322.2008年3月31日(月) 俗曲師の弾き謡い

 来週開催のゼミお祝い会の世話人のひとりとして、他の世話人にも会場のホテルへ集まっていただき一応の打ち合わせをした。大阪から駆けつけてくれる第1回生の佐竹正彬さんをはじめ、40名を超える参加者が予定されているので、世話人一同楽しい賑やかなパーティになることを期待している。明日を期して麹町女学園校長に昇任される伊藤暁さんが、仕事を抜け出してわざわざ来てくれたことは有難い。

 その後、出井猛氏に招待券をいただいたので、新宿コマ劇場内のアップルシアターで、一風変わった面白いコンサートを観た。うめ吉さんという俗曲師のショーで、普段滅多に触れる機会のない日本古来のお座敷芸のパフォーマンスだ。プログラムを見ると「奴さん」「おてもやん」「すととん節」「都々逸」など近年テレビではほとんど観ることの出来ないものばかりで、予想以上に気軽に楽しめた。

 うめ吉さんのトークは結構手慣れていて、要点をまとめて上手に解説してくれた。落語に欠かせない出囃子とか、地囃子の説明など、いままでまったく知らなかった業界用語を専門家が解説するのでよく分かる。1人ひとりの落語家が舞台へ上がる時の出囃子も、それぞれ固有のものを持っているとは初耳だった。特に、桂米丸の場合は、名前に「丸」がつくので船とか、海に関係のある出囃子になるのだと解説して、実際に出囃子をやってくれたが、♪金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ~♪だった。

 少々異質なコンサートだったが、うめ吉さんの声質に若干不満を感じながらもエンターテイメントの点では大いに楽しめた。

 さて、いよいよ年度末に近づくことから、昨日国会の無様な実態を責めたが、やはり今日福田首相の狙い通りには暫定税率法案は与野党間で話し合いがつかず、ついに今年度時間切れとなった。首相は記者会見の場で国民に迷惑をかけたことをお詫びする一幕があった。

 ただ、今日のTVニュースを見ていると国民の中には、ガソリンがらみの軽率な行動で他人に迷惑をかけている御仁が相当いるらしい。事情は分からないでもないが、もう少し分別がないものだろうか。酷い消費者もいるものだと呆れてしまった。1例を挙げれば、4月1日以降に安いガソリンを買うつもりで、ぎりぎりの量しか入れてなかったために路上でガス欠を起した車が何台もあった。こういうことで、緊急に駆り出されるJAFもご苦労なことであるが、生活するうえで最低限の常識も持ち合わせていないような人たちが、これまでよく生き延びてきたものだと半分は呆れ、半分は感心もする。

 それにしても、政治家にはつなぎ法案のような苦し紛れの法案なんか考え出すよりも、もう少しまともな知恵は出せないものか。

2008年3月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

321.2008年3月30日(日) 政治家よ、もう少し真面目に働け!

 年度末は桜の開花シーズンでもある。明日期限切れとなるガソリンの暫定税率につき、法律が国会を通らなかったから結局暫定税率は廃止となる公算が強い。ただし、その後にもすったもんだの波乱があることは間違いない。新年度以降ガソリン税をどうするのか決まらないから、市場では販売者のガソリン・スタンドと消費者が右往左往している。福田首相は、明日まだ1日残っているから何とか野党の了解を得て、暫定税率を認めてもらう努力を傾けると強調していた。しかし、いままで与野党は自党案が最善の案と言って、結局袋小路に入り込み、時間切れになったこれまでの経緯もあり、あと1日で双方にとって妥協点のない相手の法案に歩み寄ることが出来るのか。国会議員が真面目に意見を出し合い議論してまとめるという真摯な姿勢がないから、時間を浪費して国民に不安を与え、その挙句にどんづまりで国民に迷惑をかけるということになる。

 日銀総裁も決まらないままだし、国会議員なんて何1つまともなことをやってくれないとあきれ返るばかりだ。依然として与野党の主張と思惑がかなり違うこともあって、この先ガソリンはどうなるのか、一寸先はまるで闇である。この数ヶ月間政治の動きを見ていると、国会議員の頭の中は自分たちの都合ばかり考えて言いたい放題で、国民のことはまったく念頭にないことを改めて感じる。政治の停滞、空白と言うより、政治家の不真面目さと怠惰が招いた混乱としか言いようがない。

 ガソリン税率をきちんと決めるために残された時間は、ついにあと1日となってしまった。今日の各党のテレビ討論における発言を見ていても、懲りもせず不毛の討論をやっている。他党の政策・意見の揚げ足取りにうつつを抜かしているだけだ。こういう政治家たちには政治を司る志と熱意、責任感がまったく見られない。怠け者ばかりが政治家になっているとの印象が強い。こんな低次元の政治家には、とっとと辞めてもらいたいものだ。そして、これ以上馬鹿な政治家を無駄に養う必要はないと思う。この際思い切って一院制にして、現在の衆議院も規模を縮小して代議士250名程度に半減してもよいのではないだろうか。福田首相自身が財源不足だと言っているのだから、まずは自ら範を示して議員にかかる経費をズバッと切ってもらいたい。まったく嫌になっちゃう。

 こんなお粗末な政治とは無関係な近所の桜は満開で、上品な春のムードを放ってくれている。

2008年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

320.2008年3月29日(土) 夏目漱石についてひとくさり

 先日加藤秀俊先生へ拙著「現代・海外武者修行のすすめ」をお送りしたところ、昨日ご丁重なお便りをいただいた。「・・・まだ、パラパラと拝見しているだけですが、たいへんな活動量に感銘しています。これからゆっくりと拝読します。・・・」と書かれてあった。先生の推薦書・夏目漱石著「私の個人主義」については、義父から譲ってもらった岩波の全集には収録されていなかったので、取り急ぎ近くの書店から取り寄せた。全集に掲載されなかった理由は、それが漱石の講演集だったからではないかと見当をつけている。しかし、加藤先生がお薦めされるだけあって、中々示唆に富んでいる。職業と道楽について、職業は他人のためにやるもので、自分自身のためにやるのは道楽であると断定している。皮肉屋・漱石の面目躍如で随所にワサビが利いている。例えば、明治44年に兵庫県明石で行った講演「道楽と職業」の中にはこういう表現がある。「博士というと諸事万端人間一切天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるんです」と気位の高い博士らから顰蹙を買いそうなことを平気で述べている。まあ、ご自分に相当な自信があるからであろう。

 「私の個人主義」序言で文藝評論家・瀬沼茂樹が述べている。「・・・漱石は座談や講演の名人である。しかし漱石は当意即妙に話をその場限りに終わらせていない。話術に巧妙で、諧謔に富んでいる点では人後に落ちないばかりか、なにげない日常の事柄を糸口に、識見や主張を語り、薀蓄を傾け、独創的な思想に導き、極めて魅力に満ちている」。

 数年前に漱石全集を改めて読み返してみようといくつかの長編を読んで感じた夏目漱石文学の特徴は、①割合身近な題材をテーマにしている、②登場人物がインテリ、③比較的経済的に豊かな生活を対象にしている、④主役の家庭にお手伝いさんか、書生がいる、⑤舞台に九州を取り上げているケースが多い、等々であまりしつこく、ねちねちと内面を描写することはないようだ。恋愛小説とか、不倫を扱った小説とは縁遠いようだ。

 小学5年生だったころ、母から薦められて初めて「坊ちゃん」を読んで可笑しな小説だなと思ったことがあるが、それ以来今日まで漱石とお付き合いすることになった。まあ、日本人にとっては昔の家庭生活とか、昔の先生ののんびりした生活の姿のようなものがイメージ出来て、読んでいてもつい笑ってしまう。何と言っても文章力がしっかりしているのが素晴らしい。良い意味で前頭葉刺激剤である。その点で最近の小説は、あまり読む気も起こらない。近頃では芥川賞作家や直木賞作家の作品ですら、現代の闇とか、セックス描写ばかり派手に書きなぐり、まったくストーリーが頭にインプットされない。やはりいつまでも詠み継がれる小説というのが、古典と呼ばれるものだろう。

2008年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

319.2008年3月28日(金) 沖縄の集団自決は日本軍が関与

 大東亜戦争末期の沖縄で住民が集団自決したことは、日本軍の命令によるものだったと記述した岩波新書「沖縄ノート」作者の大江健三郎氏と、発行者・岩波書店に対して名誉回復の訴えを起していた、沖縄戦・元守備隊長と遺族の訴えを大阪地裁は今日却下した。

 真実は当人たちにしか分からないが、集団自決から63年が経過して、当時の沖縄戦から生き残っている人も年々数が減り、新しい歴史的事実が判明したり、未詳の記録が発見される可能性もいまや極めて少なくなった。結局当時残された資料や記録を検証して事実誤認がないことを確認する作業と、生き残り証人の告白等を地道に確認する裏づけ作業が、より大切で欠かせなくなったと思う。

 軍の命令がなかったとする原告の主張には、ほとんど客観的に当事者である沖縄県民や国民を納得させる証人証言が得られなかった。云うまでもなく旧日本軍の組織内には、厳然とした縦社会の構造と厳しい上意下達の命令系統があったことは明らかで、かつて戦友会慰霊団をお世話していた当時、多くの元兵士の方々から伺った話では、この2つは絶対無視出来ず、一兵卒としてはただ服従するのみだったそうだ。こういう命令服従の空気はなかったと原告は断じて主張するのだろうか。裁判所は、住民の証言から日本軍の関与を示す内容は、合理的で根拠があると明確に判断した。

 昨年の教科書検定で沖縄集団自決は棚上げされた形になったが、これが昨秋沖縄県民を怒らせた。戦場となった沖縄では、県民は日本軍の命令によって集団自決に追い込まれたと理解している。この県民感情に逆らうような主張で、果たして沖縄県民を納得させることが出来るのだろうか。

 正反対の主張をしている原告側と被告側のどちらかが、正しいのか正しくないのかは、双方の言い分を聞いただけでは真実分からない。しかし、集団でことを成したということから考えれば、集団の中のリーダーによって実行されたことは明らかではないだろうか。リーダーは誰かから命令を受けたものと推察すると、最早軍内部以外には考えられないだろう。断言は出来ないが、裁判所の下した判断は、溢れる資料、生存者の証言、客観的状況証拠から考えて妥当ではないかと考えている。

 だが、原告の元守備隊長側はどうしても納得せず控訴するという。遺族の気持ちはどうなるのだろう。

2008年3月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

318.2008年3月27日(木) 平安高校最後の試合?

 野球シーズンが到来したので、野球に関して話題2題。

 ひとつは、プロ野球開幕スケジュールのあり方に関してである。パ・リーグが開幕してロッテとソフトバンクの好試合が展開されたが、セ・リーグはまだ開幕していない。そのセの巨人軍のホームグランド、東京ドームではアメリカ大リーグの開幕試合(レッドソックス対アスレチックス)が行われている奇妙な展開になっている。このメジャー・リーグの開幕試合をパの公式戦にぶつけるという無粋さは、常識的には考えられない。些か常軌を逸している。

 すでに昨年ロッテのバレンタイン監督と当時の日本ハム・ヒルマン監督が、せっかく盛り上がったパの開幕試合に水を差すようなスケジュール編成はおかしいと指摘していたくらいである。レッドソックスの先発投手・松坂大輔ですら、パの開幕試合に気兼ねしてしまうと率直な胸の内を語っていた。日本のプロ野球が開幕して熱が入ろうという瞬間に、ファンの眼をメジャー・リーグへ向かわせようというのだから、日本のプロ野球関係者は一体何を考えているのか、仕掛け人が外部の人ならまだしも、主催者・読売新聞社は、普段の言葉とは裏腹に実際はプロ野球の興隆なんて屁とも思っていないことを暴露したようなものだ。球界の盟主を標榜する巨人軍のオーナー会社としては、血迷ったとしか考えられない。日本のプロ野球の発展を考えているどころか、日本人ファンのメジャー志向を煽っているとしか思えない。これには野球評論家諸氏が挙って反対していた。反対の意見が圧倒的であることぐらい、気がつきそうなものなのに、今日のマス・メディアのやり方らしく世論やファンの声には一切耳を傾けず、自分の都合だけを優先し、ただ金儲けに走る。どこかコンプライアンスに欠ける日本相撲協会とも共通点がある。

 もうひとつは、選抜高校野球である。いつ見ても選手は溌剌とプレイしていて、清々しい。今日の第一試合は、中学2年生の時、2~3学期の僅か半年間だけだったが在籍した京都・平安中学の付属校・平安高校が21世紀枠の推薦校・愛知県立成章高校と対戦した。最後まで観たのは、創部百年目の平安が最多出場回数を誇る伝統校でありながら、4月から校名変更するというのが残念で、伝統の「HEIAN」ユニフォームの見納めと考えたからである。応援席には野球部OBが駆けつけていたが、その何人かは昭和31年夏の甲子園優勝メンバーで、私とは平安中学の同級生になる。龍谷大学付属平安高校というのが新しい校名だそうだから、「平安」という名前が完全になくなるわけではないが、元在校生としては些か寂しいし、系統が変わるわけでもなく、敢えて名称変更までする必要はないのではないかと思うのは、私の単なるセンチメンタリズムだろうか。

 ラグビーの名門校である大阪の大阪工大高と同じく啓光学園高が経営母体の学校法人同士が統合されたことにより、来年からともに校名変更する。なぜか流行のように校名変更を簡単に決めてしまう風潮が見られる。かつての野球名門校、浪華商と中京商も校名変更により、それぞれ大阪体育大付属浪商高校、中京大付属中京高校となった。時代の流れかも知れないがどうもしっくりしない。

 さて、最後の「平安高校」は反撃を凌いで勝ち残った。これでまだ「平安高校」は試合が出来る。

 テレビから流れてくる校歌斉唱に合わせて、つい口ずさんでしまった。

   ♪紫匂う雲の彼方

     希望の星の燃ゆるところ

      目指し羽ばたく若き生命

     燦たり ここにこぞる

      おお 称えよ 称えよ

       たぎる力を♪

          (平安高校校歌)

2008年3月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

317.2008年3月26日(水) 成田空港開港延期から30年が経った。

 30年前の今日、開港直前だった成田空港管制塔が、空港建設反対派グループに不意を突かれて侵入され、計器、設備類が完全に破壊され、ついに新空港開港が延期された歴史上の汚点がある。航空会社はもちろん、旅行会社も当然空港開港を前提にすべての作業を進めていたので、その当座はどう対処すべきか、案内書もすべて成田空港出発との文言を挿入していたので、本当に弱り当惑したことを昨日のことのように思い出す。

 しかし、現在もまだ成田空港問題は円満に解決しているわけではない。いまも土地売却に応じない地主もいて、滑走路への補助通路上に民家が建ち航空機は迂回するような障害が残っている。運輸省は、当時国家事業だから国民が協力するのは当然と腹を括り、反対するなら土地収用法を適用すると威嚇的に住民の権利をないがしろにした。そのような話し合い無視の対応が底流にあったことが、そもそも問題を深刻化させた素である。ただ、NHKテレビによれば、高橋寿夫・元運輸省航空局長が、当時開港一辺倒でまったく問題なしと考えていた運輸省保守派官僚の中では、このような過激なテロが起こるとは誰も考えていなかったが、逆にこの破壊的行動に直面して初めて反省や、再検証をしたと語っていたことが救いだった。

 それにしても、あの当時国の腰の定まらないような航空行政の煽りを受け、結果的に右往左往させられたことが、ちょっと癪に障るが何となく懐かしい。

 ところで、2日前にJR常磐線・荒川沖駅構内で24歳の若者が誰でもよいから殺したかったなどとナイフを持って暴れ周り、結果的に行き掛かりの8人に切りつけ、1人が亡くなった。昨晩は、JR岡山駅構内で進入してくる電車にホームで待っていた人を、突然後から線路内へ突き落とし、突き落とされた人は死亡するという事件が発生した。この犯人は高校を卒業したばかりの若者で、殺せば刑務所へ行けると言っているという。これだけに留まらず、最近はすぐ切れる若者が増えて、われわれの周囲にも狂気が漲っているような危ない雰囲気が表れるようになった。少子化を受けて子どもを甘やかす、無責任と無秩序は社会への影響が極めて大きいと思う。今日の日本は、教育、特にモラル教育が荒廃している。やるべきことを親も学校も、社会もしっかり教えていないのだ。

 自宅近くのある私立女子学院の傍を通ると、時折テニスボールが道路へ飛び出てくることがある。今日は2つのボールが飛んできたので、拾って校庭へ投げ返してやっても何の言葉も返ってこない。他人に対する礼儀を忘れ、自分たちの大切な財産も大切にしない、「小悪習慣」が肌身に染み付いてしまっている。小悪の根源は一体何だろう。根は深いかも知れない。

2008年3月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

316.2008年3月25日(火) 拙稿が進学塾のテキストに採用された。

 社団法人日本文藝家協会から、先日些少ではあるが銀行振り込みにより送金してきた。どういう謂れの送金かと思っていたところ、今日明細書が送付されてきた。日本文藝家協会には拙著の著作権関係を一括委託しているので、所謂著作権料であるが、送金内訳4件の中に、黙っていても笑みが止まらないのが、㈱ジーニアス・エデュケーション経営の大手進学塾「SAPIX(サピックス)」の教材に拙文が採用されたということで、中学受験生向進学塾のどんな教材に使われたのか些か興味がある。多分国語だろうと思うが、どんな形であれ、勉学用のテキストに拙文が採用されたということは、嬉しいかぎりである。

 ところが、せっかく評価をしていただいた、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」を発行してくれた新風舎が先日倒産したことで頭を痛めている。その資産関係、業務関係一切を自費出版大手・文芸社に引き継いだと代理人である弁護士から書状を受領したが、次のドキュメント「停年オヤジの海外武者修行」を執筆中でまもなく脱稿の予定でもあり、これをどこの出版社に依頼しようかと思案しているところである。拙著の場合、新風舎は自費出版ではなかったので、自費出版を前提に文芸社が提案をしてきたら困ると思っている。前著と次著は、内容的にも共通性があるので、出来れば同じ出版社から出して場合によっては、2冊まとめて広告を打つという手もある。前著も在庫が少なくなり、第3刷の話が持ち上がっていた矢先に倒産で頓挫してしまい、どうにも後味が良くない。

 前著の増刷はもう諦めていたが、こういうテキストなどに採用されるとなると、このまま消滅させてしまうのも惜しい気がする。ましてや、小中陽太郎氏のご推薦をいただいたり、冒険作家・椎名誠氏からもお便りをいただき「・・・いやはや面白い。いまの日本の若者すべてに読ませたいと思いました」とまでお褒めのメッセージをいただいている。しばらく悩むより仕様がない。

 午後、元会社の先輩が入院している東海大学病院へお見舞いに行った。年齢的にも丁度十年年長であるが、腕利きのセールスマンだったので、いまでも嘱託としてセールス活動をやっておられる。在職中はともに同じ部署で仕事をやって切磋琢磨した。随分お世話になったし、助けてもらったことがある。この先輩がいなければ私がこれほど国内の僻地辺地へ旅することはなかった。セールスの極意を教えてもらった恩人のひとりである。1月に入院して2月に手術をしたとのことであるが、一日も早い回復を願わずにいられない。

2008年3月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

315.2008年3月24日(月) イラク戦争のアメリカ軍犠牲者4千人に

 イラクで戦ったアメリカ兵の戦死者が、ついに4,000人の大台に達した。開戦5年でこれだけの戦死者を出してしまった。1日に2.2人、5日で11人が命を落としたことになる。朝鮮戦争では戦死者34,000人、負傷者は10万人と云われた。泥沼戦争となって厭戦気分が横溢し、私も参加した反戦運動が激しくなったベトナム戦争では、戦死者46,000人、戦闘以外で亡くなった兵士が1万人、負傷者は30万人を超えたと云われている。いまのところ数字的にはベトナム戦争ほどの戦死者を生んでいるわけではない。しかし、世界的に生活水準が向上し、平和志向になっている現代社会で、これだけ多くの若者が意味のない戦争で尊い生命を落とすことは、非人道的であり、罪悪ですらある。

 実際アメリカ国内では、PTSD障害により多くのイラク帰還兵が社会復帰出来ずにホームレス化していることが、大きな社会問題となっている。

 いま接戦を繰り広げているアメリカ大統領選挙運動でも、イラク戦争賛否は大きな論点となっている。共和党のマケイン候補はアメリカ兵のイラク駐留継続を主張しているが、民主党の二人の候補者、オバマ氏とクリントン氏はいずれもイラクからの早期撤退を明言している。誰が大統領になろうとも前途は険しいが、仮に米軍撤退となれば、別の面で新たな混乱を引き起こすことになろう。散々イラク国土を荒廃させ、イラク国民に犠牲を強いた現在のマリク・イラク傀儡政権からアメリカの影響力を取り除いたら、曲がりなりにも築かれていた支配体制は一気に崩壊し、イラクは一層混乱の極に達するのではないかと懸念する。アメリカにとって、自己都合によって他国へ土足で踏み込んでおいて、結果的に自国の兵士に犠牲者が生じたからといって、このまま勝手に身を引くわけにはいかないのではないか。退くも地獄、留まるも地獄というのがアメリカの立場であろう。いまやイラク国内の混乱の最大の原因は、アメリカによるイラク開戦それ自体にあるからである。

 それに引き換えて日本の役人は気楽なものである。散々行政を手前勝手に操り、手抜きと欲で失敗してもまず責任はとらないまま見過ごされる。敵前逃亡すればよいからである。イラク国民と同じ苦渋を味わうのは、いつもわれわれ国民なのだ。

2008年3月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

314.2008年3月23日(日) 一次情報の大切さ

 昨日加藤秀俊先生とお話した中で、先生は1次情報が大切で、いまの日本ではとかく2次情報や3次情報に頼りがちの傾向があると話された。私自身もまったく同感である。直に見聞してそれを情報として活用することがいかに大切かということを、ご自身の体験を通して仰った。戦時中に来襲した敵機から機銃掃射された時のパイロットの怖い顔とか、昭和27年のメーデー事件の際に警官隊に追われた体験のような、必死の体験は忘れることはなく、いつも現場で1次情報を得る大切さにつながるというようなお話だったと思う。

 自分なりに解釈すれば、新聞社の外電は自社特派員が現地で得たホットなニュースでなければ、ほとんど価値がない。ましてや他のメディア媒体から得た情報は、すでに新鮮なニュースではない。地方新聞に多い共同通信配信の情報は、共同通信の自社特派員が現地で得た情報は一次情報であるが、契約した地方新聞社が共同通信から得た情報は2次情報になる。それがまったく意味がないというわけではなく、そう割り切って読む必要がある。

 昨今日本のマス・メディアが現地通信社から得た情報やニュースを採用しなかった例として、1月の韓国利川の冷凍倉庫爆発惨事と今月韓国で判明した中国産ネズミ死体混入食品が頭に浮かんでくる。日本のマス・メディアはいずこもその情報を何らかの手段によって得ていたと思う。これらは、2次情報だから採用されなかったのではなく、報道の段階で何らかの規制、あるいはそれに類する圧力があったのではないかと考えざるを得ない。マス・メディアはうっかりしていると周囲からの圧力によって、抹殺されかねない。よほど信念と意志をしっかり持ち、報道の自由と権利を守るという毅然とした姿勢を忘れないようにしていないと為政者に魂を抜かれてしまう。最近の日本のマス・メディアの取材や報道を見ているとどうもそんな嫌な予感がしてならない。

 さて、昨日加藤先生が紹介された夏目漱石の「私の個人主義」を早速読んでみようと、読書好きだった義父から譲ってもらった、初版「夏目漱石全集」全18巻(昭和11年、岩波書店発行)を書庫から引っ張り出し一通り調べてみたが、その書名ではどうしても見つからない。かなり細かく小品、雑記、日記、手紙まで掲載されている権威のある全集にも関わらず、洩れている。仕様がないから加藤先生がお持ちだった講談社文庫本を購入するより術がないか。

2008年3月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

313.2008年3月22日(土) 感銘を受けた加藤秀俊先生のお話

 「知的生産の技術研究会」総会が例年通り東中野のテラハウスで開かれた。2007年度決算、2008年度予算、事業計画の説明があり、承認された。

 意見具申、提案、ご意見拝聴の時間をとってくれたので、久恒啓一理事長に対して、JN協会立教支部をひとつの参考例として話し、多摩大学内にも学生支部設立を考えてみてはいかがでしょうとお尋ねしてみたところ、そういうお考えがあるとのお応えだったので安堵した。久恒理事長がせっかく多摩大学教授へ就任される機会でもあるので、多摩大学支部設立はグッドタイミングだと思う。学生にも積極的に会員になってもらい、知研に若いエネルギーを注入して活性化してもらえれば、知研のみならず、学生たちにとっても従来とは別の面で飛躍の可能性が出てくると思う。相互相乗効果を大いに期待したいと願う。

 今日何よりの収穫は社会学者・加藤秀俊先生の基調講演だった。今西錦司、梅棹忠夫、川喜多二郎先生らに連なる京都学派俊秀のお一人である。4年前の講演に続き、密かに期待していたが、「知的生産と知的道楽」と題して、ご体験から滋味溢れるお話を約50分に亘って楽しく伺った。先生はそもそも「知的生産」という言葉自体に、少々違和感を抱いておられるそうだ。消費の伴う瑕疵性のある物的生産なら理解出来るが、非物的生産である知的生産は原価計算の根拠もなく、価値が成り立たないと言われた。確かにその通りで、著作活動とか学者のようなものも知的道楽だと仰った。さらに、他人のためにやるのは職業で、自分のためにやるのは道楽である。漱石の「私の個人主義」を参考にされ、漱石のユニークな論を披瀝された。

 京大式カードについては、知識を共有するための工夫であるとは初めて伺った。

 一番感銘を受けたのは、人間臭い1次情報を大事にする習慣を身につけることが大切だとのお話である。今日日本には、2次情報、3次情報が溢れすぎていると懸念しておられた。現場で直接見て感じた情報が最も大切であるとのお説は、私自身臨場感の大切さをいろいろな機会に講義しているので、先生のお話に納得しつつ心強く感じた。序に僭越ではあったが、60年安保闘争体験から最近のチベット旅行体験まで質問も交えてじっくりお話させていただいた。その後の食事会でも隣席で親しくお話させていただき、チベット、ビルマ、シカゴ、最近のパキスタン情勢についても話題が広がり愉快なひとときを過ごすことが出来た。小中陽太郎先生とも親しいとも伺った。八木会長から世田谷区野沢の加藤先生と世田谷区等々力におられる小中先生、私も世田谷区深沢に住んでいるので、近くにお住まいのご縁もあり、自由が丘辺りでお2人の先生から一緒にお話をお聞きする機会を設けようとのご提案をいただいた。。

 名刺を交換した人も多彩で、皆さん前向きな方々でそれぞれ尊敬出来る人たちばかりである。中でも市民満足学会事務局長・大島章嘉氏からいただいた「官民の大組織への信頼度など評価はどうなっているか?」と題した調査報告書はあまり眼にしたことのないユニークで、内容的にもよく調べられた資料だと感じた。一般的にそうだろうと予想していた業種の満足度が数値で裏づけされ、かなり参考になる資料である。

 「今日は昨日より物知りになった」有意義で愉快な一日だった。

2008年3月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com