事長が実際に外人記者から質問を受けたと言っておられた。日本のマス・メディアの方が外国人記者よりよほど遅れているし、突っ込みで後塵を拝している。理事長は、立法と行政の間には3権分立の垣根があるので、政治家が役所で仕事をすることは所詮無理だと応えたと言っておられた。この点は今まであまり議論されなかった。政治主導を以前から主張していた民主党としては、その手始めに大臣のほかに、副大臣、政務官という要職に党の国会議員を送り、その後にいくつかの行政職を議員がやろうとするものである。

 しかし、政治家が官庁へ入り込むことが憲法上可能なのか。民主党のマニフェストは勿論、これまで党代表からも立法と行政の間に超え難い壁があるとは一切話がなかった。このことが今度の民主党のマニフェストに具体的に書かれているなら、公約の実現に問題があることを織り込んでいるということであり、いずれ大きな問題になるだろう。流石に松尾理事長は、行政のトップである運輸事務次官だっただけに、詳しくご存知だ。

 民主党にとって、財源、安保・外交、年金、少子高齢化、福祉、教育、等々で難しい問題が山積している。

2009年7月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

806.2009年7月28日(火) 民主党マニフェストで財源は大丈夫か。

 総選挙を控えて各政党が、選挙公約であるマニフェストを作成して公表するべく準備を進めていたが、その先陣を切って昨日まず民主党が自党のマニフェスト(政権公約)を発表した。

 かねがね噂され、期待とともに注目されていたが、開けてみれば約束事のテンコ盛りである。これだけ目新しいことをやって財源は果たして大丈夫なのかというのが、最初に知った時の率直な疑問であり印象である。実際評論家諸氏もそう言っている。

 案の定自民党閣僚からも厳しい声が挙がっている。麻生首相は「安保・外交政策が極めて不安だ。このような民主党に政権を委ねるわけにはいかない」と言い、甘利大臣は「税金の無駄遣いをやめることなどで財源を捻出するとはポピュリズムの極み」と辛らつである。与謝野大臣は「マクロの財政、経済政策が入っていない。選挙用のフライフィッシング」と酷評した。中曽根外相は「現実的対応という発言は、自分たちの変節をどう説明するのか」とぼろくそである。押され気味の自民党としては、民主党のやることなすこと全てが癪の種で、言える時に言っておこうぐらいの気持ちなのかも知れない。

 これに対して当の民主党鳩山代表は「財源が曖昧との批判に対して、出来るだけ細かく調査し、必要な財源を手当てした。公約が果たせなければ責任を取るのは当たり前だ。公約を守ってこなかった政権自体が最も問題だ」と切り替えしている。しかし、実行出来なかったら責任を取ると言っているが、代表が辞める程度の覚悟では困る。全員の責任だから、解党するくらいの覚悟でないといけない。

 やはり問題は財源と政策面では安保がらみであろう。インド洋の自衛艦給油、海賊対策法案、等でこれまで自民党に対して反対し続けてきたことだろう。外国との約束であるだけに、今更中止というわけにはいくまい。それに、幼い子や、高校生以下のこどもに対する補助、それに対して収入があまり当てにならない。消費税を4年間は値上げしないという。大丈夫かと言いたい。

 評価すべき項目は、①国会議員の世襲禁止、②国家公務員の総人件費2割削減、③衆議院の比例代表定数80削減、である。

 これから自民党のマニフェストも公表されるので、それでじっくり二つを比較してみよう。

 今日は2つのびっくりニュースがあった。ひとつは中田宏・横浜市長が突然辞職を申し出たことで、中田市長は来年3月まで任期を残していた。50日以内に市長選を行う。別の政治方策で国へ奉仕することを考えていたということであるが、あまりぴんと来ない。市民の間に評価がある反面、女性問題等でスキャンダルを起こしていただけに、その真意は図りかねる。インタビューを受けた市民も狐につままれたような顔をしていた。

 もうひとつのニュースはラグビーのワールドカップ次回開催地が日本に決定したことである。2019年大会だから10年後のことで、果たしてそれまで生きていてゲームを観戦出来るかどうか分からない。まあ日本にとってはめでたいイベント開催ではある。

2009年7月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

805.2009年7月27日(月) 諏訪園貞明さん、東北大教授に

 今年は総選挙に象徴されるように、東京都議選を始めとして、千葉県知事選、静岡知事選、千葉市長選、横須賀市長選、奈良市長選等々、有力地方選もすでに終わり、今後も各地で市町村選挙が目白押しである。それにしても今までとは大分様相が異なっている。これまでは現職というだけで圧倒的に強かったが、昨今は年齢とか、清潔度、実行力などの方が期待されるようだ。

 昨日政令指定都市である仙台市長選が行われた。現職の市長は、タクシー券の不適正使用を主とする不明瞭な公費支出で有権者の批判を浴び立候補を断念した。そして、名乗りを挙げたのが、副市長だった2人の女性候補を含む6人である。

 今回の選挙で意外に思ったのは、当選した奥山恵美子氏と次点の岩崎恵美子氏がこれまでの市政に厳しい見方をしていたことである。個人的に前市長を批判するのは、前市長が違法行為を行ったから当然ではあるが、過去の市政についても批判するのは前市長を支えて、市政をともに携えていた立場を考えれば、2人の副市長にもその責任があったのではないか。

 詳細については憶測の域を出ないが、前市長のマイナス面だけを暴露したり、批判して、これまで前市長や市政を支えてきた立場や、自分の信念はどう考えているのだろうか。当選した奥山新市長は、民主党の支援を受けて波に乗り、次点の岩崎氏の2.5倍という得票を得た圧勝だった。

 副市長の前に市教育長を務めていたそうだから、教育を始め市行政のあらゆる面で経験を活かしていけるものと思う。東北大学卒だそうだから、仙台市についてはかなり周知しているのだろう。まあやって見なければ評価は何とも言えないが、前市長が失脚したような、古い体質の市政だけは願い下げにしてもらいたいものである。

 今日1通の暑中見舞い状をもらった。何とその仙台からだった。差出人は懐かしい諏訪園貞明さんだった。今年2月私の出版記念会では直前まで出席される予定だったが、忙しかったせいで来られなかった。大学の後輩で、2人の息子の家庭教師を献身的に務めてくれた。日銀に入り、公正取引委員会へ出向して、更に経済産業省へ出向した。そこで独占禁止法、企業内部告発に関する著作も書いた。経済産業省でも課長の要職を務めた後に公取へ戻っていた。それが、ハガキによると今月東北大学大学院法学研究科教授になったそうだ。彼は経済学部の出身だったので、法学部とは意外だったが、経済法や競争政策等の講義を持つと書いてあった。家族を都内に残して単身とある。

 しかし、多忙だった公取、経産省に比べて学級肌の諏訪園さんにとっては、これまでより研究する時間があって、反って新たな実績を重ねるチャンスかも知れない。頑張れ!諏訪園教授!

2009年7月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

804.2009年7月26日(日) 麻生首相の呆れた発言

 告示はされていないものの、もう選挙モードに突入したかの感がある。各党の党首は全国を遊説に歩いているが、昨日その途上横浜市内で麻生首相はまた大ポカをやった。聴衆を笑わせようとする自己流サービス精神が勇み足をやってしまった。今度は「80歳以上のお年寄りは働くことしか能がない」とつい日頃自分が思っていることを口に出してしまった。後から弁解したようだが、自分も後10余年もすればその人たちの仲間入りだということを忘れている。これまで度々失言を繰り返してきたので、もっと慎重に発言すれば良いのだろうが、それが出来ない。そして、その場の空気が読めない。いわゆるKYというヤツである。

 これだけ失言するのは、国のトップとしての資格、資質に欠けるのではないかと思う。もし、今度の総選挙で自民党が勝てば、この麻生氏を引き続き総理大臣として戴かなければならない。自民党が勝つ可能性はかなり薄いので、その点では善しとするが、それにしても総理大臣たるもの、あまりにも程度が低いのではないかと庶民のひとりとして呆れるとともに、心配でならないのである。

 「選択」7月号にはこんな風に書いてあった。「首相麻生太郎及び麻生周辺の『政治音痴』ぶりには目を覆いたくなる。将来確実に訪れる事態の把握とそれによって生じるであろう政治的化学反応をほとんど想像出来ないからである。あのべらんめえ口調や偽善的なふるまいからは考えられないほどの決断力不足にも驚く」とまあ匙を投げられているのである。

 漸く「知の現場」の最後の原稿を書き終えて一昨日秋田事務局長へ送ったが、どうも見直してみて修正する箇所を見つけ訂正しないといけないと思い、修正原稿を送った。ところが、更に仔細に見直してみると気になる箇所がまた見つかった。どうも朝令暮改的である。やはりこれは正さないといけないと再び考え直し、再修正して事務局長宛送信した。やはり推敲したとはいえ、数回の手直しではダメだ。完全な文章として書き上げるためには、10回程度は推敲しないと後悔を残す。大いなる反省であるが、これに対してプロジェクト・メンバーがどうアドバイスをしてくれるだろうか。

 まあともかく自分の持分責任は一応果たせた。まだ、再修正する必要があると思うので、完全にフリーというわけではないが、とりあえずはやれやれという感じである。

 早速途中まで書きかけていた「なぜマス・メディアは真実を伝えないのか?」の後半部分に手を染める。これは昨年1月ソウル市郊外の利川で起きた冷凍倉庫爆発事件に関する日本のマス・メディアの対応を批判したものだ。この事件は日本では事件勃発当日にテレビで一部放映されただけで、その後はまったくマス・メディアでは取り上げられていない。そこに恣意的な報道管制のようなものを感じたので、ちょっとアピールしてみようと考えている。

2009年7月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

803.2009 年7月25日(土) 北方4島はロシアに奪い取られるのか。

 山口県防府市は土砂災害のニュースで大分騒がれているが、同時に北九州地方、中国、四国地方も相当な風水被害を出している。これほどの被害が出るのは、地球温暖化を言う前に気象庁、国土交通省、地方自治体が手を携えて、真剣に災害対策を行っていたかどうかが問われることになる。対策はいつも後手に回るようだが、マス・メディアももっと世論を盛り上げて一過性のものではなく、定期的に恒久的な対策を講じるシステムを構築する必要がある。

 さて、ひとつ厄介な問題が俎上に上がった。日本が一番不得意な外交問題の中でも解決のメドが立ちそうもないのが、北方4島返還問題である。このほど全ロシア世論調査センターによるロシア国民へのアンケート調査の結果が公表された。

 日本が求める北方4島の返還について、ロシア国民の89%が反対し、賛成は僅かに4%という結果である。今から15年前の前回調査では、反対は76%、賛成は7%だったから、更に悲観的になったと言わざるを得ない。いずれにしろロシア国民は4島の返還については大反対なのである。特に驚くのは、ロシア領土として維持して交渉を打ち切るという数字が79%だというから、ロシア国民の5人に4人がそう考えていることになる。2島返還とか、元日本領だったとか、はまったく考慮されていない。芯から北方4島はロシア国民のものだと信じきっているのだ。だからこそロシア国内では日本の国会が今月初めに北方領土をわが国固有の領土と明記した、改正北方領土問題等解決促進特措法という長たらしい法律を成立させて以来、益々反発が高まっている。

 このままではいつまで経っても解決する見通しは立たないだろう。日本国民の間にも最近こそ関心は高まってきたが、ずっと無関心に近い状態のまま4島にロシア住民が住んでいる実態から目を背けてきた責任がある。一方ロシアではどうかと言えば、島の領土占領の経緯が国民にはまったく説明されず、盲目的にロシア国民が戦後居住している固有の領土との一方的な認識がある。

 1875年(明治8年)締結された樺太・千島交換条約により千島は正式に日本領となったことは歴史的事実である。この歴史的事実を隠蔽して旧ソ連政府は国民に4島が旧ソ連領だと説明してきた国としての無責任性も問われるべきである。現ロシア政府は事実を国民に正しく理解させる努力を払っていない。真実を知れば、ロシア国民が極東の小さな島の帰属権にそれほど拘るとは信じられない。まして、サンフランシスコ平和条約で連合軍の占領は解除され、日本に返還されるべきとの約束が無視されている事実は、例え当時のソ連が平和条約署名を拒否したにせよ、ソ連は他国の自由を承認しないという横暴以外の何者でもない。

 ただ、日本側にはこれまで真摯にこの問題を解決しようと努力する姿勢が見られなかったことは事実である。正面からぶつかろうとせずに、いつも外務省は厄介な問題には腰が引け、素通りしようとしていた。政治家然り、外交官然りである。ロシア側に大半の責任があるとは言え、問題解決を遅らせているのは、明らかに日本のこれまでの外交当局の無責任と職責放棄にある。政治家と高級役人のいつもながらの怠惰と無能ぶりにはつくづく愛想が尽きる。

2009年7月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com