こどもの日である。いまや少子高齢化で、こどもの数は年々減少している。その分、こどもは大切にされ、やや過保護気味になってきた。しかし、これはあくまで表面上のことで、その陰でこどもに対する養育放棄や、こども虐待事件が後を絶たない。児童相談所も問題を抱え過ぎて、手に負えないところも多いようだ。
戦後しばらくベビーブームと呼ばれ、児童数も毎年うなぎのぼりに増え、昭和24年には、270万人の新生児の誕生があった。昨年は、新生児の誕生がやっと100万人を超える程度で、ピーク時に比べて4割程度にまで減ってしまった。かつてのベビーたちは団塊の世代と呼ばれるようになり、いまや彼らのこどもたち、団塊ジュニアが問題児になっているケースが多い。
教育面で評価の高いフィンランドでは、1人の女性が一生に産むこどもの数は、1.84人で日本の1.32人を大きく上回っている。1970年には、日本が2.2人で、フィンランドは1.8人だった。この背景には、女性がこどもを育てるための福利厚生や、教育予算の拡充が必要である。その裏づけとして、北欧諸国は概して税金、とりわけ消費税が高い。ほとんど22~25%で、高負担・高福祉が徹底している。それでも国民はそれを支持している。税金は高くても必ず自分たちに還ってくると信じている。この点が重要なポイントだと思う。高負担が結果的に国民の福祉向上、教育水準上昇に貢献していることを国民が納得し、支持している。高邁な政策を打ち出して、実行できる仕組みをしっかり構築できるかどうかが大切で、北欧の国民は政府を信頼し、政策を委ねる。この点では残念ながら、わが国はとても難しいと思う。税金を上げても消えてしまったり、無駄に使われるのがはっきり分かっているからである。それに、政治家が福祉問題にまったく熱意がなく、勉強せず、教育についても問題点そのものが分からないようでは、とても頼りにすることができない。
フィンランドの教育施設を見学したことはないが、見学した北欧スウェーデン、オランダや、その他の欧米各国の教育機関を訪れた後の率直な感想は、学校現場においても彼我の差は、その関係する役所の差ではないかと思えたことである。日本の教育現場があまりにもお役所的に強請されているような印象を受けた。こども本位ではなく、先生が教育より書類作成に時間を費やしている。こどもの時に読むべき本は読まず、マナーやエチケットを学ぶこともなく、塾が氾濫してロボット化した頭でっかちの子が溢れている。これでは、世の中に愛情、情熱、思いやり、創造性、独立心に欠けた、嫌なガキがのさばるのも分からないでもない。