314.2008年3月23日(日) 一次情報の大切さ

 昨日加藤秀俊先生とお話した中で、先生は1次情報が大切で、いまの日本ではとかく2次情報や3次情報に頼りがちの傾向があると話された。私自身もまったく同感である。直に見聞してそれを情報として活用することがいかに大切かということを、ご自身の体験を通して仰った。戦時中に来襲した敵機から機銃掃射された時のパイロットの怖い顔とか、昭和27年のメーデー事件の際に警官隊に追われた体験のような、必死の体験は忘れることはなく、いつも現場で1次情報を得る大切さにつながるというようなお話だったと思う。

 自分なりに解釈すれば、新聞社の外電は自社特派員が現地で得たホットなニュースでなければ、ほとんど価値がない。ましてや他のメディア媒体から得た情報は、すでに新鮮なニュースではない。地方新聞に多い共同通信配信の情報は、共同通信の自社特派員が現地で得た情報は一次情報であるが、契約した地方新聞社が共同通信から得た情報は2次情報になる。それがまったく意味がないというわけではなく、そう割り切って読む必要がある。

 昨今日本のマス・メディアが現地通信社から得た情報やニュースを採用しなかった例として、1月の韓国利川の冷凍倉庫爆発惨事と今月韓国で判明した中国産ネズミ死体混入食品が頭に浮かんでくる。日本のマス・メディアはいずこもその情報を何らかの手段によって得ていたと思う。これらは、2次情報だから採用されなかったのではなく、報道の段階で何らかの規制、あるいはそれに類する圧力があったのではないかと考えざるを得ない。マス・メディアはうっかりしていると周囲からの圧力によって、抹殺されかねない。よほど信念と意志をしっかり持ち、報道の自由と権利を守るという毅然とした姿勢を忘れないようにしていないと為政者に魂を抜かれてしまう。最近の日本のマス・メディアの取材や報道を見ているとどうもそんな嫌な予感がしてならない。

 さて、昨日加藤先生が紹介された夏目漱石の「私の個人主義」を早速読んでみようと、読書好きだった義父から譲ってもらった、初版「夏目漱石全集」全18巻(昭和11年、岩波書店発行)を書庫から引っ張り出し一通り調べてみたが、その書名ではどうしても見つからない。かなり細かく小品、雑記、日記、手紙まで掲載されている権威のある全集にも関わらず、洩れている。仕様がないから加藤先生がお持ちだった講談社文庫本を購入するより術がないか。

2008年3月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com