今日から毎週月曜日に岩波市民セミナーを神田神保町の岩波アネックスビルで連続4回受講する。講師は原寿雄・元共同通信社長で、駒沢大片山正彦講師から絶対に役立つからぜひ聴講されると良いと勧められたものだ。
第1回は「軍国少年からジャーナリスト」と題して生い立ちからジャーナリストとしての考え方まで淡々と、しかし分りやすく説明してくれた。驚いたのは、大正14年(1925年)生まれで、今年83歳になられるが、お年には見えないほど、顔の色艶もよく内容的にも興味の沸く話で2時間の予定が質問を交えて2時間半になってしまった。そつのない受け答えは相当ジャーナリストとして自信をお持ちであることを窺わせてくれた。
原講師の生まれた大正14年は、普通選挙法が生まれる一方で、治安維持法も施行された。民主的な法律と非民主的な法律が同時に実行された。大正デモクラシーの終わりであった。小学校に上がったのは、満州事変の年であった。貧しい農家に生まれたので、子どものころから農業の手伝いをやらされた。東京に近いとはいえ、小作人の家では軍国少年になるのは自然の流れであった。
ジャーナリストとして感じたのは、「良い答えは良い質問からしか生まれない」ということだ。また、新聞記者で名文家は従軍記者となったが、従軍記者は戦争犯罪人ではないかと思った。
原講師の話の中で2つの点が特に印象に残った。1つは、日本では戦争責任をきちんとつけていない。特に天皇の戦争責任があいまいで、昭和天皇が亡くなったことによって決着をつけずにうやむやにしている。もう一点は、国家の発展とともにジャーナリズムも大きくなる。ジャーナリズムは頭の中では国籍をも超える。しかし、果たしてジャーナリズムは戦争を抑えきれるか。そうだと言いきれるか。例として、朝日新聞の「新聞と戦争」プロジェクトについて、この執筆記者たちが、満州事変当時にいたら、果たして関東軍の謀略を暴露できたか、という点で疑問である。ジャーナリズムも既成事実には弱い。満州事変のように再び朝日が「一歩遅れて転向する」ことはないか。以上の仮題を、実際朝日の出版記念会で話したそうである。中々骨のある話で面白かった。流石に記者としても、新聞連盟の専任労組幹部としても、また経営者としても実績のある方だけに、淡々と話される自分史は期せずして昭和史を語り、ジャーナリズムの歴史をも語っていると感じた。残りの3回が待ち遠しいほどである。