大東亜戦争末期の沖縄で住民が集団自決したことは、日本軍の命令によるものだったと記述した岩波新書「沖縄ノート」作者の大江健三郎氏と、発行者・岩波書店に対して名誉回復の訴えを起していた、沖縄戦・元守備隊長と遺族の訴えを大阪地裁は今日却下した。
真実は当人たちにしか分からないが、集団自決から63年が経過して、当時の沖縄戦から生き残っている人も年々数が減り、新しい歴史的事実が判明したり、未詳の記録が発見される可能性もいまや極めて少なくなった。結局当時残された資料や記録を検証して事実誤認がないことを確認する作業と、生き残り証人の告白等を地道に確認する裏づけ作業が、より大切で欠かせなくなったと思う。
軍の命令がなかったとする原告の主張には、ほとんど客観的に当事者である沖縄県民や国民を納得させる証人証言が得られなかった。云うまでもなく旧日本軍の組織内には、厳然とした縦社会の構造と厳しい上意下達の命令系統があったことは明らかで、かつて戦友会慰霊団をお世話していた当時、多くの元兵士の方々から伺った話では、この2つは絶対無視出来ず、一兵卒としてはただ服従するのみだったそうだ。こういう命令服従の空気はなかったと原告は断じて主張するのだろうか。裁判所は、住民の証言から日本軍の関与を示す内容は、合理的で根拠があると明確に判断した。
昨年の教科書検定で沖縄集団自決は棚上げされた形になったが、これが昨秋沖縄県民を怒らせた。戦場となった沖縄では、県民は日本軍の命令によって集団自決に追い込まれたと理解している。この県民感情に逆らうような主張で、果たして沖縄県民を納得させることが出来るのだろうか。
正反対の主張をしている原告側と被告側のどちらかが、正しいのか正しくないのかは、双方の言い分を聞いただけでは真実分からない。しかし、集団でことを成したということから考えれば、集団の中のリーダーによって実行されたことは明らかではないだろうか。リーダーは誰かから命令を受けたものと推察すると、最早軍内部以外には考えられないだろう。断言は出来ないが、裁判所の下した判断は、溢れる資料、生存者の証言、客観的状況証拠から考えて妥当ではないかと考えている。
だが、原告の元守備隊長側はどうしても納得せず控訴するという。遺族の気持ちはどうなるのだろう。