1686.2011年12月25日(日) 20年前の今日ソ連崩壊、70年前には日本軍香港占領

 昨晩のクリスマス・イブは底冷えのする陽気で、日本海側ではかなり積雪が多かったようだ。心配した妻が新潟の二男に電話してみると、「親の心子知らず」と言っても二男は38歳にもなるが、新潟市内の自宅にはおらず、妻子を連れて会津でのんびり温泉に浸かっているとの返信に気楽なものだなぁとつい笑ってしまった。

 さて、今日25日はソヴィエト社会主義共和国連邦が崩壊して丁度20年になる。また、70年前は太平洋戦争開戦まもなくの頃で、進軍ラッパを吹き鳴らし怒涛の進軍をした日本軍がイギリス軍を破り香港を占領した日だった。

 ソ連の崩壊は、その2年前のベルリンの壁と東欧社会主義国家崩壊の雪崩現象からある程度予想されていた。実はソ連崩壊の5ヶ月前の1991年7月にシベリア・サハリン方面へ出張してサハリンの首都ユジノサハリンスクの漁港で、偶々広島県出身の日本名福原さんと名乗る朝鮮人のおばさんから、ペレストロイカになってから生活が苦しくなって今までなら年金生活で楽な生活を送れたのに、夫婦で共稼ぎしなければやっていけないとぼやいていた姿を思い出す。その時早晩ペレストロイカも破綻するだろうと秘かに思ったものである。そしてまもなくソ連の社会主義体制は崩壊した。

 そのロシアも紆余曲折を重ねながら、今でも何とか大国としての地位を守り続けている。しかし、しばらく安定していたかに見えたプーチン支配体制が、先日の下院議員選挙で不正があったと告発の声が上がり、ロシアでは珍しく再選挙の声が強まり、プーチン首相が否定すれども反対の声は高まるばかりである。ロシア国内もざわついてきた。数日前モスクワ市内のデモには3万人が集まったという。過去の実績に胡坐をかいて国民を見くびっていると足元を掬われることがよくあるものである。

 来年首相の地位を辞して大統領へ復活した後、憲法を改正までして、それから更に12年もの長期間に亘って大国ロシアの最高権力を握り続けようというのだから、まともな国民からは嫌われるわけである。トップに上りつめ、おだてられるとつい思い上がって自制心を失いがちになるものだ。

 一方、香港には今もなお日本軍が襲撃したトーチカが残っているようだ。その歴史を後世に残そうと地味な活動を続けている人たちが香港にもいる。開戦直後に日本軍が一気呵成にイギリス軍を打ち破り、あの高級ホテル「ザ・ペニンシュラ」で降伏文書に調印させた。香港には何度も行っているが、同地で日英両軍の戦いについてはこれまで話を聞いたことがなかった。

 戦争について言えば、今日はNHKテレビで足掛け3年に亘って断片的に放映された連続ドラマ「坂の上の雲」の最終回・日露戦争勝利を楽しんだ。時代背景と秋山好古・真之兄弟と正岡子規ら3人の人物像を上手にからませて列強の権益争いに巻き込まれる明治期の日本の姿をよく描いている。戦争場面なぞは中々スケールが大きく、観ていても楽しいが、子規が亡くなってから人情話が少なくなり、物語としては竜頭蛇尾の感がある。やはりテレビではどう逆立ちしても小説の魅力には及ばない。司馬遼太郎の原作6巻は、30年前勤務先の元社長に薦められて読み感銘を深くした。2人の息子たちにとっても愛読書のようだ。

 2000年に産経新聞に連載されたが、同社の特別取材班が書いた「『坂の上の雲』をゆく」と題する挿絵と文章からなる上・下2巻が産経の関係会社から発行された。ところが、2冊とも読んでいるのにあまり記憶に残っていない。情けないことこの上ない。この機会に改めて精読してみようと思う。

2011年12月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1685.2011年12月24日(土) 電力会社の騙し手口と来年度一般会計予算案

 昨日本欄に書き込んだ東京電力の電気料金値上げ申請について、東電の傲慢ぶりを指摘したが、今朝のNHKテレビ番組を観ていて電力会社の電気料金の算出方には、一般の企業では考えられない根拠があることが分った。しかもその稀有な料金算出根拠は法律によって認められているというのだから、経済産業省と電力会社の癒着ぶりが知れようというものである。

 その特殊な根拠について簡単に説明してみよう。それは「総括原価方式」と呼ばれているものである。他の民間会社でこんなことをやったら計算上は確実に利益が上がるが、販売価格が高く競争には勝てず会社は左前になる。とても現実的ではない。非現実を現実にさせることこそが癒着のカラクリなのである。「電気料金=原価+利益」なる計算式があり、その利益とは、総資産の3%を乗せることになっている。総資産が多ければ多いだけ、利益が膨らむ構造になっている。従って、電力会社としては、資産を増やす方向に行くようになり、不動産やら遊休施設を抱え込むことになる。電力会社は豪華な施設を抱え、社員はその恩恵に浴し、庶民の声なぞ耳を傾ける気持ちはこれっぽちもない。しかも、驚いたことに原価の中には、巨額でまったく価値を生み出さない巨額の「使用済み核燃料」管理経費が含まれているのである。

 この摩訶不思議な総括原価方式などというものを考え出したのは、役所に決まっている。どうして、消費者や国民のことを考えずに、電力安定供給を錦の御旗に事業を国策会社に独り占めさせてグルになって甘い汁を吸おうとするのか、その見下げ果てた根性が厭らしいし、とても許せるものではない。どうも今まで国民は彼らの悪賢い手口を知らされずに、言われるままに電気料金を納めさせられていたのだ。

 加えて、32年間も料金値上げを申請しなかったと言われているが、とんでもない嘘八百である。「燃料費調整」という隠れ蓑のような項目を設けて細部にあまり拘らない利用者の知らぬ間にこっそり料金は上げられ、カラクリを知らない電気利用者に黙って値上げ分を支払わせていた。東電は国と一緒になってウソツキ大芝居を打っていたのである。

 こういう会社と国の電力安定供給のスローガンに乗せられて、バカを見るのは国民、電気利用者である。何たる国家と国策会社による国民騙しか。呆れて物が言えない。電力会社のやりたい放題にはもう好い加減にうんざりである。

 さて、政府は今日来年度一般会計予算案を決定した。歳入が少なく歳出が増加する傾向が近年益々強まっている。特に、今年は東日本大震災の震災復興経費を含めると予算規模としては過去最大である。だが、民主党お得意の隠しカラクリがあり、予算額は90兆3339億円だそうだが、これは一部を特別会計へ回して金額を見かけ上少なく計上している。これによって前年度より2.3%少なく、6年ぶりに前年度を下回った。とにかくやることなすことすべてがセコイのだ。

 国の借金は2012年末には1,000兆円を超える。このまま借金が増えたら、遂には債務不履行になり借金残高はギリシャの比ではなくなる。政治家は誰も彼もがいかれている。‘ベビーギャング’安住淳・財務大臣がノーテンキなのだから話にならない。「国債依存の体制はそろそろ限界に来ている」と語ったという。何を今ごろバカなことを言っているのだ。もうとっくに限界に達しているのに、この感覚である。これだからベビーギャングは困る。

 予算案について言いたいことはいくらでもあるが、あまり多過ぎて言うのも嫌になる。精々予算案の金額が下4桁は不明だが、私の携帯番号(0)90-3339-○○○○とまったく同じで覚え易いことぐらいがメリットとは!

2011年12月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1684.2011年12月23日(金) 政治家もダメ、役人もダメ、国策会社の大企業もダメ

 昨日電力がらみで2つの不誠実な発表があった。ひとつは民主党が2年前の総選挙の際マニフェストに掲げた「八ツ場ダム建設工事中止」の取り止めであり、もうひとつは東京電力の32年ぶりの電気料金値上げの申請である。

 前者は民主党が総選挙で勝ち、その直後国土交通大臣に就任した前原誠司・現民主党政調会長が即座にマニフェストに添ってダム建設工事を中止すると公表した。ところが工事はすでに全体の7~8割方終っている。地元の反発も激しい。1週間後現地視察に訪れた前原氏は地元から対話も拒否される有様で、地元では賛成派と反対派が入り乱れる一方で、投資資金をつぎ込んできた首都圏自治体の間には建設続行の空気が強まってきた。次の馬淵前大臣のニュアンスが少し変わってきた。

 そんな中で現在の前田武志大臣はダム工事の再開を決定した。このよろめき裁断は、地元住民の気持ちを弄び、自治体を翻弄し続けた結果である。そして、遂に今日前原政調会長は、決定は政府に任せることにして、政府は正式にダム建設を決定した。これにより民主党はまたもやマニフェスト違反を犯し、国民を裏切ることになった。民主党が政権を取ることができたのは、国民を騙しても自分たちが甘い汁を吸えれば後はどうにでもなると考えたからだと思われても抗弁できまい。政権末期の自民党も酷かったが、これほど自分たちの政治を実行できない民主党は政権政党として最低である。まったく政権政党の体を成していない。恐らく次回の総選挙では信頼を失い、かなりの票数を減らすことになるだろう。

 さて、後者の電気料金値上げは突然東電の一方的な発表である。企業向けに2割、一般家庭向けに1割程度の値上げを検討しているようだ。火力発電の比重を高めた結果、燃料費の負担が重くなり過ぎたからだという。だが、本音は公的資金が注入され実質国有化されることから逃れるために、東電がかけた乾坤一擲の勝負ではないかと噂されている。気に入らないのは、値上げを発表した西沢俊夫社長の値上げは当然のような不遜な会見である。「値上げは事業者の義務であり、権利でもある」とまで言い放った。お願いするのに、申し訳ないとの気持ちや謙虚さが微塵も感じられない。長年親方日の丸で事業展開してきた国策会社の厚かましい本音が覗ける。

 政治家にせよ、ダム建設推進のための下工作をやっていた役人にせよ、或いは国策会社の東電にせよ、みんな自分たちだけのためにしか働かない。どうして日本人のモラルはこうも劣化したのだろうか。

2011年12月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1683.2011年12月22日(木) 高校同級生の文化功労者・中西準子さんのこと

 はっと気がついたら今日は「冬至」である。少々品格を欠いた言い方で表現するなら、私にとっては「糖痔」である。つまり糖尿病の「糖」と「痔」の2文字である。痔については、一昨日射ってもらったジオン注射は思っていた以上に効果が良好である。これほど効果が早く表れるとは思っていなかった。今日松本整形外科で、しばし痔談義である。序に肛門科の城クリニックからプレドニン5mgを毎朝服用している点について尋ねられたが、今日改めて松本医師に質して「リウマチ多発筋痛症」のために服用していると説明していただいた。

 さて、先日兄から読売新聞朝刊に連載中の「時代の証言者」の著者「中西準子」は、湘南高校出身で1938年生まれだから私の同級生ではないかと尋ねられた。確かに中西さんは高校の同級生で1年生時から卒業までクラスメートだった。今日の読売に目を通してみると、連載は回を重ねて23回目であるが、内容が専門的でレベルが高く理解するのが難しい。高校時代は少々小太りの元気の良い生徒で、成績も抜群に良かった。1クラス51人の中で女生徒は僅か3人だけだったが、いつもニコニコしていて優しく存在感は際立っていた。

 中西さんの父・故中西功氏は戦前上海の東亜同文書院で学び、日本共産党の幹部として活動した筋金入りの共産党員だった。われわれの高校生時代は確か日本共産党の参議院議員だった。高校入学直後の最初の授業で新人の「生物」担当教師が、教室内の空気を和らげようと考えたのか、何人かの生徒を指名して好きな歌を何でも良いから唄いなさいと言われ、私が最初にふざけて津村謙のヒット曲「上海帰りのリル」を歌ったのに対して、彼女が真剣な表情で真っ直ぐ正面を向き「第1インターナショナル」を唄ったのには驚いた。安保闘争当時仲間とよく唄った歌だったが、高校時代そんな歌は当時まったく知らなかった。とにかく他の同級生とはちょっと違うと思った。あの当時からすでに父親仕込みの左寄りの思想堅固な女性だった。

  卒業して半世紀以上経つが1度も会ったことはない。横浜国立大学工学部へ進学し、大学院へ進みその後横浜国大、東京工大、東大教授を歴任して、現在は国の研究機関の役員を務めているようだ。昨年同じ母校の先輩でノーベル賞受賞者の根岸英一博士や、後輩のオーケストラ指揮者・大野和士氏とともに文化功労者に推薦され、今や地球環境問題の専門家として八面六臂の活躍ぶりである。同級生が頑張って活躍してくれるのには大いに元気づけられる。

  湘南高創立90周年に当たる今年、校内に建設中の「湘南歴史館」に展示されるオブジェ「湘南大樹」の一葉に、現役の生徒に対して目標と勇気を与えられる250名の先輩のひとりとして、私でも推薦されたくらいだから、私より遥かに優秀だった彼女は当然推薦されることだろう。中西さんに久しぶりに会ってみたいと思うと同時に、中西さんの益々の活躍を祈って止まない。

 夕方「飯田ゼミ」の有志による恒例の忘年会を下北沢のイタリアン・レストラン‘JACK POT’で開き、ワインと牡蠣を肴に1年の語り収めをした。恩師は亡くなられたが、気の合うゼミ仲間と会って他愛ない話に夢中になるのは実に楽しい。来年も、再来年も、いつまでもこのままでありたい。

2011年12月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1682.2011年12月21日(水) 金正日総書記死亡で噴出す風評

 一昨日金正日・北朝鮮総書記急逝のニュースが世界中にぱっと広がったが、すでにその2日前の17日には死亡していたことがその直後に伝えられた。その辺りの事情については各方面から憶測が絶えない。父親の金日成主席が亡くなった時は、34時間後に発表されたのに、今度は51時間半以上経過してから公表されたのには、それなりの理由があるのではないかと詮索されている。結局継承者・金正恩に国のリーダーとして統率していくだけの力量と信頼がないと考えられ、金正日死後の不安な感情をどうやって国民に知らせるべきか検討していたらしい。

 金正日の死去に際しては、例によって国中でリーダーの死を悲しむ派手なパフォーマンスをいろいろやって、テレビでも放映されているが、涙の流し方から、泣き方のジェスチャーまで随分作法があるらしい。平城では弔意を示した市民の数が市人口の2倍以上いるというから、いよいよ始まったなぁという感じである。

 それにしても国家元首とも言える独裁者だった金正日総書記の弔問に、外国からめぼしい弔問団がまったく訪れないというのも異様と言わざるを得ない。同一民族の韓国ですら、有力者が誰1人として弔問に訪れない。

 この国には不安材料ばかりが山積しているが、中朝国境と38度線周辺では厳戒体制が敷かれている。難民となって国を逃げ出してくる恐れがあるということが、その原因である。

 いずれにせよ、北朝鮮はいま食料不足を抱えて危機的状態にある。国民が貧窮に苦しんでいる。工業生産も思うに任せず、経済不況が続いている。にも拘わらず核やミサイルの開発にうつつを抜かしている有様である。経済は立ち行かず、それでいて強引な外交政策により世界的経済封鎖を受け国家の維持がニッチモサッチモ行かなくなっている。気の利いた政治家も輩出せず、そこへ未熟な若者・金正恩の登場では将来がまったく見通せないのではないか。この国は一体どうなるのだろうか。せめて北朝鮮が革命や内戦、体制崩壊などで自爆、暴発しないことを望むしかない。

 さて、先日書店で立ち読みしていて購入した湯本豪一著「風刺漫画-日本近代史がわかる本-」(草思社刊)が面白い。明治維新後のエポックメークな事件やでき事を当時の雑誌・新聞・イラストで紹介しつつコメントが書かれている。

 その83項目のひとつに「沖縄県誕生」という一項がある。これを読むと意外にも現在の沖縄、つまり旧琉球はかつて明代には中国に朝貢していて、慶長14(1609)年に薩摩藩に征服されて両属関係を維持し、明治4(1871)年廃藩置県後鹿児島県に属することになって清国との間に外交問題が発生したという歴史の流れを紹介している。その後紆余曲折があり、明治12年に沖縄県が誕生した。この過程を追っていると、地勢的な位置関係もあって、尖閣列島の領有権も怪しくなってくる。この辺りの事情についてどのメディアも伝えていない。そして中国が領有権を言い出し、日本の主張はみるみる説得力を失っていく。どうも日本政府のことの進め方が軌道を外れているのではないかと考えざるを得ない。

2011年12月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1681.2011年12月20日(火) 本気で痔の治療に取り組む。

 今年になってからどうも痔の具合がすっきりしない。10月に小中陽太郎さんの「いい話グセで人生は一変する」(青萌堂刊)出版記念会が開かれた折り、その後の2次会にも出て少々飲み過ぎたせいか、その晩から今までになく痔の具合がおかしくなった。尾篭な話で恐縮だが、翌朝すぐかかりつけの森内科で出っ張ったイボ痔を押し込んでもらった。このスカッとしない状態を何とかすっきりしないとこれから旅行、特に海外へ出かける時に困ると思い、早い時期に方をつけたいと考えていた。

 幸い近くに住む妻の知り合いが治療してもらったクリニックを紹介してくれたので、思い切って昨日診てもらった。診察の結果は「痔核」、いわゆる「イボ痔」と云われるもので、4段階のうち私の痔核は軽い順番からいくと3番目にあり、手術する必要まではないが、早く治療した方が良いとの診断だった。やるならALTAと呼ぶ硬化剤注入療法で患部を注射して固めるということだった。それなら「善は急げ」とばかり、早速今日午後注射と点滴の治療をしてもらった。この結果は来週初に注射後の様子を診てもらってから、どうするか医師から話がある。

 いつまでも悩みを抱えていても仕方がないので、早い結論を出してしまったが、海外へ取材に出かけられないことが一番の悩みである。妻の知人も同じように治療をした結果、最近スペイン旅行もしたようだし大分具合が良さそうなので、私もこれで直れば頭上に淀んでいた暗雲は霧消する。

 実は再来年は、戒厳令下で身の上に降りかかったアンマン(ヨルダン)の丘の事件以来ちょうど45年になる。あの時私は突然ヨルダン軍軍隊に取り囲まれライフル銃を突きつけられ身柄を拘束されてしまった。捕まった1968年1月当時は、第3次中東戦争直後で市内には軍人が跋扈して軍用車や戦車が走り回り、市街には異常な緊張感が漂い住民も神経を尖らせピリピリしていた。丘の上の景色はほとんど覚えていないが、土地勘は多分大丈夫だと思うので、大分前から何とかもう一度現場を訪れて「なぜ軍隊なぞに身柄を拘束されてしまったのか?」を検証してみたいと考えていたところである。そんなことからヨルダンに行くためには、抱えている病を一刻も早く追い払いたいと思っていた。何とか早くスカッとしたいところである。

2011年12月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1680.2011年12月19日(月) 北朝鮮の‘将軍様’金正日総書記急死!

 昨日チェコのバツラフ・バベル前大統領が 75歳で亡くなった。バベル氏は1989年のビロード革命を率いて旧チェコスロバキアの民主化を無血で達成した。反体制の劇作家として知られ、1968年の「プラハの春」では、プラハ市内へ侵攻したソ連率いるワルシャワ条約機構軍に抵抗して身柄拘束された。その後民主化運動のリーダーとして活動を続け、遂に無血革命を成功させ国民に圧倒的に支持されて初代大統領の座に就いた。

 個人的には「プラハの春」と言えば、まずチェコ留学の夢を壊された忌々しい記憶が思い出される。その後「プラハの春」20周年記念日の1988年8月20日には、偶々プラハに滞在していてバーツラフ広場で大きなデモの中に誘い込まれそうになった。いずれにしても私にとって「プラハの春」の忘れられない人物は、国の民主化への開放に火を灯した党第1書記のドブチェック氏と、民主化リーダーとして無血のビロード革命を成し遂げたハベル氏だった。

 その英雄ハベル氏死亡のニュースに引き比べ、今日唐突に飛び込んできた「世界の妖怪」の死にはびっくりさせられた。何とお隣・北朝鮮の「将軍様」金正日総書記が2日前に心臓発作で急死したのである。第2次世界大戦後スターリンやケネディの死に匹敵するほどのショッキングなニュースである。午後1時過ぎに臨時ニュースが流され、号外も発行され、この「妖怪」の死亡はあっという間に日本中を駆け巡った。テレビの番組は変更に次ぐ変更で、流石に世界がマイナス・イメージで注目するだけの大物である。この悪名高き金正日の死に比べると、国民を力づけ国の民主化へ導いた、偉大なるハベル氏死亡のニュースはあまりにも慎まし過ぎるように思える。

 経済低迷、農業凶作に加え、外国の経済封鎖の中で追い詰められた金総書記には、まだカリスマ性というか、絶対神のような存在感と影響力に加えて、瀬戸際外交という危ない橋を渡って世界を恐怖に陥れる悪霊のような悪いイメージがあった。しかし、父親の金正日・総書記の継承者と公表された三男の金正恩はまだ若く、政治舞台へのデビュー後日も浅く、実績はほとんどない。政治基盤も極めて弱い。果たしてその金正恩に金王国を継承していく力があるだろうか。しばらく革命とか、権力闘争、金王国崩壊という騒ぎが起こることはないだろうが、軍部を中心によほど三男坊のバックアップ体制を固めないとこれまでのように不安定的安泰というわけにはいかないだろうというのが、大方の見方である。これから北朝鮮の政治、外交についていろいろ交わされる議論が見ものである。

 この怪物のような金正日の評価なぞはどうでも良いが、これから北朝鮮はどういう道を進んでいくのか。核・ミサイル開発問題はどうなるのか。拉致問題はどうか。

 今日金正日死亡、享年69歳。それでも私より4歳若い。

2011年12月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1679.2011年12月18日(日) 年賀状を書いて思い出すこと

 先日海外の知人、友人にクリスマス・カードを送ったばかりだが、ここ数日は年賀状の宛名書きに追われている。漸く今日までに500枚余りの宛名を書いてほっとしたところだ。まだ50枚ばかり書かなければいけない。年を経るにつれいただく喪中の葉書も年々増えている。今年はすでに30枚を超えた。そんな中でも高校ラグビー部の蓮池くんが2月に亡くなった訃報が一番堪えた。すでに3月に奥様から亡くなられたとのご連絡をいただいたので、悲しみと寂しさは薄らいでいるが、それにしても3年間ともに練習で汗を流し、試合で悔し涙を流したことが忘れられない。

 蓮池くんは第1希望の東京商船大学航海科へ進学し、卒業後日本郵船へ入社して、若い時の願い通りNY定期航路の船長を務めていた。定年後は最近まで名古屋港で水先案内人として勤務していた。卒業後は近くにいることが少なく、あまり会う機会がなかった。今にして思えば、もっと会って酒でも酌み交わしながら、外国の話や人生論でも語り合いたかったというのが本音である。

 高校では私はフォワードだったが、彼は司令塔であるスタンド・オフとしてプレイし、プレース・キッカーとしても活躍した。同期生8人のラグビー部仲間のうち、鬼籍に入ったのは彼が4人目で実に寂しい。蓮池くんのご冥福を心よりお祈りしたい。

 年賀状については、大分前に亡くなられた小学校の恩師から心がまえを教わった。その中でもボールペンは絶対使用してはいけないと言われたことが妙に頭にこびりついている。そのころはどうしてだかよく分らなかった。当時はボールペンの品質が劣っていたこともあり、綺麗な字が書けなかったことがボールペンを敬遠した理由ではないかと思っている。それでもその時いただいた恩師のアドバイスを今でも忠実に守り、手紙や文書ではほとんどボールペンを使わない習慣が身に着いた。今でもメモ書き以外は万年筆か、筆ペンを使用している。小学生の時から大学まで版画を彫って年賀状を作成していたのも恩師の影響である。

 今ではPCでいとも簡単に年賀状を作成し印刷することができる。まさに隔世の感がする。遠くにいる友人に想いを馳せながら、万年筆で宛名を書いていると、彼は今頃どうしているだろうと1年に1度は思い出す。中学生時代の友人は、恩師ともども京都に居住して普段ほとんど会うことはなく、年賀状だけが細い友情の交流パイプである。そんなことをぼんやり考えるようになったのは、年齢のせいだろうか。

 こうして間もなく新しい年を迎えることになる。来年のお正月には友人からどんな年賀状をもらえるだろうか。

2011年12月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1678.2011年12月17日(土) 福島第1原発の「冷温停止状態」宣言は拙速か?

 昨日野田首相が福島第1原発のステップ2をクリアした「低温停止状態」に達したと内外に発表したことが、大きな話題を提供し、一部では物議を醸している状態である。今朝の朝日社説では実態は以前と変わっておらず、今後の推移も予断を許さないと決めつけている。

 当初は来年1月中旬にステップ2を終える予定だったが、国際会議で年内完了を公約し、収束を公表することによっていち早く安全性をアピールしたかったのではないかと言われている。

 これまで政府公式発表と東電情報、メディア、専門家の間には事故発生以来情報の行き違いと混乱が数多くあった。政府の原子力災害対策本部では1~3号機の炉の温度は、9月下旬以降100℃を下回り、一昨日時点で38~68℃と報告され、放射性物質(セシウム)の外部への飛散も毎時6千万ベクレルで、事故発生時の1300万分の1にまで減少したと公表している。被曝線量も目標の年間㍉シーベルトを下回って最大で年間0.1㍉シーベルトと、安全数値?であることを強調している。

 だが、われわれはこういう数値をただ鵜呑みに信用するより仕方がないのだろうか。実際はどうなんだろう? 手元にある東京電力が最近株主へ送付した決算報告書、「TEPCO2011中間報告書」を捲ってみると、「原子炉圧力容器底部の温度は、1号機が37℃、2号機及び3号機が69℃となっており、いずれも100℃以下で安定」と東電サイドの数値が記されている。これは11月17日、ちょうど1ヶ月前に書かれたものである。セシウムの放出量もすでに1,300万分の1に落ち、「年間被曝線量は最大で約0.1㍉シーベルトとなっています」と報告されている。昨日発表した数値とほとんど同じなのである。対策本部が昨日国民に発表した数字と、東電がそれより前に株主に知らせた数字とまったく同じとはどういうことだろう。勘ぐれば、2ヶ月前の数値だって同じようなものではないだろうか。何かそこに作為があり恣意的なものが感じられてならない。

 ステップ2終了が、時宜を得た判断だったかどうかは今後徹底的に精査され、議論が交わされることだろう。現在も放射性物質は相変わらず毎時6千万ベクレルも放出されているうえに、水素爆発の不安が払拭されたわけではない。国内では佐藤雄平・福島県知事が冷温停止状態はまだ早いと言っているし、海外からも疑念を抱かれているようで、ドイツ・シュピーゲル紙はこの冷温停止はごまかしと断じている。アメリカのヤッコ原子力規制委員長も事実を究明すべく近日日本へやってくるようだ。

 それにしても、これまで情報が入り乱れたせいか、こと原発に関しては何をやってもあまりうまくいかないようだ。

2011年12月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1677.2011年12月16日(金) 福島第1原発事故収束宣言

 今年5月に大学ゼミの恩師、飯田鼎先生が亡くなられてゼミ会員はみんな心にぽっかり穴が開いたような気持ちになっている。人生の生き方とか、学問への姿勢などについて半世紀に亘りお世話になった。改めて感謝の気持ちが湧いてくる。

 先月例年通りゼミの例会を開いたが、出席者の気持ちとしてはどうしても寂しい気持ちは拭い切れない。そんなもやもやした気持ちの中で、飯田先生を追悼する気持ちを込めた追悼文集といおうか、ゼミの記念文集を発行しようという話がゼミ内部からばかりでなく、ゼミの外からも持ち上がり、今日協力してくれるスタッフが集まり、初めての打ち合わせを霞ヶ関の日本プレスセンターで行った。ここはペンクラブのセミナーでもよく利用するが、今日初めて9階の談話室とレストランを利用した。雰囲気も良く、食事と飲み物の価格もリーズナブルだ。ここを世話してくれた元毎日新聞記者で、白梅学園大教授の山路憲夫さんが発起人となり中心となってゼミ会員7人が集まった。一応来年のゼミ例会までに記念文集の発行を目指すことになった。

 ところが、今後編集作業を進めるに当たり、うっかりして私が全般的なまとめ役を引き受ける破目になってしまった。執筆者から原稿を私の元へメール送信してもらうことにしたが、考えてみるとそうすると受け取った原稿を私のPCで整理し、一切合財管理することになるのではないか。結局印刷屋に引き渡す最終原稿を組版までして完璧なものにする必要がある。果たして私にそこまでできる余裕があるだろうか。もっと細かい点まで考えるべきだったかも知れない。少々迂闊だったのではないか。7人の中で最長年者の私より、こういう編集のような仕事は若い人が引き受けるべきなのに、私がぺらぺらしゃべり過ぎたのが敗因だった。まぁ今更愚痴を言っても始まらない。最善を尽くすより術はないと思う。

 ゼミとしてはこれまでにも文集は発行しているが、これが最後の文集になると思うので、立派な金ぴか文集を作る必要はないが、内容的に充分飯田先生を追悼する気持ちの籠ったもので、読んだ人が感銘を受けるような文集にすることが大切ではないかと思っている。

 さて、今日政府は福島第1原発の冷温停止状態の達成終了を確認して、事故の収束を宣言した。確かに100℃以下の状態が継続しているということから、年内にはそう宣言されると予想されていた。

 ただし、この収束宣言には専門家の間には異論もあり、その根拠として冷温停止状態になっているが、溶融した炉心の場所が特定できていないことから収束することには疑問の声もある。さらに放射性物質が依然として大気中へ放出されている。

 ほかにもまだ問題点が大分あるようだが、それを押し切って敢えて事故収束を宣言せざるを得なかったのは、風評被害など国内外に根強い原発事故への不安を払拭したいとの狙いがあったようだ。残った大きな問題は、まだ避難している住民がこの収束宣言をどう思うかである。自分たちの住んでいた家に帰ることができない以上、彼らは決して原発事故が収束したとは思わないだろう。

 今後事故収束の議論はどう進められるだろうか。

2011年12月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com