320.2008年3月29日(土) 夏目漱石についてひとくさり

 先日加藤秀俊先生へ拙著「現代・海外武者修行のすすめ」をお送りしたところ、昨日ご丁重なお便りをいただいた。「・・・まだ、パラパラと拝見しているだけですが、たいへんな活動量に感銘しています。これからゆっくりと拝読します。・・・」と書かれてあった。先生の推薦書・夏目漱石著「私の個人主義」については、義父から譲ってもらった岩波の全集には収録されていなかったので、取り急ぎ近くの書店から取り寄せた。全集に掲載されなかった理由は、それが漱石の講演集だったからではないかと見当をつけている。しかし、加藤先生がお薦めされるだけあって、中々示唆に富んでいる。職業と道楽について、職業は他人のためにやるもので、自分自身のためにやるのは道楽であると断定している。皮肉屋・漱石の面目躍如で随所にワサビが利いている。例えば、明治44年に兵庫県明石で行った講演「道楽と職業」の中にはこういう表現がある。「博士というと諸事万端人間一切天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるんです」と気位の高い博士らから顰蹙を買いそうなことを平気で述べている。まあ、ご自分に相当な自信があるからであろう。

 「私の個人主義」序言で文藝評論家・瀬沼茂樹が述べている。「・・・漱石は座談や講演の名人である。しかし漱石は当意即妙に話をその場限りに終わらせていない。話術に巧妙で、諧謔に富んでいる点では人後に落ちないばかりか、なにげない日常の事柄を糸口に、識見や主張を語り、薀蓄を傾け、独創的な思想に導き、極めて魅力に満ちている」。

 数年前に漱石全集を改めて読み返してみようといくつかの長編を読んで感じた夏目漱石文学の特徴は、①割合身近な題材をテーマにしている、②登場人物がインテリ、③比較的経済的に豊かな生活を対象にしている、④主役の家庭にお手伝いさんか、書生がいる、⑤舞台に九州を取り上げているケースが多い、等々であまりしつこく、ねちねちと内面を描写することはないようだ。恋愛小説とか、不倫を扱った小説とは縁遠いようだ。

 小学5年生だったころ、母から薦められて初めて「坊ちゃん」を読んで可笑しな小説だなと思ったことがあるが、それ以来今日まで漱石とお付き合いすることになった。まあ、日本人にとっては昔の家庭生活とか、昔の先生ののんびりした生活の姿のようなものがイメージ出来て、読んでいてもつい笑ってしまう。何と言っても文章力がしっかりしているのが素晴らしい。良い意味で前頭葉刺激剤である。その点で最近の小説は、あまり読む気も起こらない。近頃では芥川賞作家や直木賞作家の作品ですら、現代の闇とか、セックス描写ばかり派手に書きなぐり、まったくストーリーが頭にインプットされない。やはりいつまでも詠み継がれる小説というのが、古典と呼ばれるものだろう。

2008年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com