567.2008年12月1日(月) ベテラン・ジャーナリストによる岩波市民セミナー

 今日から毎週月曜日に岩波市民セミナーを神田神保町の岩波アネックスビルで連続4回受講する。講師は原寿雄・元共同通信社長で、駒沢大片山正彦講師から絶対に役立つからぜひ聴講されると良いと勧められたものだ。

 第1回は「軍国少年からジャーナリスト」と題して生い立ちからジャーナリストとしての考え方まで淡々と、しかし分りやすく説明してくれた。驚いたのは、大正14年(1925年)生まれで、今年83歳になられるが、お年には見えないほど、顔の色艶もよく内容的にも興味の沸く話で2時間の予定が質問を交えて2時間半になってしまった。そつのない受け答えは相当ジャーナリストとして自信をお持ちであることを窺わせてくれた。

 原講師の生まれた大正14年は、普通選挙法が生まれる一方で、治安維持法も施行された。民主的な法律と非民主的な法律が同時に実行された。大正デモクラシーの終わりであった。小学校に上がったのは、満州事変の年であった。貧しい農家に生まれたので、子どものころから農業の手伝いをやらされた。東京に近いとはいえ、小作人の家では軍国少年になるのは自然の流れであった。

 ジャーナリストとして感じたのは、「良い答えは良い質問からしか生まれない」ということだ。また、新聞記者で名文家は従軍記者となったが、従軍記者は戦争犯罪人ではないかと思った。

 原講師の話の中で2つの点が特に印象に残った。1つは、日本では戦争責任をきちんとつけていない。特に天皇の戦争責任があいまいで、昭和天皇が亡くなったことによって決着をつけずにうやむやにしている。もう一点は、国家の発展とともにジャーナリズムも大きくなる。ジャーナリズムは頭の中では国籍をも超える。しかし、果たしてジャーナリズムは戦争を抑えきれるか。そうだと言いきれるか。例として、朝日新聞の「新聞と戦争」プロジェクトについて、この執筆記者たちが、満州事変当時にいたら、果たして関東軍の謀略を暴露できたか、という点で疑問である。ジャーナリズムも既成事実には弱い。満州事変のように再び朝日が「一歩遅れて転向する」ことはないか。以上の仮題を、実際朝日の出版記念会で話したそうである。中々骨のある話で面白かった。流石に記者としても、新聞連盟の専任労組幹部としても、また経営者としても実績のある方だけに、淡々と話される自分史は期せずして昭和史を語り、ジャーナリズムの歴史をも語っていると感じた。残りの3回が待ち遠しいほどである。

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566.2008年11月30日(日) テロとサルコジ人形、世界もいろいろ

 ムンバイのタージ・マハール・ホテルを占拠して最後まで抵抗していたテロリストたちは、発生から3日経って完全に制圧された。明らかになった死者は195人を数えるという。まだ真相は解明されていないが、犯人たちは相当訓練されていたらしい。タージ・マハール内部は爆弾が爆発し、激しい銃撃戦の跡もあり、入店テナントは完膚なきまでに破壊されていた。外からは分らないが、内部の破壊は度を超しており、元の姿に戻るには相当の時間がかかるようだ。とにかくたった一度きりではあるが、ホテル内の格調高い雰囲気を味わった者としては残念でならない。インド人もムンバイの名所のひとつと考えていた1903年建造の名門ホテルが無残な姿を晒しているのを残念がっている。

 犯人は10人ほどが射殺された中で、1人が身柄を拘束されている。パキスタンを拠点とするイスラム過激派「ラシュカレトイバ」ではないかとの疑いが強まっている。この組織は同じムンバイで2年前に連続列車爆破テロを引き起こし、200人の死者を出している。インド・パキスタンの外交関係や、カシミール帰属問題、イスラム系地区独立問題もからみ、問題の複雑化がネックになっている。しかし、インド政府としてはパキスタン政府が何と言い逃れようと、自国のメンツを賭けて原因を突き止めねばなるまい。

 一方、ムンバイ・テロより一足早く事態を混乱させていた二つのバンコック空港占拠事件は、今日も解決されず、昨日からついにウタパオ空軍基地内の滑走路を使用してチャーター機を飛ばすことになり、日航も直行便で日本人旅客を帰国させている。それにしても反政府団体・民主主義市民連合(PAD)が、完全に空港内を管理している今回のデモの様子には驚きを禁じえない。空港内への立ち入りは、PADのチェックを受けるという本末転倒の事態になっている。今のところ軍によるクーデターの危険はなさそうだが、いつまでこんな異常事態がもつのか。ソムチャイ首相の意向を受けた警察がPAD代表と話し合いを始めたが、どうも決裂したらしい。観光客が敬遠し、経済活動も制約され、国際的な信頼も失いつつあるタイは、そろそろ目覚めないと折角の経済上げ潮ムードが反転、急降下しかねない。こういう世界の注目を集め、その難題を解決しなければならないリーダーは大変だが、その点では日本の首相なんて、これらの国々に比べれば経済は安定しているし、国家的なテロ事件は起こらないし、気楽なことである。この気楽さが、放言、失言の大連発になるのかも知れない。

 今朝の朝日に面白い記事が載っていた。「呪いのサルコジ人形」が売り出され、大統領が発売元に回収を求めた訴訟で、パリ控訴院は大統領主張の一部を認め、発売元に対して人形が違法だと掲示することを求めた。そもそもこの人形が裁判沙汰になったのは、サルコジ大統領の布製人形に針を刺すというサド的で、大統領個人を侮辱したものだったからである。しかし、裁判の過程で大統領が発売元に回収を求めたことに対して、一審では「表現の自由とユーモアの範囲内」とした。それに対して大統領側が上訴して、今回控訴院は、人形が大統領の尊厳を損なうと判断した。だが、商品回収までは行過ぎとしている。この流れの中にはフランス人のサルコジ大統領への気持ちや考えが表れている。昨日山崎さんはサルコジがフランス人の間で不人気だと言って「猿誇示」と読んでいたが、なるほどと思う。あれだけ外交分野で活躍して実績を挙げても、即人気とは行かないものだ。その点でも日本の首相は楽なもんだ。

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565.2008年11月29日(土) ブケリッチ家(武家利一家)のお墓参り

 セルビアの友人、山崎洋さんと富士霊園へ彼のご母堂の墓参に行った。今日は偶々明治大学でもゾルゲ事件のセミナーが開かれることになっている。山崎さんはそちらからも講演依頼をいただいたようだが、当初の予定通り母上のお墓参りに行くことになった。私とは自由が丘駅前で待ち合わせて車で出かけ、富士霊園までちょうど2時間だった。

 行く道すがら車内でいろいろ話をしたが、やはり昨日の麻生・小沢党首会談について内容的に情けないという点で意見の一致をみた。また、彼が母上の強い希望で学んだ玉川学園小学校時代の自由な校風について語ってくれた。玉川学園と言えば、玉川学園駅が社会人としての最初の仕事場だったところで、その後業務上も玉川学園と関係を持つことが出来た奇しき因縁がある。何でも母上は山崎さんが苛められないような教育環境の良い学校を選んだそうで、その意味では確かに玉川学園は贅沢なくらい、自由で立地も自然に恵まれ初等教育の教育環境としては理想的だったかも知れない。ただ、あまりにも自由な教育に、母上が今度は進級・進学について心配され、中学は玉川学園には進学しなかった。終戦直後の貧しい生活の中で母上のしっかりした教育観には敬服せざるを得ない。

 富士霊園は季節的に紅葉もまだ残っておりシーニックビューという点では申し分のない環境だが、近くの富士スピードウェイから時折聞こえてくるレーシングカーの轟音が、折角晩秋の季節感を匂わせてくれる雰囲気をぶち壊しているのが惜しい気がする。

 墓地は山崎家と親戚のお墓がサイド・バイ・サイドで3つ並んでいる。2つのお墓はご親戚のものである。山崎家の墓石には、「武家利一家の墓」と刻字してある。父上ブランコ・ド・ブケリッチ氏が存命中から使用していた日本名だそうだ。名前の下に床しそうな紋章がある。聞いてみると父上の親戚が得たオーストリア貴族の称号だそうだ。あの恐れ多いハプスブルグ家の紋章である。一昨年五月にご母堂が亡くなられ納骨する際、かつて夫であったブケリッチ氏から多量のラブレターをもらい、それを大切に保管し、一緒に埋めて欲しいとの遺言があったので墓石の下に母上の遺骨と一緒に埋めてあるそうである。生前母上は私にもそんな話をされておられた。ともに生活した期間は短かかったが、お2人は深い愛情によって結ばれていたのだろう。それが死後の世界でも一緒にいたいという気持ちにさせるのだろう。心打たれる愛情物語である。私も母上の墓前に額づき心からお参りさせていただいた。

 その後少々早かったが昼食をしようと近くの富士小山ゴルフクラブのレストランへ立ち寄ったところが、ゴルフクラブのメンバーでないからと断られてしまった。仕方がないので、御殿場へ向かった田舎風のレストランへ立ち寄ったが、ここで「麦とろ」をいただき、久しぶりに珍しい昼食にありついた。権威主義のゴルフ場のレストランから拒絶されて反って日本的なものを、山崎さんにご馳走することが出来てむしろ良かった。

 オバマ次期大統領、グルジアとロシアの関係、コソボ問題、北オセチアと南オセチアの帰属権、等々について山崎さんの考えを聞かせてもらった。やはりグルジアや、オセチア問題については私がとても知ることが出来ないくらい情勢を深く把握しており、こういう民族問題はやはり近くにいないと真実を知ることは難しいということを実感した。彼は相変わらずよく勉強している。

 先日山崎さんがセルビアから書いてくれた手紙に、「古事記」のセルビア語訳が完成直前に、約束の資金を外務省外郭団体が支出してくれないことになったことを嘆いていたが、そのセルビア語訳版が完成して、その実物を見せてもらった。ベオグラード大学セルビア人大学院生3人の協力を得て、山崎さんが責任監修された。ハードカバーの中々立派なものである。表紙の絵は、わざわざ伊勢神宮所蔵の大きな屏風絵を撮影した。天照大神が背後に金鵄を従えた、よく知る絵である。外務省があまり乗り気でない日本文化の紹介をバルカン半島のセルビアでしようという、一種の草の根運動が挫折しないよう願うばかりである。

 それにしても外務省というのは、本業でも充分国民の期待に応えていないが、こういう地道な文化事業にもあまり熱心でない。それに対して地道に活動している友人を誇りに思う。山崎さんは奥さんのお里である静岡へ向かうので、御殿場駅へ送ってからいろいろ考えながら東名道を帰宅した。深く考えさせられた思い出深い一日だった。

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564.2008年11月28日(金) 実りのない党首討論

 ムンバイの同時テロが漸く終息に向かい出した。少しずつホテル内に閉じ込められていた人質が解放されている。不思議なのはテロ標的のひとつ、トライデント・ホテルを下からも、屋上からも軍の特殊部隊が1部屋1部屋調べていったところ、テロリストはすでに姿を消しホテルはもぬけの殻だった。こんな間の抜けたマンガチックなシーンがこの緊迫した場面で現出されるとは思いも寄らなかった。タージ・マハール・ホテルはまだ銃弾戦をやっていて死者は150人をすでに超えた。日本人は勃発直後1人の犠牲者を出したものの、その後は死傷者がなくまずまずよかった。ただ、完全にテロリスト集団が制圧されたわけではなく、余燼が燻っている。

 午後麻生首相と民主党小沢一郎代表との党首討論が行われテレビで中継された。僅か45分程度ではさほど突っ込んだ討論にはならないと思っていたが、案の定衆議院解散問題、補正予算、首相の言葉の軽さぐらいしか話題にならなかった。肝心な外交問題、防衛問題にまで触れなかったのは、時間不足だけではなく、お互いに勉強不足だったからに違いないが、折角のチャンスなのに実に惜しいことをした。結論的に言えば、どちらもどちらという印象で、小沢代表も張り切っていた割りには内容に鋭さがなかった。どうも小沢氏は話が下手で、考えていることの半分も言えないのではないか。いずれにしろお互いにメリハリの利かない、つまらない、実りの少ない討論だった。回数を重ねていけば、徐々に良くなってくるのだろうが、時間の無駄という感じもする。

 しかし、政治家なんていうのは丁々発止の議論ができなくては政治家とは言えまい。2人ともどうも要領がよくない。平素の政治活動は何のためにやっているのか。いつも狭い部屋の中で仲間内の政局論争ばかりやっているからではないか。がっかりした。

 来年2月に出版記念会を開催するが、その案内状を送り終えた。昨日と今日で330通ばかりお送りしたが、何人の方にご出席いただけるだろうか。その拙著の発行に際して、友人たちから書店で購入してくれたとか、書店で逆にPRしてくれたとか、友情はいつもながら有難いことである。

2008年11月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

563.2008年11月27日(木) ムンバイでテロ、炎のタージ・マハール・ホテル

 一昨日来のバンコック・スワンナプーム空港の閉鎖騒ぎは依然として解決せず、早や3日目を迎えた。日本人も約1万人が出国できずにいる。近くに使用可能な国際空港がないために、一昨日APECに出席してペルーから帰ったソムチャイ首相もバンコックへ帰れずチェンマイ空港へ帰りつく有様だった。一昨年開港した現在の空港は東南アジアのハブ空港としての重要性を高め、今では成田空港より発着便数が多い。その空港が機能不全状態に陥ってしまった。

 私自身がバンコック空港に居合わせたらどう対応するだろうかと考えると、距離的にはプノンペンが近いが国境周辺の不穏な治安を考えあまり良い案とも思えない。時間はかかっても確実に行ける陸路をプーケットへ向かうか、マレーシアのペナンへ出るだろう。

 現政権はタクシン元政権と実態はまったく変わっていない。ソムチャイ現首相はタクシン氏の義弟であり、やや強引な手法も似ている。仲介役として軍部が出てくるのも珍しいが、その軍司令官が首相に下院を解散して総選挙をするよう促しているが、首相は自政権を正当な政府としてこれを拒否しているので先の展望が開けない。空港には反政府団体・民主主義市民連合(PAD)が座り込みを続けている。いつになったら解決するのか、軍部がクーデターでも起こさなければよいがと心配である。

 夕方になってもっとびっくりするような騒ぎがインドのムンバイで起きた。日本人も巻き込まれて1人が亡くなった。高級ホテルや鉄道駅等の市内中心数箇所で勃発した同時テロだ。このうちタージ・マハール・ホテルは30年近く前、作新学院の江川卓投手が甲子園で活躍していた夏に、エチオピアからの帰途ちょうど当地の商社駐在員だった学生時代の友人と、ホテル内レストランで食事をしたことがある。当時はムンバイではなくボンベイと呼ばれていた。私は市外のオベロイ・ホテル(?)に泊っていたが、このタージ・マハールは外観が赤とうす緑、白のロココ調の外壁で重厚な趣のあるホテルだった。目の前には海へ向かって歴史遺産となっている立派な「インド門」が堂々と建っている。いかにもインドの歴史に思いを巡らせるような環境にある。

 テレビで中継録画を観ているとあのどっしりとしたタージ・マハールから火の手があがっている。あの由緒あるホテルが破壊されるのかと想像すると胸が痛む。ホテル内に立てこもったテロリスト集団が宿泊客を人質にインド軍隊と銃撃戦を繰り広げている。カシミール地方でヒンドゥ教と対立するイスラム系民族主義者が仕掛けたテロの疑いがあるようだが、金融危機のこの時期にどうしてこんな物騒な事件が起きるのだろうか。アフガニスタンのカブールでもアメリカ大使館近辺で爆発事故が発生している。クワバラ! クワバラ!

2008年11月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

562.2008年11月26日(水) 麻生首相が提唱する「スピード感」はいずこへ

 ちょっと油断すると身体に効いてくるようになった。ちょっと熱っぽい。無理をしないよう午後の駒沢大学講座と夜のペンクラブ会合を欠席することにした。夜になって、ふるさとテレビから明日のセミナーへの参加はどうするかと照会があったが、これもお断りした。今は万全の体調へ戻すことが第一である。

 タイでえらいことが起こっている。バンコック・スワンナプーム空港を占拠した反政府デモが、今日完全に空港を機能不全に追い込んだ。日本との定期便もすべて運行停止され、多くの利用客に影響が出ている。空港を取り囲みシュプレヒコールをあげるデモ隊を見ていると、ビルマとは随分違うなぁと思う。隣の国ではあるが、タイ人とビルマ人は性格的に大分異なる。タイ人の激しい性格に比べて、ビルマ人は一部の人を除いて比較的大人しく優しい。不満を内に秘めたまま黙って耐える。滅多に暴動などは起こらない。耐えて耐えて我慢する。これが結果として良いのか悪いのかは即断できないが、今のビルマ軍政が倒れないでいられるのもビルマ国民の温厚な性格と我慢強さに助けられている。タイ国民の激しいデモ行進を見ているとついビルマ人に同情してしまう。

 昨日もブログに書いたが、アメリカ政府の「スピード感」のある経済対策は、FRBが引き続き住宅や消費者向けローン市場の資金繰りを円滑にするため、最大で総額約77兆円の資金を供給すると発表した。この金額は、日本の一般会計年度予算約88兆円にも達しようというほどの巨額である。これを危機とあらば、すばやく決済する。このスピード感が素晴らしい。

 一方わが国ではどうか。話題になっている定額給付金がまだぐずぐずしている。政府は事務処理を市町村に委ねた。いわゆる丸投げである。これに反対したのが末端の市町村である。全国町村会と全国市長会が所得制限を設けないことを申し合わせた。国民の間に不公平感が生じる、所得調査はプライバシーに関係する、事務手続きに経費がかかる、等の理由からすべての国民を一律に取り扱おうとの考えであるが、むしろ繁忙期に面倒くさいことはとてもやっていられないというのが本音である。これだと政府の方針とは大きくずれている。政府のメンツは丸つぶれである。まあ麻生政権らしいと言えば、言えるかも知れない。

2008年11月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

561.2008年11月25日(火) アメリカ、イギリスの積極的な経済対策

 昨日夕食中にぽろっと入れ歯の歯のひとつが落ちてしまい不便なこと夥しい。だんだん自分の歯が失われていくのは、寂しく感じているが、こればかりはどうしょうもない。入れ歯であっても同じことで落ちるたびについ感傷的になる。今日はまずかかりつけの歯医者で治療してもらい、その足で小田急百貨店・山田相談役に会って、新著の販促活動をヘルプしてもらうことになった。百貨店内の三省堂書店に置いてもらえれば、かなりの販売が見込めるのではないかと思っている。前著でもそうしてもらったところ、大分売れ行きが良かったので2匹目のどじょうを狙ったところである。まだ、他の書店にもお願いするつもりだが、いずれにしろ何とか販売アップを期待したいところだ。

 その前に新宿西口地下の東京都管理の催事スペースで古書展示会をやっていたので、つい覗いていたら読んでみたい古本が何冊かあったので、安いのを幸いに戦争関係書とゾルゲ事件関連書計5冊をまとめ買いした。

 日本の政治、経済に画期的な不況対策の目玉が一向に機能しないが、自由主義経済の牙城であるアメリカですら、ついに政府がシテイ・グループへ資本注入を追加することになった。既存の分と併せてシティへの投入金額は4兆円を超えている。加えて、現在シティの抱えている不良資産(約29兆円)の生じる損失について、アメリカ政府は最大で約24兆円を負担するリスクを負うという。民間企業へ財政支援することにあれだけアレルギーを示していたアメリカ国民の声を抑えて、これだけ大胆な支援策を打ち出したのは、金融大手が破綻したらアメリカ経済に大きな傷跡を残すと判断したからだろう。それにしてもアメリカ政府の果敢な決意と行動である。

 次いで、イギリスでは消費税を期限付きではあるが、17.5%から15%へ引き下げる。消費税の減収分を、高所得者の所得税の最高税率を現在の40%から45%にまで引き上げることによって補うという。ブラウン首相は、90年代の日本の景気後退局面での対策は遅すぎたと、日本政府が当時の経済対策に自画自賛しているのに対して極めて批判的で、このような積極的な経済対策を取り入れた。好感した市場は、直ちに反応した。ダウ平均とロンドン・シチーは一気に株価を上げた。

 対する日本の東証は英米の株式市場に釣られて株価を上げた。具体的な術を打たなくても、他の先進諸国が前向きな対応をすれば日本も潤う。手を拱いていても他人が助けてくれる。日本経済はこういう情けない構図になってきた。その裏には、アメリカ政府がいずれ米国債を日本に引き受けさせる思惑があり、日本はその要請をひたすら怯えて待っているのである。いつも日本のやることは、後手に回り、自分の手を汚さない。苦労知らずの世襲政治家が育ってきた環境と酷似している。

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560.2008年11月24日(月) 麻生首相で日本は大丈夫か?

 現在リマ(ペルー)で開催中のアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席した麻生首相が、閉会に際して内外記者会見に臨んだ。しかし、まったく中身のない質疑には、がっかりした。一国の代表である総理大臣がこんなやりとりをやっているようではダメだと思った。当初ステートメントの形で会議の講評と成果を述べたが、所詮これはお付きの役人、秘書が作成した草稿だろう。問題は時間の関係で1人だけとの制約の中で、その1人の外人記者から受けた質問の一部始終である。記者の質問は、日本は北朝鮮の核問題にどう対処するのかと言うものだった。これに対して麻生首相の応答は、長くまわりくどい前置き説明をした後、北朝鮮の約束は口約束では信用出来ず、これからは文書による約束を取り付けたいというものだった。日本はアメリカとも打ち合わせながら、また6ヶ国協議の枠の中で解決を目指すという当たり障りのない答えをくどくどと述べていた。まったく核心に触れていない。質問した記者ももうこれ以上聞いてもダメだと思ったのだろうか、麻生首相が「いいですか?」と念押ししたことにイエスと応えたが、これ以上追求しても確たる返答をもらえないと思ったのだろう。首相の回答はあまりにも的外れではなかっただろうか。質問した記者もさぞがっかりしただろう。

 どうして総理大臣がこの程度の返答しかできないのだろう。ことの本質について正面から応えていない。日本の首相の能力はまれに見る低レベルだと思うとショックである。こんなことでは、世界中から馬鹿にされる。こんな人に国を任せておいて大丈夫だろうか。どうせこの次の選挙で政権交代するだろうが、これではとても国政を任せられない。酷いものだ。

 今日はキリスト教の列福式という聞きなれない式典が長崎で開かれた。日本で列福式が行われたのは初めてだそうである。国内外から3万人の参列者があったというから驚きである。実は、昨日小中陽太郎氏へもしご在宅なら、書籍をお届けするとメールを送信したところ、この儀式へ出席しているからとの返信をいただいてなるほどと思った。何でもキリスト教ご法度の江戸時代に迫害を受けて殉教したキリスト教徒188人を、「聖人」に次ぐ「福者」に列する儀式である。その中には天正遣欧使節団の中浦ジュリアンも含まれている。寡聞してこのような式典が日本で行われるとは知らなかった。列福式にはローマ法王代理の枢機卿も参列された。

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559.2008年11月23日(日) 凶悪事件急転解決か?

 4日前にさいたま市と東京・中野で元厚生事務次官宅を襲い、元次官夫妻を殺害し、もうひとりの元次官夫人を刃物で負傷させ厚労省官僚の心胆を寒からしめた犯人らしき男が、昨晩凶器を持ったまま警視庁に出頭した。本人かどうかはまだ確定したわけではないが、取りあえず厚労省関係者はほっとしたことだろう。所轄署へ行かず最初から警視庁に出頭したのもちょっと普通とは違うが、男は辻褄のあう証言をしているので、追々真相は明らかになるだろう。犯人の人物像は、事件の発生と経過を見てみると保険関係の恨みから年金関係者を襲ったと見られていた。従って相当陰湿で年金自体に関する不満を論理的にぶつけるだろうと考えていたが、男の印象はインテリというより、ヤクザっぽい感じでこの事件が年金問題の不条理へ発展するような様子ではない。

 それにしても、先日20数年ぶりに自宅へ帰った次男がその晩親を殺害した事件があったが、出頭したこの男も高校卒業後国立大学理工学部へ進みながら中退して、家族とは20年以上も音信不通の状態になっていたようだ。最近起きた発作的な凶行は、すべて犯人が長期間家族と連絡を絶っているケースである。やはり仕事がなくて精神的に不安定なうえに、家族との交流がないことが気持ちをすさませるように思える。いずれ専門家が分析して原因を究明してくれることだろうが、物騒で、嫌な世の中になった。

 今日23日は昔からラグビー伝統の早慶戦の日である。最近は秩父宮ラグビー場へも観戦に行かなくなってしまった。今日も土浦から帰ってきたが、敢えて見に行くほどの気も起こらない。近年の早稲田は他大学に抜きん出て力を発揮して、大学選手権でも度々優勝している。慶応は対抗戦7年連続で負けている。しかし、今年は早稲田が帝京大に敗れたが、慶応はその帝京大と引き分けており、早慶の力は拮抗している。先取点を取った慶応は、前半は11対10のリードで折り返したが、後半に4つもトライを奪われ結局34-17で逆転負けを喫してしまった。早慶戦はこれで8連敗である。どうも気分的にすっきりしない。

2008年11月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

558.2008年11月22日(土) 霞ヶ浦の環境施設を見学

 1980年にヨーロッパへ教員海外派遣団としてご一緒した茨城県の先生方の同窓会「チボリ会」が、28回目を迎えて土浦市内で開催されたので車で出かけた。海野千秀先生を団長とする18名という割合小さな団体だったがまとまりがよく、今日も10名が参加した。いつまでも交流を続けられるのは、その中心に包容力のある海野先生がでんと座っていて、求心力があるからだ。現在も茨城県退職校長会会長として県教育界に多大な影響力を与えておられる。

 この派遣団は先生方にとっては南仏マルセイユが初めての学校訪問で、目新しいことばかりで興味津々だったと思うが、個人的にはマルセイユに滞在中ビートルズのジョン・レノンが殺されたニュースが強く印象に残っている。18名の内、すでに2人の先生が鬼籍に入られた。当時参加した担当の文部省佐野紀係長も度々チボリ会員として団の会合に参加してくれる。今回も参加された。宴会も盛り上がった。先生方のカラオケの歌いっぷりには脱帽である。

 宴会前に「茨城県霞ヶ浦環境科学センター」を見学した。霞ヶ浦の歴史、考古学、産業史、地形的変化等を視覚と触角で教えてくれる。戦前の予科練とか、風物詩だったわかさぎ漁の帆掛け舟などに比べて、霞ヶ浦自体が今脚光を浴びることはめっきり少なくなった。しかし、これだけの施設を茨城県は運営している。かなり経費もかかるだろう。1995年に皇太子ご夫妻ご臨席の下に土浦市で「第6回世界湖沼会議」が開催され、その折り設置が提唱され2005年に開設された贅沢な施設である。教育施設と言えるものだけに、箱物と簡単に考えるわけにはいかない。近年地方自治体は財政的に厳しい時代に入っているので、県民にも相当広報活動と啓蒙をしなければ理解が得られないのではないか。ほとんどの展示物が地道なものだけに、霞ヶ浦の環境問題に関心がなければ、大人の足を呼び込めるほどのものでもない。学校教育の一環として野外教育は役立つものであるが、教え方に工夫が凝らされないと成果を上げるのは難しいと思う。

 展示物の中で、新しい知識も得られた。日経新聞夕刊に「おたふく」という山本一力の小説が連載されているが、その中に気仙沼から江戸へ「ふかひれ」を輸送する話がある。そのルートは単純に太平洋沿岸から房総半島を回って、東京湾から江戸へ輸送されたものとばかり思っていたが、実際には輸送ルートは、利根川から霞ヶ浦を経て、千葉県関宿を経て江戸川を通って江戸へ辿ったらしい。「おたふく」ではどのルートを辿ったとも書かれていないので、定かではないが、こういう海運ルートの存在さえ知らなかった。しかも霞ヶ浦には他にももうひとつ東北地方から江戸へ貨物輸送するルートがあったという。

 実際に学校から見学にどれだけの子どもたちがやって来るだろうか。環境問題や霞ヶ浦の生い立ちを調べるためには、間違いなく良い施設である。だが、立地的な利便性が伴わないだけに、大勢の利用者という観点から、今ひとつ訴求力を欠いているように思える。少々もったいない施設であると感じたが、土地の人々はどう思っているだろうか。

2008年11月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com