327.2008年4月5日(土) 韓国「済州4・3事件」発生60周年

 一昨日4月3日は、韓国では軍や警察による住民虐殺があった「済州4・3事件」発生から満60年に当る記念日だったそうだ。式典には1万人が集まった。この事件のことは寡聞にして知らなかった。今朝の朝日新聞によれば、犠牲者数が2万5千~3万人と推計される大虐殺事件である。ひとつの都市が地上から消された暗黒事件だ。難を逃れて日本へ脱出した人々も多く、約3千人が日本へ逃れ生活した。戦後間もない昭和23年当時のことで、日本も韓国も終戦直後の混乱状態の中で事件を注視する余裕はなかっただろう。自分自身まだ南房総の小学4年生へ進級したばかりのころで、両親の苦労も知らずに近所の同級生と山野を駆け巡っていたころである。

 米ソの対立が徐々に激しくなり、韓国内でも共産ゲリラによる宣撫工作が左右両勢力のしのぎを削るスパイ活動へ発展させ、2年後の朝鮮戦争勃発へと突き進んで行く。日本でも共産党の息がかかった労働組合の強大化により、右翼勢力や警察が共産勢力や労働組合幹部らを追い回していた時代だった。ちょうどその頃相次いで社会的事件が発生した。昭和24年に連続的に起きた、下山事件、松川事件、三鷹事件等一応の決着を迎えたと言われているが、現在でもその裁判に問題ありと言われ、最終的な決着はついていないように思う。子ども心にもそれらの大事件は強く印象に残った。

 それが、韓国ではこの「済州4・3事件」は風化していない。ことの始まりは、左翼勢力、南朝鮮労働党党員らが、アメリカ軍政が進める南朝鮮だけの総選挙に反対して深夜武装蜂起し、警察などを襲撃した。鎮圧のため朝鮮本土から警察や右翼団体が増派され、対立が激化して無関係の住民らが軍や警察に捕らえられ、激しい拷問を受けたり、処刑されたりした。

 金大中大統領、ノ・ム・ヒョン大統領の時代になって、やっと韓国政府は調査を始め、犠牲者遺族に公式謝罪した。長い間に亘ってベールに包まれていたのは、韓国では軍事政権が長期に亘って続いていたからである。歴史の汚点が解明されるのは、これからだろう。それにしても多くの犠牲者を生んだ、このような残虐な事件が戦後の混乱期の日本にはなかっただけでも救われる思いがする。

2008年4月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

326.2008年4月4日(金) 今のままでは年金問題は解決しない。

 福田政府が機能不全に陥っている。やること成すことすべてにおいて頓挫したり、停滞している。日銀総裁人事、暫定税率期限切れ、年金問題、等々に成果が見られない。ここまで酷い政権になるとは思いもよらなかった。

 今月から始まった高齢者国民健康保険のうち、後期高齢者と称する高齢者を対象にした健康保険は批判が強く、手順とやり方を変えるようだ。それにしても、「後期高齢者」という名前が75歳以上の対象者に対して冷淡過ぎやしないかとの声が挙がっている。「後期高齢者保険」という呼び名が、あまりにも冷たいというので、急遽「長寿医療保険」と名前を変えたが、法律は一義的にはあくまで前者が正式な呼び名だという。役所のやることは、相手のことを考えていないというひとつの典型である。

 なぜこういう思いやりのない名前を思慮分別なくつけるかと考えると、つまるところ役人は現場で苦労した経験がないから、相手の気持ちが理解出来ないからだという基本に行き着く。情けなくも彼らには人の心、ハートがない。年金がらみの厚労省、社保庁の熱の入らない好い加減な対応ぶりを散々見せられると、もうこの役所と役人どもに任せては、今日まで未解決の問題は今後も解決しないだろうし、新たな手抜きをやって、国民をまた騙すのではないかと疑心暗鬼になり、本当に心配になってくる。公僕なんて言葉はついぞ眼にしなくなったが、せめて国民の税金で自分たちだけは世の中を楽しもう、なんて愚かな考えだけは持たないようにしてもらいたいものである。

 それにしても役人は自分たちが犯した大失態、しかも国民に相当な負担を強いた大罪に対して、なぜ責任をとろうとしないのか。可笑しいではないか。これは何も年金だけの問題ではない。退職した一般役人に、彼らのせいで追い詰められた旧職場でボランティアとして働かすべきである。また、高級役人に対しては、退職金の返還を求めるべきである。

2008年4月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

325.2008年4月3日(木) 桜と北京五輪開会式について

 桜も今が見ごろで、自宅近くの呑川の桜並木も例年通り華やかに咲き誇っている。先日訪ねて来られた証券会社のセールスマンが呑川の散歩道を花見しながらやって来たと言っていたが、この界隈の桜は特別有名というほどのことはないが、これほど続く桜並木の見事さはそう滅多にあるものでなく、一寸した隠れた桜名所である。せっかく満開であるので、妻と外食がてら往・復路を明るい花見と夜桜見物を楽しんだ。かつてはかなり酒が入って花見を楽しんでいるグループもあったが、今はまったく見当たらない。ライトアップも個人的なものを除いてなくなった。夜の花見が禁じられて昔のように騒がなくなったようだ。それにしても夜桜は日本の美だとつくづく感じ入った。

 さて、10日ほど前からチベットについて旅行記とデモ騒乱事件について書いているが、先日小中陽太郎氏からチベット滞在中に今度のデモに関連する、何か兆候のようなものを見なかったか、もし何かそれらしいものがあれば、それを膨らましてエッセイでも書いてみてはどうかと親切にアドバイスをいただいた。特段目立って異質なことはなかったと思っているが、それでもポタラ宮殿内に平時に拘わらず、多くの軍用車と非武装兵が集まったのは、何か不自然で不穏な気がしたのでそれについて旅行記の中で今書いているところだ。

 北京五輪開会式に出席を取りやめる例がヨーロッパでいくつか出てきた。今ギリシャから中国へ入った聖火は、最初の国としてカザフスタンへ入った。これからヨーロッパを回り、北米から南米、アフリカ、大洋州を経てアジアへ戻って来る。日本へもやってくる。先日オリンピアの地で行われた採火式で、中国五輪委員会代表の演説中に妨害行為があったために、聖火は厳戒体制の中でリレーされている。平和の象徴と言われた五輪が、スポーツとは無関係なチベットのデモにより、大揺れである。五輪不参加という政治的な意図が匂うような抗議活動は、五輪には馴染まないし、五輪不参加とか開会式欠席には賛成出来ない。

 現在中国政府の人権問題が五輪と絡まってスポットライトを浴びているが、中国政府に対して五輪とは別途に、チベットの民主化と人権問題について世界中が懸念しているとのメッセージを各国が出すべき時であると思う。

2008年4月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

324.2008年4月2日(水) 映画「靖国 YASUKUNI」は公開中止?

 朝日夕刊に全面広告で映画「靖国YASUKUNI」が紹介されていた。昨日東京と大阪の映画館5館で予定されていた公開が中止された。案の定右翼の横ヤリや嫌がらせを恐れた興行主が、事前に難を避けたというところだろう。これには悪しき前例がある。実は、先日日教組大会を受け入れていたプリンスホテルが直前になって、やはり右翼の圧力を恐れて日教組に対して大会開催の返上を迫り、裁判所の決定にも背いて会場使用を断った。社会的な批判を受けるのは当然としても、映画館もプリンスホテルと同じ道を選んだということになる。結局「言論の自由」の封殺である。一番喜んでいるのは右翼だろう。これで脅せば話が通ると味をしめ、進歩的な催しに対して更に攻勢に出てくるのは間違いないだろう。危険な兆候である。

 この映画を観ていないので何ともいえないが、新聞報道によれば、公開したところで右翼にとっても大して問題になるストーリーではないという声が多い。

 そもそもこのように上映中止に至ったきっかけは、自民党稲田朋美代議士がこの映画に公的資金が助成されていることに疑問を呈して、国会議員向けに試写会が開かれたことがニュースとして騒がれたことにある。結局稲田代議士自身はこの映画自体は内容的に問題となるような映画ではなく、むしろこういう経過を辿って一般公開が中止になったことは心外であるようなコメントを出している。だが、この人は弁護士であるが、見識を疑いたくなる。本気でそう思うなら、問題をこじらせ損害を与えた人たちに対して、説明するなり謝罪するなりして火付け役としての責任を果たすべきではないか。今朝の朝日でもそう主張している。火をつけて大火災にしておきながらそのままトンズラするのでは、放火犯となんら変わらないではないか。このような世間の常識が分からないから、政治家はレベルが低いと揶揄もされ中傷もされるのだ。

 夕刊紙上の評論家田原総一朗氏と撮影した映画監督・李纓氏の対談記事を読むと、普段幾分右寄りの田原氏ですら、良い映画だったと誉めそやし「靖国をこれほど執拗に描いた映像は見たことがありません。よくぞここまで撮ってくれた、と思います」とまで言わしめている。田原氏がそこまで言うのだから、それなりの議論を提供する映画だろう。左右両方の立場の人が観て喧々諤々の論議をすれば良い。広告だからお愛想も必要だろうが、それにしても門前払いのような一方的な中止というのは、卑怯なやり方だと思う。ゼミのお祝い会の件で電話した大日本印刷㈱常務の池田博充くんもえらく憤慨していた。

 何とか上映されるのを待ち、ぜひとも観てみたいものである。

2008年4月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

323.2008年4月1日(火) 政治の遅れ

 新年度に入った。かつて会社勤めの頃、特に営業部門を預かっていた頃は、何かにつけひとつの区切りの日として、向う1年間の営業方針を発表し、考え方と目標を事細かに伝え、併せて予・決算を説明した1日だった。

 国の歳入・歳出についても、国から得心の行くように説明してもらいたいものである。これからも相当無駄な費用が使われるのではないかと心配である。今後国民がしっかり税金の使われ方をチェックすることが大切だ。さもないと特定財源の中から、健康チェアー購入費や観光旅行費用を福利厚生費として、当たり前のように浪費する役人に眼くらましを食わされ、彼らの好きなようにつまみ食いされてしまう。

 過去1年間に日本の株式市場は下落し続け、この間何と日経平均株価が27.5%も下落した。2002年度の27.7%に次ぐ大きさとなった。17,287円から12,525円にまで下がったというのだから、うんざりする。アメリカのサブ・プライム・ローンに始まるアメリカ経済の景気減速に影響されたわけだが、日本経済の先行きもまったく不透明である。日経紙によれば、日本の時価総額はGDPを下回る規模になったという。日本通のコロンビア大学ジェラルド・カーチス教授は、日本の「政治の遅れ」を指摘しているが、遅れどころか明らかに行き止まりのない停滞だと思う。責任はすべて責任を果たそうとしない政治家にある。

 案の定昨日で期限切れした暫定税率のうち、ガソリン税がなくなったので、市場では相当な混乱が起きている。ややこしいことに税込み仕入れのガソリンは旧料金、新規に無税で仕入れたガソリンは新料金として安く市場に出回る。目ざとい消費者はこの無税のガソリンを購入するために、安いスタンドを探し回っている。こんな面倒なことをやって、一体誰が得をするのか。営業車にガソリンを使う運送関係の事業者や、車の利用頻度が高い一般人が恩恵に浴する程度で、それ以外の人や団体は振り回されているのが実態である。気の毒なのは、個人経営のガソリンスタンドで、値下げのタイミングをどうすべきか、また値下げ幅をいくらにすべきか、他店の様子見をしながら、いらいらしているようだ。

 ここでは、政治家の力はまったく無力と言ってもいい。これだから、政治の遅れと糾弾され、国民の信用が益々なくなるのだ。

2008年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

322.2008年3月31日(月) 俗曲師の弾き謡い

 来週開催のゼミお祝い会の世話人のひとりとして、他の世話人にも会場のホテルへ集まっていただき一応の打ち合わせをした。大阪から駆けつけてくれる第1回生の佐竹正彬さんをはじめ、40名を超える参加者が予定されているので、世話人一同楽しい賑やかなパーティになることを期待している。明日を期して麹町女学園校長に昇任される伊藤暁さんが、仕事を抜け出してわざわざ来てくれたことは有難い。

 その後、出井猛氏に招待券をいただいたので、新宿コマ劇場内のアップルシアターで、一風変わった面白いコンサートを観た。うめ吉さんという俗曲師のショーで、普段滅多に触れる機会のない日本古来のお座敷芸のパフォーマンスだ。プログラムを見ると「奴さん」「おてもやん」「すととん節」「都々逸」など近年テレビではほとんど観ることの出来ないものばかりで、予想以上に気軽に楽しめた。

 うめ吉さんのトークは結構手慣れていて、要点をまとめて上手に解説してくれた。落語に欠かせない出囃子とか、地囃子の説明など、いままでまったく知らなかった業界用語を専門家が解説するのでよく分かる。1人ひとりの落語家が舞台へ上がる時の出囃子も、それぞれ固有のものを持っているとは初耳だった。特に、桂米丸の場合は、名前に「丸」がつくので船とか、海に関係のある出囃子になるのだと解説して、実際に出囃子をやってくれたが、♪金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ~♪だった。

 少々異質なコンサートだったが、うめ吉さんの声質に若干不満を感じながらもエンターテイメントの点では大いに楽しめた。

 さて、いよいよ年度末に近づくことから、昨日国会の無様な実態を責めたが、やはり今日福田首相の狙い通りには暫定税率法案は与野党間で話し合いがつかず、ついに今年度時間切れとなった。首相は記者会見の場で国民に迷惑をかけたことをお詫びする一幕があった。

 ただ、今日のTVニュースを見ていると国民の中には、ガソリンがらみの軽率な行動で他人に迷惑をかけている御仁が相当いるらしい。事情は分からないでもないが、もう少し分別がないものだろうか。酷い消費者もいるものだと呆れてしまった。1例を挙げれば、4月1日以降に安いガソリンを買うつもりで、ぎりぎりの量しか入れてなかったために路上でガス欠を起した車が何台もあった。こういうことで、緊急に駆り出されるJAFもご苦労なことであるが、生活するうえで最低限の常識も持ち合わせていないような人たちが、これまでよく生き延びてきたものだと半分は呆れ、半分は感心もする。

 それにしても、政治家にはつなぎ法案のような苦し紛れの法案なんか考え出すよりも、もう少しまともな知恵は出せないものか。

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321.2008年3月30日(日) 政治家よ、もう少し真面目に働け!

 年度末は桜の開花シーズンでもある。明日期限切れとなるガソリンの暫定税率につき、法律が国会を通らなかったから結局暫定税率は廃止となる公算が強い。ただし、その後にもすったもんだの波乱があることは間違いない。新年度以降ガソリン税をどうするのか決まらないから、市場では販売者のガソリン・スタンドと消費者が右往左往している。福田首相は、明日まだ1日残っているから何とか野党の了解を得て、暫定税率を認めてもらう努力を傾けると強調していた。しかし、いままで与野党は自党案が最善の案と言って、結局袋小路に入り込み、時間切れになったこれまでの経緯もあり、あと1日で双方にとって妥協点のない相手の法案に歩み寄ることが出来るのか。国会議員が真面目に意見を出し合い議論してまとめるという真摯な姿勢がないから、時間を浪費して国民に不安を与え、その挙句にどんづまりで国民に迷惑をかけるということになる。

 日銀総裁も決まらないままだし、国会議員なんて何1つまともなことをやってくれないとあきれ返るばかりだ。依然として与野党の主張と思惑がかなり違うこともあって、この先ガソリンはどうなるのか、一寸先はまるで闇である。この数ヶ月間政治の動きを見ていると、国会議員の頭の中は自分たちの都合ばかり考えて言いたい放題で、国民のことはまったく念頭にないことを改めて感じる。政治の停滞、空白と言うより、政治家の不真面目さと怠惰が招いた混乱としか言いようがない。

 ガソリン税率をきちんと決めるために残された時間は、ついにあと1日となってしまった。今日の各党のテレビ討論における発言を見ていても、懲りもせず不毛の討論をやっている。他党の政策・意見の揚げ足取りにうつつを抜かしているだけだ。こういう政治家たちには政治を司る志と熱意、責任感がまったく見られない。怠け者ばかりが政治家になっているとの印象が強い。こんな低次元の政治家には、とっとと辞めてもらいたいものだ。そして、これ以上馬鹿な政治家を無駄に養う必要はないと思う。この際思い切って一院制にして、現在の衆議院も規模を縮小して代議士250名程度に半減してもよいのではないだろうか。福田首相自身が財源不足だと言っているのだから、まずは自ら範を示して議員にかかる経費をズバッと切ってもらいたい。まったく嫌になっちゃう。

 こんなお粗末な政治とは無関係な近所の桜は満開で、上品な春のムードを放ってくれている。

2008年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

320.2008年3月29日(土) 夏目漱石についてひとくさり

 先日加藤秀俊先生へ拙著「現代・海外武者修行のすすめ」をお送りしたところ、昨日ご丁重なお便りをいただいた。「・・・まだ、パラパラと拝見しているだけですが、たいへんな活動量に感銘しています。これからゆっくりと拝読します。・・・」と書かれてあった。先生の推薦書・夏目漱石著「私の個人主義」については、義父から譲ってもらった岩波の全集には収録されていなかったので、取り急ぎ近くの書店から取り寄せた。全集に掲載されなかった理由は、それが漱石の講演集だったからではないかと見当をつけている。しかし、加藤先生がお薦めされるだけあって、中々示唆に富んでいる。職業と道楽について、職業は他人のためにやるもので、自分自身のためにやるのは道楽であると断定している。皮肉屋・漱石の面目躍如で随所にワサビが利いている。例えば、明治44年に兵庫県明石で行った講演「道楽と職業」の中にはこういう表現がある。「博士というと諸事万端人間一切天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるんです」と気位の高い博士らから顰蹙を買いそうなことを平気で述べている。まあ、ご自分に相当な自信があるからであろう。

 「私の個人主義」序言で文藝評論家・瀬沼茂樹が述べている。「・・・漱石は座談や講演の名人である。しかし漱石は当意即妙に話をその場限りに終わらせていない。話術に巧妙で、諧謔に富んでいる点では人後に落ちないばかりか、なにげない日常の事柄を糸口に、識見や主張を語り、薀蓄を傾け、独創的な思想に導き、極めて魅力に満ちている」。

 数年前に漱石全集を改めて読み返してみようといくつかの長編を読んで感じた夏目漱石文学の特徴は、①割合身近な題材をテーマにしている、②登場人物がインテリ、③比較的経済的に豊かな生活を対象にしている、④主役の家庭にお手伝いさんか、書生がいる、⑤舞台に九州を取り上げているケースが多い、等々であまりしつこく、ねちねちと内面を描写することはないようだ。恋愛小説とか、不倫を扱った小説とは縁遠いようだ。

 小学5年生だったころ、母から薦められて初めて「坊ちゃん」を読んで可笑しな小説だなと思ったことがあるが、それ以来今日まで漱石とお付き合いすることになった。まあ、日本人にとっては昔の家庭生活とか、昔の先生ののんびりした生活の姿のようなものがイメージ出来て、読んでいてもつい笑ってしまう。何と言っても文章力がしっかりしているのが素晴らしい。良い意味で前頭葉刺激剤である。その点で最近の小説は、あまり読む気も起こらない。近頃では芥川賞作家や直木賞作家の作品ですら、現代の闇とか、セックス描写ばかり派手に書きなぐり、まったくストーリーが頭にインプットされない。やはりいつまでも詠み継がれる小説というのが、古典と呼ばれるものだろう。

2008年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

319.2008年3月28日(金) 沖縄の集団自決は日本軍が関与

 大東亜戦争末期の沖縄で住民が集団自決したことは、日本軍の命令によるものだったと記述した岩波新書「沖縄ノート」作者の大江健三郎氏と、発行者・岩波書店に対して名誉回復の訴えを起していた、沖縄戦・元守備隊長と遺族の訴えを大阪地裁は今日却下した。

 真実は当人たちにしか分からないが、集団自決から63年が経過して、当時の沖縄戦から生き残っている人も年々数が減り、新しい歴史的事実が判明したり、未詳の記録が発見される可能性もいまや極めて少なくなった。結局当時残された資料や記録を検証して事実誤認がないことを確認する作業と、生き残り証人の告白等を地道に確認する裏づけ作業が、より大切で欠かせなくなったと思う。

 軍の命令がなかったとする原告の主張には、ほとんど客観的に当事者である沖縄県民や国民を納得させる証人証言が得られなかった。云うまでもなく旧日本軍の組織内には、厳然とした縦社会の構造と厳しい上意下達の命令系統があったことは明らかで、かつて戦友会慰霊団をお世話していた当時、多くの元兵士の方々から伺った話では、この2つは絶対無視出来ず、一兵卒としてはただ服従するのみだったそうだ。こういう命令服従の空気はなかったと原告は断じて主張するのだろうか。裁判所は、住民の証言から日本軍の関与を示す内容は、合理的で根拠があると明確に判断した。

 昨年の教科書検定で沖縄集団自決は棚上げされた形になったが、これが昨秋沖縄県民を怒らせた。戦場となった沖縄では、県民は日本軍の命令によって集団自決に追い込まれたと理解している。この県民感情に逆らうような主張で、果たして沖縄県民を納得させることが出来るのだろうか。

 正反対の主張をしている原告側と被告側のどちらかが、正しいのか正しくないのかは、双方の言い分を聞いただけでは真実分からない。しかし、集団でことを成したということから考えれば、集団の中のリーダーによって実行されたことは明らかではないだろうか。リーダーは誰かから命令を受けたものと推察すると、最早軍内部以外には考えられないだろう。断言は出来ないが、裁判所の下した判断は、溢れる資料、生存者の証言、客観的状況証拠から考えて妥当ではないかと考えている。

 だが、原告の元守備隊長側はどうしても納得せず控訴するという。遺族の気持ちはどうなるのだろう。

2008年3月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

318.2008年3月27日(木) 平安高校最後の試合?

 野球シーズンが到来したので、野球に関して話題2題。

 ひとつは、プロ野球開幕スケジュールのあり方に関してである。パ・リーグが開幕してロッテとソフトバンクの好試合が展開されたが、セ・リーグはまだ開幕していない。そのセの巨人軍のホームグランド、東京ドームではアメリカ大リーグの開幕試合(レッドソックス対アスレチックス)が行われている奇妙な展開になっている。このメジャー・リーグの開幕試合をパの公式戦にぶつけるという無粋さは、常識的には考えられない。些か常軌を逸している。

 すでに昨年ロッテのバレンタイン監督と当時の日本ハム・ヒルマン監督が、せっかく盛り上がったパの開幕試合に水を差すようなスケジュール編成はおかしいと指摘していたくらいである。レッドソックスの先発投手・松坂大輔ですら、パの開幕試合に気兼ねしてしまうと率直な胸の内を語っていた。日本のプロ野球が開幕して熱が入ろうという瞬間に、ファンの眼をメジャー・リーグへ向かわせようというのだから、日本のプロ野球関係者は一体何を考えているのか、仕掛け人が外部の人ならまだしも、主催者・読売新聞社は、普段の言葉とは裏腹に実際はプロ野球の興隆なんて屁とも思っていないことを暴露したようなものだ。球界の盟主を標榜する巨人軍のオーナー会社としては、血迷ったとしか考えられない。日本のプロ野球の発展を考えているどころか、日本人ファンのメジャー志向を煽っているとしか思えない。これには野球評論家諸氏が挙って反対していた。反対の意見が圧倒的であることぐらい、気がつきそうなものなのに、今日のマス・メディアのやり方らしく世論やファンの声には一切耳を傾けず、自分の都合だけを優先し、ただ金儲けに走る。どこかコンプライアンスに欠ける日本相撲協会とも共通点がある。

 もうひとつは、選抜高校野球である。いつ見ても選手は溌剌とプレイしていて、清々しい。今日の第一試合は、中学2年生の時、2~3学期の僅か半年間だけだったが在籍した京都・平安中学の付属校・平安高校が21世紀枠の推薦校・愛知県立成章高校と対戦した。最後まで観たのは、創部百年目の平安が最多出場回数を誇る伝統校でありながら、4月から校名変更するというのが残念で、伝統の「HEIAN」ユニフォームの見納めと考えたからである。応援席には野球部OBが駆けつけていたが、その何人かは昭和31年夏の甲子園優勝メンバーで、私とは平安中学の同級生になる。龍谷大学付属平安高校というのが新しい校名だそうだから、「平安」という名前が完全になくなるわけではないが、元在校生としては些か寂しいし、系統が変わるわけでもなく、敢えて名称変更までする必要はないのではないかと思うのは、私の単なるセンチメンタリズムだろうか。

 ラグビーの名門校である大阪の大阪工大高と同じく啓光学園高が経営母体の学校法人同士が統合されたことにより、来年からともに校名変更する。なぜか流行のように校名変更を簡単に決めてしまう風潮が見られる。かつての野球名門校、浪華商と中京商も校名変更により、それぞれ大阪体育大付属浪商高校、中京大付属中京高校となった。時代の流れかも知れないがどうもしっくりしない。

 さて、最後の「平安高校」は反撃を凌いで勝ち残った。これでまだ「平安高校」は試合が出来る。

 テレビから流れてくる校歌斉唱に合わせて、つい口ずさんでしまった。

   ♪紫匂う雲の彼方

     希望の星の燃ゆるところ

      目指し羽ばたく若き生命

     燦たり ここにこぞる

      おお 称えよ 称えよ

       たぎる力を♪

          (平安高校校歌)

2008年3月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com